Column & Blog 4


 転用、引用はご自由にどうぞ(事前にご連絡ください)。

[No,1〜No,39] [No,40〜No,79] [No,80〜No,119]
[No,120〜No,159] [No,160〜No,199] [No,200〜No,239]
[No,240〜No,279] [No,280〜No,319] [No,320〜No,359]
[No,360〜No,399] [No,400〜No,439] [No,440〜No,479]
[No,480〜No,***]

 No,120  【日本は中国資本に買収されるのか】
 No,121  【投資で損失を出す人が多いのはなぜか】
 No,122  【小泉政権時代の量的金融緩和政策から考える】
 No,123  【いじめ問題と責任の認め方から考える株式投資】
 No,124  【日経平均株価についての説明と本指標の捉え方】
 No,125  【下降トレンド継続中の株式買入れ(半値押し)】
 No,126  【学問と正義から株式投資を考える】
 No,127  【生活用品や物品の収納から学ぶ株式投資】
 No,128  【手相と人の運命と株式投資】
 No,129  【社説で理解できる現実主義と株式投資】
 No,130  【証券会社が小口投資家を儲けさせない理由】
 No,131  【オットー・ビスマルクの言葉から考える】
 No,132  【自分と違う意見を聞くのは有意義で楽しい】
 No,133  【補助金を受けてモノを売るのは技術者としての恥】
 No,134  【現代の工業は短命に終わるのか】
 No,135  【今だからこそ考えるべき左翼思想と右翼思想】
 No,136  【私が信用取引を一切行わない理由】
 No,137  【今更でも武富士から考える株式投資】
 No,138  【勝ち負けに関わらず、原因を考えることについて】
 No,139  【今更でも堀江貴文氏とライブドア問題を考える】
 No,140  【成功した投資家がよく使う言葉を文章にすると】
 No,141  【多くの人が「最悪」を考えられない理由について】
 No,142  【高橋是清的な財政出動は成功しない】
 No,143  【血液型診断の非科学さと人間の差別思考について】
 No,144  【日本人につきまとう劣等感について】
 No,145  【年収300万円世帯の株式投資について考える】
 No,146  【学生の不勉強さと新しい社会・道徳の考え方】
 No,147  【信用取引はレバレッジを効かせたリスク投資】
 No,148  【理科系科目離れと投資について考える】
 No,149  【節約したお金で潤う人達と投資について考える】
 No,150  【日本人だけ抱いている錯覚について考える】
 No,151  【永遠の財産を作る為にはどうしたら良いのか】
 No,152  【短期投資家は底割れ銘柄を買ってはいけない】
 No,153  【学校を卒業したら働ける環境を作ること】
 No,154  【ニーチェの永遠回帰思想から株式投資を考える】
 No,155  【日本の政治課題と物事の本質を考える】
 No,156  【イエス・キリストから考える正義とは】
 No,157  【憲法27条の勤労の義務と株式投資を考える】
 No,158  【グロース投資の危険性について考える】
 No,159  【マイナス思考とリスク管理、そしてプラス思考】

  





 【日本は中国資本に買収されるのか】第120回

 中国政府系と言われるファンド、オーディー05オムニバスチャイナトリーティ(SSBT OD05)は日本の有名企業の大株主になっています。目的が株式取引よる売買益なのか、企業自体を手中に収める為なのかは現時点では解りません。日本株の時価総額は2012年3月末時点で3兆5000億円に達し、今後も増加するものと推測されます。日経平均採用225銘柄の内で100銘柄を超える企業で10位以内の大株主になっている事実もあります。以下に代表的な銘柄の持ち株比率を記述します。

「建設関連(原子力関連)」
・鹿島 2.2% (四季報2009年春号時点 0.4%以下)
・大成建設 2.2% (四季報2009年春号時点 1.4%以下)

「重工業関連(軍事技術)」
・三菱重工業 2.3% (四季報2009年春号時点 0.9%)
・川崎重工業 1.9% (四季報2009年春号時点 1.6%未満)

「情報関連」
・ソフトバンク 1.9% (四季報2009年春号時点 0.6%)
・ヤフー 0.6% (四季報2009年春号時点 0.4%未満)
・エヌ・ティ・ティ・ドコモ 0.8% (四季報2009年春号時点 0.4%未満)

「輸送機器関連」
・トヨタ自動車 1.8% (四季報2009年春号時点 1.8%未満)
・日産自動車 1.4% (四季報2009年春号時点 1.4%未満)
・ホンダ技研工業 2.2% (四季報2009年春号時点 1.9%未満)
・三菱自動車 0.8% (四季報2009年春号時点 0.4%未満)
・スズキ 1.4% (四季報2009年春号時点 2.3%未満)
・いすゞ自動車 2.1% (四季報2009年春号時点 1.1%未満)

「機械関連」
・小松製作所 2.4% (四季報2009年春号時点 1.3%未満)
・日立建機 0.6% (四季報2009年春号時点 0.7%未満)
・アマダ 1.6% (四季報2009年春号時点 1.3%未満)
・クボタ 2.1% (四季報2009年春号時点 1.9%未満)
・ファナック 1.9% (四季報2009年春号時点 1.9%未満)

「電機関連(原子力関連)」
・日立製作所 2.8% (四季報2009年春号時点 1.3%未満)
・東芝 2.2% (四季報2009年春号時点 1.4%未満)
・三菱電機 2.2% (四季報2009年春号時点 1.5%未満)

「金融関連」
・三菱UFJFG 2.6% (四季報2009年春号時点 1.1%未満)
・三井住友FG 2.7% (四季報2009年春号時点 1.1%)
・みずほFG 2.5% (四季報2009年春号時点 1.1%)

 昨今、資源問題で対立する日本と中国ですが、石油資源開発(JAPEX)のような企業を買収することで、日本国内外の石油、天然ガス資源の権益を有するばかりでなく、開発・生産・販売までをも手中に収められるわけです。同社は経済産業大臣が筆頭株主で34%の株式を保有しているほか、国内の名だたる企業が株式を大量保有していることから、現時点で大きな脅威とはいえません。

 軍事及び原子力関連、金融関連の優良企業を買うことは中国の国策なのかもしれません。日本国民はそのことを意識しなくてはならない状況にあるのです。SSBTの持ち株比率を下げる方法は株式発行も含めていくらでもありますが、その為だけの増資では市場に大きな影響を与え、日本企業時価総額を大きく下落させるばかりか、個人投資家も大きな損害を受けることになります。よって問題は山積と思っております。
 私達個人投資家に出来ることは何なのでしょう。今の私には解りませんが、この問題がマスコミに連日取り上げられる日は近いと思っております。仮に大マスコミの株式を大量保有するようなケースが生じた場合、世論の操作も可能になってきます。

 ただ、知っておかなくてはならないことに、日本の企業も円高の状況から米国、欧州、アジア、その他の国の企業や利権を積極的に買っていることです。日本国だけが正義で、中国は悪であるということは言い切れない部分も多くあります。この問題はこれから先真摯に考えていかなくてはならないでしょう。

<サイト管理人> 2012年7月20日記述



 【投資で損失を出す人が多いのはなぜか】第121回

 株式に投資をするケースでは、個人投資家の9割が負けてるとも言われています。一般的な理由としては、
・知識がない状態で投資に望むこと
・個人投資家は情報が少ないこと
・ロスカットが出来ないこと
などが通説となっておりますが、私はこれらが正しいようで半分間違いだと思っています。

 日経平均株価の推移(10年チャート)を見ても解るように、株式を常に保有している人は大抵の銘柄で含み損を抱えるように思われます。つまり、買った株式を早々に売るという短期トレードを行えなければ総じて手持ちの株式価格が下落するパターンにハマってしまいます。ある意味では株式投資は時代に合わないものにすらなっています。財テクなどという言葉がもてはやされた時代は随分と昔の話になってしまいました。私が中学生の頃の話です。

 本来の株式投資は将来に期待が持てる会社の株式を買い、長期に保有して配当及び株価上昇も含めて資産を増やすことです。しかし、長期投資が有効なケースは経済の拡大局面だけともいえ、おそらく今から20年以上も前の話となります。その時代は株を買って保有していれば大半の人が資産を増やせた状況だったと言い換えられます。その後、短期的に景気が好転したり、悪化するといった景気の変動はあったものの、総じて企業の財務状況は2008年以降悪化の一途をたどっております。財務内容が悪化する企業が多く出ていることで、数年という長期で利益を出す株式投資は難しく、少し前の山一證券、2010年の日本航空を始め、武富士、2012年のエルピーダメモリといった時代をリードした一流企業の倒産から多くの投資家が資産を無くす結果となりました。
 団塊の世代が60歳で定年退職したのが2007年頃でしたから、退職金の大半を株式投資に回された方もいるのではないでしょうか。十分な生活費を確保した上で投資をされたならFPの立場から申し上げることはありませんが、含み損を認められないが為にナンピン買いといった追加投資を行い、身動きが取れない人も私の身近にもおります。冷静に考えれば換金することでまだ資産は確保できるのですが、多額の含み損を抱えた人間の心理状況では、1%の希望にすがり保有し続けるのが一般のようです。

 現在は社会構造が変わってきており、日本の国内総生産が拡大する可能性がほぼ無くなっております。それは「日本の人口減少」が起因しており、そもそもこれは経済政策で対処できる問題ではありません。経済規模が縮小することは長期スパンでみて株価が上がらない状況にあるということです。大手企業株を購入し、長期投資を行えば安全性が高く、自然と資産が増えるという時代が終わったことを示しています。
 一般の個人投資家が安易に考えているほど今の状況下で利益を挙げることはできません。現在は難易度の高い投資を求められているのです。最悪ともいえるインフレへのリスク対策で資産の一部を株式として保有することには否定的ではありませんが、対資産比率は低く抑えなくてはならないでしょう。

 ではなぜ私は株式投資を行い続けるのでしょうか。日経平均ベースで考えたとき、短気トレードならば急落した株価は一旦反発するという規則性があり、そのリバウンド相場で年率平均10%以下の利益を出すことが叶っているからです。もちろん損失を出さないわけではありません。過去に何度かロスカットを行っております。言い換えればいつでも換金できる株式投資を行っているのでしょう。これは素人だからこそできる投資手法と思います。

 現在は30数年ぶりにNEC株が100円を割り、ソニーが1000円を割り込んでいます、超一流企業なら未来には株価が上がり利益を得られるという思い込みで投資をした人は配当を勘案しなければ現物買いの参加者全員が損をしたということになります。なお、私は信用取引を行いませんし、推奨しませんので、売りによる利益は考えにありません。おそらくこれから先もこの考えに変わりはないでしょう。なぜなら身の丈を超えた投機手法に当てはまるからです。

 再三になりますが、ここ数年の株式相場はとても厳しい状況です。安易な考えの下で株式投資をするくらいならやめた方が良いと思います。たった一度の失敗が次の投資を不可能にすることが考えられるからです。私は結果論でものを語るのを好みません。どうしても投資を行いたい方向けにこのページを書いておりますので、以前のコラムにも記述している通り、自らロスカット条件を厳しく設定し、直近高値からの大幅下落を待つという忍耐強さ、企業の複数年の財務諸表を公平な目で調べられる調査・学習能力、そして、計画的かつ短期のトレードを心掛けるべきと思っています。状況は日々変っているのです。

<サイト管理人> 2012年7月21日記述



 【小泉政権時代の量的金融緩和政策から考える】第122回

 昔の話になりますが、2006年3月に日本銀行は金融政策決定会合を開き、深刻なデフレーションによる経済の収縮を食い止めるまでの期限をつけるという理由で、金融機関がいつでも金利ゼロでお金が借りられるように必要以上の資金を市場に溢れさせる政策を取りました。これにより金融機関から資金を借入れる大手企業は、限りなくゼロに等しい金利で資金が借りられる大きなメリットを享受しましたが、金融機関に資産を預け入れる側の個人の家計は金利収入を受けられない状況が長期に渡って継続したのです。言い換えれば、金利相当額が個人から銀行や企業へ移転したともいえます。金額に換算すると、資産バブル崩壊後の15年で280兆円に上ったと当時の日経新聞の記事になっておりました。資産バブル崩壊以降日本経済を支えたのは日本国民だということの証明です。

 2000年代に話を戻しますが、銀行からの融資は中小企業にとって生命線であり、経済の発展にとって不可欠のものです。しかし、当時は銀行の貸し渋りや貸しはがしが顕著になり、多くの中小企業が融資を断たれるという苦境にたたされていたのです。経済界からも「各地で貸しはがしが起こり1998年時より貸し渋りは激しい(奥田碩日経連会長:当時)」などと、中小企業向けの融資が極めて深刻な事態に陥っていることを指摘していました。
 日銀の超金融緩和政策によって銀行には資金が豊富に供給されているのに、なぜこんなことが起きたのでしょうか。背景には、中小企業向けの融資を効率的ではないとして縮小する一方、大企業や大資産家との大口取引を拡大していくというメガバンクの経営戦略がありました。金融商品の販売や各種の手数料徴収など直近の利益になる業務を優先させると共に、優良企業以外の中小・零細企業にはリスクに相当する金利という大儀名文で高い金利が押しつけられたのです。また、中小企業への貸し渋りや貸しはがしに拍車をかけたのが、小泉内閣が進めた不良債権の早期処理でした。不良債権といわれる貸付先の約七割は中小企業でした。早期処理は傷口を広げないという意味において悪くありませんが、その線引きが厳しすぎた為、本来業績が一時的な悪化というレベルの中小企業に対して、突然の融資打ち切りや強引な資金回収が行われたのです。

 結局、日米同時の超金融緩和政策で日本では2000年代前半、小泉政権下で財務省、日本銀行が一体となってゼロ金利と量的金融緩和の超金融緩和政策を実施したことから恩恵を受けたのは、円安による大手輸出系企業と消費者金融などでした。その間、日本経済を底辺で支える中小企業は銀行の貸し渋りから、低金利の恩恵はほとんどありませんでした。

 2012年現在は、リーマンショックを受けて2008年に麻生政権が政策としてとった企業向け各種緊急融資制度も延長されており、中小企業緊急雇用安定助成金や東日本大震災緊急対策融資制度なども活用出来ることから、可能な限り企業を倒産させないように政策の舵を切っていると共に、金融機関も以前のような高利で融資をする傾向は減少しております。むしろ金融機関は融資先を探すのに必死になっております。さらに、安全資産として国債の購入に国民の目を向けさせ、金利上昇に歯止めをかけています。結果として、企業への積極的な資金融通が金融機関の収益源となり、個人の預金には金利がほとんどつけない状況を作り上げているのです。
 これは私には良いことに思えます。企業及び仕事あっての日本であり、真面目に働いて貯蓄をすれば金利は少ないものの、緩やかなデフレ円高から生活水準は少しずつ上昇していくからです。20年前の贅沢生活を引きずっている人間には今の状況が許せず、政府紙幣の発行や日本銀行による通貨の大量供給により強制インフレを起こせば日本経済は良くなるなどと乱暴なことを言いますが、均衡が取れている今の状況はできるだけ維持すべきだと思います。問題となるのは急激な円高やデフレなのです。急激でなければ何の問題も無く日本人は世界的に見て今以上に裕福になることでしょう。ただし、モノの値段が下がると同時に株価も全体的に下がっていくのが教科書通りの話となってきますので、株式投資を行う際には念頭におかれるべきと思います。

<サイト管理人> 2012年7月22日記述



 【いじめ問題と責任の認め方から考える株式投資】第123回

 小学校・中学校のいじめや自殺問題が後をたちません。これは以前からあったことですが、最近の報道はよくこの問題を取り上げています。視聴率の問題と、現代社会が抱える公平原理主義が起因しているからでしょう。確かに教育は社会に活力のある時には活気のあるものになり、社会が停滞するとさまざまな問題が提起されます。ただ、現在の日本のように首相をはじめとして、マスコミまでウソをつく、ウソをつかない人を批判するというような極端な状態の中で教育だけを正常に行うのは至難の業ともいえます。
 とは言え、日本の教育界で子供の自殺を巡った学校と教育委員会のウソの連発は目を覆うばかりです。この間(2012年7月11日)の朝のニュースでは大津市教育委員会、大津市長のミスを盛んに報道していましたが、教育委員会が自殺についてのアンケートはやったけれど、記載されていたことは見ていなかったという発表には相変わらずウソの習慣が続いていると思った人が多かったでしょう。アンケートの内容の中でも自殺にもっとも関係の深い記述が複数あったのですから、見落とすはずもなくハッキリとしたウソでしょう。もしウソではなかったら、こんな非常識なことがどうして起こったかをしっかりと説明しない限り虚言と断定して良いと思います。

 いじめや不祥事の真なる原因は社会の不正、よどみにあります。明るく前向きで正直な社会にはいじめなどは発生しにくくなるからです。しかしなぜ教育界はウソをつくのでしょうか。教育現場では道徳で正直であれ、約束を守れと教えているのですから、その先生方が自らウソをつくことは考えられませんが、それが現実です。

 かく言う私が本当の意味でウソをつかないようになったのは、株式投資を始めてからです。それまでも大きなウソというのはつきませんでしたが、こう言っておけば自分に得になるとか、何とかして凌ごうと苦悩したものです。株式投資を通して自分の損失から目をそむけ、含み損などから目をそむける(心に嘘をつく)ことは更なる状況の悪化に繋がることを知った今はウソの必要がありません。

それまでの自分は、
・誠意ある人生を送ろうと思っていなかった
・その場が良ければ長期的なことは軽く見ていた
・本当のことを話したらどうなるか不安だった、の3つの理由が自らを支配していたように思います。

 ところが、だんだんウソを言わない生活になり、今では何でもそのまま言います。そのために、
・自分のことはそのまま言う
・社会の現実はそのまま伝える、ということを守っています。

