Column & Blog 11


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[No,1~No,39] [No,40~No,79] [No,80~No,119]
[No,120~No,159] [No,160~No,199] [No,200~No,239]
[No,240~No,279] [No,280~No,319] [No,320~No,359]
[No,360~No,399] [No,400~No,439] [No,440~No,479]
[No,480~No,***]

 No,400  【個人投資家が注視しなくてはならない指標としてのPMI】
 No,401  【外貨準備高というものの解釈に関する大いなる誤解について】
 No,402  【GDPとGNIから日本経済の状況を捉えることについて】
 No,403  【金融庁が地方銀行に対する現実を見据えた指導は評価すべき】
 No,404  【時間が無いという人は欲張りか単なる無能であることを自覚すべき】
 No,405  【公的年金積立金をリスク資産に向かわせるのは愚策であること】
 No,406  【政府が賃上げを要請するのはマクロ経済を無視した話であること】
 No,407  【新興国やユーロ圏の経済失速懸念から日本株安への流れについて】
 No,408  【空気を読んでは投資では勝てず、自らをも失くすことについて】
 No,409  【行政は「慎ましやかな国民にペナルティを科すのか」を考える】
 No,410  【東京電力の破たん処理こそ経済再生の先駆けであることについて】
 No,411  【今日も徒然とブログを : 本ページの立上げから3年が経ちました】
 No,412  【白川元日銀総裁の功績について正しく評価できる人はいるのか】
 No,413  【中華人民共和国の行く末は誰にも解らないからこそ個人は準備すべき】
 No,414  【NHKは国営放送であるものの、政府の宣伝機関になっている現状】
 No,415  【円安思考の日本人の大いなる勘違いについて改めて考える】
 No,416  【滋賀県知事選挙結果から考える政治家と国民の考えの乖離】
 No,417  【松坂牛の偽装に見る日本人の倫理観の変化について考える】
 No,418  【昨今の経済状況から考える悪いインフレ経済の弊害について】
 No,419  【大げさで煽った表現が自然災害以上の災害を生むこと】
 No,420  【空気よりも事実を伝える日本脂質栄養学会、日本ドック学会の功績】
 No,421  【未だに円安信者が多くいることと、国内生産回帰は不可能なこと】
 No,422  【御嶽山の噴火から考える権限者の責任の取り方について】
 No,423  【「省エネ」思想から考える自然発生的なデフレについて】
 No,424  【ノーベル平和賞を授与することの本当の意味について考える】
 No,425  【空気が読めないのではなく、空気を読まないことの大切さ】
 No,426  【安易に正しいと思い込む前に少し考えてみませんか】
 No,427  【日本銀行の手詰まり感の表れと政府の迷走について】
 No,428  【原状懸念すべきことは円安による企業倒産であることについて】
 No,429  【多くの人が感じるアベノミクスへの不安感の源泉について】
 No,430  【生活の内に充満する個性や平均について考える】
 No,431  【国債の貨幣化はどこまで続くかを憂う~アベノミクスの失敗】
 No,432  【事実を捉えるにはどうしたら良いのかについて】
 No,433  【個人に二者択一を迫る日本的な風習について】
 No,434  【イスラム諸国を理解できるのは日本教の日本人だけでは】
 No,435  【法人税率引下げは設備投資の増加に繋がらないことについて】
 No,436  【原油価格の下落からあれこれ考えを巡らせてみますと】
 No,437  【目新しい出口戦略など立てられず迷走する日銀総裁と首相】
 No,438  【やはり難しい個別銘柄への投資とバスケット投資の重要性】
 No,439  【「手元資金の自由度を奪う長期投資」をお勧めしない理由】

  





 【個人投資家が注視しなくてはならない指標としてのPMI】 第400回

 PMIとは聞きなれない言葉かもしれませんが、景気の先行きを示す重要な指標のひとつであり、製造業者の購買担当に生産意欲などをアンケートして指数化したものとなります。製造業の工場が生産計画をどのようにして立て、どれだけの資材を必要としているかに基づいた指数となります。PMI(指数)が50を超えると景気拡大局面であることを示しており、50未満である場合には景気後退局面であることを示しています。PMIは購買担当者だけでなく、原材料メーカーや機関投資家、ひいては個人投資家にとっても、景気動向を見極める上で重要な指標となっております。また、PMIはGDPと相関関係を示し国内総生産を約2か月程度先行するといわれています。過去の推移からは逆転現象も観られますが、概ね正しい先行指標でしょう。日本では、日本資材管理協会がデータを収集し、PMIを毎月公表しております。国際的には米サプライマネジメント協会が発表しているPMIが最も早く公表される指標として注視されております。また中国でも、国家統計局と物流購買連合会がPMIを毎月公表しておりますが、こちらは当てにならない部分があると思っております。

 さて、日本の製造業の生産高は5月に2ヶ月連続で減少しました。また、新規の製品受注と新規の輸出受注も引き続き減少しています。また、新規受注と生産高の減少率はいず れも4月の値を下回っています。それに対して雇用は5月に10ヶ月連続で増加しております。ただ、増加率は前月よりも小幅に留まっております。
 具体的な値を示しますが、主要指数である季節調整済みPMIは、4月の49.4から上昇して5月は49.9となっています。これにより、製造業の業況が4月の縮小から、ほぼ安定状態へと回復したことが示されました。なお、生産高は5月に2ヶ月連続で減少しております。4月と同様に、調査対象企業は消費税増税による需要の落ち込みを指摘していますが企業決算の大半が3月であることや消費増税を考えれば自然な成り行きでしょう。とはいえ、生産高の減少の勢いは前月から緩和し、新規受注も引き続き減少している点は気がかりなところです。調査対象企業の回答からは消費増税を理由に挙げていますが、新規受注の減少率はわずかで前月よりも小さかったことは特質すべき点でしょう。季節調整済みの新規受注数指数は変化なしを表す50.0の水準に近づいてもおります。
 ただし、5月のデータによれば、受注残は2013年7月以降の最大幅で減少しておりますから、この点も注視が必要です。生産高と新規受注の減少にも関らず、日本の製造業の雇用は5月に10ヶ月連続で増加し、企業が生産量の増加を見越して従業員を増やしており、強気の姿勢も覗えますが、雇用増の勢いは昨年11月以降で最小になりました。
 なお、購買数量は5月に2ヶ月連続で減少しました。調査対象企業はその理由として新規受注の落ち込みを挙げております。対照的に、購買品在庫は引き続き増加しております。ただしこの増加率は過去5ヶ月間で最小でした。

 これらの指数から先行きを予測することはできませんが、状況を踏まえるに期待するほどの景気拡大は起こらないものかと思います。息切れ感もありますが、個人投資家は日々の株価を追い続けるのではなく、月単位での情勢を見極めることも大切なことと思います。

<サイト管理人> 2014年 6月2日記述



 【外貨準備高というものの解釈に関する大いなる誤解について】 第401回

   外貨準備高という言葉を見るとその国が持っている金融資産を意味しているように感じられ、多いほど良いように思う人が多数ではないでしょうか。この考えは正しくもあり、間違えたものです。無いよりは良く、最悪の事態に自国通貨高に役立てるものですが、それを実行するには大きなハードルがあります。

 外貨準備高とは過去の日本銀行による為替介入によって積立てられたもので、冒頭に述べたように積立てられた外貨準備は、自国通貨の為替レートの暴落時に役立つものです。ただ、逆の捉え方をすれば、自国通貨が暴落する通貨危機の最終局面でもない限り、外貨準備は何の役にも立たないこととなります。通貨危機に直面すると、日本銀行は保有する外貨で自国通貨の買支えから通貨の価値を防衛することができますが、1997年のタイや、2008年のロシアや韓国などはこの法則より通貨防衛を行いました。タイは売り圧力に屈服しましたが、2008年におけるロシア・韓国の両国は自国通貨の破綻の食止めに成功しております。
 ただ、通貨危機に陥る可能性がない国の場合、外貨準備を多量に保有することに意味はありません。外貨の準備とはあくまで外貨であるため、国内の経済振興には役立たないのです。本来は国内投資に向けられるべき資金の一部が外貨準備として固定化しているわけですから、内需振興という観点からのみ考えれば全く必要の無いものです。日本や中国などの外貨準備が多額の国は保有する外貨準備の多くを米国債で運用しております。つまり、アメリカ政府にお金を貸しつけている構図となります。両国が保有する外貨準備を国内産業の育成に振り向ければ、膨大な米国債売り圧力が生じ、ドル基軸通貨制度を崩壊させるでしょう。つまりリーマンショックを上回る経済恐慌が待っているのです。さらに、外貨を自国通貨に両替するだけでも通貨高圧力が発生してしまうため、安易に国内経済に向けることはできない現状もあります。

 繰り返しですが、外貨準備高が多いことは、民間に活用させられる資産の多くを政府が保有し固定化していることを意味しております。経済の効率や民間企業の育成という面を考えると明確にマイナスなのです。確かに外貨の準備をファンドとして利用する考え方もありますが、政府の投資が成功する確率は低いでしょう。つまり、経営責任を追及されることが無いファンド投資が成功する可能性は民間ファンド以下になると思われます。

 中国における巨額外貨準備高の存在は、同国の対外資産に政府が占める割合が大きいことを意味しているだけです。民間企業の活力促進という観点からは、明らかに逸脱しているのです。しかし、日本のメディアに露出するコメンテーターの大半は「日本経済はもっと民間の活力を利用すべき」と言っている一方で「中国の外貨準備は世界一になっており、同国は一段と世界に対して存在感を高める」などと矛盾したメッセージを発しているのです。実に困ったものです。

<サイト管理人> 2014年 6月3日記述



 【GDPとGNIから日本経済の状況を捉えることについて】 第402回 

   ひとつの国の経済活動全体を表す指標として国内総生産(GDP)が良く用いられます。GDPという言葉を耳にしない日はほとんど無いのではないでしょうか。まず、国内総生産(GDP)と国民総所得(GNI)の違いですが、これは「生産」と「所得」の違いになります。理論としては「生産」=「所得」=「支出」となることから、名目では両者は概念的に一致します。ただ、もうひとつの違いは「国内」と「国民」の違いです。「国内」という規定はその国の領土に居住する経済を対象とするものであり、国内総生産には外国企業の在日子会社の生産も含まれます。一方で「国民」という概念は、当該国の居住者主体を対象とするものであり、国民総所得には居住者主体が海外から受け取った利子や配当なども含まれます。
 随分昔の話ですが、日本では指標として国民総生産(GNP)が用いられていました。しかし、グローバル化に伴う企業の海外進出が多くなることに追従し、国外での経済活動も加算されるGNPでは、国内の景気動向の把握に不適切ということで、1990年代からは主として国内総生産(GDP)が用いられるようになりました。
 その後、国民経済計算体系が変化した際に、国民総生産(GNP)の概念そのものがなくなり、類似したものとして国民総所得(GNI)が導入されました。これには海外からの所得の受取りを含んでいるので、生産測度よりも所得測度として捉えられるべき性格となっております。ちなみに、ここ20年程度の名目GDPと名目GNIをチャート化したものが以下の図です。

     