 ただし、相手が回復できないこと(性別、育ち、所属、職業、病気、外見、生活の場所、家族、年齢など)は触れないということを守っています。

 そのまま現実を言う生活をしてみると実に快適でした。なにしろ以前のようにどう言っただろうか?であるとか、どう言うのが自分に有利だろうか?、これを言ったら酷い目に遭うのではないか?などとは考えず、心のままに言うので快適なのです。それからというもの、自分の考えも正しいかもしれないけれど、自分と正反対の考えも、同じく正しいという私の信念や、自分が考えていることは間違っていることが多分に含まれいているということにも気がつきました。
 このような生活をしていると、ありのままでも人の信頼を得るという生活ができるようになり、その結果、ますますウソをつく必要がないという自分になったのです。
 教育関係者、先生方、真実を言ってもそれほど怖いことはありません。自分がしたことは仕方が無いので、それを受け入れる方が後悔もなくなります。

 繰り返しになりますが、株式投資では今の状況を受け入れることです。手持ち株の無い状況も、含み益を抱えている状況も、含み損を抱えている状況も全て同じです。都合の悪いことは目をそむけ、都合の良いことばかりに自分の心を持っていってしまっては、株式投資の本質など一生理解できないことでしょう。

<サイト管理人> 2012年7月23日記述



 【日経平均株価についての説明と本指標の捉え方】第124回

 日経平均株価の算出方法を知っている人は株式投資を行っている人のうち何パーセントいることでしょうか。おそらく数パーセントの人だと思います。今回は日経平均株価をどのように算出するのかについて説明したいと思います。
 
 大半の人は、225種採用銘柄の株価を全て足し、225で割れば平均がでると答えるでしょう。しかしそうではありません。その方法は単純平均による計算を行った場合です。日経平均株価の算出に際してはダウ30種平均株価の算出方法を用いています。

 仮定の話ですが、225種に採用されたある会社が株式分割を行って1株を2株に分割すると当然ですが株価は半分に修正されます。もしも単純平均式で平均株価を計算すると、大きな影響が出てしまうことは言うまでもありません。そこで、除数(割る数:225)を修正することで、上記のように株価が半分になった場合の影響を無くしています。具体的には、株式分割で1株を2株に割っても、株数は2倍になることから、会社自体の時価総額は変わりません。実質的な株価の値下がりや新株発行とは意味が違うからです。そこで、日経平均株価の算出に際してはこのような特殊な株価の変化を修正し、株価に繋がりを保たせるように計算しているのです。

 もう少し噛み砕いて説明しますと、
(1)A社の株価が1000円、B会社の株価が2000円とします。
(2)単純平均では(1000+2000)/2=1500円です。
(3)その時B社が株式分割を行い、1株を10株にしました。
(4)よってB社の株価が200円になりました。
(5)単純平均では600円になってしまいます。
(6)そこで除数を修正します(2→0.8)
(7)修正平均株価は(1000+200)/0.8=1500円となります。

 先述の通り、日経平均株価は東証第1部上場銘柄のうち225銘柄の株価で算出されています。2011年3月末時点の除数は24.917、修正倍率は9.029です。除数と倍率を掛けると225、つまり銘柄数になるわけです。

 なお、日経平均株価を見る場合、銘柄の組み換えがあること、寄与率があること、対象が225銘柄に限られているため市場全体を把握するには無理があることなどを留意しなくてはなりません。
 私が昔の株価に一切拘らないのは、日経平均株価に連続性を持たせるとは言いながら、実際にはそうなっていないことにあるのです。何年前は日経平均が12000円だから今の水準は安いなどと言う人が多くおられますが、その感覚を捨てなければ、勝てるものも負けてしまうひとつの要因になると思います。

<サイト管理人> 2012年7月24日記述



 【下降トレンド継続中の株式買入れ(半値押し)】第125回

 私の投資手法はこれまでのコラムで記述した中でおおよその見当がつくものと思います。チャートを見る限り今のところは閾値を変える必要がないのかもしれません。ただし常にアンテナを張っており、現状のままで良いとも思っておりません。とりあえずは5月半ばから6月前半までに複数回買い下がった株式は6月後半に売り切り、所定の利益をあげることが出来ました。
 2012年7月24日現在は日経平均株価の終値が8488円となっております。直近の安値は6月4日の8295円であり、直近の高値は7月4日の9104円です。

 世間には半値押しという投資手法があり、上がった株価が上昇分の半分程度まで値下がりすると取引が多く行われ、相場が過熱することから値上がりすることもしばしば見られます。確かに大きく値上がりした時はその反動で下落に転じ、この時半値押しをした場合、上昇分の半分程度の価格で日経平均採用銘柄の値下がりが止まることもありますが、ここからさらに下落するのか、また上昇に転じるのかを見極めるのは至難の技と考えております。ですから半値押しは大きなリスクを伴うもの考えております。現在の状況は半値を割れていますし、年初来安値を更新している底割れ銘柄が多く見られます。これは外的要因(為替)が影響しており、今株式を購入するのはレバレッジのないFXを行う状況に等しいと思います。

 私は日経平均が直近高値からおおよそ15%程度の下落局面におけるバスケット買い下がり方式にて投資をしておりますので、現在の水準では再度の買い下がりはお勧めしません。なぜなら半値押しをした場合、2008年のリーマンブラザーズ破綻時の下落相場には対応できず、株式投資市場から退場することを意味するからです。もしも私が半押しを行っていればこのコラムも書いていなかったと思います。また、現在の投資手法は下降トレンドのみならず、上昇トレンド状況の株価急落局面にも対応できますので、リスクは低く抑えることが適うと思います。
 本日の状況では、仮に日経平均がこのまま一気に8000円割れを起こすような相場になればまたそこからバスケット買い下がりを行う可能性もありますが、先のことはよく解りませんので、今のところ相場を客観視しております。1日15分程度の概況確認で十分と考えております。

 株式投資に不可欠なことは損失を出す確率を下げることであり、できる限り買わないという忍耐力です。慌てては自分を見失いますし、大幅な急落局面には対処できないでしょう。結果として年率8%の利益を出すことができれば十分ですので、私の今年の投資は終わったのかもしれません。実際にはよく解りませんが、自分の閾値をクリアする条件が揃えば買い下がりを行うことは確かですが、のんびり待つと共に、いざという時の為に日経平均に追従する銘柄を探しておくのも良いかもしれません。仮に明日から相場が反転してもそれだけのリスクを負ったことをを念頭に置かれるのが大切ではないでしょうか。

<サイト管理人> 2012年7月25日記述



 【学問と正義から株式投資を考える】第126回

 歴史的な話から入りますが、ヨーロッパ近代が夜明けを迎えようとしていた1632年。ガリレオは20年ほど前にリッペルスハイが発明したばかりの望遠鏡で天体をくまなく観察し「天文対話」を発表しました。宗教界は直ちにこれに反発し、ガリレオは宗教裁判にかけられました。結局、自然は神の摂理を体現しており、自然を観察することは第二の聖書を読むことだというガリレオの主張は受け入れられなかったのです。
 宗教界はなぜ、ガリレオの研究を支持しなかったのでしょうか。それは天体を観測したということがいけなかったのではなく、観察の結果、宗教界の体制維持に不都合だったからです。

 また、ダーウィンが「進化論」を発表したあと、社会から猛然と反発が起きました。人間がサルのような野蛮なものから進化してきたとは思いたく無かったのです。それに対してダーウィンは、「人間は真実を信じるのではなく、信じたいものを信じる」と言っております。これは以前のコラムにも書いたように思います。

 ガリレオやダーウィンの例でも解るように、学問は「今の価値観を覆す」のが主要な役割です。よって、現在の政治体制や社会体制とは相容れないものになってきます。
 
 学問も「長いものに巻かれる」のが一番よいのかもしれません。長いものは現世を支配しているのですから、権力を有し、財力を持っています。よって、長いものにまかれて経済産業界の役に立った方が居心地がよいのだろうと思います。本音で語ることはたとえ真実であっても自己の満足に過ぎず、社会的な居心地の良さは得られないのかもしれません。

 学問は能率の悪いものであり、結局は批判的なものです。だから科学技術の発展は素早いものではありません。携帯電話やスマートフォン、太陽光発電技術はもっと早くに行えていたと思います。
 学者と言われる人は一体、何をやっているのでしょうか。そもそも学者は身分が保証されています。教授ともなれば上司もいません。ですから本来的には勝手なことを言えるのです。ガリレオが地動説を唱えても学問の社会では許されるのです。「方針に反する」と異議を唱えられれば「それが私の仕事です」と開き直れるのが真の学者ではないでしょうか。
 もし社会からの締め付けが強く自由な学問が出来なくても、だからといって体制になびかない学問的信念を持つことが学者としての第一の要件でしょう。システムを尊重する社会と、システムより信念を重視する学問とはそもそも違う立場にあるのです。

 では、正義とは何でしょうか。これまで長い人類の歴史の中で正義の為に身を捧げた多くの人がおられます。その人達はただ自分が正しいと思う意見を主張しただけなのでしょうか。一部の人間の研究だけが認められて、それ以外の多くは無いものとされているのでしょうか。
 私は正義というのは「みんなの前で真実を言えること」だと思っています。本当は誰でも何が正義かをよく知っていると思います。しかし、自分の心の中にある利己と相容れない時もあります。また、人間は他人の間で利己を出すことができません。それはおそらく人間というものが集団性を持ち、その集団性を保つために他人の前で利己を出すことを躊躇うからでしょう。

 無理やり株式投資に話を結び付けますが、株式投資の本質を知っている人は少なからずいると思います。しかし、証券会社や金融機関をはじめ、複数の業種の企業(システム)にとって都合の悪い話はこれから先も表に出ることはなく、多くの個人投資家や機関投資家が投資に失敗を重ねることでしょう。真の学問や正義の結果が世間に伝われば、今よりも投資に参加する人が減り、損失を出す人が減ると思います。結果として金融機関は現在のように多額の手数料収入が減り、新たな金融商品も期待できなくなることから日本国債の信認がいっそう高まり、強い"円"の構築に繋がると思っています。

<サイト管理人> 2012年7月26日記述



 【生活用品や物品の収納から学ぶ株式投資】第127回

 今回は身近な話を通して株式投資を考えてみたいと思います。
 さて、皆様は生活用品をどの程度お持ちでしょうか。生活に関わる物品をどのくらいお持ちでしょう。一般には女性の方が男性よりも衣装が多く、小物も多いと思います。漫画好きの人にはマンガ本を何百冊もお持ちの方が多くいらっしゃるでしょう。サイクリング好きは何台も自転車やパーツを持たれていると思います。所有物の多さは人それぞれと思いますので推測はこれくらいにします。

 お読みの方で所有物が多く(多く見え)、他人から家の中が汚い、または物が多いと言われたことはありませんか。言われないまでも、人を家に呼ぶ時には部屋の片付けをしなければならない人はいらっしゃいませんか。自分の車に人を乗せる時には後部座席に置かれたティッシュ箱や雑誌を片付けなければならない人はおられないでしょうか。データによると、他人を意識して片付けを行う人は一般的に収納グッズを多用する傾向があるようですが、皆様はどうでしょうか。収納グッズを買った人は家の中が片付いたでしょうか。

 折角収納グッズを買ったのに何も片付かないと感じている人には次の2点が思い当たりませんか。
 (1)何年も使わないものが家の中にある
 (2)収納グッズを買うことで、家が片付くと思う

 (1)が当てはまる人に関しては、コレクション好きか、生活用品や物品の必要・不必要が決められない、また捨てるという行動をとれない人のことですから、根本的な部分から株式投資にむいていないと思います。ただし、そうした性格を十分に理解して投資に望み、投資に一定のロジックがあり、それに自分を沿わせる忍耐力や精神力があれば勝つことも出来ると思います。
 (2)が当てはまる人に関しては、収納の為の収納グッズが、収納グッズを買うことが収納だという思い込みを持っている人が多いのではないでしょうか。本来の目的と手法を間違えており、こちらの人は(1)の方よりも株式投資にむいていないと思われます。本末転倒だからです。

 ではどういった人が株式投資にむいているのかですが、少し長い話になりますので、今回は私の周りで株式投資により大きな利益をあげている人々、私のように年率平均数パーセントの利益を出す人々に共通することを書いてみます。全員に共通しているのは必要なものは常に買う為、所有する物品は比較的多いのですが、自転車を買えば前の自転車を売る、デジタルカメラを買えば古いものは下取りに出すといった具合に、買っても所有物自体が増えない傾向があります。また、収納グッズを使用していますが必要最低限の物に絞って保管するようにしています。書棚には一年の内で一度も読み直そうと思わなかった本はありません。捨ててしまうからです。衣装も流行を気にせず、毎年流行りデザインや色の服を着ることがありません。所有する自動車の室内はティッシュ箱やそれ以外の物が一切足元やシートの上に置かれていない状態です。
 何が言いたいかといいますと、必要・不必要が決められていること、自分の所有物をおおよそ全て把握していること、所有物をどこに収納したかを知っていること、所有物が増える弊害を知っていることです。そして、流行の物を買わない(追いかけない)ことです。

 株式投資と生活用品や物品の所有及び保管方法には共通する点が多くあるように思います。

<サイト管理人> 2012年7月27日記述



 【手相と人の運命と株式投資】第128回

 18世紀のフランスの宮廷では毎晩のように王様や貴族の主催する華やかなパーティーが行われていましたが、そこで初対面の人を見分ける術が発展しました。
 ある意味で、当然かもしれません。宮廷で初めて会う人に、生まれ育ちや親兄弟、収入などを事細かに聞くのは気が引けます。しかし、当時の宮廷のパーティーには氏素性がわからない山師も来たでしょうから、危ない人間を知りたいという「需要」はあったのでしょう。
 そこで、初対面の人でも、その外形、顔立ち、手の形などから生まれ育ちや性質を推定する方法が、宮廷術の一つとして発達したのです。

 そのうち重要なものに「手の甲」で判断する方法がありました。握手するとき、または、ひざまずいて相手の手に口づけをするときなど手の甲はみることができるのです。
 日本では運勢というと「手のひら」の方をみるけれど、人間はよほど気を許さないと手のひらの方は見せません。だから初対面では「手の甲」をみる必要があるという訳です。さすがフランスだけあって考え方は合理的です。

 手相、つまり手の甲を見るときの大切なポイントは「凶暴性」と「自分勝手」だったようで、この二つが感じられる場合は、その人とつきあってもメリットがないので、あまり近づかない方が良いとされていました。
 まず、「凶暴性」のポイントは指の第一関節が短く、爪が横に広いことで、このような指の特徴がある人は、それまでの経験で「凶暴性」を持つと信じられていました。反対に、指の第一関節が長く、爪が縦長の人は繊細な神経をもち、決して凶暴な振る舞いはしないと考えられていました。
 これに加えて、手に力が入っているときに薬指と小指の間隔が離れ、さらに目と目の間が拡がっている場合は自己中心的だと記録されています。

 なにしろ250年前のフランスの貴族社会のことなので、そのまま日本人に当てはまるとは考えられません。しかし、骨格や筋肉の付き方などはその家系の氏素性や職業に強く依存するという考え方は、単に手のひらのしわを見るよりかその人の特徴を示す可能性が高いでしょう。
 一方、手に力が入っていないときに中指に薬指が寄り添っている場合は、心が穏やかで依頼心が強く、つきあっても心配が無いともされていました。

 手相を見て、自分で納得できることは採用し、納得できなければ無視するというのではせっかく蓄積したフランス人の知恵を使わないことになりますが、このくだり(中指と薬指)を読んだとき、思わず私は自分の手を見てしまったものです。薬指が中指に寄り添っていて一安心したのですが、少し恣意的な感じがしたのも確かです。
 とはいえ、宮廷ではなんと言っても「氏素性」だから、個人の正確より、氏素性にも関心がありました。手の甲で、全体としてしわが横にある人は肉体労働の家系、縦にしわがあるか,指が細い人は芸術,文学、軽労働の家系とみます。

 筋肉に力を入れていると「握る」という状態になるので、手は「横に発達する」傾向があり、一方、楽器,筆などを持つと「縦に発達する」という傾向が長い間に家系の手の骨格として残るとされています。この判別方法にやや似ていることとして、神経質の人は指の関節がふくらんでいて、関節と関節の間が細く、逆に図太い人は,全体的にのっぺりしていたようです。

 ピアニストの手、農民の手、極悪人の手などが例として示され、刑務所などに入っている粗暴犯の手相も数多く分類されています。
 このような試みが差別につながってはいけませんが、個人的に自分の特徴や欠点を知り、それを修正するようになれば、また役に立つこともあるでしょう。

 手相はたいして気にすることでもないように思っていますが、多くの方法から自分の特徴や欠点を知り、自制心を伴った行動を取ることには多くのメリットがあると思います。自分の欠点を補って始めて株式投資で成功を収める一歩が手にできるからです。

<サイト管理人> 2012年7月28日記述



 【社説で理解できる現実主義と株式投資】第129回

 私のモットーは"ウソ"をつかないこと、そして、"約束を守ることです"。資格取得や高校受験に関する講師をさせて頂く機会もありますが、講義に遅れた生徒さんはしばらく後ろに立たせておき、"人間にとって約束を守ることが一番大切"であることを伝えます。

 この場合の約束は「何時から講義が始まる」ということで、講師も生徒もこの単純な約束を守ることが大切だからです。どんなに偉そうなことを言っても、どんなに能力があっても、人との約束を守れないような人は進学や資格を取得する価値はないと思っています。

 このことをいくつかの場面で教えている私にとって、2012年の国会で消費税増税が衆議院で可決されたことは驚きでした。国債価格の安定や円高デフレを継続させるという観点からは評価できますが、2009年の選挙における公約、マニフェストに掲げたことをほとんどやらず、その正反対の政策(増税)を可決したことは一国民として納得がいきません。私にとっては決して理解する事ができず、また許すこともできないことです。疑問を抱いていたともいえます。もしこのようなことを「正当」とすると、生徒を指導することができない社会になってしまいます。よもや生徒に「約束を破っても良い」と教える訳にはいかないからです。

 ある新聞社の社説を読みましたら、私の疑問が解消されました。その社説では「すでに民主党政権ができて3年経ったのに、公約は何一つやっていない。やらないのだから、民主党の公約はないも同然だ。だから、増税は当たり前で、それに反対するなど意味のないことだ」という論旨でした。
 官僚の抵抗や社会の反対で公約が実施できないなら別ですが、「議員定数80名削減」など第一公約で約束して、国会だけで議決できるものもやらないのですから、「詐欺」といって良い状態なのですが、この社説によると「詐欺」が現実なのだから、その現実を踏まえて「詐欺」を「正しい」としようという訳です。

 実は、これまでもこの新聞社の社説を読んでいると、「ご都合主義」言い換えれば「超現実主義」という感を受けていました。人を裏切ろうと、何をしようとその時にもっとも現実的で自分が得をするものなら何でも良いという考え方です。
 新聞社は「新聞などについては社会的意義が大きいので減免措置が必要」と財務省と合意している。まさに「声が大きいものだけが得をする」というこれもご都合主義の主張でした。

 子供に教育できないようなことが社会の主流の意見になることは日本の知性が崩壊していくことを新聞の社説が主導しているわけで、この点は十分注意して読者が考えなくてはならないといえます。

 株式投資ではその場限りのご都合主義は認められません。それを認めては節操の無い投資を行うことに繋がり、結果として支離滅裂な投資から、なぜ利益をあげられたのか、なぜ損失をだしたのかという基本的な分析が行えないからです。超現実主義は投資家にとって未来永劫最も重いテーマでしょう。

<サイト管理人> 2012年7月29日記述



 【証券会社が小口投資家を儲けさせない理由】第130回

 まず、小口投資家とは投資資金が数百万円から数千万円の人々のことを指します。証券会社からすれば格好の相場吊り上げの為の捨て駒であり、社員の内々ではクズとさえ呼ばれているようです。

 証券会社は投資資金が数億円の大口投資家は儲けさせなければなりません。手数料収入も大きく、資金の出所の大半を想像すれば見当もつくことと思います。現在のような株価低迷局面では特にこの傾向が強く現われます。

 まず、証券会社が勧める銘柄は小型株であり、成行き注文すらままならないものが大半です。そして勧める小型株はファンダメンタルズで観て割安な銘柄が多い特徴があります。大口投資家は事前に安値で少しずつ買い集め、小口投資家はその後の株価の吊り上げに利用されるのです。このことの証明は周りの人間の結果からも明らかで、誰もが知る大手証券会社ですら売るタイミングを守るように再三念を押します。小口投資家が勝手に利益確定売りをすると一気に株価が値崩れを起こし、大口投資家が少しずつ売って利益を出すということの障害になるからです。勝手に売った投資家に対しては二度と推奨銘柄を教えないという恫喝じみた言葉を平気で吐き捨てます。これは明らかに法令違反です。

 次に社債の購入ですが、今年事実上倒産したエルピーダメモリの社債購入を再三勧めてきた事実があります。利回りが良い、国が支援しているから倒産の心配はないと多くの人に勧誘したのです。私には馬鹿げた話に思えましたが、それに乗ってしまった人が身近にいたことも事実です。もしも安心安全の社債であるなら金融機関が先行して買うものであり、わざわざ証券会社が小口投資家に勧めるわけがないのです。倒産が見えている中で小口投資家にババを掴ませて、金融機関等の尻拭いをさせたのです。

 私が言いたいのは証券会社の進める株式や社債に目をくれるべきではないということと、株式投資の基本は大型株(主力銘柄)で行うべきということです。大型株は日経平均に連動し、成行き注文も安心して行えると共に、倒産リスクも少ないからです。
 大型銘柄といっても多くの銘柄がありますが、その選定条件(仮)については以前のコラムにて記述済みですのでここでは述べませんが、証券会社のやり口には苛立ちを覚えると共に、相手にする必要など無いのです。自分で銘柄を選定する自信の無い方、どうしたタイミングで株式を購入したら良いのかという閾値が定まっていない人は株式投資を行うべきではありません。場当たり的な投資は博打以下になってしまいます。まずは必要最低限の知識を身につけ、極限といえる状況まで買わないという忍耐力を養うことを推奨します。

<サイト管理人> 2012年7月30日記述



 【オットー・ビスマルクの言葉から考える】第131回

 ドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクの言葉に「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というものがあります。これは現代人に「学ぶということ」の本質を投げかけてくれます。

 「歴史に学ぶ」とは、歴史上の先人の経験を追体験し、自分自身の主観的かつ限定的な経験の枠にとらわれず、さまざまな他者の経験の間に関連性を見出し、個人の想像を超える問題に対処することを意味しています。ただし、自身を客観的に捉える目と、深い洞察が求められることは事実です。
 実際、文字が発明されてから数千年の間に賢人達が豊かな才能を生かした書物を多く残してくれました。古代ローマ時代、諸子百家時代などは私達の生活に密接に関わる本質を追求した書物を創り上げています。また、過去数千年間に起こった戦争について検証することも意義のあることでしょう。戦争の裏には領土以上の目的が介在しているからで、それを追求することが戦争の抑止に繋がるともいえ、戦勝に繋がるともいえるでしょう。

 一方「経験に学ぶ」は自身の過去の成功体験・失敗体験の枠から逃れられず、主観的な経験則に従ってのみ判断することを意味します。言い換えれば、自分の経験でしか物事を判断せず、自分自身の様々な経験の関連性から生まれる新たな事実すら得られていないとも解釈できます。
 私は大東亜戦争を経験していません。朝鮮戦争による特需も、あさま山荘事件も、オイルショックも、ロッキード事件も経験していません。1990年頃の資産バブル時代にはまだ中学生でしたので、お小遣い生活の私には景気に対する具体的な恩恵は実感していないのでしょう。そもそも1990年頃といっても、一般商品はバブル状態ではなかったのです。
 ご年配の方々は「前の戦争の時は・・・」であるとか「オイルショックの時は・・・」、「バブル景気のときは・・・」と物を語り、その時代を経験していない人間を排斥した物言いをしがちです。しかし、それらについて語る彼等のうち何パーセントが背景を理解しているのでしょう。ただ経験したことを自らの解釈で勝手に語っているのに過ぎないと思えます。
 私は亀の甲より年の功は一切認めないというスタンスですから、大抵の年配の方には好かれません。ただ、経験則で語る人間の大半は何か自分に不都合があると「もう年だからわからない」、「年をとると物覚えが悪くなって」などと言うケースが多くみられますが、年齢を理由に逃げるのであれば、経験則で物など語ってはならないと思います。
 前の大きな戦争の悲惨な状況は大岡昇平氏の「野火」、坂井三郎氏の「大空のサムライ」などの小説を多く読むことから考えることができます。現場に行かなくても想像から現状の惨劇を知る為には洞察力が求められますが、そうした能力は自分の心を捨て客観的に事実を捉えようとすれば、前線で戦った兵士よりも多くのものが観える可能性すらあります。ただ、偏った書物に身を投じては安易に新右翼や左翼思想に傾いてしまうことでしょう。好き嫌いではなく、あらゆる角度から書かれた書物を購読されるべきと思っています。

 さて、私は株式投資を始めたのがITバブルの崩壊後です。ですから、そこから先の相場しか経験していないことになります。保有するデータもそれ以降の物である為、自ら調べるにも限界があります。そこで歴史上の賢人の言葉や格言が役に立つと共に、20年以上前の株式投資本の購読が役に立つのです。古書でしか手に入りませんが、日本人の多くが財テクの名の元に投資に走った時代の投資ロジックは今の投資手法とは大きな隔たりがあり反面教師ともなりますが、政府が政策を誤り悪い円安・インフレを起こすような事態に際しては役に立つ本になるのかもしれませんし、当時の人間の心を知る手がかりになると思っています。歴史に学んでみませんか。

<サイト管理人> 2012年7月31日記述



 【自分と違う意見を聞くのは有意義で楽しい】第132回

 私は学生時代物理の実験系、就職後は機械・情報工学に関する研究開発職だったからかもしれませんが、「自分の試みようとしていることは間違っている」という確信があります。これは私ばかりではなく、一般的にいう企業の研究職や学者の多くは同じだと思います。

 学問はシッカリ積み上げた学問的体系に基づいて考えたり行動したりするものですし、学問的体型はこれまでの知識と論理で「専門家なら誰でも同じ結論に達する」程度まで進むのですから、それが間違っているということ多くありませんが、それでも人間の知恵は浅はかで、過去の修正、訂正、そして新しいことの発見が時々あります。つまり、今の技術・学問体系が間違っているから研究開発が続けられるといっても良いのでしょう。私は常に目の前にある「事実」は「本当の事実」では無いと思います。それは私たちが見聞きするものはそれらそのものではなく、自分の目や耳というものを使って観測しているからです。

 民主主義、多様な社会はとても良いもので、自分と違う考えを聞くことが出来、それによって自分の考えを修正したり、間違いに気がついたりします。「間違っている」と言えるのは神様ぐらいで、中間者としての人間は「自分が正しいか、相手が正しいのか」は解らないはずだからです。

 ただ、それが「不誠実」に及ぶと私もやや感情的になることがあります。相手が「ウソをついても良い。不誠実で良い」と思っているとき、「ウソをついても良い」というのが正しいかもしれませんので、それも認めなければならないのですが、どうもお互いにウソをついていたら話し合う意味がないような気もするからです。
 確かに、「この世はウソのつきあい」と思っている人もいますし、私は「ウソのない社会の方が気楽で発展する」と考えていますが、これもどちらが正しいかわかりません。日本に経典や戒律のある宗教が基礎にあったら、このような「基礎の基礎」についてはなかなか人間では決められないところがあります。

 かつての日本はこのような基盤となる倫理を「単一民族、周りは海」という環境の中で暗黙の合意でやってきたのでしょうが、社会が複雑になり、グローバリゼーションが進み、情報化社会が益々発達していきますから、必ずしも暗黙の合意ではすまなくなってきたと感じます。
 折角自由な社会、言論の自由を手に入れても、ネット社会に見られるような激しい個人攻撃や、マスコミで見られる「禁句や干す」というのが横行しているのを見ますと、民主主義、表現の自由、価値観の多様化、家庭や地域の崩壊の中で、私たちが絶対的な権威が無い状態で合意を形成できるか、深く考える時が来たのでしょう。こういう経緯から私は無制限の価値観の多様化は好みません。

 私は良く二重人格と呼ばれることがあります。私の中には「自分が正しいと思う」ことがあり、相手の考えを聞くとそれが自分の考えと正反対でも「なるほど」と納得します。この「納得」は「同意」ではなく、「相手の言うことがわかった」ということなのですが、納得すると「あなたは先ほど、違うことを言ったじゃないですか」と言われてしまいます。
 相手の考えを納得するというのは、相手の意見を真の意味で理解することで、それは自分の考えを変えたと言うことと同じではないのです。世の中の喧嘩の多くは、相手と本当に考えが違うのではなく、相手の考えを理解していないところにあるように思います。この誤解の多くは、「自分に有利なように巧みにウソをつく」という人間の本姓に根ざしているのでしょうから難しいのです。

 ある方法が真ならば背反もまた真なりで、私の考えが仮に正しいとするならば、自分と間逆の考え方もまた正しいと思います。株式投資は長期投資が基本という考え方には賛成できる部分が多くあります。中期投資でも良いのです。私の推奨するリバウンド相場を利用した短期トレードが成立するならば、下降トレンドの中でもグロース投資が成立するはずです。ただし、リバウンド狙いが難しいと同様、グロース投資も難しい状況にあるといって良いでしょう。
 やはり、自分と違う意見を聞くのは有意義で楽しいものです。それが私を否定するものであっても、別の考え方であっても自らの参考になるからです。冒頭に書いているように、私は自分の試みようとしていることは間違えていると確信しています。

<サイト管理人> 2012年8月1日記述



 【補助金を受けてモノを売るのは技術者としての恥】第133回

 昨今、大手の自動車会社などが「補助金」の制度を利用して売上げを伸ばしています。太陽電池のように既に40年前から国の援助を受け続けている会社もあります。「国の政策として補助金を出すのは当然」という考えはありますが、自動車やソーラーパネルを買うときに補助金を貰うことは「自分が豊かな生活を送る為にご近所様のお金を貰う」ということと同じですから、物乞いとたいして変りありません。生活が苦しくて人様のお金を恵んで貰うことがあっても、自動車を買うのにお恵みを貰う必要は無いと考えています。

 この補助金というのを技術者の立場から見てみますが、なぜ、補助金が必要なのでしょうか。売り出している自動車やソーラーパネルなどに補助金がつくのはなぜでしょうか。
 かつての日本製品が世界を席巻したのは、その技術が素晴らしく、良い製品を安く作ることが出来たからです。たとえば世界の平均的な技術では、この性能の自動車が200万円という時に、日本のカーメーカーは150万円で作りました。だから150万円で売っても 50万円有利だったのです。
 私も長い間技術開発を行ってきましたので感じざるを得ないことですが、これが私達にとっての誇りだったのです。そして、安いということは技術が良いので無駄が少なく、省エネルギーで製品ができるということになります。技術者としては最高の栄誉です。ところが技術が劣り220万円もかかると、20万円の補助金を貰って200万円にしないと世界の競合メーカーに太刀打ちできません。つまり、補助金とは「自分の技術はこんなに劣っています」ということを世間に公言しているようなものです。そんなことは私も含めた技術者にとって耐えられないことでもあります。

 今、補助金を貰っている自動車会社などは、まもなく廃れるでしょう。それは「補助金こそが技術の麻薬」からです。薬中毒の企業は恥を知ると共に新規技術開発を今以上に積極的に行い、世界を再度席巻してもらいたいと思っています。

 私の株式投資は未来や企業の成長を予測して投資をするものではありませんから、自動車メーカーなどの株式も購入することがあります。ポートフォリオの一環としてです。グロース投資を行う立場でしたら即時購入対象銘柄から外すでしょう。しかし、株式投資に肝心なことは銘柄や業種に好き嫌いを設けないことです。私の言っていることは支離滅裂な部分もありますが、技術者の端くれとしては補助金による売上げ増は情けない限りです。

<サイト管理人> 2012年8月2日記述



 【現代の工業は短命に終わるのか】第134回

 その昔、人間は野山を走り、飛び跳ねているウサギを捕り、たわわに実っている木の実を取って生活をしていました。いずれも「人手」で「耕し育てた」ものではなく自然のものをそのまま頂いていたのです。
 その後、動物の方は「家畜」になり、植物の方は「農耕」になりました。いずれも強く自然との関わりがあり、自然の働きに縛られながらも、人間の知恵を発揮した時代だったといえるでしょう。
 18世紀、イギリスに産業革命が起こり、ジェームスワットが蒸気機関を考案すると社会は一変し、やがて鉄鉱石と石炭、石油を使う文化へと変わっていきます。これが「工業」の始まりです。テレビ、冷蔵庫、自動車、携帯電話、電気など、これらはすべて工業製品にあてはまります。

 普通の歴史では「狩猟時代」、「農耕時代」、そして「工業時代」と呼びます。時代が変わるごとに活動量は飛躍的に増えるとされているのです。確かに自然にできたものを食べる時代に比べて農耕をすれば生産量は増えますし、さらに工業となりますと桁が違ってきます。しかし私達は錯覚をしてきたとは感じないでしょうか。

 狩猟も農耕も「自然との関わり」で人間が活動します。ところが「工業」だけは鉄鉱石、石油、石炭という過去のもの(遺産)とのつきあいであり、現在の自然とは切り離されているのです。そして、石油、石炭のある時代はこれから数百年程度であることを考えれば、長い歴史から見れば比較的短命の原料に依存している現代の工業はそれほど長くは続かないのかもしれません。

 かつて私が従事していた「工学系の研究開発」はふたつの罪を犯しているような気がしております。ひとつめが「人を廃人にする商品」を提供していることです。人間は家電製品を使い、自動車に乗り、携帯電話を使ううちに、自分の体は自然から切り離されそれでなくなるでしょう。まるで人間が生物から無機物に変化していくのを手伝っているようです。これらは「廃人工学」とも呼ばれています。企業などの研究所にいると、大半の研究者が必死になって人間を廃人にしようと努力しているようにさえ見えます。手足の筋肉の代わりになるアクチュエータ、感覚器官を代替するセンサ、思考回路を代替するシステムまで現れています。特に「人口知能工学」などは危機感を覚えざるを得ません。
 ふたつめの罪が「自然と切り離された活動」です。鉄鉱石、石油、石炭の工業は自然の過去のエネルギーの流れに対して現在は約1000倍の使用量になったといわれます。この数字はまったく自然と切り離されていることを示唆しています。水力発電がダム問題で環境を破壊したのと同じく、バイオマス、太陽電池は日本の自然を大きく変えるでしょう。それは自然と切り離されて成長した工業の論理的結末でもあると思います。

 今、工学は方向を変える必要があると思います。それは「節約」とか「原始的生活に戻る」というのではなく、まったく新しいコンセプトに基づく「自然との関係をもった工業」を見いだすことではないでしょうか。「自然からの収奪」ではなく、農耕のように「自然との共存」によるものです。風力発電や太陽光発電などは有益どころか共存を阻害する先兵になります。
 現代の工学は農耕文化から偶発的に始められたものであり、まだ200年程度しか経っていません。そしてそんな工学の産物である「現代の工業」は結局短命に終わると思います。

 私は株式投資において企業の業績(未来)を予測して買い入れることはありません。グロース投資は頭の中にありません。バリュー投資は念頭にありますが、常に投資をする為の言い訳になりかねませんので、買い入れ局面以外では気にしていません。あくまで日経平均ベースにおける急落局面でのリバウンドを利用した価格帯別分散投資を推奨します。それは現代の諸工業を全く信用していないからともいえ、システムトレードの盲点を突いたものともいえます。