 上図からわかるように、リーマンショック直前からGDP及びGNIが10%程度下がっており、その後横ばいの水準を維持しております。ここには2013年分のデータがありませんが、2013年のGDPは478兆円でしたから、前年度とさほど変わるものではなく2010年レベルの値です。ただし、為替の問題を加味しておりません。なお、GDPに海外からの投資収益の受取を加えたものがGNIとも言えなくはありませんから、外国からの上がり、つまり投資収益は15兆円程度あるとも解釈もできます。よって、この収益が増えるほど日本は不労所得的なものが増えるとの考えも成り立つでしょう。国内雇用も大切とは思いますが、国内マーケットそのものが縮小していく現実を考えれば、GDPに対してGNIが大きくかい離していくことも日本の国際化を示すバロメータにもなってくるでしょう。大切なことはGDPを増やすことではなく、GDPを維持しつつGNIを増加させることに思います。
 現政権が掲げる成長戦略では、日本国内の徹底したグローバル化を進め、2020 年における対内直接投資残高を2012 年末時点の17.8 兆円から35 兆円へ倍増するという目標を掲げております。対内直接投資は新たな雇用を創出し、経済活動を活性化することなどから、日本が経済発展途上国的なニュアンスの国であると捉える人にとっては正しい政策なのでしょう。ただ、対内直接投資の増加は直接的には海外への支払いが増えることを意味するとともに、金融緩和による円安はGNIがGDPに近づく要因となることには十分な注意が必要と思います。株式投資をされる方は今後GDPだけでなくGNIにも一層の注目をしてみると良いのではないかと考えております。

<サイト管理人> 2014年 6月4日記述



 【金融庁が地方銀行に対する現実を見据えた指導は評価すべき】 第403回

   東京商工リサーチが5月12日に発表した4月の全国企業倒産状況によると、倒産件数は前年同月比1.6%増の914件でした。倒産件数は18か月ぶりに前年同月を上回ったとのことです。ただし、4月度の件数としては1995年以降の20年間では2番目に少ない水準で、依然として全体の基調は抑制された状況が続いていると見ても良さそうです。現状では2014年5月の推移がわかりませんが、5月26日から6月1日は倒産関連の話題が多い感がします。破産(準備含む)により倒産したのは、佐賀の元・パチンコ店経営「岡田商事」、長崎のまき網漁「まる川漁業」、東京のオンラインゲーム運営「ゲームヤロウ」、和歌山の老舗和菓子屋「駿河屋」、東京の健康食品販売「グリーンバイオアクティブ」となり、また、青森の元・清酒メーカー「エム・ケー・スリー」が特別清算の開始決定を受けました。一方、東京の日用品メーカー「白元」と東京の建設業「岩本組」が民事再生法の適用を申請したほか、佐賀のホテル経営「鳥栖観光開発」が債権者より会社更生法の適用を申し立てられました。この中で一番大きな倒産は東京都台東区に本拠を置く日用品メーカーの「白元」で負債総額が250億円程度となる模様です。その後6月に入って、日本振興銀行関連企業である、関西フィナンシャル・ポートが約86億円、日本フィナンシャル・ポートが約50億円、ウィンテグレータが約3億円、セールスサポート・ファイナンスが約17億円、店舗バンクが約5億円程度の負債を抱えて倒産の運びとなっております。
 倒産は何時の時代でも起こるものであり、現在倒産された企業にお勤めの方にとっては無念とも思われますが、仕方の無い部分もあるでしょう。ただ、倒産の内容が不況型倒産を引きずっていることは考えなくてはなりませんし、内需系企業が原材料の高騰に対して製品価格引上げが適正に行えない現状があることを観なければならないと思います。価格を上げれば良いではないかという単純な話ではありません。価格は世界で決まる時代になっているからです。

 しかし私にはなぜこのタイミングで金融機関は融資先の破たん処理を進めるのかという疑問も生じております。それは2014年1月に金融庁長官が全国の地方銀行の頭取たちに「経営統合などを経営課題として考えてほしい」と語ったことが関係しているとも思えます。就業人口減少に伴う本業の先細りの経営から抜出すために経営トップとして打つべき手を打てということでしょう。それを、すごみを利かせた声音で伝えたといい、思わず息をのんだ頭取も少なくなかったと言われています。長官が地銀の再編論者であることは地銀関係者にとっては周知の事実です。

 GDP比では17%程度の輸出企業ですが、これらは以前より生産拠点を海外に移しているため、今の日本は円安になっても昔のようには輸出が増えない経済構造になっています。また、国内に残る工場は生産設備の更新が遅れ、中小零細に至っては中国よりも古い設備を使っている所が多くあります。結局価格競争力が落ちているから円安でも輸出数量が伸び悩んでいる部分があります。そして、数量が伸びなければ生産が増えないことから、雇用も賃金も増やせないのです。貿易統計では輸出の数量指数が12月にやや持ち直したものの、通年では前年比1.5%のマイナスだったこともこれを裏付けているのではないでしょうか。 それは、円安によって輸出産業を振興し、雇用を増やし、賃金を上昇さるというアベノミクスのシナリオそのものが破綻していることを意味しております。これは以前のコラムにも記したとおりです。
 安倍首相が2012年度補正予算を閣議決定した際、「60万人の雇用が生まれる」と発言したことからもわかるように、アベノミクスではまず財政出動で需要を作り、雇用を生み出そうという発想が前提にあります。また、官民ファンドの設立など政府の資金で企業の競争力強化を図り、収益を改善させて雇用・賃金へのプラス循環に繋げようとしております。しかし、政府主導での産業競争力の強化には限界がありますし、現代においては企業の競争力強化がそのまま雇用や賃金の改善に繋がるわけではありません。理由はグローバル化とITを伴う生産の自動化でしょう。別の言い方をすれば、労働者の相手は最新鋭の生産設備ということです。2000年代に入ってからは、コンピュータや生産の自動化が効率的な生産を行なうことで企業は利益を上げてきた経緯からもそう言えるでしょう。そして、2000年代後半からこのデジタル化の動きに拍車がかかりました。日本の労働者にとっては新興国の労働者だけを比較対象にするのではなく、コンピュータや自動生産装置も競争相手となっています。
 さらに経済拡大路線を図る上で欠かせないのが生産のマニュアル化です。ほぼ同一の生産性を保つのに必要な方策であり、リスクはありますがスピードが求められる現在において企業にとっては必要なものでしょう。このマニュアル化によって同一の生産性を保つことが可能ですが、その代替として労働の価値を下げる結果に繋がります。誰にでもできることを可能にするからです。結果、非正規労働者を生んでしまっているのが今の日本の現状で、グローバル化が拍車をかけています。競争が厳しい業界ほど労働者はその憂き目にあい、マニュアル化が労働対価を下げるという皮肉な結果を生んでいるように思えます。

 地方の金融機関トップは優秀な方が多いと思われます。その地方銀行は今後迎えるであろう再編時に主導権を握れる財務体質を作り上げることに積極的でしょうし、営業以下経常、純利益とも好調な状況下で不良債権企業+不良債権化予備軍企業の清算をさらに促すのではないでしょうか。こういう書き方をすると銀行は悪者に思われてしまいそうですが、将来に備えた金融庁主導の地銀再編の一環であると思うのです。このスタンスは正しいものでしょう。なお、日本の大半は地方です。そして地方経済は地方銀行からの融資によって成り立っております。その地方銀行の経営状況が不安定化することは将来的に深刻な問題と思います。日本が成熟経済であり、製品やサービス価格が世界基準で決まる昨今、アベノミクス的な時代錯誤の政策には無理があると同時に、内需系企業の苦悩はさらに深刻となるでしょう。

<サイト管理人> 2014年 6月5日記述



 【時間が無いという人は欲張りか単なる無能であることを自覚すべき】 第404回

   忙しいとされる社会人の口癖に「時間がない」というものがあります。確かに、朝早く起きて通勤に長時間を費やし、日付が変わる頃まで会社に拘束されている社会人にとっては自由に使える時間は少ないことでしょう。私にもそういう時期がありました。しかし、私はそのような状況におかれても時間が無いとは感じませんでした。仕事が優先事項でしたから、それ以外のことはあまり重要ではなくどうでも良いことだったからです。
 そもそも「時間がない」と言っている人達は、事実自由な時間がないのでしょうか。私にはそうした人は欲張りで、権利を主張する無能な人として捉えております。

 誰もが何気なくよく使う「時間がない」という言葉ですが、それを使うほど本当に時間が無くなってしまうは多くの研究によって科学的に証明されているのですが、自分の口から発する言葉や口癖があなたの能力やモチベーションを低下させています。人間の脳は、口から発した言葉を実現しようとします。ですから「時間がない」と言ってしまうと、その通り時間がなくなっていると錯誤するのです。では、この呪縛から開放されるにはどうすればいいのでしょう。
 「時間がない」という代わりに「時間がないと思ったら、時間を作ればよい」だけのことです。具体的には自分の生活における重要な事象を書き並べ、ピラミッド型に組上げます。そして頂点に来るものが今一番自分にとって大切なことなのです。それが生きることの目的であり、それ以下の層に来るものはそれを支える手段であることを自覚しましょう。手段など何とでもなるのです。また、優先順位を定めることが不必要な作業を取り除くことにつながりますから、結果としてその分の時間を空けられるのです。

 多くの方は沢山のことを望みすぎているのではないでしょうか。子どもを一番に考えるならば、生活できるだけの対価が得られれば仕事自体は何でも良いのであり、勤め先のステータスなどは関係ありません。現在の職場はそのままにしたい、地位もそのままにしたい、所得も今までと同等としたい、でも子どもが欲しいという方さえもおられますが、その人は子どもの優先順位は仕事以下なのです。そのことを肝に銘じるべきです。何でもよこせというのは都合の良い話であり、本来優先順位をつけ、一番以外のものは全て目的ではなく手段となるのです。手段にまでこだわる人は無限の要素に対して諦めることをせず、自分で多くを抱えることにもなります。これでは前に進もうにも叶うはずがありません。
 時間などいくらでも作れます。別の側面から考えれば、不要なものは持たない、不要となったものは捨てるという行動も時間の確保に繋がります。部屋を整理し、必要物を毎回探すといった無駄な作業を減らすことに繋がると共に、自分に必要なものの把握にも繋げられます。不要なものを多く持てばそれらに対するメンテナンスに時間を取られます。片付け作業も時間がかかります。ですから家の中にあるものを整理することは時間の確保に重要なポイントとなるでしょう。

<サイト管理人> 2014年 6月6日記述



 【公的年金積立金をリスク資産に向かわせるのは愚策であること】 第405回

   安倍首相は田村厚労相に対し年金積立金管理運用独立行政法人(以下、GPIF)の運用資産の構成見直しを前倒しするよう指示しました。今後政府主導でGPIFの改革が加速する可能性もあると思われますが、株式市場では既に年金の運用姿勢が変化したとの見方も出ております。結局、政府は公的年金積立金の運用方針を変更させ、海外も含めた株式などのリスク資産を積増しする方向に舵を切れと圧力をかけているのです。私には単に経済対策の一環として年金積立金が利用されているようにしか思えませんが、息切れを見せているアベノミクスの中で放つ下手な鉄砲であることは事実でしょう。どこに飛ぶかわからない弾は低い確率で的に当たる可能性もありますが、当たるべきところにあたらなければ無駄になるばかりか、致命傷にもなりかねません。
 公的年金の積立金で株を買って株価を下支えすることや、外貨資産を買って円安を実現する手法は1990年代も繰り返し使われました。これを始めたのは宮沢政権だったのですが、当時の年金福祉事業団が運用する公的年金積立金の一部をバブル崩壊後の株価対策に使ったことは愚策であったと思っています。平成の高橋是清が今の状況の基を作り上げたのです。確かに公的資金の買いは一時的にみれば多少の効果はありました。需給に働きかける直接的なものだったからでしょう。当初はインパクトがあったのですが、効果があったといっても半年程度の短期間のものでした。