<サイト管理人> 2012年8月3日記述



 今だからこそ考えるべき左翼思想と右翼思想】第135回

 最近の娯楽政治討論番組では軍備拡張といった国防の問題や政府主導の強制インフレ政策の推進、国家論といった事柄がよく取り上げられているようです。人気のコメンテータが言うことにも一理ありますが、皇位継承問題なども安易に取り上げられることから、もう少し歴史的な観点から論じて頂きたくも感じております。1時間や2時間番組で討論するべきではありませんし、男女平等がどうのといったここ数十年の流行に則って語れることではないからです。
 このところテレビを中心としたマスメディアは意図して少々右寄り(右翼好み)の番組を作っているように思えますが、それは単なる政府への非難からか、歴史の大きな転換点かは私などには解りかねます。

 さて、近頃あまり使われなくなった左翼、右翼といった概念ですが、それぞれはどういった内容か少し書いてみようと思います。

 まず、左翼の価値観は、議会制度や強力で個人的な政治的指導者への警戒、社会的な正義などによる統治など、人類の利益の為の進歩を達成するという人間の理性の力への依存を含んでいます。反宗教的で、理想主義的な社会主義を求めるものであり、階級への憎悪を感じることから、皇室や宮家といった特別な存在を認めない人々の考え方が含まれています。左翼はより平等を主張する思想ですから、貧富の差を一切認めない社会を求めています。行き着く先は真の共産主義でしょう。

 次に、右翼の価値観ですが、経済への悪影響や政治的な分裂を最小化するための強力な政治的リーダーシップの必要性など感覚が含まれています。正義に対しての利己主義や反動主義ととられるケースもありますが、市場原理主義の下、大手の企業が利益を生み出す体制を優先することから生まれる貧富の差を認める社会が当然であるという不平等を認める思想です。強いものが世界経済を支配し、強い軍事力を保持できると考えます。由緒ある天皇家を重んずるのは当然で、歴史と文化、政治を司ってきた皇族への畏敬の念を抱いております。特別な存在を認めるのです。家柄や家系を重んじます。また、伝統的な右翼は保守主義や自由主義を自称する場合が多いでしょう。

 現在は左翼、右翼の共に人々が考えることを止め、思想そのものが弱体化した為、左翼や右翼は絶対的な用語ではなく、時が経つにつれ徐々に変化する相対的な概念と捉えられているのかもしれません。左翼、右翼の分類はもはや意味を持たないと指摘している学者もおりますが、私は分類されてしかるべきと思っています。とりあえず鍵となる識別概念は平等であり、右翼の不平等に対して左翼の平等なのでしょう。
 しかし、人間には大なり小なり欲があります。また、その矛先はどこに向いていようと、他人よりも多くの何かを手にしたいという煩悩がついてまわります。ですから私などの愚者には左翼思想は非現実的で理想主義に思えてしまいます。しかし、理想主義であれ、本来求めるべき社会というものを考えさせられるようにも感じます。

 ちなみに、哲学者のアランは「もし人が私に、左翼や右翼の政党や人の相違が今でも意味を持つかと聞いたとすれば、私の最初に思う事は、質問した人間は確実に左翼ではないということだ」と言っています。私はアランを好みませんが、この言葉は本質をついているでしょう。

 皆様は左翼思想をお持ちでしょうか、右翼思想をお持ちでしょうか。このコラムをお読みの方の多くは意識せずとも右翼思想をお持ちのことと思います。株式投資で利益をあげようとすることは、一方で不利益を被る人がいて当然という原理の中に身を置いているからです。合法的な略奪なのです。こう言うと株式投資は悪者になってしまいますが、右翼思想が勝る現在の市場原理主義社会では投資も含めた蓄財が大切な手段にならざるを得ないと思うのです。

<サイト管理人> 2012年8月4日記述



 【私が信用取引を一切行わない理由】第136回

 信用買いとは、信用取引で株式を購入することです。証券会社からお金を借りて株式を買うという取引方法になります。メリットとしては自分の手持ち資金以上の買付けができるようになることです。証券会社に委託保証金として預けている現金(株券で代用することも可)を担保にして、株式の買付代金を融資してもらうものです。委託保証金率が30%であれば、手持ち資金の約3倍の金額まで株式が買えます。つまり、30万円の保証金で100万円までの取引が可能なになります。つまりレバレッジ効果といえます。何倍もの利益が狙える半面、何倍もの損失をこうむる危険性があることとなります。

 委託保証金ですが、信用取引では株券や債券などを委託保証金として代用することもできます。これを「代用有価証券」と言います。ただし、代用有価証券には「掛け目」という保証金換算率が定められており、それによって保証金としての評価が決まってきます。一般的に株券は前日終値の80%、利付き国債は同90%、上場企業の社債は同80%で評価されます。つまり、株券を担保に借金をして「信用買い」をすることもできます。

 私はこの手法を一切おすすめしません。担保にした株券がいきなり大幅な下落、最悪は上場廃止となれば追証が発生し、強制的に信用買いの株式を手放さなくてはならないからです。損失は投資資金全額となります。他の信用買いの注意点としては、信用買いにかかるコストです。売買委託手数料と金利(信用取引金利)が必要になってきます。

 信用買いが多くなると、投資期間及び資金潤沢な個人投資家が大きな売りを仕掛け、信用買いを行った人間のロスカットから更なる下落を招きます。売りが売りを呼ぶ株価の急落を伴う結果となります。現状、第一四半期の業績を下方修正した銘柄の株価大幅下落が目立っておりますが、結果として信用買いのロスカットを利用した売り方の利益に繋がります。

 企業業績や財務内容を一切無視した昨今の急激な株価下落の正体はここにあります。信用買いの大きなリスクが露呈した結果です。あくまで自分の投資資金の範囲で現物買いを行っている人間は落ち着いてリバウンドを待つこともできますが、信用取引による買いを行った人間には個別銘柄で強制決算を強いられます。
 正しいポートフォリオを組み、各業種をまとめて買い入れる現物バスケット買い下がりでは、一部銘柄の急落にも慌てることなく、買い入れ分全体の含み損から自分のロスカットポイントに従って冷静な取引が可能になります。

 ハイリスク・ハイリターンの信用取引(売り買い共)はいざという時の備えができません。ポートフォリオを構築した株式投資とは全く異なるのです。
 8桁程度の投資資金を確保できる個人投資家には信用取引の必要などないはずです。ローリスク・ローリターンこそが下落トレンドにも上昇トレンドにも対応できる比較的安全な取引形態であることは間違いないでしょう。7桁前半から中盤の投資資金で信用取引をされる場合には十分にリスクというものを考えなくてはならないでしょう。

<サイト管理人> 2012年8月5日記述



 【今更でも武富士から考える株式投資】第137回

 武富士の株式は現在上場されていません。2010年9月28日に東京地方裁判所から会社更生法適用申請が受理され、その後、韓国資本のA&Pファイナンシャル傘下のアプロが事業を継承すると共に、社名をTFKに変更しました。現在は日本トラスティ・サービス信託銀行との間でスポンサー契約が結ばれ、その子会社の株式会社ロプロが事業を継承しているようです。同社のホームページを見てみますと、融資も受け付けておりますし、ロプロという会社名の横に武富士というネームも表示されております。

 大半の方々には武富士という名前は今でも通ずるもので、ロプロ(武富士)の業務内容もお解かりのことと思います。私観ですが、ロプロのテレビコマーシャルが頻繁に放映される日も遠くはないでしょう。現在は銀行が消費者金融業者の役割を担っている部分がありますが、やはり銀行はそれであり、サラリーマン金融は別口で必要な枠と思うからです。ただ、貸金業務に関しては規制が大きくなっていることから、10年前のように駅前ビルの屋上を占拠するほどの看板公告や、テレビの深夜放送枠に対して絶大の力を持つまでには至らないのかもしれません。

 ここでは武富士という会社、役員の行った問題点をどうのと言うのではなく、武富士の成り立ちからイメージ戦略を簡単にまとめ、少々の考察を加えてみたいと思います。

--- 武富士の企業年表 ---
1966年 個人事業として武井保雄氏が「富士商事」を創業
1968年 「有限会社武富士商事」設立
1974年 「株式会社武富士」に改組
1996年 現在のジャスダック市場に株式公開
1998年 東京証券取引所1部上場
2000年 ロンドン証券取引所上場
2002年 日本経団連へ加盟
2010年 会社更生手続きを決定

--- 武富士のイメージ戦略 ---
■ル・マン24時間レースへのスポンサー・・・
 ポルシェ962に全面ペイントを施しル・マンを戦いました。同大会に出場することは日本代表の一員であることを意味し、1980年代後半には走行シーンを用いたテレビコマーシャルを放映しました。まだ知られてない社名を世間に認知させることに成功しました。

■CMでの集団ダンス・・・
 ジョー・リノイエの曲「シンクロナイズド・ラブ」で大勢の女性ダンサーがダンスを披露しました。武富士ダンサーズと呼ばれるダンスチームは深夜放送で見かけない日が無いほど放映され、見た人が曲を覚えてしまうばかりでなく、多くの人々に武富士=ダンス=消費者金融がシンクロすることとなりました。

■芸能人を多用したテレビCM・・・
 CMに起用された芸能人の名前は記載しませんが、一流の芸能人をコマーシャルに採用し、消費者金融をより身近なものとして浸透させていきました。

■ゴルフトーナメントの開催・・・
 LPGA武富士クラシックはアメリカのLPGAツアーで行われていたトーナメントで、2000年から2006年まで開催されました。歴代の優勝者にはカリーウェブやアニカ・ソレンスタム、ロレーナ・オチョアといった世界ランク最高峰の選手が名を連ねております。LPGAでトーナメントを開催することから、世界的な有名企業と肩を並べました。

■バレーボールチームのオーナー・・・
 バレーボールのチームオーナーとなりました。イトーヨーカドーがオーナであったチームを引き継いで武富士バンブーを創設し、日本を代表する老舗企業と肩を並べました。また、武富士ダンサーズ(チアリーディングチーム)が試合に同行し、コマーシャル効果は大きなものでした。

 以上から、武富士はサラリーマン金融に対するイメージ向上を図ったばかりでなく、消費者金融業界のトップの座にまで登りつめ、国内外の一流企業と肩を並べる大企業となったのです。2005年前後の株価は約8000円でした。当時の発行済み株式数や同社の資産価値の検証に意味はないと思いますが、アイフルやアコム、プロミスといった消費者金融も全盛を迎えた時代です。プロミスは三井住友フィナンシャルグループ、アコムは三菱UFJフィナンシャル・グループに属していたのに対し、武富士は大手金融機関との資本提携をしておらず、独立系の消費者金融として地位を確立していました。上場企業でありながら、実質的に武井家のオーナー企業でもありました。
 経営に関しては賛否がありますが、一時代を作り上げた功績は大きく、消費者金融という文化を作り上げた事実は否定のしようもありません。

 2007年以降同社の株式を現物買いした方々の大半は大きな損失を出してしまったことでしょう。最終的には100%減資により株式は無価値になりました。結果から片付けてしまえばそれだけのことですが、当時から株式投資に関わっていた人には大きなショックもあったのではないでしょうか。これはアイフルに関しても然りです。
 歴史から学ぶという観点からすれば、この一連の流れは消費者金融という新興勢力の「トレンド」に乗ることの危険性を訴えているように思います。歴史は繰り返すものですから、これから先もあらゆる分野で新興の勢力、一流といわれる企業が出てくることでしょう。それが本当の一流であるのか、トレンドなのかを見極めるのは難しいものとも思います。本節ではお話できなかったライブドアも同様です。だからこそ大切なのは日経平均採用銘柄で財務内容が良く、安定した収益をあげている企業へのバスケット投資ではないでしょうか。老舗なら大丈夫ということではありませんが、老舗には老舗たる所以があるようにも思うのです。そのことを武富士という企業の歴史が教えてくれているように感じております。

<サイト管理人> 2012年8月6日記述



 【勝ち負けに関わらず、原因を考えることについて】第138回

 先日ニュースで読んだ記事に興味深いものがありました。まずその記事の一部を抜粋し記述します。

<富士経済等のマーケティング会社が累計投資金額300万円以上の個人投資家1,000人を対象に、2012年5月21日から2012年6月18日にかけて投資実績に関するアンケート調査を実施し、その結果を発表した。それによると、すべての金融商品を合算した通算損益において、利益を出している個人投資家は全体の20.6%であり、72.4%の個人投資家が損失を出していることが判明した。損益ゼロの人は7.0%だった。>という内容です。また、この記事には続きがあり、

<平均投資額は1,775万円で、時価換算すると1,249万円にまで下落。損失の平均額はマイナス525万円に達していた。調査対象者の年収の平均値は477万500円であることから、個人投資家のほとんどがかなりの痛手を受けていることが分かる>とのことです。

 この記事についてあれこれ解説はいらないでしょうが、前半の記事は興味深いものであり、私には随分と多くの割合で利益を出している人がおられると思えました。なお、後半の記事は平均値を用いていますので参考になりません。累計300万円以上と条件付けていますので、中には数億円の方もいることでしょうから、その人の投資成績が調査結果を大きく左右してしまうからです。
 ちなみに、株式投資に限定すれば、果たして何パーセントの人が利益を出しているのでしょう。手元に情報がありませんが、20.6%よりも低いものと思われます。

 さて、投資において勝つ(利益をあげる)と、勝って当たり前という感覚に覆われ、その原因を考える人はほとんどいないのではないでしょうか。ただ、年間を通して複数年勝ち続ける人間はその裏にある原因をしっかり考えているでしょう。もう少し突き詰めると、要因と効果を見極め、投資方法に論理性を持たせているように思います。短期投資でも、中長期投資でも、デイトレードにおいても同じでことではないでしょうか。特に投資の効果に対しては余裕値を測っているように考えられます。

 私の言う「余裕値」とは投資資金の残金(株式を買い入れなかった残金)と、売った後でその銘柄がどの程度値上がりしたかということです。両者が大きな割合であれば、投資にゆとりがあり、悪く言えば閾値が厳しかったことを意味します。逆に買い入れ割合が100%(投資資金の全額を株式に換え)、売ってからの上昇率が0%ならば閾値が緩すぎたことを示しています。実際に後者のようなケースはほとんどありませんが、投資を博打に変えてしまう感覚を持っている人は、これを奇跡的なトレードとして未来永劫忘れず、大きなリスクを負っていたことを反省しないでしょう。
 勝ったことの原因は負けた原因を考えるよりも難しく、余程自虐的な感覚を持っている人でなければできないことです。だからこそ普通の感覚の人はそのことを意識して投資に望まなくてはならないように思えるのです。私は常に自覚かつ意識しております。

 ここまでは勝った場合の原因を考えることについて話しましたが、負けた時の原因を考える人は割りと多くいるように思います。ただ、当人は考えている気であっても、実は言い訳をしているだけの可能性もあります。長期下降トレンドだから・・・、あの時この銘柄を買っていれば・・・、もう一日後だったら買わなかったのに・・・、といった具合です。それは原因の本質ではありません。原因を考えることは、考え自体の公平性と分析力、次に活かせるだけの精神力です。
 負け続ける人や、一回の負け(含み損)から株式市場から退場を余儀なくされる人は、自分の本心に対する分析と相場や銘柄の評価方法を間違えてしまった人なのかもしれません。

 原因を考えることは単なる結果論とも片付けられますが、それを行わない限り同じ過ちを繰り返しかねません。たとえ結果論であっても、次の行動に活かし繋げるのですから、行動をロジカルにすると共に、パターナリズム化を推進することになると思います。


<サイト管理人> 2012年8月7日記述



 【今更でも堀江貴文氏とライブドア問題を考える】第139回

 2005年の話になりますが、新興勢力であったライブドアの堀江社長がニッポン放送株を買い占めるというニュースが報道されました。投資を始めて間もなかった私がまず驚いたのは、フジテレビは一流のテレビ局で、フジサンケイグループという巨大な集団の中核と思っていましたら、フジテレビの親会社がニッポン放送だったということです。 また、ニッポン放送とフジテレビのトップがテレビに映るのを見てさらに驚きました。子会社のフジテレビの経営者の方が、親会社のニッポン放送のトップよりも強く観えたのです。
 その後、裁判になりました。ニッポン放送株をライブドアが買ったのが問題だというのです。「ニッポン放送を堀江氏の手に渡してはならない」と日々報道されていました。投資初心者だったとはいえ、ますます驚いたものです。

 そもそもニッポン放送は株式会社ではなかったのでしょうか。親会社の株を保有しても子会社は独立しているのでしょうか。公開株は買ってはいけないのでしょうか。私は疑問に包まれました。今となって思うに、日本には本当の株式会社など無いということです。
 会社が株を上場するということは、株式を何物かが買う危険性を覚悟の上で、市場から資金を調達する方法です。だからこそ減資も増資も配当も自由になるのです。当社の株式を買ってください、しかし経営権は渡しませんという都合の良い話はあるのでしょうか。そんなことは当時の私にも判ったのに、2005年の社会では問題になっていました。

 「我々が苦労して築き上げた・・・」という会社のコメントも全く理解ができませんでした。否定はしませんが、株式会社の経営権は商法により株主のものであり、経営者は株主から経営を委託されているに過ぎません。ですから株式会社は株主が会社の主であり、経営者の報酬も交際費も株主の許可の範囲内なのです。 経営者は自分が株主になる資金を持っていないことを忘れてしまったのかもしれません。雇われ経営者であってオーナーではないのです。
 また、ニッポン放送の社員が「報道機関は特別」と堀江氏の株式取得に苦言を呈する報道がありました。確かに報道機関は特別で普通の会社ではありません。正確な報道の為にはお金にまつわる利害関係とは独立していることが必要だからです。ならば上場すべきではないでしょう。
 さらに、「株式を時間外に買ったから不当」との話も出てきました。私も当初は堀江氏が法的に認められない手段を用いたのかと思いました。なぜなら公的な大マスコミが間違ったことを言うとはつゆにも思っていなかったからです。しかし、時間外に株を買うことは認められていると後日知りました。

 こと最後に至っては、「堀江氏のように世の中が全てお金で片づくという考え方は不道徳である」と言う人々が現れました。これも驚いたことのひとつです。

 株式会社の成り立ち、株式の買い方も含め、法的に違反しているならは非難しても良いでしょうし、逮捕してもよいと思います。しかし、決まりごと通りにした人を非難する方がおかしいのではないでしょうか。