 桁違いに大きな資金を運用する参加者になったつもりで考えると、公的年金が運用方針の変更を理由に株を買増し、同時に株価が上がっているとした場合これをどう思うかです。運用方針の変更によるリスク資産(株式)の買いは、株式そのものに対する評価の改善が背景に控えた結果ではありません。必要な金額を買うまでは株価は上がるので逆らわない方がいいと周囲は判断するのかもしれませんが、後から見ればその上げ分は、企業業績自体が改善しないのならば無意味な値上がりになります。つまり、市場参加者にとっては公的資金の買いは売抜けに利用するのが賢い選択となります。そもそも、公的年金積立金を中心とする買いがこれまで上場企業自体の財務体質の改善に繋がる効果はほとんどありませんした。長期的な上昇トレンドの形成にプラスに働く効果がなかったとも言い換えられます。そして、国民から徴収した年金積立金には高値で買った株が積み上ることとなります。今回もこの似非効果を政治家が使おうしているのですが、1990年代の公的資金の買いは市場において大失敗を演じました。これから行われるかもしれない公的年金の買いが同様の道を辿る公算は極めて大きいものでしょう。過去の教訓があるにもかかわらず再び失敗を繰り返すのならば、資金の大きさからしても非常識を通り越したものとなるでしょうし、年金制度の事実上の崩壊を早めるばかりでしょう。

 有識者会議の報告書を受けて、厚労省は厚生年金の運用の基本指針について取りまとめる検討会を開きました。現在も公的年金財政の検証作業が進行中なのですが、先の検討会の指針とこの検証結果を受けて、120兆円を超える厚生年金・国民年金の資産を運用するGPIFが運用方針の見直し作業を政府主導で行う可能性があります。財政検証の経済前提は幅広く多くのケースを並べて数字に幅を持たせたものになるでしょう。何やら年金財政は問題ないと裏付けるために作り上げた架空の数字と思えますが、標準的なケースでの名目運用利回りは前回の4.1%が4.2%になっており、運用が目指すべきハードルは高く設定されています。このような数字を実現するためには債券投資を減らしてリスク資産での運用を拡大せざるをえません。GPIFの方針見直しは、来年10月1日に予定される年金一元化で運用前提が一体化する共済年金に加えて、民間の厚生年金基金の運用方針にも影響を与えることから、GPIFが動く額の1.5倍程度の影響があると見積ることができそうです。基本ポートフォリオである1%の見直しは単純にみて1.2兆円という巨額に相当します。個人も含めてプロと呼ばれる機関投資家の扱う金額をはるかに凌ぐものです。それをみすみす無駄に使うことは無いように思うのです。

 なお、公的年金の基本となるポートフォリオには、国内株式保有割合が何%といった基準値から上下に5%程度の許容乖離幅があります。運用の基本方針を決定する以前の段階でも、政府から圧力、あるいは政府からの圧力を年金運用機関が感じて許容乖離幅の上限近くまでリスク資産投資を増やすことも考えられます。このところの相場を観ていると既に起こっているのではないかとさえ感じられます。
 有識者会議の方針は株価指数であるJPX400に連動するファンドの購入なのかもしれませんが、デイトレを行わない個人投資家はこれを眺めるのが賢い選択ではないでしょうか。公的年金の買いを見込んで先行投資をしようなどとは一寸も思わない方が良いでしょう。当然ですが、公的年金筋の買いだけが市場の材料ではありません。相場の世界では公的資金の動きのような誰にでも分かるあからさまな情報に期待して儲けようというのは危険な行動でもあるのです。

<サイト管理人> 2014年 6月7日記述



 【政府が賃上げを要請するのはマクロ経済を無視した話であること】 第406回

   これまでのコラムでも賃金が上がるかどうかに今後の命運がかかっているとの内容を記述しました。一部の方からご指摘及び誤解を受けましたので、補足的に今回のコラムを記述しております。
 私は新しく生産性の高い産業(セクター)が生まれて付加価値の高い商品が作られることから賃金が上昇していくべきであるとの考えをもっております。労働市場全体で賃上げがなされるとは思っておりませんし、そのような状況は金融主導の悪いインフレの結果として起こるものだと考えており、生活レベルは豊かにならないと思っております。そもそも給料というのは労使間の交渉で決まるものです。また、市場の環境にも左右されるものです。ですから「法人税率を下げるから賃金を上げなさい」と政府が要請するのはおかしな話であり、株主配当を上げるのが筋でしょう。本来、賃金を上げれば原価が増えますから、法人税率を引き下げなくても勝手に法人税額は減るわけです。
 また、企業の利益が増えたから従業員の賃金を上げるという考え方は基本的に正しくありません。賃金が増えなかったからこそ企業は利益が増やせたのです。利益というのは企業の売上げから原価を引いたものですが、原価には賃金が含まれております。そもそも賃金というものは労働の生産性ないし、労働市場で決まるものです。よって、そのようなマクロ経済的な条件が無ければ賃金は上がらなくて当然なのです。もしそれに反したことをやれば企業の利益が減るばかりでなく、株主からは不満が爆発し、長期的には企業にとって大きな負担となるでしょう。ですから、政府が発信するメッセージは経済のメカニズムをまったく理解していないことが解ります。輸出系企業を主導とした経済再生を図る方策からすれば大きな矛盾が存在しているのです。以下は補足データとして記述します。

 製造業の従業員数は1995年度までは1200万人を超えておりました。ピークの1991年度には1300万人近くが就労していたのです。しかし、これをピークとして減少に転じ、2011年度には1000万人を割り込みました。2012年度と1990年度の差は269万人になります。経済が好調だった2007年度の間でさえも増えることはなく、また逆にリーマンショックで減少が加速されることもありませんでした。これに対して、非製造業の従業員数は一貫して増加しております。とくに2000年代初頭からの増加が目立ちます。おそらく介護保険の導入によって、このセクターの雇用者が増えたことの影響と考えられます。結果として非製造業の従業員数は1990年度の2236万人から2012年度の3141万人まで904万人増えました。これらのセクター間には大きな賃金格差が存在しております。2012年度における被雇用者1人あたりの給与は製造業で約440万円であるのに対し、非製造業は約338万円となっております。つまり、比較的高い賃金の製造業が縮小して、低い賃金の非製造業が拡大したことを意味しております。経済全体の賃金の低下はここに起因していると言ってもよいでしょう。
 また、金融保険業を除く従業員給与の推移を見ると、1990年代の半ばまでは増加しておりました。その後ほぼ一定の値でしたが、2000年代になってから減少し、2003年に底値圏となりました。その後増加し2006年以降はまた一定の値となっております。ここにはリーマンショックによる落ち込みが観測されないのです。
 さらに、企業の売上高に対する賃金の比率は、1990年代に上昇して1990年代の末にピークとなりました。しかし、その後2007年までは低下を続けました。そしてリーマンショック後は上昇しております。当たり前のことですが、給与は比較的固定的であり、好況期に利益が増えると売上げに対する比率が低下し、不況期時には利益が圧縮されることからその比率が上昇するのです。

 冒頭の繰り返しになりますが、賃金が上がるかどうかに今後の命運がかかっていることは事実です。それは新しい産業が生まれるという意味においてです。既存の産業では経済のグローバリズム化からモノやサービスの価格を国内の企業サイドが一方的に決められない状況となっているからです。新しく生産性の高い産業が生まれ、付加価値の高い商品が作られることから賃金が上昇していくのが本来の姿ではないでしょうか。マクロ経済を無視した政府の賃上げメッセージは一体何なのでしょう。

<サイト管理人> 2014年 6月8日記述



 【新興国やユーロ圏の経済失速懸念から日本株安への流れについて】 第407回

   新興国では金融バブルや不動産バブルが発生しており、中国では不動産バブル崩壊の一端が垣間見えているようです。このバブルは先進国の金融緩和に伴う資金が新興国に流入した結果として発生したものです。ここでいう先進国とはアメリカや日本、イギリスを指し、これらの国で行われた金融緩和策からの資金が入ったのです。中国のシャドウバンキングの問題もありますが、昨今、何かの気配ひとつでこの安定状態が崩れる可能性を秘めた状況が続いているといっても良いでしょう。
 また、ユーロ圏の失業率が12%程度で高止まりしていることも大きな懸念材料です。しかし株価は実態と乖離した状態が続いております。ユーロ圏では現状デフレ化する方向に向かっているようです。もちろんデフレそのものは限りなくゼロに近いものであれば良いと思われますが、各国の状況を見るとギリシャがマイナス1.9%、アイルランド、スペイン、ポルトガルがほぼゼロといった具合です。問題はここまで数パーセントのインフレ状態であった各国が急激な勢いでデフレ化していることではないでしょうか。あまりに状況が変わってしまったのです。このデフレ化はバブルの崩壊過程にあることを示しているようにも観えます。

 アイルランドは2007年に破綻しましたが、その後ギリシャ、ポルトガル、スペインといった国も崩壊状態になり、大規模な金融緩和の結果、異常な高金利状態となりました。こうなると一斉に国民は借金の返済に向かいます。その分消費や投資が大きく減ることとなりますから所得も減ります。当然政府の税収は減るため、緊縮財政+増税+公務員削減を行うこととなります。財政均衡主義を取れば当然このような流れになります。これも私は悪いことと考えませんが、そのペースが速すぎるのです。これらはドイツ主導で進められているようですが、別の言い方をすれば欧州中央銀行の政策となります。
 また、貿易赤字が経常的に膨らめば単純にその国の貯蓄が減ります。ドイツ以外は全て赤字国ですから、自国から資金が流失しており、それを止めるどころかEUはその逆の政策を進めようとしているのです。日本とは違う形態の経済圏(事実上発展途上国が多く含まれる連合)が採る方策としては正しくないでしょう。

 史上最高値をつけているドイツ等の株価ですが、新興国及びユーロ圏の株価暴落とユーロ安が何らかのきっかけで発生する可能性があります。実体経済が悪いにも関わらず、ドルがユーロに換金され金融資産に向かっている状況は行き場のないドルが生み出したバブルに過ぎません。いざこうした事態に際すれば円が買われると考えられ、企業のファンダメンタルズを一切考えないドルベースの投資家は日本株を即時に手放すことでしょう。今後公的年金積立金の買いも予定されますが、取引額で7割を占める外国人投資家の資金流出を食い止めることは出来ないと思われます。
 株高だけで評価される現政権には大きな痛手となるものと思われますが、誤った金融政策や無謀な財政出動、既得権益打破の流れを食い止めるには良い材料として捉えるべきかもしれません。日本は成熟経済の国ですから、財政均衡主義は正しい政策であり、既得権益も含めた公務員制度改革を進める良い機会になると思っております。
 補足ですが、FRBの金融緩和も今後の懸念材料として挙げられます。ユーロ圏の懸念+ドルの金利上昇は結果としてドル高及び円高に繋がり、今後株価に関しては悲観的なものになると考えております。ただし、円高は長期的に観てGDP比に対して8割以上を占める内需系企業を潤すことにも繋がりますから良いことです。実態に即した株価水準に調整されることは望ましいものでしょう。ここで申し上げたいことはFRBの金融緩和は失敗であったということです。アメリカも日本同様に実体経済に資金が向かわなかったのです。