 堀江貴文を好きな人も嫌いな人もいるでしょう。結果として粉飾決算並びにインサイダー取引に関わる容疑で起訴され、2年6ヶ月の実刑になりました。悪いことはそれとして償わなければなりませんが、私は堀江氏を一人の立派な経営者として認めています。彼の行動はいつも正々堂々としており、長い間日本の株式会社が一部の人の持ち物だったのを、公的なものにしてくれたからです。現在でも株式の配当を無配にしながら、数億の報酬をもらう役員が大勢いるのですから。

 2012年現在も特定機関や特定個人投資家がいくら株式を保有してもその会社の経営権は認められないのかもしれません。そうした観点からも、株式を保有することはオーナーになることでも、真の投資でもない可能性があります。いくら買っても投機の域をでないのでしょう。

<サイト管理人> 2012年8月8日記述



 【成功した投資家がよく使う言葉を文章すると】第140回

 今回は成功した投資家がよく使う言葉を繋げて文章にしてみようと思います。利益を出す人間の「普通の感覚」を推察することに役立つものと思います。以下は私のイメージではありませんが、勝者の論理を知ることも大切と考えておりますし、自身も納得する部分が多いです。

■ 株式投資では損失を出さない為にファンダメンタルズ指標があり、利益を出す為にテクニカル指標が存在します。また、損切りができない投資家はファンダメンタルズに依存しがちで、失敗を連続する投資家はテクニカルに依存していることでしょう。ちなみに、テクニカル指標が機能するのは「多くの投資家が参加している」からに他なりません。

■ 相場を動かす大口投資家の多くはサラリーマン投資家です。だからこそ株価の動きに特徴が出てきます。なお、サラリーマンの弱点は、毎日投資をしなければならないことです。個人の強みは投資をしなくても良いことですから、休むことも必要でしょう。

■ 明らかになっているすべての材料は、すでに価格に織り込まれています。ですから、直近のニュースは株価に転化されているのです。併せて、株価は将来のことを予測しながら動きます。しかし、将来のことは誰にもわからないのです。相場は大きく下がれば一旦のリバウンドがありますから、指定業種に偏った個別銘柄でポートフォリオを構築するのではなく、全体の業種において均一に銘柄を揃えるといった投資手法をとればリスクも軽減されることと思います。

■ 個人投資家が買い始めたら天井のサインでしょう。また、投資家が不安に思っているなら買い場、強気になっているなら売り場になります。問題は意図的に作られた見せかけの買い場・売り場なのか、ホンモノのそれかを見極める方法が無いことです。ですから買い入れ条件(閾値)を設定し、トレードの基本を考え、ロジカルに投資を行う必要があります。

■ 同じ30円でも1日で下落するのと5日かけて下がるのは全く事情が異なります。出来高も日中足も勘案に入れる必要があります。もしも保有銘柄が底割れをしてしまったら損切りを行うと共に、日経平均株価に追従している銘柄をチェックする必要があると思います。

 同じことを繰り返すのが人間ですから、上記のことは常に意識しなければならないのかもしれません。大半は「分かった気」になっているだけで「解っていない」とも言えそうです。
 そもそも私は「株式投資」や「相場」を理解しようとすること自体に無理があると思っています。だからこそ「投資のリスク」を考え続けなくてはならないのです。

<サイト管理人> 2012年8月9日記述



 【多くの人が「最悪」を考えられない理由について】第141回

 日本人の良い面を挙げればいくつもあります。ただ、本節では日本人の欠点について書いてみようと思います。

 私達が苦手にしているのは、最悪の事態を想定し何をすべきかを考える「リスク管理」の思考法ではないでしょうか。アメリカを始めヨーロッパの人々は、「もしもこうなったらどうする」」という論理的なやりとりが当たり前のようですし、自分も学生時代に話をした留学生は同様の感覚を持たれておりました。

 そもそも、原子力爆弾を広島・長崎に落とされるまで戦争を止められなかったのが日本人なのです。悲劇的な結末が見えていながら、なおも「最悪を回避しよう」とは考えないのです。原爆のおかげで戦争が早く終結、多くの日本人の命も救われたというアメリカの言い分には強く反発するものの、こうすれば原爆を落とされず済んだはずという人間に会ったことはありません。

 「もしもこうなったらどうするのか」は企業経営にとっても重要な要素です。最悪の事態を想定して、問題が起こる前に正すということです。特に中小零細企業の場合、有事が発生すれば自社の引き継ぎ先(売却先)すら見つからなければ経営者・従業員の全員が路頭に迷うことになります。事が起きる前に社員に危機感を持たせる。一般的に最悪と言われる選択肢でもそれが会社にとって最善であるのならばあえて取る。それが有能な経営者であり、リーダーの役割であるように思っています。今更のことですが、日本航空が破綻する前にやることはたくさんあったでしょう。社員数も給料も年金も半分以下にし、路線を4割削減したのは破綻後のことだったのです。学生が就職したい会社ランキングの上位にあった企業ですらこうした血路を辿ったのです。

 なぜ日本人は「もしも」の思考方法が不得意なのでしょうか。理由はふたつあると思います。ひとつめは、日本が他国から文明を受け入れてきたため、自らは考えなくても、どこかに存在しているだろう答えを見つければいいということに慣れてしまっている点です。日本人にとって答えは考えるものでなく、探すものとなっているのです。ネット社会に依存する現在、ますますその兆候が顕著化していくことでしょう。
 ふたつめは、言霊信仰です。悪いことはなるべく考えないという点です。言ったら実際のものになってしまうように感じているからこそ、多くの人はマイナスの問題を決して言葉に出しません。もしかすると、この恐れが日本人の遺伝子に組み込まれていて、最悪の場合を考えることを避けて通る本能が個人に宿っているのではないでしょうか。

 また、こうした問題をますます増大させたのが日本の教育と思います。「もしも」の考え方どころか、親にも先生にも上司にも異議を申し立てない。疑問すら抱かない人間を大量に生み出してきたからこそ、考えれば解るロジックすら組立てられない日本人ばかりになってしまったのでしょう。それが大衆に迎合した政治や、情けない外交の弱さに繋がっているようにすら思えます。

 株式投資で利益をあげられない人が多くいる裏にあるものはこうした日本人特有の思考法が裏に隠されているのかもしれません。

<サイト管理人> 2012年8月10日記述



 【高橋是清的な財政出動は成功しない】第142回

 債券マーケットへの参加者がリスクとして警戒しているのは、政府が日銀に国債の直接引き受けを要請することではないでしょうか。また、日本銀行券を印刷して財政支出を行うことにもなる為、インフレーションを引き起こす可能性が非常に高くなります。こうした意図的な悪いインフレーションが生じると、経済活動は翻弄されることでしょう。特に経済的弱者と言われる、債務者や低所得者は金利の上昇、円安による食料品その他の価格高騰から多大の負担を負うことになると考えられます。悪いインフレに対して所得そのものの上昇はタイムラグがあり、その差である数年で多くの方々が破綻しかねないのです。

 なお、現代の経済を考える際は、マスコミの影響力を無視して語れません。オイルショックを思い出してもわかりますが、トイレットペーパーや洗剤が不足するとマスコミが報道したことから、人々の買いあさり、そして価格の急騰が発生しました。最近では東日本大震災に伴う放射能汚染問題からの飲料水不足です。また地震対策として店頭からラジオや乾電池が無くなったことは申し上げるまでもありません。人々の心は今も昔も同じであることがわかりました。
 この問題は供給が不足したというよりも、マスコミが不安を煽ることから人々が買いだめたり、一部の人が値上がりを見込んで囲い込み買いをした結果でしたが、いかに影響力強いかということは認識しておかなければならないでしょう。逆に考えれば、「日銀が国債を引き受ける為の法律改正」を政府が決定し、マスコミが騒げば現在の緩やかなデフレ状況から脱却し、自然発生的なインフレに移行する可能性もあるでしょう。

 与野党問わず、日銀国債引き受けを“財源”にすればよいと考える国会議員が多いことには不快感を覚えます。「需要不足の状況では、日銀に30兆円程度国債を引き受けさせたところで、インフレになるはずがない」というテレビ番組もあります。それは正しいのかもしれません。しかし、一度政府がその「魔法」を使い始めたら、モラルが失われるでしょう。そういった事例は古今東西で発生しているのです。
 IMFのレポートによると、1990年の中南米の平均インフレ率400%以上。また、93年に年間インフレ率が1000%を超えていた国は12ヵ国もありました。それらは政府主導による中央銀行が紙幣を何年も刷り続けた結果なのです。

 1932年からの高橋是清が行ったとされる財政出動を成功例として引き合いに出す例がよく聞かれますが、そもそも成功例なのでしょうか。イギリスではポンド建て日本国債は暴落し、ジャンク債になったのです。つまり、世界的には全く評価されておりません。当時とは違い、現在のように食料自給率が低い状況では、この問題はダイレクトに国民生活を脅かすことでしょう。
 日本は高齢化によって貯蓄が減少し、海外投資家の日本国債保有比率が徐々に上がっていくと考えられます。もしも日銀による国債引き受けによって日本国債の格付けが低下するようなことがあれば、海外投資家は高い利回りを求めるか、購入しないことでしょう。もしもそのような状況が発生すれば、日本銀行は常に国債引き受けをすることとなります。一度始めると、破綻するまで止まらないのです。

 以前リスク管理のお話をしましたが、私達個人にとって今できることは悪いインフレに備えることです。その為の株式投資であり、様々な金融商品に目を向けておくことです。外貨預金でも良いのかもしれません。実際に買わなくても良いのです。ただ、それらの商品がどういうものであるのかを知っておく必要があると思います。
 再三申し上げていることですが、常に株式は保有するものではないということです。リバウンドを狙ったバスケット買い下がり方式による株式投資をお勧めするのは、長期上昇トレンドにおいても有効な投資手法になり得るからです。

<サイト管理人> 2012年8月12日記述



 【血液型診断の非科学さと人間の差別思考について】第143回

 まず血液型占いは科学的ではありません。偽科学的な分野といってよいでしょう。しかし、血液型診断に関する書物が売れていることも事実です。
 そもそも血液型と性格分析が流行った理由としては、戦争中にいい加減な輸血を行ったこと、軍事的に利用できないかという法医学者がいたこと、血液型別に兵士として向いているのか等のデータを集めていたことがあります。最終的にそれらは集計されましたが、データは有意義なものではなく、信憑性が得られなかったのです。戦中には否定された分野であり、戦後しばらくは血液型に関して何の注目もありませんでした。

 では現在の血液型診断ブームの起源はどこにあるのでしょう。それは1973年に発行された 能見正比古氏の「血液型人間学」に端を発しています。一切データの引用を禁ずるという彼の本は否定しずらいものであったでしょう。しかし、内容は統計学に基づいたことではなく、印象付けに過ぎないのです。科学には心はありませんから、科学に対する不信感から血液型診断が日本で栄えてしまったともいえます。戦中に否定された分野であることを隠し、都合の良いデータばかりを取り上げた本がベストセラーになったことは驚きを隠せません。

 確かに戦後の歴代首相はO型が多いことは事実です。80年代辺りまでの政治家にはO型が多かったそうです。現在の政治家には政策型のA型、B型が向いているなどと言われています。参考までに、小泉首相はAB型、安部首相はB型だそうです。まるで根拠がありません。
 そもそも人間とは分類したがる本能を持ち合わせているのでしょう。読売巨人軍の長島さんと野村克也さんが同じB型であることは違和感を覚えないでしょうか。結局どうとも言える議論に過ぎないのです。

 良いところをピックアップして納得してしまうのは問題がありますし、皆と同じことを納得できない人間が多くなっているのは、現在の日本に表立った差別がなくなったからとも言えないでしょうか。そもそも人間が平等という考え方には耐えられないのでしょう。根源に善と悪を求める資質が備わっているのかもしれません。

 現在は血液型から差別的なテーマが出てきたこと、A型は熱中できない、B型は変った人、AB型は二重人格といった擦り込み問題から、マスコミでは血液型診断などの番組を放送倫理上制作しない傾向にあります。なお、血液型の問題が出るまでの日本では十二支で話をしていました。ねずみ年はこまめに働く、牛年の人間は気が長い等です。これもまた全く根拠の無い話です。

 やはり、血液型診断に一部科学をまとわせてしまったことに問題があると思います。商法としては危ういものと思っています。ただ、血液型に関する本を読まれる方が「自分の心を静められる」と言われれば私は反論できません。ただ何かにすがりたい人と観るだけです。宗教的であり、ある意味では合理的なものなのかもしれません。科学的な思考は人間に徹底できないからです。

 再三になりますが、統計の取り方、確率論を徹底すれば血液型診断などは消え去ることでしょう。ゲーム脳などというものも同じ部類であると考えております。

 株式投資で大切なスクリーニングには血液型診断のような偏見を挟んではなりません。過去に利益をあげた銘柄に対する思い入れも禁物です。自分は他の人とは違うという差別思考を捨て、機関投資家と同じ土壌に立っていることを認識しなくてはならないでしょう。

<サイト管理人> 2012年8月16日記述



 【日本人につきまとう劣等感について】第144回

 現在の日本人は世界的に見ても劣等感の処理というか付き合いが下手な人種でしょう。努力して劣等感を克服するか、それを受入れて心を楽にする方法をとらないで、劣等感を持ったまま何もしない人が非常に多いと感じています。株式投資で塩漬け銘柄を抱えても何もしないで相場に任せることなどは、最たる例でしょう。以前のコラムにも少し書きましたが、劣等感なるものがつきまとうことから最悪を想定できないのかもしれません。

 また、自分が分かってるから、勝手に相手も分かってるはずと思い込んでる人も多いといえます。よってロジカルな説明もせずに「相手に理解力がない」と思い込む人は多いと思います。 それでいながら相手の説明が自分の理解と食い違うとたちまち耳を貸そうとしない現実にも目をくれなくてはなりません。自分の「信じたいものだけ信じよう」とする狭い世界で生きる閉鎖的な人種なのでしょう。
 少々話がずれますが、読書の基本は新刊を全て均一に読むことと考えております。しかし多くの方は特定の作者の作品にしか目を向けないでしょう。私が願うことは好き嫌いではなく、それらの本の良いところ、間違いえていることを考えて欲しいということです。自分の考えを持って欲しいということです。

 話を戻しますが、普段から他人が気になって仕方ない人も多くいらっしゃいます。逆に他人に何とかして欲しいと頼まれた時には無関心だったり、折角気遣いしてくれても彼らなりの答えを発することは滅多にありません。人と違うことを恐れてのことでもありますが、人と違うことも同時に求めているのです。変な人種です。結局他人に対して不信感といいますか、少なからず排他意識が存在しているのです。

 日本人が集団を組みたがるのは、自我の弱さを補うための措置で、本当の意味での集団協調・交流拡大は成り立たないでしょう。ルーズベネディクトが記した日本人は旧日本人であり、現日本人とはかけ離れた存在になってしまったのかもしれません。私には残念でなりません。恩と義理の関わりこそが今の日本の元になっていると考えているからです。
 そもそも日本人の集団行動は、交流拡大や協力のためではなく、不安や怖さを解消する為のものですから、いざひとりで行動すると異常に周りを気にしたり、何かに恐怖を抱いていますが、それが集団になると周りが気にならなくなり、気も強くなってきます。暴走族や集団暴行、いじめなどをする人間もひとりにされると何も出来ず立ちすくむだけでしょう。また、日本人は誰かが行動し始めてから自分も同じ行動を始める傾向が凄く強いといえます。株式を高値掴みする原因はここにあるのです。

 結局のところ、目先だけがすべての視野狭窄が原因なのでしょう。劣等感も努力をして克服すれば乗り越えられるはずであるのに、集団やマスコミの言う一般論といった楽な方へ逃げているから、いつまでも根本を覆すことができないのです。

 あまり否定ばかりではつまらないコラムになってしまいますので、良い点を申し上げますと、日本人は世界の中でも責任感の強い民族だということです。ただ、視野が狭い為に物事の優先順位を間違えることから、国外から見ると激しい無責任にしか思えないケースもあります。無責任のうちの責任感なのでしょう。
 日本は外側から見ると、一見整然とした近代国家のように見えるでしょうが、その実態は、理性や合理性を重視し、現代でも前例のない様々な社会改革に果敢と取り組む欧米の近代国家の精神的土台とはまったくかけ離れております。何よりも逃げともとれる封建制的秩序を温存したまま、見かけだけの近代化、経済成長に取り組むという姿勢を明示しているのでしょう。

 論理的思考能力、批判的思考能力がある人間ほど、 国のあり方に激しい違和感を感じて心を病んでいくのが現状なのでしょう。考え過ぎてはいけないとは申しません。考えに考えを尽くし、その上に努力をするのです。そしてまた考える。その繰り返しではないでしょうか。株式投資はその基本を教えてくれているように思います。

<サイト管理人> 2012年8月17日記述



 【年収300万円世帯の株式投資について考える】第145回

 可処分所得が300万円のアパート暮らしの一家を例にとって、家計及び株式投資について考えたいと思います。

 <家族構成(仮)>
  夫(30歳)、妻(29歳)、子供(1人:1歳)

 <世帯収入(仮)>
  夫 22万円→可処分所得19.0万円
  妻 6万円→可処分所得 5.5万円
  可処分所得の合計24万5千円程度、年収にして約300万円となります。

 <世帯支出(仮)>
  家賃   ・・・ 約60,000円
  電気代  ・・・ 約 6,000円
  ガス代  ・・・ 約 7,000円
  水道代  ・・・ 約 3,000円
  固定電話代・・・ 約 2,000円
  携帯電話代・・・ 約 6,000円
  PCネット代・・・ 約 5,000円
  食費日用品・・・ 約45,000円
  夫こづかい・・・  20,000円
  妻こづかい・・・  10,000円
  化粧品  ・・・   5,000円
  健康食品 ・・・   5,000円
  子ども費 ・・・   5,000円
  家族保険 ・・・  10,000円
  学資保険 ・・・  10,000円
  季節品  ・・・平均10,000円(クリーニング代・衣類代等)
 --------------------------------
  合計      約 209,000円

 可処分所得の合計が245,000円ですから、世帯支出との差額は36,000円となります。ただし、突然の病気、マイカーの購入等を考えれば、実質収支はゼロになる勘定です。
 そうした問題を抜きに想定し、この全てを貯蓄に回せば、年間で432,000の貯蓄が可能になります。10年で約400万円という金額です。ただし、住宅購入の為の頭金にはまだ届かないといってよいでしょう。また、子供が幼稚園・小学校と成長するにつれ、関連出費が多くなることからも、余裕資金は不足していくことが考えられます。こうしたことからも、可処分所得300万円世帯が数百万円の手元資金で株式投資を行うことは大きなリスクを伴います。将来の所得増加が大きく望めない現在は堅実な貯蓄生活を行うことが大切と思います。この点に関して実に悔しい思いをされている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。この点お察し申し上げます。

 少々脱線しますが、現代は「同じ仕事で給料が20万円と30万円のどちらがいいですか」と聞けば、100人中100人が30万円と答えるでしょう。しかし、こうした習慣はここ300年ぐらいで定着したもので、その前は20万円を選んだ時代が長かった事実があります。
 ヨーロッパではゲルマン時代が最たるもので、「所得などはパンを食べられる範囲で良い。それ以上は面倒」と答えましたし、江戸時代は「宵越しの金は持たない」のが良い人生とされていました。お金がそれほどの意味を持たず、それより人生そのもの、時間そのもの、家族や友人が大切だった時代だったのです。
 私達にはなかなか理解が難しい話とも思いますが、「このような生活が幸福である」というのを社会から常に教えられていて、自分にとって必要なもの、自分の幸福をもたらすものについて、おそらく一度も考えたことがないことも起因しているのではないでしょうか。
 私も同じで、30才までは「世間でこれが良いというものを、そのまま自分にも良いこと」という錯覚をしていたのです。考えてみれば世間で良いとされるものでも自分にとって良いかどうかはわかりません。それがわかったのが不覚にも最近になってからで、それから現在まで修養を積んで、やっとある程度「自分の人生にとって大切なもの」が見えてきましたので、20代の方々がわからないのはやむを得ないのかもしれないと思います。
 それまでの自分は「仕事をするのでも、会社にいるより自宅にいる方が得く」「同じものを買うのに高いより安い方がお得」などとお金を中心とした尺度と、自分の人生にとっての損得ではなく、世間で決めた尺度で決めていたのです。

 現在は投資を勧める会社や風習が蔓延しています。しかし、自分の年収に対して自由になるお金をしっかりと考え、幸福について考え、その上で投資を行うのかを決められることをお勧めします。安易な丁半博打的な発想で大切な生活防衛資金を取り崩すようなことは決して行って欲しくないと考えております。

<サイト管理人> 2012年8月19日記述



 【学生の不勉強さと新しい社会・道徳の考え方】第146回

 ぼんやりテレビを見ていますと、最近の学生は勉強をしない、学力が低下しているという話がしきりです。この話題は、大学を卒業した学生の就職率が悪いことに繋がっていると考えられ、現在の学生は勉強しないのだから就職できなくて当たり前という結論を出していました。
 私もかつて在籍していた大学に足を運ぶことがありますが、同じような考えを多くの大学の先生が持っておられ、私自身そのような見方があることは知っていました。しかし、かつて学生がよく勉強したのは現在と違う理由の場合が多いのではないでしょうか。

 例えとしてですが、かつて大学に行くに際し、両親のお金だけでは足りないので育英会や親戚等から応援を得て(借金をして)、大学に行くケースが多くありました。私世代では親戚の人にお金を出してもらわなくても、家族が苦労して自分にお金を出してくれることを十分に知っている学生はよく勉強していたように思いますし、親の苦労を目の当たりにして、自分が子供をもった時には楽に大学に行かせてやりたいと考えるのが人情ではないでしょうか。つまりハングリー精神で勉強したのであり、勉強が好きで勉強したのではないのかもしれません。

 これに対し、現在のように子供を大学にやっても、親はランチで生活を楽しむようになりますと、学生自身も緊迫感がなくなって当然でしょう。つまり社会の変化に対して、かつてハングリー精神で勉強した学生がそれとは違う理由でよく勉強する理由があるかということを考えなければならないでしょう。人間はモチベーションがなければ努力することはできませんし、大学での講義が「つまらないもの」なら、努力する方が変人だと言えるからです。

 このように時代が変わり、社会も変われば学生を取り巻く環境も大きく変わっていきます。その時に教育者といわれる人たちは学生が勉強する新しいモチベーションを考えていかなければなりません。

 現在の社会で学生が勉強に夢中になる理由は思い当たりません。大学の時には学問の面白さを感じるレベルまではいかず、むしろ「試験のための勉強」、「就職試験の為の勉強」になるので、それは「普通の人間」にとっては苦痛でしかないのです。
 お金に余裕のある社会ではハングリー精神は期待できないのですから、その代わりに「何のために勉強するか」ということを、教育者がはっきり説明しなければいけないでしょう。

 この問題は学生の勉強ばかりでなく、いろいろな生活の面でもいえます。例えば「節約が大切」という考え方は数十年前までは大切した。物が不足しお金が足りなかったわけですから、家族が心を一つにして節約をすることによってやっと生活ができたのです。ところが、現在の日本では「日本人全体が使うお金」よりも「日本人全体が稼ぐお金」の方が大きいので、当然のように余ります。その結果、現在では60才以上の人の金融資産が、国民全体の金融資産の50%を超えてしまいました。
 60才以上というと年金世代です。つまり人からお金をもらう立場にある人たちの金融資産が、お金を出す人たちの金融資産よりか多いという奇妙な状態になっているのです。お年寄りに年金を払うということはお年寄りが貧乏だからというのが前提ですが、現在ではお年寄りの方が豊かで年金を出す若い人の方が貧乏だという逆転現象になっているわけです。

 どうしてこうなったかというと、「豊かな時代に私達はどういう道徳をもって生きるのか」がはっきりしていないからです。今更昔に大切だった節約を上げても、お金があまるだけで物事は解決していかないのです。
 時代の変化とともに我々が考えてなければならないことを放棄した結果、多くの人が節約をしてお金が余り、そのお金が銀行を通じて国家に行き、国家はそれを返すことができない事業に使い、最終時にその借金はわたくしたちの子供や孫たちに行くという事になっています。全く理解ができない状況です。

 社会全体の変化に対して私達は新しい人生の生き方、新しい道徳のあり方を考えていかなければなりません。それができずに「学生が勉強しない」と文句をいっても意味がないのではないでしょうか。大切なことは「額に汗をして働き、そのお金で満足できる生活をする」ということです。私達にとってその「満足」とは何かということをもっと踏み込んで議論しなければならないと思います。

 私が株式投資は仕事のレベルを超えてはならないと本コラム全体を通じて申し上げているのはこうした理由からで、願わくば投資であげた利益は社会に還元して欲しいと思っています。お金の流れを金融商品への投資に循環させてしまうのではなく、正常な社会活動に戻して頂ければ、金余りと言われる状況を打破できると考えております。金融緩和による強制的な需要強制ではなく、消費者が自然と購買意欲を抱けるような社会になって欲しいものと思います。

<サイト管理人> 2012年8月21日記述



 【信用取引はレバレッジを効かせたリスク投資】第147回

 まず理から入りますが、私はこれまでのコラムに記述したとおり信用取引を一切推奨しませんし、認めておりません。ただ、一部サイトの閲覧者から質問がありましたので、解答の意味も含めて本コラムを記述しております。反対のスタンスとは言えあえてメリットを買いてこそ意義あるものと思います。

 基本的な話となりますが、信用取引の説明前に「現物取引」の説明をしたいと思います。
 現物取引とは株を買うお金は自己資金の範囲内で、売却する株も自分が保有している株しか売ることが出来ません。つまり、口座に1000万円しかなければ1000万円までの株式購入しかできないものです。口座に振り込む資金は自己防衛資金(最低10年以上)を引いたものを私は推奨していますが、ローンの無い不動産を保有している等の状況から自己防衛資金の対応年数は前後するものと思います。

 信用取引とは、証券会社からお金や株式を借りて売買を行うことができ、証券会社が投資家に信用を供与して行う取引となることから信用取引と呼ばれています。また信用取引は差し入れた担保金額の2倍〜3倍の株式の売り買いが出来ます。差し入れる担保(委託保証金)は、現金だけでなく、一部を株券や債券など、ほかの有価証券で代用することも可能で、これらは「代用証券」と呼ばれます。なお、上場株を担保に差し入れる際には、その株式の時価評価80%などの掛け目で評価されます。現金や代用株券を活用して、より大きな投資が可能になります。

<信用取引のメリット>
 信用取引のメリットとしては、やはり約3倍のレバレッジ効果です。現物取引では300万円しか無い人は、1株3,000円の株を1,000株買ってしまえば、その株を売らなければ、新たに投資することはできません。しかし信用取引ですと300万円の3倍の900万円まで取引することが可能になります。大きなリターンが望めるわけです。
 もう一つのメリットは、売りから入れることです。信用取引では空売りもできるので、下落相場になっても利益を上げることが可能で、収益機会が2倍に広がるといってよいでしょう。

<信用取引のデメリット>
 3倍の取引が出来るのはメリットである反面、リスクとなることも必定です。信用取引で売買した株式が、その後の株価変動によって評価上大きな損失が出た場合や、代用有価証券の値下りにより必要額より不足した場合は、証券会社から追加保証金が求められます。払えなければ強制決済されてしまいます。短期間で大きく自分の思惑とは逆方向に相場が動いた場合、追い証が払えず、強制決済され自己資金がすべてなくなり、尚且つ借金だけが証券会社に残るケースもありえます。ですから、3倍の取引ができるからといっても、可能資金の全額投資はするべきではありません。

 私はリスクを最小限に抑える投資を勧めておりますので、信用取引には反対です。

<サイト管理人> 2012年8月28日記述



 【理科系科目離れと投資について考える】第148回

 ここのところ「理科系科目離れ」が進んでいます。理系文系と人を分けるのは日本くらいの話で、区分は意味のないことと以前のコラムにてお話ししましたが、あくまで自分は文系だから・・・理系だから・・・と自らの気に入らない学習から逃げることを否定する為のコラムでした。本節でまず言いたいのは理科系の学習や技術を習得した人間が減少していることです。これは以前からも言われ続けていることですが、日本は科学技術立国であることからも300万人ほどの技術者が常に必要とされており、就業者が減少すればロケットも自動車も半導体も建築物も作れなくなります。よって製品を輸出できずに、食料や石油を輸入する資金もままならない国になることでしょう。
 近年政府はイギリス型の金融立国を目指す節がありますが、技術・生産力の裏づけがあっての金融立国こそがこれからの世界を制するでしょう。そして見せかけの円高ではなく真に強い「円」が生まれるのです。
 かく言う私は不動産や証券・金融系・システム開発系の資格を保有しているものの、主業は溶接工学(非破壊検査)や建築学に則った理科系と言われる人間です。理科系科目離れは残念であると共に、経済学をしっかりと学ぶ為には微分方程式が解けなければ何の理解もできないことをもっと多くの人に知ってもらいたいとも思っています。

 そもそも、どうしたら理科離れを防ぐことができるのでしょうか?様々な学会や文部科学省などが日夜研究しているようですが、歯止めがかかる気配は今のところありません。

 物理をしっかりと理解している大学生は「エントロピー増大の原理から、再生可能エネルギーは特殊な場合以外は成立しない」ことを知ります。しかし、これを学会で話すことはないでしょう。世間的にもエントロピー増大の原理を理解している人は少ないですし、まして、そのような難解な原理と日常生活の現象を結びつけられる人も極端に少ないのが現実です。
 小中学校で習うアルキメデスの原理と北極海の氷の問題にせよ、日本は「理科を理解しない方がよい」という社会になってはいないでしょうか。「本当はこうです」と説明すると「ウソ」と言われてしまいます。地球が温暖化して北極海の氷が溶けたとしても海水面は上昇しないことを否定することで新しい経済活動分野を作り出しているのかもしれません。太陽光発電や風力発電、地熱発電などが良い例で、数年先には多くの人々が採算に合わない発電であることに気がつくことでしょう。

 今は理科を理解できない人が理科を理解している人をバッシングする時代、理科的に正しいことでも社会にとって不都合と思われることを口にできない時代なのでしょう。究極ともいえますが、理科を真面目に勉強すると不幸が訪れるのかもしれません。報道機関に勤める人間は文科系が大半でしょうから、何の理解も無く耳障りの良い番組や記事を書いてしまう。これでは理科系科目をしっかりと修めた人間を追い詰めてしまいます。

 ここまで自然現象を無視した社会ではもう理科を勉強しない方が生きるには簡単なのかもしれません。虚構の社会に身を置き、間違った情報をそれと気付かず受け入れる。実に楽な生き方と思います。最終的に事実を知ったとしても自分の愚かさよりも社会を儚めば良いのです。大マスコミは科学的事実を報道しているのではなく、空気的事実を報道します。そしてそれが社会の「正」になっていますし、さらにNHKからは受信料を取られます。それは私のような理科系の人間の心をひどく傷つけるものなのです。

 株式投資とはかけ離れた話をしてしまい、投資に話を結びつけることが難しくもありますが、投資における基本は現実を受け入れることから始まります。含み益が出れば利益を確定させる。含み損が想定を超えればロスカットを行う。こうした行為は現実を真実として受け入れているからこそできる行為なのです。正面から向き合っている証拠ともいえます。ですから、間違った認識を有している人のように、自分の持っている株式はいつかは高騰するなどという丁半博打的な取引を行うようなことにはならないはずです。結局理科離れは現実逃避であり、物理を無視することは現実に蓋をすることです。投資哲学と同じことにも思います。

<サイト管理人> 2012年8月30日記述



 【節約したお金で潤う人達と投資について考える】第149回

 かつては国民が節約したお金は銀行を通じて民間の企業に行き、そこで国民が欲しい製品を作ってくれました。つまり、普通は「節約すると、そのお金で企業が自分の欲しいものを会社が作ってくれた」ということになります。銀行はその仲立ちをして社会に貢献していました。
 簡単に言うと、ある人が100万円を預けると、企業が100万円を借りて、120万円で売れるものを作り、自分は10万円を稼ぎ、銀行に110万円を返し、銀行は5万円をとって、その人に105万円を返すという具合です。これなら、預金した人は5万円、銀行も5万円、企業も10万円と全員が喜んだ時代でした。
 ところが今から20年前に資産バブルが崩壊して、成長が止まりました。経済成長の時代に100万円借りていた企業が居なくなってしまったのです。同時に「環境の時代」になり「もったいない、節約しよう」という人が現れました。かつて100万円を銀行に預けた人は節約して150万円預けるようになったのですが、借りる企業が居ないので銀行にお金が留まるようになります。
 企業は経済成長が止まるだけでも困るのに、「節約ブーム」で50万円を残すようになった(100万円貯金していた人が150万円貯金するから)ので、それだけ売り上げが減って、お金を借りて増産するどころか、事業を売らなければならないようになります。この150万円が1年以内に引き出して使ってくれれば何とかなったのですが、「年金不安」と「環境を悪くするから」ということで預金を下ろして消費することもしなくなったのです。

 結局、銀行にお金があふれたので、まず金利をほとんどゼロにしたのですが、それでも銀行が赤字になります。そこで銀行は「余剰金で国債を買う為、国債を発行してください」と言います。最初のうちは政府も「赤字国債になるから不健全」などと言っていたのですが、企業が借りなければ政府が肩代わりしなければお金のつじつまが合わないので、赤字国債を発行し始めます。
 これでとりあえず日本のお金のつじつまは合うようになりました。簡単に言うと、ある人が150万円を銀行に預けると、国が赤字国債を出して銀行がそれを買い、国は1年に5万円の利息を銀行に払います。もちろん、国の仕事は福祉にしても教育にしてもお金を配るだけの赤字ですから利息に払うお金も国債を売って何とか切り抜けます。
 つまり「国民が節約し、企業が借りなくなったので、国が国債を出して借りる」ということが20年間にわたって続いてきたのです。国に集まったお金は、役人の給料や国の施設建設、天下り先の給料、箱物行政でダムを作ることに向けられます。半分がムダで、半分ぐらいは国民のためになると言ってよいでしょう。極めつけはムダな補助金を配る(たとえばバイオ燃料開発に6兆円を出し、すべて失敗して失う)などとして消えていきました。

 そして20年が経過し、ついに赤字国債が1000兆円に近づいたので「財政健全化」のために消費税の増税を行います。現状の対処からすれば悪いこととは思いませんが、つまり、国民が節約したお金は国に渡り、政治家やお役人本人や、天下り団体のところにいきましたが、なにしろ効率の悪い仕事に使われるので、半分ぐらいはムダに消えていったのです。

 節約して150万円預金した人はどうなったでしょう。国が150万円を借りて、半分は役人の天下りなどに使い、半分は預金した人も利用した箱物を作り、そこに働く人の給料を払い、冷暖房費で消えていったのです。簡単に言うと、150万円のうち、100万円を捨て、50万円ぐらいを公共サービスとして受け取ったということになります。
 かくして国民が節約したお金は政府が使ったので、環境という面ではなにも変化はありませんでした。つまりこの場合も「節約」は「環境を改善する」事にはなりません。結果ますます不景気になり、政府に親しい一部の人を別にして、国民総貧乏化が進行することになりました。しかし公務員は裕福になります。なにしろ資産バブルが崩壊してから20年。国民に節約さえ呼び掛ければ赤字国債を出してお金が入ってきますし、赤字国債が貯まりますから、それを補填するためにさらに消費税を上げればまたお金が入ってくるからです。奇妙なことですが、善意で節約をしてきた人はずいぶん日本国民を苦しめまたとも言えるのです。