<サイト管理人> 2014年 6月9日記述



 【空気を読んでは投資では勝てず、自らをも失くすことについて】 第408回

   上京の際、渋谷などに立ち寄るといつも感じることは、妙に開放的な気分にさせられ、これまでの何とも言いがたい束縛から解き放たれた感覚を得ることです。静岡県の地方都市と比較しているせいかもしれませんが、抑圧から解き放たれるような一種の快感がそこにはあるのです。10年前も、そして学生時代に来た20年前もこの感覚は変わりません。その理由を考えてみると、KY(空気を読めない)であっても誰も気にせず、相互不干渉の本来あるべき気質が介在しているからなのかもしれません。恐らく、他人に対して迷惑をかけなければ、何をしても良いという自由が存在しているのかもしれません。人からどう思われるといった小さい問題であるとか、誰かに見られているという制約を感じることなく生活できる雰囲気があるのです。
 街中を歩いていると、そのファッションの多様性には驚きます。センスに恰好つけた人もいれば、至極カジュアルな人もおります。日本人は小心から協調性を重んじ、相手の気持ちを推し量ることで心の安寧を得ようとします。こうしたことからとても「思いやり」がある社会に観えるのです。しかし、その代償として、自分のことよりも周囲のことを考え、場の空気を読むことに多くの時間を費やし、それに沿った行動をすることが求められているのです。日本教の日本人たる所以です。
 そもそもそんな「場の空気」とは誰が決めるものなのでしょう。何かひとつの決まった価値があるかのように思い込み、それに沿って何をすべきかを多数が考え、結果として時間を浪費しているのではないでしょうか。そんなことにエネルギーを使うくらいならばそれぞれが自由に自分の考えで行動すれば良いのです。ある価値を全員がシェアして、そこから外れると空気が読めないという世の中は何とも息苦しいものです。私は政治経済に関しては価値観の多様化を一切認めない立場をとっておりますが、特にファッションといった芸術的な側面に関しては自由であるべきと思っております。地方の常識は都会の非常識と思うことが良くあります。もちろん、都会の常識も世界からすれば非常識であることも多々ありますが、少なくとも自分のやりたいことを他人に迷惑をかけない限り自由にやるという風潮は人間らしさを尊重したものでしょう。

 株式投資でも多数の論理に流されることや、トレンドの後追いが多く観られます。ニュースが詳細になったこともそうですが、一部大手マスコミの作り出す経済動向の雰囲気が投資の感覚を狂わせていると思うのです。本来は投資家個人が各指数や失業率、GNI、PMIといったものをチェックし、それぞれが独自の経済感覚を養うべきで、そこから導き出される答えはおそらく同じものであるでしょう。マスコミの報じることに順ずるのではなく、自分が報道する立場、記事を書く立場に立って物事を考えれば解ることかもしれません。答えはいくつも存在したりせず、経済ひいては投資における正しさなどというものは自ら導き出すものなのです。感覚的に都合の良い部分だけをピックアップして自分の考えとしては公平な状況判断は一生できないでしょう。これでは投資に規範が生まれず、支離滅裂な行動を繰り返すばかりです。

<サイト管理人> 2014年 6月11日記述



 【行政は「慎ましやかな国民にペナルティを科すのか」を考える】 第409回

   昨年の夏頃からコアコアCPIである消費者物価指数がプラス圏になるなど、物価上昇の動きが顕在化し、かつ実質金利が低下しマイナスの状態になっています(名目金利=インフレ率+実質金利)。悪い金融政策による悪い物価上昇の流れを生み出した感があります。EUや新興国が不安定な状況にあることから、円安傾向が続くとも思いませんし、寧ろ円高になることを想定しておりますが、現状が良いとは理解しておりません。
 実質金利の低下局面は過去にも見られましたが、株価の上昇に繋がり、投資をしなければ預金の価値が下がることを示しております。老若男女の全てに投資を求めるのは健全ではありません。無理があります。投資に回す資金がある人にはまだ資産を増やす可能性がある問題でしょうが、それができない個人や世帯には厳しい状況といえるでしょう。

 株式投資に関して言えば、こうした局面ではどの銘柄を購入すれば利益を得られるのかという話になりますが、現状の株価水準では財務内容の悪い会社は公募増資の良い機会に繋がり株式の希薄化(株価の下落)が懸念されます。また、財務内容の良い企業は既に来季以降の業績も含めた株価になっているように感じられることから、今後の更なる上昇は疑問視されます。大規模な買収に伴う資金需要も想定されることから、本コラムを開始した当時と同じく、「利益確定売り+パニック的な売りの後のリバウンド相場」を狙った日経平均採用銘柄のバスケット買入れが良い方法と思います。その際に留意するべきことは日経平均株価と個別銘柄がキッチリと連動していることです。財務内容も大切な要素となりますが、それはスクリーニングをかけて絞り込めば済みます。

 話を現状の経済情勢に戻しますが、今のところ国内における実需は供給を押し上げる程の力を持っておりません。一部では設備投資が促進されているといった効果も聞かれますが、これまで控えていたものが消費税の増税タイミングと重なって増えた一過性のものと思われます。そもそも供給はデフレ下においても技術革新から緩やかに伸びていくものであり、需要が一定ならばそこには必ず受給ギャップが生じ、自然発生的に緩やかなデフレ状態となるのが必定です。それを通貨の価値下落から強制的に購買に向かわせる手法(実質金利のマイナス化)によりギャップを埋めようとすることには疑問が残ります。これまでの限りなくゼロに近いデフレ下では名目金利より実質金利が高くなるため、投資に向かう動きは弱く金融資本主義の抑制に繋がると共に、実態に則した株価を形成することが可能だったように思います。しかし、一旦インフレ経済に移行すれば名目金利より実質金利が低く抑えられるため、株式などリスク資産で保有資金を運用するインセンティブが大きくなってしまうことは認めざるを得ません。

 物価上昇率に関してはその算出に際してあらかじめ品目が決められ、乗数がありますので絶対的なものとはならない(数値に幅がある)上、実質金利の絶対的な水準も測れるものではありません。ただ、昨年秋ベースでのコアコアCPIがゼロまで上昇したことは、実質金利の低下傾向を決定づけたようにも思えます。これまでの状態ならば、個人は必要な消費を行い、あとは現金で持っていれば安心でした。限りなくゼロに近いデフレだったわけですから、健全な状態であったように思います。マイホームの必要な方は購入されるでしょうし、自動車が必要な方も自然に購入されるでしょう。多くの報道ではデフレ下では借金を返済し終わる頃には住宅の資産価値が著しく毀損するなどと言いますが、少なくとも地方の中核都市のベッドタウンに住む私からすると、資産価値の目減りはデフレによるというよりも、その土地自体の価値(生活利便性等)によるもので、大規模な金融緩和以前から駅前周辺を中心とした地区の土地価格は安定していたように感じております。もっとも上物の価値などは新築から15年もすれば金融機関の査定はゼロになることは当然なのです。それをデフレだから価値が下がるという言い方に擦り替えられては多くの人が誤解してしまいます。また、給与所得の増加が見込めない理由もコラムに記述しましたが、モノの値段が上がり続けることは生活レベルが下がることを意味しており、金融緩和そのものが何のための経済対策なのかまるで解りません。単に政府債務の希薄化(国債の日銀引受けそのもの)が目的と思えてなりません。

 そもそも、少子高齢化や日本企業の国際競争力の低下などといった日本が抱える問題を実質金利の低下が解決することはありません。むしろ実体経済よりもマーケットに対する効果が期待されるくらいでしょう。実質金利の低下は、株や一部地域の不動産などといったリスク資産への投資を促すことは事実です。実質金利の低下は貯蓄から投資に流れが変わる可能性を秘めておりますが、実質金利がゼロかマイナス領域に入ることは国債の魅力が低下することにもなります、現時点では、銀行など国内機関投資家の国債至上主義に変化は出ていないようですが、日本銀行は何がしたいのでしょうか。日本銀行は長期金利に関しては大規模な金融緩和によって低下すると言いながら、もう一方では物価上昇率が引き上げられることによって、長期金利が上昇すると言うのです。私たちが長期金利の将来に対する見通しがつかないのは当たり前です。ただ言えることは結果として現状の実質金利がマイナスになったという事実だけなのかもしれません。そして、預金という形で保有している人間にペナルティを科しているのです。

<サイト管理人> 2014年 6月12日記述



 【東京電力の破たん処理こそ経済再生の先駆けであることについて】 第410回

   3大メガバンクが最高益を更新した2014年3月期ですが、その一方で八方塞の福島第一原発の事故処理と原発再稼働の可否論争が今も続いております。政府は景気が回復しているとの報道をバックに原発問題の問題を放置したまま集団的自衛権の問題に固執しておりますが、福島第一原発の処理と再稼働の可否は日本における政治的な最優先課題であり、この問題には我が国の長期的なエネルギー政策も大きく関与してきます。東京電力の破綻処理を利用して、現在の電力会社及び供給のあり方をゼロから考えるのが本筋ではないでしょうか。金融機関及び政府は一刻も早く東京電力を破綻処理し、エネルギー政策のベースを立上げ、原発をどのようにしていくのかを早急に提言すべきです。私は原発再稼動に反対の立場ですが、仮に再稼動の方向に進んでもコストも含めた試算、政策及び安全管理体系全体が正しければ否定はしません。

 なぜ今この時期で東電の破綻処理を行うべきかの理由は、日本の主要産業の業績回復が数字上明確化されているからです。大手主要企業やメガバンクは、東京電力の大株主ないし取引銀行であり、政府との関係に支えられて東電問題の株主責任及び貸し手責任を免れてきました。メガバンクが東電の株主責任、貸し手責任を負うことなく過去最高益を計上しているなどというのは、電気料金値上げの形で利用者負担を強いられている者からすると許しがたいことでしょう。メガバンクの最高益はそのまま利益とするのではなく、東電破綻処理の資金として損金処理に使われるべきではなでしょうか。私は原発問題が何ひとつ解決を見せない現状を尻目に貸し手責任から逃げ続けているメガバンクが史上最高益を得ている事実をやるせない気持ちで受け止めています。

 東電の破たん処理は難しいことではありません。日本航空が採った方式で処理を進めればよいのです。電気は供給され続けますし、被災者の保護は破たん処理と併せて立法を行い、破たん再生過程の中で金融機関及び国が保護を引受けることで進められるでしょう。処理のメリットは4.5兆円程度の銀行債務が破綻処理されることで、政府出資の1兆円と差引きすれば3.5兆円分は利用者負担が軽減されるのです。金融機関に貸し手責任を負わせると共に、一時的とはいえ景気浮揚によるメガバンクの最高益を国民のために使うべきではないのでしょうか。東電の大株主(企業)も同様です。

 現在の電力料金値上げ頼みのやり方は利用者負担による東電の延命策に過ぎず、一番被害を被っているのは中小零細企業です。景気回復の実感が一部の大企業に留まり、製造を中心とした中小企業に景況回復感が浸透しない理由のひとつに電力コストの高止りがあります。東電破綻処理による電力の自由化加速、結果としての電力値下げは中小企業を潤すと共に、本来あるべき形の賃上げに貢献することでしょう。政府が企業に賃上げを要請し、製造原価が膨らむことから国際競争力が低下するようなこともなく、電気料金の引下げから発生する自然な賃上げは望ましいことと思われます。日本は何時になったら社会主義国から脱却できるのでしょうか。

<サイト管理人> 2014年 6月13日記述



 【今日も徒然とブログを : 本ページの立上げから3年が経ちました】 第411回 

   政府が2020年度までに基礎的財政収支を黒字化させることを公約として、消費税率を10%に引き上げようとしているのも財政運営の健全性を維持するためであり、悪いこととは思いません。税金で債務(国債)を完済することが通貨の信用を繋いでいるからです。ただ、現状の金融緩和政策から日銀による国債の市中引受けが行われ続けると、企業や個人は円を信用しなくなり、資産保全のために率先して外貨を保有する動きを今以上に進めるでしょう。昨今、投機も含めた円安の結果、輸入物価+国際的な資源価格が予想外に上昇して大半の国民は物価高に苦しむ状況になりましたが、このことは残念でなりません。円の価値は額面ではありません。そもそも消費税を8%に上げることを嫌がっていた人々は、それよりもはるかに大きい輸入物価の上昇に直面しているのです。この状況を多くの方々は理解しているのか疑問です。税金という言葉が大嫌いな日本人は意外なほど単純な計算ができません。
 実質金利がマイナスの状況では資産を預金のまま保管する人間の割合は減ると思われますが、その資金も実体経済には向わずキャピタルフライトを起こすか金融商品の購入に向うでしょう。相場にはトレンドがありますが、株式といった金融商品で利益を上げ続けることは簡単ではありませんし、十分な知識や資力が必要になります。不動産投資も大都市の一部地域以外では難しいものと思います。今後自治体が減っていくという予測が出ておりますが、それは街そのものが無くなるということであり、そこにある不動産には価値がなくなることを示唆しております。何でも買えば(投資をすれば)済む問題ではありません。また、投資先など簡単に選別できるものでもなく、証券会社や銀行の営業レベルの人間に解るものでもありません。利益が上がるのであればそうした機関自体が先行して商品を購入するでしょうし、それが行われているとすれば個人は損失を引受ける客になります。

 なお、以前にも記述しましたが、日本銀行は物価をコントロールできる前提として存在しており、物価の安定のために存在するものです。管理通貨制度は政府や中央銀行の規律によって、通貨の信用を築いていることから、一度その信用が崩れた際には通貨及び物価のコントロールは制御不能に陥ります。通貨を堕落させる操作には強制的なブレーキは無いのです。需要が供給を押し上げる形の自然発生的なインフレーションは悪いと考えませんが、政府による巨額な財政出動による従来型の公共工事主体の政策+日本銀行による金融緩和による強制的なインフレーションは副作用だけが残るでしょう。有識者はもっと積極的にデフレ解消の知恵を出すべきだと常々思っておりましたし、それが出来ないのならばデフレ下で成り立つ経済を考えることが筋であると思っておりました。ですから私は緩やかなデフレを支持しますし、今でもその考え方に変わりはありません。日本銀行は金融緩和を一日も早く止め、出来る限り従来の状況を取り戻して欲しいと思います。まだ間に合うのではないでしょうか。日本銀行が引受けた国債は国内の金融機関によって十分買受けられるレベルですし、それだけの需要があるのです。また、インフレーションが長続きするとも考えておりません。

 常々疑問に思っているのですが、日銀資金を使って政府が財政拡張をし、民間需要を刺激するという手法は国民に支持されているのでしょうか。これでは社会主義国家です。また、復興やインフラの再構築という言葉に隠されて、従来型の発展途上国的な財政出動を行うことは時代錯誤も甚だしく思います。産業機器のさらなるIT化やサービス産業の充実などから国内供給を増やすことは悪い考えではありません。しかし、モノに関しては世界中の労働市場の中から地政学的なリスク及び労働単価を勘案した国で生産されます。単なる通貨安から無理に輸出産業の製造国内回帰など叶いませんし、そのようなことをすれば企業の競争力を著しく毀損することになります。政府の賃上げ要請も意味がわかりませんが、強引な製造原価の上昇は企業の衰退にも繋がります。あくまで賃金は自然に上昇するのが望ましいのです。利益を上げた会社は従業員に一時金として還元するのが当たり前でしょう。

 かつての骨太方針は官邸主導で公共事業などの歳出を削減する有力な方策でした。小泉政権時代の06年はプライマリーバランスの黒字化目標とともに、歳出削減の分野別の数値目標も設定しておりましたが、今回の方針からはそうした意気込みは伝わってきません。
 人口減や高齢化も避けられない道ですが、高齢者の増加で社会保障費が膨張することを考えれば、負担をする若年層ばかりでなく老齢層もペナルティを負うべきです。特に医療費に対する社会保障額の抑制です。団塊ジュニアである私達世代には老後という概念は無くなるでしょう。人生を全うするまで働くか、言葉は悪いですが成年被後見人的な立場になって就業から離脱すること以外の道は無いはずです。女性の社会進出促進がしきりに叫ばれておりますが、まるで戦時中に駆り出された労働工に思えます。

 政府の過ちは政府に負わせるという考え方もありますが、その政府を樹立させたのは有権者です。ですから成人は皆が一応に税金という形で負担をすることを当然と思い、行政サイドは不必要な機関を統廃合する構造改革を進めていただきたいと思います。財政均衡主義を時代遅れであると一笑に付する人もおりますが、均衡主義すら取れない国に未来があるはずなどありません。

<サイト管理人> 2014年 6月14日記述



 【白川元日銀総裁の功績について正しく評価できる人はいるのか】 第412回

   2008年の9月にリーマン・ブラザーズの破綻がありました。同社の破綻は国際金融市場に極めて大きなショックを与え、金融システムが機能不全に陥ると、経済活動に極めて大きな影響を与えることを示したのです。金融システムの安定は空気のような存在であり、その重要性は日頃はあまり意識されませんが、この出来事ほど、安定的な金融システムが経済活動を支える重要な基盤であることを示す出来事はなかったように思います。日本はサブプライムローン債の破綻からリーマン・ショックまでの恐慌下であっても経済的には最小限の被害で済んだのは日本銀行の功績でしょう。
 この出来事は中央銀行の果たしていく多くの役割の幾つかを浮き彫りにしました。第1に、「最後の貸し手」としての役割です。日本銀行も「最後の貸し手」として迅速に行動していたのです。日本の場合、問題が最も先鋭に表れたのはドル資金市場であり、金融機関も企業も急速にドル資金が不足する事態となりました。このような状況に対応し、日本銀行はFRBから為替スワップ取引でドル資金を調達した上で、自国市場でドル資金を供給しました。円の金融市場のうち、銀行間資金市場は相対的に安定していましたが、CPや社債の市場については、信用リスクに対する懸念から急速に機能不全状態に陥ったため、日本銀行はCPや社債を買い入れました。これは個別企業の信用リスクを中央銀行が負担するという点で異例の措置をとっていたのです。このことを知っている人はあまりにも少ないのではないでしょうか。

 第2の役割は地味ではあるものの、決済システムの改善に向けた触媒役としての役割です。リーマン・ショックの6年前(2002年9月)に、外国為替の取引の決済、例えば、円とドルの取引の決済について、円とドルを紐付けて同時に決済するという仕組みが導入されました。仮に、そうした仕組みの構築が間に合っていなければ、リーマン・ショックが起きた時の金融市場の混乱は想像を絶するものになっていたと思います。日本銀行を含む各国中央銀行は、6年以上の議論を経て、この仕組みを導入することについて主導的な役割を果たしました。この点も十分な評価に値します。

 第3の役割はバブルを防止し、経済や金融の安定を図る役割です。リーマン・ショック後の低成長を経験するにつけ、改めてグローバル金融危機の根本的な原因である2000年代半ばにかけての未曾有の信用バブルがなぜ起きたのか、という問いに向き合わざるを得ません。しばしばバブル崩壊後の政策対応について、FRBは日本銀行に比べて積極的であったと言われます。しかし、バブル崩壊後これまでの6年以上の期間でみる限り、米国の実質GDPの回復ペースは1990年代の日本と比べても鈍いというのが実態です。厳密にどちらのパフォーマンスが良いかはさておき、重要なことは両国の経験が示すように、企業や家計の債務が膨張し、信用バブルが発生すると、その経済的コストは極めて大きいということです。バブルが崩壊すると、企業や家計は債務の返済を優先せざるを得ず、投資や消費に回るお金が減り、経済活動が全体として圧迫され、低成長が続くことになります。今では信じられないことですが、今回の信用バブルが崩壊する前までは、バブルとの関係について言えば、金融政策はバブルが崩壊した後に積極的な緩和政策で対応すればよいというのが、海外、特に米国の学界や政策当局者の間で圧倒的に支配的な考え方でした。つまり大事なのは「事後処理」だというのが当時の理解でした。バブル期に金融緩和が長く続いたひとつの理由は、わが国もそうでしたが、物価が安定していたことでした。1987年、88年はいずれもゼロ%台の物価上昇率でした。もちろん、信用は膨張し、資産価格も急上昇していましたが、そのような形で、経済に不均衡が蓄積して長い目でみた経済の安定が害される点は意識されていませんでした。バブルの発生原因は複雑であり人々の熱気としか言いようがない面もあります。金融緩和だけから生まれるものではなく、規制・監督だけで防げるものでもありません。しかし、バブルや過剰な債務の積み上がりを防ぐ上で、適切な金融政策や規制・監督の果たす役割が大きいことは言うまでもありません。今回の世界的な信用バブルに関連してもうひとつ私が感じることは、バブルや金融政策運営についても、僅か数年でこのように考え方が大きく変わったという事実です。さらに言えば、バブルと金融危機は繰り返し発生しているという事実自体を我々は忘れがちだという事実です。その意味で、政策当局者にとっては謙虚さを常に忘れてはならないということも感じます。現在の黒田総裁は就任早々切り札を切ってしまいました。そして物価安定という日本銀行の存在意義を否定する行為に繋がるものです。後に引ける状況ならば白川元総裁のロジックを継承すべきでしょう。日銀は通貨マフィアが総裁を務めるような機関ではないのです。

参考:白川元日銀総裁辞任会見

<サイト管理人> 2014年 6月24日記述



 【中華人民共和国の行く末は誰にも解らないからこそ個人は準備をすべき】 第413回

   これから先、中国がどうなるか?と聞いても明確に答えられる人はいないでしょう。小室直樹先生がご存命でしたら是非ともお伺いしたいところですが、既に故人です。現在までにアメリカとロシアも太平洋に北で直接国境を挟んでおりますが、紛争を避けるということで、これまで紛争に至ったことはありません。ロシアも日露戦争の過去がありますから、ウラジオストック(東方への拠点)と名前をつけたものの、実際には東方への進出の熱意は無いと言ってよいのかもしれません。