 国債価格の安定化を図るのは最低条件であり、安易に財政出動ができない状況にあるのが今の日本の姿です。消費税増税は必要最低用件であり、反対することは国債の信認の下落に繋がり、日本円の暴落に繋がるのです。日本銀行を否定するする報道が多くありますが、私は一定の評価をしております。
 全くもって行き当たりばったりの政策としか言えませんが、現在目先でできることは強い「円」を如何にして保持するかであり、中長期的には内需拡大を如何にして図るかにかかっています。国債は政府の借金であるから国民の借金では無いというのは全くの暴論です。日銀の行き過ぎた国債引受なども十分に留意しなくては行き過ぎたインフレに繋がり、短期的には多くの企業倒産を招く結果となるでしょう。ただでさえギリギリのところで融資を確保し、運転資金に回している企業が多い中で数パーセントの金利上昇は即企業の破綻を意味するのです。ですから日銀の慎重姿勢はこのまま堅持して欲しいものと思っております。

 現在の株式投資において十分に注意しなくてはならないのは、財務的に健全な企業に対する投資であり、パニック相場におけるリバウンドを狙った短期投資しか勝算が無いといって良いでしょう。

<サイト管理人> 2012年8月31日記述



 【日本人だけ抱いている錯覚について考える】第150回

 第二次世界大戦前、日本はドイツのヒットラーを信じ、共に戦争に突入しました。あとから情報を整理すると、ヒットラーの戦争はかなり無理でしたし、ユダヤ人の虐殺など特殊な政権でもありました。まさに日本は世界の孤児になり、「日本だけがドイツを」という状態でした。
 今、またそれと同じことが行われようとしているように感じています。1990年以来「日本だけ」という思い込みの数がどんどん多くなっています。「石油や石炭が無くなるから節約しなければならない」というのが世界でほぼ日本だけであること、もし同じ考えの国があるとしてもドイツだけということを認識した方が良いと思います。

 まず上記の理由として、3つの事実を直視したいと思います。
 第一にアメリカは脱石油を全くしていないこと、第二に世界で省エネ、節電、リサイクルなどをしている国はほとんど無いこと、第三に石油の寿命が30年と言われているのに石油メジャーが相変わらず石油を掘り続けていることです。
 ちなみに、アメリカは世界の自動車用輸送の53%を一カ国で消費しています。世界の20分の1ぐらいの経済規模であるアメリカが一カ国で世界の半分以上のガソリンを使っていることはとても異常ともいえます。また、アメリカの北部はとても寒く、冬に暖房用の燃料が供給されなければ凍死しするほどの寒さです。また自動車がなければ食糧も自由に変えない地域も多いので、自動車輸送はとても大切です。もしアメリカが脱石油をするなら、貨物輸送用の高速鉄道を大規模に敷設するはずですが、現在はそんな様子が全くみられません。さらに、アメリカは残念ながら日本より戦略的な国で、サウジアラビアのような産油国とも密接に情報交換をしてエネルギー戦略を立てています。それにも関らず脱石油戦略をとっていないのは「石油石炭などの炭素系化石燃料は当面、足りなくなることはない」と認識していることです。
 アメリカ、ヨーロッパ、中国、インド、ロシア、オーストラリア、ブラジルなどの主要な国で現実に省エネや節電、CO2削減をしている国はなく、日本はその意味では国際的に孤立しており、異端的な存在になっています。

 第三に「石油の寿命はあと30年」と言われること自体です。石油を取り扱う会社はメジャーとかスーパーメジャーなどと言われるロイヤルダッジセールなどは、100年近い歴史を持ち、巨大なコングロマリットです。その会社が取り扱うのが原油ですから、原油が30年で枯渇するということになると、今のメジャーが生き残るのはせいぜいこの後30年だけということになります。
 もう少し厳密に考えると、残りがあと30年ということは2040年に石油が無くなることを意味していますが、原油は「採掘しようと思ったら翌日からとれる」というものではなく、油田を発見してから、国の許可を得てアセスメントをはじめ、設計し、道路や港湾施設を作り、精製工場を建設して出荷するまで約30年かかります。
 ということは「寿命が30年」ということはメジャーにとっては既に余裕の無いことを表しています。寿命が30年というのはメジャーなどが持っている油田の容量を現在の消費量で除した数字ですから、もし本当に30年で枯渇するなら既に大変なことになっているのです。

 むしろ「資源の寿命」は逆の傾向にあります。本当に石油が30年と言うことになると、メジャーは余裕がないので、急いで油田を探すと共に権益を確保するでしょう。結果としてメジャーが持っている油田の容量が増えますので石油の寿命は増えるという事態を招きます。つまり、資源の寿命というのは「寿命が短くなると、返って長くなる」という変な関係にあるのです。1970年に石油があと30年と言い、それから40年後の2010年に石油があと43年と発表されたのはそこに理由があるのです。
 専門家やコメンテータは「空気から利害をかんがえ、事実に至る」という思考を止めて、事実からスタートして欲しいと思います。誤報は多くの人生を狂わせます。

 株式投資でも事実からスタートすることが第一のファクターとなります。一過性の空気的事実や利害関係から生まれた仮想の現実を信じて投資を行っては、単なるトレンド投資に繋がり、関連の株式を購入した時点では既に偽資産バブルのピークとなった可能性も大きいことから、後は株価の下落を受けることになるのです。

<サイト管理人> 2012年9月4日記述



 【永遠の財産を作る為にはどうしたら良いのか】第151回

 アメリカの計画破産と言いますか、自己破滅的な金融学が基で、世界中が大きな被害を受けた2008年から随分の時間が流れました。この間に株式市場から実質的に退場した人々を私は多く知っております。
 確かにこのこと自身は不幸なですが、アメリカの金融工学が如何にいい加減かということを知ることができたことは意味のあることで、これを何とか活用したいと常々思っています。
 そのような中私が考えたのが、パニック相場におけるバスケット買い下がり投資方法でした。具体的な内容は以前のコラムをお読み頂ければ解ると思います。今年に入って1度タイミングがありましたし、前述のコラムの通り日経平均に追従している225採用銘柄をバスケット買いできた人は5〜10%程度の利益をあげられたものと思います。そこで売らずにホールドされた方もおりましたが、結果複数セクターで底割れ銘柄が続出し、多くの含み損を抱える結果となったようです。そうした人はロスカットをせず、底割れてしまった銘柄の株価を毎日気にしているようです。
 底割れ銘柄のそれたる所以は、大口の機関投資家の換金売りプラス膨らんだ信用買いのロスカット、そして信用売りにあります。大口ともなれば大手企業の5%以上の大株主で、その機関が手持ちの株式を全て換金するまで売り切るとなると、企業実態を無視した単なる資金繰りの状況になります。これではどこが底値であるのかわからず、いつかは来るであろうリバウンドを期待しても含み損が多すぎて普通の感覚を持った人にはロスカットどころの騒ぎではないでしょう。

 ところで、株式投資で得られるものはお金ですが、お金は永遠の財産にはなりません。ではどうしたら永遠の財産を手に入れられるのでしょうか。
 かつて、まだ男女共同参画と言われない頃、表現は上品ではないが的を得た四字熟語がありました。それは「永久就職」という用語です。女性の人がしっかりした男性と結婚します。それは下手な会社に就職するよりずっと良く、言えば永久に就職するようなものだという意味で使われました。差別的用語でもあり、女性が独立する機会を与えられなかった頃のことだから、もう使われませんが、なかなか含蓄があります。
 それと同じように財産で「これをやれば永久」というのはないのでしょうか?それがあれば、国債はもとより株の心配もしなくて済むのですが・・・。

 人生は長期戦です。だからヘッジなどは論外です。ファンド・マネーとかその他の金融商品は、もともと「他人のお金をかすめ取る」ことを目的にしていて、普通にお金がお金を生む限度を超えている為、道徳に反します。こんなものが長続きしてもらってはかなわないとも思います。その意味でリーマンブラザーズが倒産したのは悪いことではありませんが、現在も第二、第三リーマンが生まれてすっかり元の状態です。やはり現物買いを行う投資家の正義が報われない社会は良くないでしょう。

 だからといって銀行や郵便局に貯金したり、国債を買ったりしても、買った分だけ税金が増えるし、お金は賞味期限を過ぎて、人生に喜びや安心をもたらしてはくれません。
 だから「株に投資する」しかないが、それも値段があがったり下がったりしますし、本来、値上がりで儲けるものであるのに信用取引から相場は難しく変質しております。もっと確実で本質的な方法はないのでしょうか?

 私が個人的にお勧めする方法があります。
 やはり「富士山方式」が一番でしょう。世界に誇る日本の富士山。太平洋沿岸から見るこの山の美しさに勝る景色は世界広しといえども簡単には見つかりません。それほど美しいものです。だからよほど下手なことをしない限り、観光客が来ます。黙っていれば良いのだから簡単です。観光というのはお金を落とす。それもほぼ同じペースで長い間、続くから定期的な収入になってきます。
 この富士山方式は個人でも活用出来ます。人間は美しいものに憧れますから、身の回りを美しい環境にすれば自然に自分も豊かになります。人も自然と集まりだします。普通の人はそれに気がつかないので、家の中は汚い、事務所は汚れている、行動は粗野になりがちです。大半の人はそれを見て何も言わないでしょうが次第に足は遠のくことでしょう。

 美しいのはお金ではありません。こざっぱりした美しさは小額の資金でも叶うのです。美しいことに変わりがないばかりか、心から美しくなれるものとも思います。男女問わずそれが永遠の財産なのでしょう。

<サイト管理人> 2012年9月6日記述



 【短期投資家は底割れ銘柄を買ってはいけない】第152回

 そもそも「底割れ」とは、経済や金融マーケットで使われる言葉で、これまで下値の限界と思われていた水準を割り込むことを指します。似た言葉に「底抜け」があります。
 なぜ底割れが起こるのでしょう。株式に関して限定しますが、第一に相場全体が下落しているから発生することが考えられます。第二に個人及び法人が必要な資金を確保する為に保有している手持ちの株を売ることが考えられます。第三にマイナスとなる情報が一部の投資家に漏えいし、換金されることが考えられます。

 今回問題としたいのは第二の換金売りについてです。一般的にはお盆やゴールデンウィークなどの長期の休みの前には、休み中に大きな事件等が起きて相場が混乱した場合のリスクを減らすため、換金売りが起こりやすく、株価も下がりやすい傾向があります。また法人などの大口の投機筋が資金を得るために換金売りをすると、個別銘柄の底割れから相場が全体的に下落することが多々見られます。再三になりますが、換金売りとはお金が必要になったために株価に関わらず手持ちの株式を売却することです。金融が詰まったとき法人が資金を得るための換金売りを行うと、売りが集中する上に株価に関係なく売却する為いとも簡単に底割れが起こるのです。
 底割れた銘柄は安値覚え高値覚えで個人投資家には割安に感じがちです。しかし、換金売りとはある一定の株数を売り切ることですから、現物売りが終わるまでに株価がどの程度下落するかは誰にもわからないのです。また、信用取引による買いも併せて発生しますから、株価の下落に伴う投売りが更なる株価の下落を招くと言う結果になります。

 私は底割れ銘柄は買い入れの対象としておりません。仮に手持ちの株式が底割れた場合、そこで一旦売り、その銘柄には近づかない方法をとります。あくまで日経平均株価に追従している日経平均採用銘柄で利益をあげようとすることが目的ですから、底割れは大きなリスクを伴うのです。仮に底割れした銘柄がファンダメンタルズで見て割安であっても、指標上割安ということであり、売り手にとってはどうでも良い問題になるからです。

 ミクロの話となりますが、最近の日経平均株価は少しずつ下値を切り下げていますが、年初来安値銘柄は増え続け200銘柄を超えています。中には換金売りの対象銘柄も見受けられますが、欧州中央銀行理事会や米国の雇用統計発表を控えていることから、様子見感が強くなっているのですが、個別株のほとんどが下がるような下げではありません。市場の感じを見ますと、買い手がいないところに見切り売りが出ているような動きになっています。つまり個別銘柄に差が出ています。世界の景気減速懸念が高いこと、円高傾向になっていることからも下がる銘柄が下げ続けてしまうのでしょう。

 話が脱線しましたので元に戻しますと、二番底は黙って買えという格言があります。チャートでいう「ダブルボトム」を利用した買い入れ手法です。株価が下落して反発した後、再度下落して安値をつけたところを 「二番底」といいます。大底をついて反発後、上昇トレンドになることはほとんどなく、その後また下値を試しにいき、大底手前で反発すれば二番底形成となり、そこが買い場だというのです。二番底は売りを最終的に吸収する場面となることから、上向きのトレンドに転じれば勢いがつきやすくなりますのは確かです。大底の反発で買いを入れるよりもリスクを軽減させられ、多くの人に理解しやすい仕掛けのタイミングといえます。しかし私は二番底という考え方には反対です。それは見せかけの作られたチャートに踊らされる結果を招きかねないからです。

 あくまで日経平均株価が直近高値から10〜15%程度下落(下落日数の設定も必要)した状況からの日経平均採用銘柄の複数回のバスケット買い下がりをお勧めします。ここで肝心なことは日経平均株価に追従している割安銘柄を買うことなのです。短期投資が基本理念としてありますから、リバウンドを利用した投資が一番リスクを抑えた単純な投資に思えるのです。
 半年から数年という中期的なスタンスで望まれる方は二番底を形成したタイミングでの投資も良いのかもしれませんが、私はそれを行ってこなかったからこそ現在も現役の個人投資家として売買が出来ているのだと思います。私の株式買い入れの閾値は以前からのコラムにも書いてありますのでお解かりと思いますが、現在私は株式を保有しておりません。

<サイト管理人> 2012年9月10日記述



 【学校を卒業したら働ける環境を作ること】第153回

 なぜ、子供は小学校から高等学校まで、学校に通って勉強するのでしょうか?人間として必要な知識を身につけ、社会にでて立派な大人になるために勉強するということには誰も疑問を挟まないと思います。しかし、このところ日本は「不景気」が続き、就職率が低い状態が続いています。特に昨年から今年にかけて「おおよそ希望するところに就職できた」という大学生や高校生は60%、つまり半分程度です。それどころか「就職もできない」という子供が3割を超す事もあります。

 私は社会を構成する大人の義務の一つに「自分たちの国の子供が、学校をでたら働くところがある」という「環境」を作り出すことだと思っています。せっかく「学校を卒業しても働くところがない」というのは残念でなりません。結局今の環境では「勉強して将来は立派な大人になるべき」であるとか「額に汗して働いて自分の力で生きるべき」という大人の呼びかけは意味を持たないことになります。

 遠い将来は人間が働かないのが標準になるかもしれませんが、現在はほとんどの国民が何らかの形で働き、それによって日本が繁栄し、個人生活もまともになるという状況です。そのためには若い人の就職口が必要です。とはいえ、今は大会社が優れた商品を製造し、それを大量に安く販売するシステムもあり、さらには食事に関しても、チェーン店が整備されています。こうしたことから、なかなか個人レベルで食堂を開くことすら難しいのです。だから、「学校を卒業したら自分で仕事を始めるぐらいでなければ」という大人の意見は一方的で今の子供たちには酷なことでしょう。こうした言葉を使う人間は現実を見ていないといいますか、責任逃れをしているように思えてなりません。
 もし日本の大企業に「日本社会に対する責任感」が強ければ、あるいは社長や社員が自分たちの給料を5割カットしてでも、若い人を雇用すると思いますが、それを無策な大企業の指導者に求めることは無理でしょう。やはり残念です。

 私たち日本の大人は、物質的に大きな不安が無くなった今こそ、この遺訓をかみしめて一刻も早く「和を以て尊しとなし」、「万機公論に決する」社会を作るべきではないでしょうか。若い人がはつらつとして元気で、希望を持った社会こそ、なによりも「環境の良い社会」と思うのです。

 卒業してもすることの無い子供達が家に引き篭もる、もしくは昼間のバイト代を元にFXや無謀な手法による株式投資を行うことは健全な人間のすることではありません。まっとうな正業あっての趣味であり、副業なのです。つまり株式投資などというものは人生において優先順位の低い生活防衛の為の手段なのです。

<サイト管理人> 2012年9月15日記述



 【ニーチェの永遠回帰思想から株式投資を考える】第154回

 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェはショーペンハウアーの意志哲学の影響を多大に受けました。
 その思想は後の研究から三つの期間に分けられており、初期はショーペンハウアー的時期です。有名な著書である「反時代的考察」が代表作といってよいでしょう。そして過渡期にあたる中間期では「人間的な、あまりに人間的な」などの作品を残しました。私にはこの頃の作品が難しく思え、理解に苦しむ場面もあります。そして終末は円熟期と言われ、ツァラトゥストラ期と呼ばれます。「ツァラトゥストラ」などがこのころの名著です。彼の遺稿を集めて死後に出版された『力への意志』も、彼の哲学を知る上で重要な位置を占めているといって良いでしょう。

 以下に私なりに簡単な解説を加えますが、ギリシア哲学やキリスト教道徳の思想は「無意味で偽りに満ちたこの世界は、究極の目的、真理をもつ彼岸がこれを照らし出すことによって、初めて意味をもつ」と考えられていました。このような世界観は生を無意味なものとして否定します。ヨーロッパの歴史は、生の誹謗と感性の抑圧の歴史に他ならないのです。しかしこれは現代において崩壊します。つまりニーテェの言った有名な言葉の「神は死んだ」に繋がるでしょう。
 こうして生まれたのがニヒリズムです。ニーチェはこれを「至高の諸価値がその価値を剥奪されること」と規定します。神が死んだことによって、人々は己の生を意味づけることができなくなってしまうと解説したのです。これは受動的ニヒリズム、すなわち「弱さのニヒリズム」なのです。彼はこうした態度に警鐘を鳴らします。そして、新たなる価値の創造へと向かう「強きニヒリズム」へと革新してゆく必要があると説いたのです。強さのニヒリズムは「精神の高揚せられた力の徴候としての能動的ニヒリズム」であり、こうした積極性の中にこそ生肯定的な思想が生まれてくると考えられました。

 結局、ニーチェは従来のキリスト教道徳を批判し、価値判断の転換を試みます。そして彼は生の本質を生の維持、そして高揚を求める「力への意志」とします。こうした面では、ニーチェはショーペンハウアーの「生への意志」にみられる意志哲学を継いでいるでしょう。主観や客観、理性といった問題は力への意志によって作られたカテゴリーであり、仮象に他ならないともします。しかしその仮象の中であっても、ここから生の肯定を導き出すことに意味があるのです。

 また、ニーチェは「すべてのものは生成し永遠に回帰する―このことからのがれ出ることは不可能である」として、「永遠回帰」の思想を掲げます。つまり、世界は永遠に創造と破壊とを繰り返す「ディオニュソス的な世界」に他ならないのです。その原理は力への意志です。神が死んだいま、われわれがたどり着くような彼岸はもはや存在しないのだから、人間はニヒリズムを通じて、この運命を受け入れなければなりません。これは「運命愛」と呼ばれます。そしてニーチェは人間を「超克されるべきあるもの」とし、また自己克己を果たしたした最高の力への意志の体現者を「超人」と呼びます。超人は永遠回帰を完全に受け入れて生を肯定する、そのような存在の象徴なのです。

 永遠回帰の思想は輪廻転生に結びつく部分もあると思いますが、人生における様々な局面、ひいては株式投資における相場の膨れ上がりや収縮といったミクロな問題にも通ずるでしょう。達観視することは禁物ですが、大局に立ったものの見方をすれば慌てて投資を行うような愚かな行動に走ることは無いでしょう。マクロ的に見て大局とミクロ的に見た大局は別物であると同時に、先を読むことの難しさを実感できると思います。株式投資とはディオニュソス的な世界への第一歩であり、そこにおける成功者とは所謂「超人」なのかもしれません。

<サイト管理人> 2012年9月18日記述



 【日本の政治課題と物事の本質を考える】第155回

 前置きになりますが、私は大抵の選挙に行きません。選挙権の放棄をしています。ただし、行かないからには投票で選ばれた国会議員や首相に対して苦言を呈さず、その都度の政策に従うよう生きています。消費税の増税に対しては投資を行う立場からすれば歓迎であり、負担をする一国民としては歯がゆいものですが、取り立てて騒ぐものではないと思います。ある意味で流れに任せているとも言えますし、無責任とも取れます。ただ、社会的な義務だけはその一切を果たすことに重きをおいております。

 さて、話をタイトルに戻しますが、現在の日本の政治の主要課題は、
1)民間の活力を高めて日本を発展に導くのか、
2)増税して規制を強め縮小傾向にするのか、
が基本的な方向性で、さらに二次的には、
3)再軍備、あるいは核武装するのか、
4)エネルギー政策を民間主体にするのか政府が介入をするのか、
などであり、さらに農業問題、教育問題など三次的な課題があります。

 自民党はもともと「規制を緩めて民活路線」であり、民主党は「規制中心の縮小社会」のように見えました。しかし自民党が増税、民主党が増税反対で政策が逆になっていたことから、最初からねじれていたのです。民間の活動を促進しない、増税は行わないといった考え方から具体的にどのような政策があり得るのか、ほとんど議論されないままムードだけをマスコミが盛り上げ、そして政権が交代しました。
 二大政党の存在が大切と言いますが、ポリシーが異なってこそ意味があるように思います。顔が変わるだけでは何の意味も無いのでしょう。その点で「三党合意」というのは、前の政権と今の政権が最重要政策で合意することですから、政権交代は全くの意味を持たなかったことになります。

 多くの有権者にとって次の選挙は難しいと思います。候補者の公約が「減税」なら「増税」と読み替えなければなりませんし、「核の平和利用」なら「核武装」と思って投票しなければならないでしょう。2009年の民主党の公約はすべて逆になったのですから、次の選挙では有権者は「読み替え」がどうしても必要になったのです。
 今、選挙を控えてワイドショーでも政治を取上げた番組が増えているように思いますが、「口に出して言っていることと逆」ですから聞いていて疲れてます。話の度に、肯定を否定に、否定を肯定に翻訳しながら聞かなければならないからです。

 政治家は本来言葉が命です。2009年から現在までに言葉に偽りのあった政治家を与野党問わず認識すると共に、国民が「政治家の最低の要件=言ったことを大切にすること」を無視している候補者に投票しないことが新しい政府の誕生に繋がるのかもしれません。
 また、新しい政治団体は興味を引くのかもしれませんが、いつも「選挙の顔」が出てきて、マスメディアがもてはやし、素晴らしい政権ができたと思って1ヶ月も経ったら、今度は評論家が非難し始め、1年で首相が交代するということをくり返しています。実にトレンドに流されやすい国民性を持っているのだと考えさせられます。

 冒頭にあるように私は投票に行きませんが、多くの有権者がどういう選択をするのかを事前に考えると共に、結果がどうなるのか、自分の感覚が正しかったかそうでなかったかを測るイベントとして興味を持っております。これは株式投資に置き換えると、トレンド銘柄の動きを傍観することに似ているように思えるのです。トレンドの裏に隠された人間の心理や本質を知る貴重な機会とは言えないでしょうか。

<サイト管理人> 2012年9月22日記述



 【イエス・キリストから考える正義とは】第156回

 学生の頃、それは私も同じだったのですが、正義感にあふれ、「自分の考えが正しい」と思うものです。若いというのはそう言うことですから、それはそれで良いのです。

 歴史的に見て、イエス・キリストを3年で磔にしたのは人類史上、最大の損失だったでしょう。私には彼が人間に思えますが、この世に出現した人類の内で、1,2を争う人格者であり、最大の頭脳を持った人だったことは間違いないでしょう。

 2000年も経った今、全く信者でもない私が聖書を読み、その素晴らしい洞察力、人格、行動力に唖然とするしかありません。同じように深い感動を覚えるのは、伝え聞くお釈迦様の言動やソクラテス語録ですが、仏教哲学の知識が少ないこともあって、聖書はひときわ優れているように感じられます。

 私も時にバッシングされます。凡人である私はそんなときにやや落ち込まないでもありません。しかしそんなとき、私はイエス・キリストを思い出します。彼と私ではそれこそ天と地ほどの違いがありますが、それでも「あの偉い人でも3年で磔にあったのだから、私が被害を受けてもそんなのは小さいことに違いない。私もまだたいした事はしていないのだな」と思うと、心の負担は無くなっていきます。イエス・キリストの人生を思えば、多くのことは楽になります。すべての人の罪を背負ったと多くの人が感謝している理由も解る気がします。

 この世では辛い思いをしている人が多いでしょう。ゆえなく他人から非難され、身に覚えのないことで悔しい思いをすることもあるでしょう。しかし、世の中というものは正しければ正しいほど罰せられる、人間という生物はなにか欠陥を持っていて、その歪みをある特定の人にかぶせるクセがあるように思えます。
 人間にとって正しい人生を送ると正々堂々として楽でしょう。悪いこと、他人をおとしめることをすると後ろめたいものです。しかし、人間の集団は一人が正々堂々と生きることを許さないのでしょう。

 正義を振りかざせば負担は大きいでしょうが、それでもその人の正義を貫いてくれるように願います。それが本当に正義なら、イエス・キリストの受難と同じようになるのでしょうが、それは人間にとって誇りになり、やがて人間の集団も正しいことを受け入れるようになることと思います。

<サイト管理人> 2012年9月24日記述



 【憲法27条の勤労の義務と株式投資を考える】第157回

 憲法27条の条文を素直に受け取ると、国民は等しく「労働」につく権利を有し、同時にかならず労働をしなければならないということになります。
 「権利」という点では「私は働きたい」という意志を示せば、国家は必ず就職口を世話しないといけないことになるのです。このことは「義務教育」を考えると判ります。憲法が保障する義務教育というのは子供が教育を受ける義務があるのではなく、およそ親権者は子供が義務教育の年齢にある時には、たとえお金がいるからと言って子供を学校に行かせずに働かせてはいけないことを示しており、国家は子供の数だけ「義務教育」をする学校を揃えなければならないのです。
 現在はハローワークがあって、失業すると失業保険が支払われ、次に仕事を斡旋してくれます。一応、形式上は勤労の権利が認められているのです。

 それでは「勤労の義務」の方はどうでしょうか?「義務」というのは「イヤだから仕事をしない」というのが認められないことです。「納税の義務」があるのに納税しなかったら脱税で逮捕されます。それならば「働けるのに働かない」場合、勤労の義務に違反しているから逮捕されることになってもおかしくありません。だからいわゆるニートは「働けるのに働かない人」だから、当然、憲法の規定によって監獄行きになってくるのです。
 憲法で定めた勤労の義務に則して「勤労法」が制定されていて、教育を終わったすべての国民は労働をしなければなりません、もし労働につかなければ強制労働させる・・・という法律があってしかるべきなのかもしれません。「勤労の義務」は納税の根拠になるばかりではなく、「国家を保持し、運営するために必要は生産活動は国民が等しく分担しよう」ということです。「遺産があるので働く必要がない」と公言し、何も働かない人は日本国家を構成する一員としてはふさわしくない、と憲法は決めているのです。
 この点において憲法第9条と同じく、議論はあるでしょうが、勤労の義務の規定は一つの立派な見識です。日本に住む人の内、ある人が労働を強いられ、ある人が遊んでいるという状態はあまり感心しません。食料にしろ工業製品にしろ、皆が使うのだから皆で作るのを分担しなければならないのが本筋でしょう。

 かつて、日本にとって勤労は大切でした。生産は常に不足気味であり、国民が一致して労働を分かち合わなければなりませんでした。その頃は、「働いている人は大切」という気持ちがあり、学生や老人、まして働く年齢に達しているのにブラブラしている人は、肩身が狭かったものです。 しかし現在はどうでしょう。働く人を大切にするという考えを古いという人さえいるのです。現代でも「生産」は国民の基盤であり、それを税金と同じように国民でできるだけ平等に負担するのが良いのは考えるまでもありません。私はそれが人間の集団というものであり、みんなが分担することによって多くの歪んだ問題も解決するとさえ考えています。

 「働かざる者、食うべからず」という言葉は正しく、せめて「働かざる者、小さくなるべし」はもっと正しくはないでしょうか。もう一度、憲法に「勤労の義務」というのがあることを再認識し、まずは憲法の規定を守り、それから議論したらどうかと思います。

 株式投資は重要な蓄財の手段になりますが、何の生産性もありません。お金が行き交うだけであり、利益をあげる人がいれば、それだけ損失を出してしまう人が生まれるだけの場所なのです。私は株式投資を遊びとは捉えておりませんが、副業とも捉えておりません。一生懸命働いた対価を如何にして保全するかを考えた上で、望んでいるに過ぎません。ですから、年率数%程度の利益でも十分であり、それ以上のリスクを負う行為は謹んでおります。本コラムを通じて円高+デフレは悪くないと再三申し上げておりますが、多くの皆様が急激なインフレによる預貯金の価値の低下を引き受けるようなことだけにはなって欲しくないからです。まずは働き、生産をする。そして対価として自由を得る為のお金を手に入れる。そのお金が永続的に一定の価値を持ち続けることを願ってやみません。

<サイト管理人> 2012年9月26日記述



 【グロース投資の危険性について考える】第158回

 今更基本的な話になりますが、グロース投資とは未来に比べて今の方が割安な株に投資する手法といえますので、将来どのくらい株価があがるかを予想して株を買うことになります。言い方を換えれば会社の将来を買う投資方法で、その対象企業が継続的に成長していくことが前提となります。
 今現在における具体的な銘柄でいえば、ディーエヌエーやグリー、ぐるなびなどのネット関連株、MonotaROといったネット小売会社があてはまるでしょう。

 株式投資を博打と考えるならばグロース投資の方が面白いと私自身感じておりますし、長期・短期を問わず大きく儲けられる可能性がありますから、競輪や競馬のように豪快な投機方法となるでしょう。
 グロース投資をする際は、「未来の業績に比べて割安」「未来の業績に比べて割高」という日々のアナリスト情報やニュースをこまめに参照して売り買いの判断をすることが多いでしょう。これには多くの時間を割く必要があると共に、日々の株価を追い続ける為、ストレスの溜まり方も大きいものではないでしょうか。未来のことが解らない中でアナリストの予想を信じて投資することはそれだけリスクが高くなります。

 これに対して、ウォーレン・バフェットの唱えるバリュー投資は、ファンダメンタルズで総合的に判断して割安だから買うという方法になります。PBRを重視し、PERを次に捉えて実際の企業価値を十分に考察してから買い入れる銘柄を決める思慮的な投資手法になるでしょう。
 私の投資方法はバリュー投資+日経平均急落局面における225採用銘柄のバスケット買い入れですから、相場が大きく下がったところで買えば、買った後に大きく下がる可能性が低く抑えられると共に、投資に失敗した時のリスク(損失割合)を最小限に抑えられるというメリットがあると考えています。つまり、これまでのコラムでも再三申し上げたように、株価が下がるまで待ってから買うという方法になります。よって、買い入れをひたすら待つ投資になるので、買う回数が年間を通じて多くありません。面白さという点においては欠ける投資手法ですが、堅実な方法とも言い換えられるのではないでしょうか。日々の投資(情報収集)に使う時間は15分から長くても30分に抑えられることもメリットがあります。スマートフォンを肌身離さず持つような生活様式にはなりません。実際、私はガラパゴス携帯を愛用しております。

 株式投資を資産運用のひとつの大切な手段と位置付けるならば「バリュー投資」をお勧めしますし、損得抜きにして丁半博打の株式投資を楽しみたいならば「グロース投資」を選択することが個人投資家には向いているのかもしれません。
 グロース投資を否定する気はありませんが、対象となる企業は主力銘柄や大型株と比べて時価総額ベースで小さな会社が目立ちます。よって、大手の資金力のある企業が対象企業と競合する事業を始めれば株価の急落を招くケースも多くありますし、現在の目まぐるしい経済情勢や技術の発展を考えると、今この時だけの知識から成長株を選択することは難しいと思います。そうした意味においてグロース投資は危険な投資手法となるでしょう。

<サイト管理人> 2012年9月29日記述



 【マイナス思考とリスク管理、そしてプラス思考】第159回

 最近はマイナス思考を良くない思考パターンとして捉える傾向があります。売れ筋の脳科学者の本を読んでも心理学の本を読んでも内容は似たり寄ったりで、前者はデータを示し、後者は概念的な内容からアプローチしてきます。思い込みの激しい人はマイナス思考が鬱病に直結するとすら考えているようです。

 マイナス思考とは、物事の悪い面だけを捉えて考える性質を指しており、当人の体験に基づくところが非常に大きいように思います。人生においては相応に悪いことも起こりますし、確率的にそうした事態が重る場合もあります。そうした際、人はマイナス思考になりがちでしょう。また、そういう思考を重ねることによって、余計に物事が悪い方向に進む可能性もあります。思考は現実化することも多々ありますから、マイナス思考過多も問題です。
 さらに、マイナス思考に陥っている人の場合、他人を見て自分もそうなろうと思って努力するのではなく、ただ羨ましがる、或いは、自分が出来ない原因を環境のせいにしたりと、自分を悲劇のヒロインにしてしまうところがあります。これは、自惚れている人が自分が悲劇のヒロインになることによって、自分を慰めようとしているに過ぎません。しかしこういう人は、考え方そのものが最初から間違っている場合があります。或いは、客観的な判断が出来ずに、物事を悪い方向に偏って考えている可能性もあります。またそういう不幸を楽しんでいるところもあるでしょうから、こういう思考になっているんだという事を自覚できなければ、いつまで経っても悪循環から抜け出せないでしょう。
 しかし、マイナス思考のメリットというものもあって、非常に大きな問題に対する場合、悪い方向、つまりリスクを想定しておくことは、再起不能なダメージを避ける上においてとても重要なことになります。プラス思考ばかりで判断していると、物事を甘く見てしまう可能性もありますから、そういう点では、マイナス思考も使い方を誤らなければ、リスク管理の観点からとても有効になるでしょう。つまり、マイナス思考を利用したリスク管理から物事をプラスに働かせることができるのです。最近はマイナス思考によるリスク管理を軽視する傾向が強くなってきているように思えるのは私だけでしょうか。

 さて、プラス思考に話を変えますが、これは使う時期と使い方が大切になってきます。単純に全てを前向きに考えれば済む問題ではないのです。また、前向きに考えていることだけで人生が好転することもありません。人は現実からは逃げることは出来ませんから、幾ら前向きに考えていたとしても、私のように才能のない人間が些細なことで成果をあげる為には、それだけの努力と忍耐力を伴った総合力を永続的に身につけていく必要があります。さらに、自分がどれだけのことを成しえるかということを冷静に判断する為にもプラス思考過多は弊害をもたらします。
 しかし、一度決断したのであれば、そこから先は、迷う必要はありません。それ以降は計画的且つ全力出で成功を目指せば良いのです。この段階においてはプラス思考が自分のインスパイアに繋がり、良い循環をもたらしてくれることでしょう。仮に実行段階でマイナス思考をしてしまうと、計画をその都度練り直し、不安の中に身を置き、保身を思うあまり失敗してしまうでしょう。

 結局プラス思考を意識して使う時というのは、冷静な判断が求められる状況ではなく、既に実行を始めた状況からでしょう。株式投資において買い入れ条件を設定して実行、つまり私のやり方でいう買い下がりを始めた場合にはもうマイナス思考は必要ないのです。利益を生むにせよ、ロスカットになるにせよ、結果が出るまで不安に駆られること無く計画通りに平静に構えていれば良いのです。ここでマイナス思考が干渉すると早い段階で慌てて買い下がりを行うことになりかねませんし、中途半端なロスカットから利益を出し損なう結果になりかねないでしょう。

<サイト管理人> 2012年10月1日記述分




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