 中国の今後は二つの見方があります。第一はありきたりの見方で、中国が段階的に力をつけて太平洋に進出し、尖閣諸島、沖縄、南沙諸島、台湾を支配して、海軍が自由に太平洋に出られるようになることです。第二は中国が崩壊するという見方で、政治的には共産党の失敗と多民族国家の崩壊、軍事的には軍部の独裁と独走、そして経済的には投資ばかりが先行して消費が追いつかないことからバブル崩壊が来ること、などが懸念されています。既にマンションなどの投資物件のダブつきは報道ベースにも載っており、バブル崩壊途上にあるという識者もおります。
 第一にせよ第二にせよ、いずれもあり得ることです。もともと支那には、満州、内モンゴル、新疆ウィグル、チベットは入りません。中国共産主義が誕生した時に、偶然に中国に組み込まれた地域です。多民族国家と推定13億人という多すぎる人口で、もともと不満が鬱積しており、これを解消するために、天安門事件で見られるような強圧的な政治と、反日キャンペーンで補ってきました。しかし、反日キャンペーンも20年も続いたので、多くの人は疑いも持ち飽きも来ていることでしょうし、何か事件が起こると漢民族以外の人の責任にするという政府のやり方にも不満が鬱積し続けています。かつてはチベットが圧迫され、最近ではウィグルが犯人に立てられやすい環境になっているように思えます。さらに、軍事的には現在の習近平主席の政権は軍部を押さえられないとも言われており、南シナ海でのベトナムとの衝突や、尖閣諸島の日本との確執など軍部の先行が目立っております。軍事的なことだけなら問題も大きくならないのでしょうが、このような中国の行動が国際的な軋轢を生んでいるので、貿易などが停滞して、経済活動が低下し、国民に不満がたまる大きな要素になっていることは事実でしょう。さらには、先にも記したように投資を中心として進んできた中国経済がバブル崩壊過程に入った感じもあります。経済的に生きずまると資金がなくなり、国民は責任を政府に追及しますから、そこで政権が強圧的なことをすれば一気に崩壊する可能性も高いことでしょう。
 中央政府が混乱すると、その機会にチベットとウィグルが独立し、ついで内モンゴルと満州に飛び火するとも考えられます。すでに中国の富裕層が逃げ出しているという情報は多いように観られます。

 もともと中国は、明の時代の領土がその典型的なもので、北は万里の長城が北京の北にあって、それから北は満州とモンゴルという括りでしたし、現在の新疆ウィグル、チベットなども支那ではない地域でした。もとより台湾も支那の範囲に入っていたことはなく、日本軍が撤退した後、不法に占領された地域です。
 また、最近中国中央政府がウィグルを圧迫していますが、もともとウィグルはイスラム教徒で、民族的には中央アジア系、トルコ系でまったく中国とは違うといえます。下に清が滅びて中華民国になったときの地域の区分を示しますが、現在の中国領土とかなり違うことがわかると思います。

 中国が発展するか、崩壊するか、今のところ五分五分であり、どちらに転んでも良いように準備しておく必要があるでしょう。つまり、中国がこのまま繁栄を続け、アメリカが後退したときには、中国の軍事的圧力が高くなりますから、それに対して十分な対抗力をつけておく必要があります。
 もうひとつのケースは、中国が崩壊してしまうことで、それによって大打撃を受けないように準備をしておくということです。このふたつについて本当はマスメディアを中心にしてかなり盛んにディスカッションをしておく必要がありますが、現在のマスメディアではそれは難しいので、個人である程度考えておく必要があるでしょう。
 最近の報道では、中国とはこういう国だという凝り固まった解説が多く、その多くは中国がひどい国だというものですが、中国と日本は国家体制や歴史がかなり大きく違うので、中国という国を日本基準で考えることはできません。それにいつまでも中国はひどい国だと言ってみても意味がなく、それより何をしておかなければならないかの方が大切でしょう。これは個人投資家にとっては必要不可欠の準備に他なりません。

<サイト管理人> 2014年 7月2日記述



 【NHKは国営放送であるものの、政府の宣伝機関になっている現状】 第414回

   これまで生きてきた中で、あんなことを言わなければよかった・・・なぜあんな言葉が出てしまったのだろう・・・と何度思ったことでしょう。人には発した瞬間から取返しのつかない言葉があります。口からでたものは取消しができず、そして相手の耳に入りその心を破壊してしまいます。破壊してしまった心は二度と戻ることはないのが大半の人間であるというのが私の考えです。

 以前、NHK会長が就任にあたって「政府が右と言えば右、左と言えば左」という放送をすると明言しました。この言葉は取返しのつかない言葉のたぐいで、今後何度この発言を否定しても、同じ人が会長である間はNHKの報道は行政側の国営放送であり続けると思います。さらに、この発言から半年以上経っても会長が辞めないことから、NHKは国営放送であることを日本社会とNHKの内部で承認したことを意味するのではないでしょうか。

 放送法の第4条には、
 1  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2  政治的に公平であること。
 3  報道は事実をまげないですること。
 4  意見が対立している問題は、多くの角度から論点を明らかにすること。

とあるわけですから、会長の発言は「法律を破ります」と言っているのと同じで、NHKは順法精神を持たないことを宣言してしまったのです。つまり、この会長の発言は、NHKが国営(行政)放送になったこと、NHKは順法精神を持たないことのふたつであって、知識のある人々の心を破壊しましたから決して元には戻らないでしょう。その会長が半年以上も在任しているのですから、内閣も国会も司法もNHK幹部も社員も、そして多くの日本人も同意しているのでしょう。私にはどうにも理解が出来ません。
 会長が代わらないのは安倍政権がNHKを国営放送にすること、法律軽視のふたつで戦後の日本の体制を一気に変えようと思っているからだと解釈できます。自民党はもともと正々堂々と正面から選挙に勝って憲法を改正するのが立党趣旨だったように記憶しております。しかし、現在の自民党は集団的自衛権などで見られるように「民主的手続き」は日本では成立しないと考え、メディアと国会議員の数の力で「自民党が正しいと思っている社会」へと進もうとしていると考えられます。それにはNHK会長の人事はもっとも大切で、その人に「回復せざる発言」を求めていると考えるべきでしょう。

 かつて民主党の政権時代は選挙公約の主要部をすべて実施せず、増税など選挙公約と逆の政策を実施したという点で日本の民主主義を破壊しましたが、自民党は「メディアを手なずけ、法律を軽視する」という手段で民主主義を否定しようとしております。経済政策の破綻、憲法の改正手続きを踏まない大掛かりな解釈改憲などというものはありえないことで、そうさせてしまったのは国民の投票の結果なのです。私は自由民主党の支持者ですが、この政党には様々な考えを持った人間が集まっております。かつての族議員などはその方面で優秀な人材でしたが、それぞれが専門的な知識を有しており、党本部自体も十分に機能し政策発案能力がありました。しかし、現在の自民党にはその面影はありません。残念なことです。

<サイト管理人> 2014年 7月6日記述



 【円安思考の日本人の大いなる勘違いについて改めて考える】 第415回

   日本人の大半は円高より円安を望む傾向があるようです。その理由は輸出大国ニッポンという概念であり、円が安い方が有利と思い込んでいるからです。この前提、考えをそろそろ変えて欲しいと思う今日この頃です。まず、輸出大国ニッポンという間違いです。日本の輸出依存度はせいぜい17%程度です。日本は80%以上を内需に依存した国家なのですが、学校の教科書で輸出の国であるとか資源がないから輸出で稼ぐしかないと教え込まれてしまったイメージが強すぎると感じております。
 電機メーカーや自動車メーカーにとっての輸出ですが、電機メーカーは先の円高時代に素早く知恵を出し、対応した結果今や為替がどうなろうが影響を受けにくいようになっています。自動車業界も現地生産を押し進めておりますから当然その方向にあるはずですが、産業自体の裾野が広いため、対応がそこまで早くなされないのだろうと考えられます。つまり、日本は内需国家であり、輸出産業は現地化の発想で海外にその拠点を数多く設けるとともに円建て取引を行うことやヘッジなど様々な工夫をして為替リスクを抑えこんでいます。こうなると円安になるメリットはあるのでしょうか?

 以前にも指摘しましたが日本の輸出産業はプラザ合意以降、そして2008年を境に体質が変わりました。日本からの輸出では価格競争力がない、現地の人にとって魅力的な商品が生み出せないなどの理由で輸出産業の空洞化現象が発生しました。そして2012年までの円高局面でその傾向に拍車がかかった経緯があります。この結果、日本は円安になっても輸出は増えず、輸入額ばかりが増える事態となったといってよいでしょう。言い換えれば2013年の輸入は前年比増17.3%に対し、輸出は前年比増10.8%なのですが、この差は円安になった分の日本の負担増だったと置き換えても良いと思います。仮にそうならば貿易収支は2012年程度の5兆円台程度の赤字水準に収まったのではないでしょうか。つまり8兆円が円安負担分と考えられます。

 ところで日本企業が買収する海外企業については為替水準には良い面と悪い面があります。買収する際は円高であるほど円ベースでは安く買収できます。一方、先方からの収益は円安であればあるほど大きな収入になります。海外収益を日本の親会社が計上するのはあくまでも決算の話であり、実際にその収益をキャッシュとして送金するかどうかは全く別の話でしょう。為替が悪いなら将来の投資のために配当などせず、現地で再投資するのが普通ではないかとも思います。

 日本の生産構造の変化、経済の成熟性を観た上で長期安定性を考えれば本来ならば円安より円高の方がよいでしょう。アメリカが長らくドル高政策をとっていたのも同様の理由です。つまり国内競争力がなくなったからドル高で海外企業を買収しやすくし、結果として世界の有力企業を買収する戦略です。もう一つ、国防の点からも円高の方がよいかもしれません。円安は海外から日本に資金が流入し、外資による不動産などの買いあさりが生じます。島一つ、村ひとつぐらいの不動産購入はより容易くなるのです。80年代後半の日本がアメリカを買収すると騒がれたあの不動産バブル時代のアメリカの批判の意味はそこにあります。日本は輸出大国ではないという認識を国民が持ち、為替の影響について再考するには良い切掛けになるのではないかと思います。

<サイト管理人> 2014年 7月9日記述



 【滋賀県知事選挙結果から考える政治家と国民の考えの乖離】 第416回

   先日行われた滋賀県知事選挙は自民党の一党独裁と言われる中央政界に一石を投じる結果になったようです。安倍総理は本日の国会審議でも、集団的自衛権行使容認を「日本の平和のため」と強調しておりますが、これは国民の意見を十分に聞いた上での判断ではなかったことを裏付けた結果とも言えそうです。本知事選挙は大方の予想を裏切って、嘉田現知事の推薦を受けた候補者が勝ったわけですが、自民党と公明党が推薦する元経産省の優秀な人間は僅差で落選しました。結局この選挙は当然のことながら結果というものは、「正しい結果」を示すことを表しました。以下、今回の選挙結果から言えることをまとめますと、

○ 地方選挙とはいえ、自民党の政治に疑問を呈した。

○ 2009年の民主党が勝った国政選挙、2012年の自民党が勝った選挙の後、ともに国民は「なぜ、自分たちの選んだ政府が自分たちの希望をかなえてくれないのだろうか」という痛痒感、つまり背中が痒い感じを持っている。

○ 原発の再開に国民の過半数が反対なのに強引に再開しようとしていること。

○ 集団的自衛権をもう少し議論したいと国民の過半数が感じているのに強行的に進めていること。

○ 原発再開も集団的自衛権も、複数の世論調査で過半数が反対であることを繰り返し示されているのに、国民は無能だから説明すればわかるという感覚を政治家が持っていること。

○ 希望を叶えてくれそうな素人と、専門家でもこちらを向いていない政治家のどちらを選ぶかというと、素人になること。

 かつて石原元東京都知事が、ガレキの焼却を心配する人たちに「黙れ!」といい、宮城県知事は「県民は数字が分からないから、ただ安全か、危険かだけを言えばよい」と切り捨てました。しかし、現実はガレキの処理で汚染された土地からとれたコメが基準値を超えて農水省が出荷を停止するという悲惨な事件も起こったわけです。
 国民はできることなら専門家に政治をしてもらいたいでしょうが、専門家が国民をばかにしている間は繰り返し、今度の選挙の結果のようになるでしょう。嘉田知事は政治の素人だったと思いますが、今度、当選した人は議員の経験もありますが、やはり対立候補のほうが本当の専門家であることは確かです。しかし、それでも自民党が敗戦に追い込まれた原因の基本は立憲制の元の「民主主義」なのに選挙を楽観視し、「選挙で当選した人なのに」、選挙民をバカにするということにあるでしょう。民主党もそれで崩壊した経緯があります。勝ちすぎた自民党政治の修正は近いのでしょうか。また、株価に依存した政権の基盤は揺るがされるのでしょうか。

<サイト管理人> 2014年 7月15日記述



 【松坂牛の偽装に見る日本人の倫理観の変化について考える】 第417回

   小学校で道徳の教育を始めるという報道がありました。賛否両論もあるようですが、教育学修士の私としては疑問が残ります。そもそも子供に道徳を教える前に、大人が道徳を守れる社会でなければ効果がないと思うのです。今回はそれを踏まえてブログを書いております。

 先日、愛知県を中心に店舗を展開している創業60年以上の木曽路(しゃぶしゃぶ店)が「松坂牛」といって「普通の牛肉」を出していたことが判明しました。今のところ、その規模は7000件で、普通の牛肉との価格の差は1500円と説明されております。昨年来、レストランなどが食材を偽って出す事件が続いていて、食を提供する仕事の倫理観が問題になっていましたが、木曽路ほどの名店が偽装をしているのはかなり驚きました。そんなことをしなければ経営が成り立たないのかとも感ずることしきりです。しかし、もっと驚いたのはその対応内容です。2014年8月15日に木曽路サイドが記者会見を行ったのですが、私にとっては日本の商業道徳もここまで落ちたかという感じがしました。確か社長が言われたことは、次のふたつです。

(1)木曽路は松坂牛でない普通の牛肉も十分に美味しい。
(2)松坂牛は7000円、普通の牛肉が5500円だから、申し出た人には差額の1500円を現金で返す。

 これらは、私の感覚とは全く違うものです。もし松坂牛と木曽路で出している普通の牛肉の味が同じなら、お客さんにはより安く味が同じ牛肉を出すべきで、「当社で取扱う牛肉は松坂牛と同じ品質です」と言えばよいのです。それでも松坂牛を望むお客さんには「味は同じですがブランド物ですから1500円余計に頂戴します」と言うべきでしょう。松坂牛と思って食べたお客さんからしてみれば、詐欺行為を受けたのと同じことではないでしょうか。会社が詐欺をしても差額だけ戻せば済むということになるのなら、何でも詐欺をして高く売り、発覚したらその差額が払われるということで、詐欺をした会社(人)はまったく損をしない構図が出来上がります。お客の方は騙されて大切な時間を割いて一回の食事をしたのですから、計り知れない損害なのですが...。

 少々ノスタルジックになりますが、江戸時代末期にある旅行家が日本に来て、日本の渡し船が「ふっかけない」ことから驚いたようです。渡し船に乗る人はおおよそ「通りすがりの人」だから騙しやすいにもかかわらずそうしなかったのです。普通の国は2倍ぐらいの金額を提示するのに、日本の船頭は誰にでも同じ金額を言うので感心させられたようです。多くの国、特に中国などがそうですが「騙される方が悪い」と考えますが、日本は「騙す方が悪い」という文化が根付いております。
 普通なら謝り、無料にするのが日本の商業道徳ですから、一定額を返還するにしても差額を返還するにしても私の感覚には合いません。味が同じならブランドを信じる客が悪いといった、詐欺に遭うのは当然だという理屈を持つ国もありますが、日本までもがそうなってしまったのでしょうか。再三ですが、差額だけ返すという報道が正しければ、詐欺をした方が得をするという見本を示すことになり、子供に道徳を教育することもできないので、せめて全額を返すようにしてほしいものです。私は値段や品質より店の誠意を食べたいと思っております。

<サイト管理人> 2014年 8月26日記述



 【昨今の経済状況から考える悪いインフレ経済の弊害について】 第418回

   2013年4月に日本銀行の黒田総裁はデフレを不況の原因と指摘し、2%のインフレ目標を設定して大規模な量的緩和策を開始しました。黒田氏の考え方に沿えばデフレが不況の原因であり、デフレを脱却すれば不況も終わるというものでした。しかし、それから1年以上が経って景気は良くなったのでしょうか。
 少々前の指標ですが、5月の消費者物価指数上昇率(総合)は3.4%。消費増税の影響2%を引いたコアCPI上昇率は1.4%で、「デフレ脱却」といっても良い値となりました。私は為替要因に過ぎないものと考えておりますが、それはさておき、デフレが不況の原因ならば景気は良くなるはずです。しかし、総務省の家計調査によれば、5月の消費支出は前年同月比で8.0%も下がりました。この値は東日本大震災直後と同じ下落幅です。増税の影響は織り込み済みであり、大した影響は出ないと思われていましたが、これは想像以上に大きいものではないでしょうか。問題は増税による一過性の落ち込みなのか、それとも景気の悪化が始まったのかということです。政府はこれを「3月に駆け込み需要で7.2%も消費支出が増えた反動」釈明しておりますが、実質賃金の低下から消費の落ち込みが年単位で長く続く可能性もあります。なお、5月の実質賃金は前年比で3.6%も下がりました。名目賃金である現金給与が0.8%しか上がらなかったので、消費増税がそのまま実質賃金の低下になったといえるでしょう。このことは、人手不足が叫ばれる割には、経済全体の労働需給はそれほどタイトになっていないことを示しています。特定の業種に偏っているという言い方もできるでしょう。要するに貨幣価値の下落による悪いインフレの流れと増税による実質的賃下げが発生し、それが消費支出の減退を招いていると言えるのではないでしょうか。
 ただ、その責任は黒田総裁にはありません。彼の「異次元緩和」は単なる財政ファイナンスで実体経済への影響がなかったわけであり、これは以前から想像した通りだったからです。5月のエネルギー価格を除くコアコアCPI上昇率は0.2%ですから、デフレ脱却の原因はエネルギー価格上昇だったことを示しています。

 黒田氏が総裁に就任したのと同時に物価が上がったのは偶然だったのでしょう。原因は、以前のコラムでも書いたように、2009年以降、「輸出物価指数/輸入物価指数」が急速に悪化したことです。2000年代に新興国の旺盛な需要で原油などのエネルギー価格が上昇しました。他方、日本の輸出する電機製品などの価格は競争の激化や技術革新であまり上がらないため、輸出物価が下がって輸入物価が上がったうえ、リーマンショック以後でみると、原油価格が2.5倍になっております。さらに、安倍政権が円安を促進したため、交易条件は30%も悪化してしまいました。グローバル化からアジアとの国際競争も激しくなり、中国の実質賃金に日本の賃金が引き寄せられる現象が続いております。このため1990年代後半から名目賃金は1割以上も下がったのですが、デフレで実質賃金はそれほど下がらなかったのです。しかし今回の悪い「デフレ脱却」によって、実質賃金が大きく下がり始めました。

 実質賃金は労働需給で決まり、労働需要は成長率で決まります。建設や外食産業以外の労働需要がほとんど伸びないのは、日本経済が供給力の飽和を迎えたためであり、追加緩和をしても改善できるものではありません。日銀にできることはもうないのです。必要なのは生産性を高めて潜在成長率を引き上げることであり、それは2000年頃と変わりません。

 当然のことですが、デフレは不況の結果ではあるものの原因ではないので、結果を変えても原因は変わりませんでした。輸入インフレで景気は悪化するものの、原油価格が落ち着いてきたことを考えると、2%のインフレ目標は不可能と言えるでしょう。そもそも物価を恒常的に上げていくだけの手段は無いのです。もっとも、日本経済にはいいニュースなのですが。

<サイト管理人> 2014年 9月7日記述



 【大げさで煽った表現が自然災害以上の災害を生むこと】 第419回

   このところ通常の気象の変化で起こる災害が続いております。8月18日には岐阜県高山市の橋が大雨で流され、8月20日は広島で土砂崩れの被害がありました。現在も行方不明者が存在しております。こうした通常の自然災害がある度に、気象庁は「記録的」とか「観測史上最大」という表現を使っておりますが、この表現では「備え」もできず、責任の所在も明らかにできず、「原因」さえもわからず、「対策」も正しく採ることができません。

 数年前から気象庁の表現は大げさで抽象的になったように思いますが、生活をしている立場からすればどうすれば良いかわかりません。たとえば「今までに経験したことがない」という表現が出てきたのも数年前ですが、「今までに経験したことがない」というのはあまりに「個人的」で、80歳の人で日本のあちこちに転勤した人のことを言っているのか、それとも10歳ぐらいの少年を念頭に置いているのかも判りません。
 もし、80歳の経験豊かな人なら、「日本の気象変化のうち、かなり珍しい」ということになりますので、避難をするなどといった何かの対策が必要になります。しかし、10歳ぐらいの人が経験していないということになると、日本ではほぼ毎年どこかで起こる災害になるので、多くが避難する必要はないでしょう。だからこそ「今までに経験したことがない」という表現は、その表現が不適切であることにより、かなりの犠牲者を出した原因となっていると思います。台風11号で避難命令がでた四日市市で、約30万人が避難対象だったのに、180人しか避難しなかったということが「大げさな表現がもたらす典型的な現象」といえるでしょう。この時、気象庁は「直ちに命を守る行動を取ってください」といっていました。そしてそれを受けて自治体が避難命令を出しても住民はそれを完全に無視しました。桑名市では20万人に避難命令が出て、避難した人は80人だったのです。「これまでに経験の無い」レベルなのですから「直ちに命を守る行動」といっても、市民には全く判らないからと思います。一方では、テレビで台風の規模や最大風速、予想雨量を伝えていますが、気圧は935ヘクトパスカルで普通の台風、最大風速は35メートルで台風としてはやや小さめ、それにすでに高知県で降り始めからの雨量が1000ミリを超えているのに、三重県の予想雨量はそれより下回っていたのです。このことをテレビでは「安全を最優先」とか「空振りを恐れない」と見当外れの解説をしていましたが、そんなことではなく、「説明や発令が合理的ではない」ということです。広島の土砂崩れでも、「記録的」といい「観測史上最大」と言っていました。しかし、雨量を見ると前線が中国山脈の北にある際の7月に降る九州から中国地方の雨としては普通のことで、「広島の住宅地に10年前に設置されたアメダスでは初めてで、九州から中国地方に夏に降る雨としては毎年、降る程度のもの」と思います。
 テレビが住民にインタビューをすると、「今までにこんなこと経験したことがありますか」との誘導質問があり「これまでに経験したことがない」と答えた人の映像を出してきます。しかし、今日の広島の住民は誘導質問に対して、「いや、ときどきこのぐらいの雨はありますよ。でも少し時間が長かったかも知れませんね」と答えていました。客観的に物事を判断できる人と感心しました。今度の災害が、本当に記録的なのか、それとも1時間ほど長く降ったのかによって今後の対策が違ってきます。本当に記録的なら仕方が無いところもあるのですが、1時間ほど長く降ると土砂崩れが起きて命を失うというような治水政策なら、少しの雨でもすぐ逃げなければなりません。一刻も早く気象庁は表現を正確に(「記録的」とか「観測史上最大」という代わりに、「九州・中国地方では何年ぶり」という表現)に直すべきでしょう。

 上記のことは経済に関する報道にも繋がる問題で、過剰ともいえる煽った報道が蔓延しているように思える昨今です。知識や判断能力にかける人がこれらを鵜呑みにしては、正しいものも間違えたものになってしまい、間違えたことも正しいことになってしまうように感じられます。

<サイト管理人> 2014年 9月9日記述



 【空気よりも事実を伝える日本脂質栄養学会、日本ドック学会の功績】 第420回

   先日(2014年8月末)のことですが、日本脂質栄養学会が重大な提言を行いました。その内容は「コレステロールが多いのは“健康に悪い”と思わせて、コレステロールを下げる薬を出すと逆に“心不全を増やす”ことに繋がるため、今すぐに止めるべきである」というものでした。コレステロールは私たちにとって必要な物質であることから、「コレステロールが多い=不健康」とはならないはずです。どうも高コレステロールが悪であるという話は、50年ほど前にヨーロッパでコレステロールの調査がなされた時に発生した誤解のようです。私には二酸化炭素が地球温暖化の原因であるという擬似相関と同様に思えます。

 これまでもコレステロールを減らすのは問題であるという意見が出されておりましたが、コレステロール全体が悪いとは社会の空気から言い難くなったことから、メディアが善玉コレステロールと悪玉コレステロールなるものを作り出し、まるでコレステロールに善悪があるような雰囲気を作り上げました。当初はコレステロールの多いことが健康にとって悪であると放送してきた手前、否定することもできず、自分たちの体裁だけを重視することから国民の健康は二の次となりこのような状況が生まれたのでしょう。
 そもそも多くの日本人の食生活ではコレステロールが基準値を超える可能性は低く、またコレステロールが「高い」ということは万人に同じ数値(絶対値)があるわけではありません。コレステロールによる不健康とはその人にとって最適なコレステロール値を自分の体がコントロールできなくなった場合であり、適正にコントロールされている時は「異常」ではないのです。そもそもコレステロールは必須な物質なので、その大半が体内で合成されます。もし食事で多くとれば、その分だけ体内合成料を減らすので問題などありません。

 今回のことを通じて、日本の栄養の専門家は誇るべき存在なのかもしれないと考えさせられました。また、つい最近のことですが、日本ドック学会も重要な提言をしてくれました。「血圧の基準は130であるとか、まして現在推奨されている120などというのは適切ではない。健康な男子の平均血圧は149である」と発表したのです。つまり、高血圧学会などの基準に対して正面から批判を加えたのです。科学的なことであるので、私には何が正しいかは分かりませんが、人間の知識はあやふやなものであることからも、批判を自由にする雰囲気が存在していることが嬉しくもあります。厚労省や医師会という強力な保守的、非学術的機関の力の強い中で健康を預かる人々の良心が感じられます。ただ、あえて裏を読むならば、増大した医療費の政府負担を軽減させるがために、特定の学会を通じてこのような事実を浸透させている可能性です。しかし、大切なのは事実であるので、そこに医療費負担の軽減という目的が裏にあっても良いと思うのです。皆様の健康がまず一義的に考えられるべきなのです。日本脂質栄養学会の提言には大きな価値があるでしょう。

<サイト管理人> 2014年 9月17日記述



 【未だに円安信者が多くいることと、国内生産回帰は不可能なこと】 第421回

   このところ円安が進んでおります。1ドル80円を基準に考えると30%以上「円の価値」が下落したことになります。多くの日本人が金融商品の購入やFXを行っていない現状、また、円建てで預金している人々が大勢を占めることを考えると、日本人の資産が大きく毀損しております。株式投資に関するページを開設している立場の私が言うのもおかしな話ですが、好ましくない事態です。また、自国通貨も安くなっているのですが、不動産価格についても同様のことがいえます。昨日、3大都市圏及び東日本大震災関連地域で地価が上昇したとの報道がありましたが、その上昇率は小さなものですし、日本国全体でみればせいぜい横ばいで、それ以外の大半は下落しているのです。また、不動産を有していればペナルティとして固定資産税が課されますから、実際の地価のマイナス幅は報道ベースよりも大きなものかもしれません。
 そもそもなぜ円安を好感するのでしょう。円安になった場合、国内への生産回帰は起こるとかんがえているのでしょうか?これまでのコラムにも書いた通り、私の答えはNoです。

 よく円安メリット産業として自動車産業が挙げられますが、彼らは輸出競争力(単純に価格の問題ではなく、製品自体の価値)があったことから、トヨタ自動車をはじめとして比較的国内の生産システムが残されています。私からすると単に世界進出に出遅れた企業に思えるのですが、結果的にはわが世の春を謳歌している感があります。その一方で、内需で支えられていた産業は対照的です。バブル崩壊以降の激しい国内でのシェア争いの結果、国内における生産が淘汰された状況下で、急速な円安に伴う資材価格の高騰や電気料金の値上げで経営が追い込まれているのです。仮に円安が1ドル120円レベルに達したとしても、多くの製造工場は日本国内に回帰する事はないでしょう。理由は簡単で、過去1ドル120円であった時期に、生産拠点を海外に移転していたからです。

 無能な経済学者は「円安になれば、国内に生産が回帰して景気が回復する」などと念仏を唱えますが、円安で生産や輸出が回復するのは対GDPで17%程度の高い製造技術を必要とする自動車や、航空機産業、ロケット産業、電子部品(ローテクは除く)、及び一部の特殊な素材や機器の分野だけでしょう。その一方で食品、建設、家電、繊維、パルプなどの工場は1ドル120円でも140円でも日本国内には戻って来ないでしょう。仮に、更なる円安によって中国生産のコストが実質的に上昇すれば、より安い生産地であるベトナムやミャンマーやラオスへと工場が移転し、最終的にはアフリカ大陸の各国が世界の工場となるに過ぎません。

 そもそもデフレは需給関係の悪化で発生します。需要を供給が上回れば、価格が低下してデフレが発生するわけです。リフレ派の多くが勘違いしていることに、通貨を発行するほど消費が拡大し、需要が拡大してデフレギャップが縮まるというものがあります。しかし、日本のデフレ原因は海外からの安い物品の流入にあります。もし、為替レートが一定ならば需要の拡大イコール輸入の拡大となるのです。ですから、国内の製造設備の稼働率は上がりませんし製造量が増えないので、雇用の改善も考えられません。私達がデフレの原因と考えている過剰な供給力は国内に存在しているのでは無く、国外に存在しているのです。なお、日本には分厚い内需があることは間違いありませんが、過去と比較すれば国内の製造業が空洞化していることも事実です。この状態で円安が発生すると、輸入物価の上昇により直接的に国内物価が上昇します。しかし、景気回復を伴わないインフレなので、輸入物価の上昇分を全て価格転嫁する事はできません。そこで、企業は経費を削減してコスト圧縮に勤めます。人件費を削減するしかない状況に追い込まれます。輸入物価が上昇し、製品価格も上昇する中で所得が抑えられれば生活水準がどうなるのかくらい簡単にわかります。

 多くの方はこの構図を理解できているのでしょうか。円安は良いことだ、日本経済は回復に向かっているなどという幻想は早々に捨て去り、現実を見据えた政策を実施すべきです。自国通貨の信認を厚くし、世界をリードすることこそが日本の取るべき道でしょう。国内生産に気を取られすぎて発展途上国に戻ることが日本として正しい姿ではありません。

<サイト管理人> 2014年 9月19日記述



 【御嶽山の噴火から考える権限者の責任の取り方について】 第422回

   9月27日の午前11時台だったと記憶しておりますが、御嶽山が噴火しました。現在も行方不明者が多くおり、把握できていない人もかなりおられることと思います。実に残念な天災であり、事故です。ここで事故という言い方をしたのは、噴火に伴う死傷者が発生してしまったことには人災の側面があるからです。そもそも、噴火予知連絡会の会長は逮捕されて普通なのです。数年前でしたか、イタリアの地震で予知委員会は「地震は来ない」と言っていたものの、その後地震が発生した為、予知委員会の面々は逮捕されて有罪になりました。それは当然なのです。
 人間には「言ったこと、判断したことに責任がある」ということが当然に当てはまります。責任を取りたくなければ発言すべきではありませんし、何も決定しなければ良いのです。今回の御嶽山の噴火の件は9月初旬から地震計がたびたび反応していたことや、東北大震災以来、20ほどの山でマグマの活動が盛んになっていたことなどがあることから、委員会の人間が注意せずに登山できる状態(レベル1)を放置した責任は重いでしょう。

 いつも日本では「専門家」というものが登場し、東大教授やその他の国立大学の教員が国の委員になります。このブログに書いてきましたが、「学者」は学問の自由があるので自由な発言も許されますが、それは精神的なものや内的な自由に過ぎず、社会に具体的な影響を有する国の委員会などでの発言は、裁判官、医師などと同一で、その言動に対して社会的な責任を持つこととなります。学者はふたつの顔を持つのかもしれませんが、もし自由な学問をしたければ、国の委員などになってはいけないでしょうし、専門家として社会に発信するなら、その権限を持つ反面、自由は制限され発言や決定の全てに責任を取らなくてはなりません。
 福島原発における事故もそうでしたが、学者には責任がないものの、国の委員長は誤認した場合責任が発生し、被害者が出た場合逮捕されて然りです。医学者は安楽死を研究しても良いと思いますが、医師は社会の了解がなく安楽死を施したら逮捕されます。これも同じことです。以前より続く人災を止める意味でも、「権限と責任」をはっきりさせなければならない時期に来ているでしょう。もう遅いくらいですが。
 残念なことに、火山予知連絡会の会長は昨日の記者会見で、「火山予知はこの程度のものです」との発言をしました。ならばレベル1とか2などと決めてはいけません。自分が決められないことをあたかも事実であるかのように発表し、犠牲になった人間が悪いというようなことでは何のための委員でしょう。事故が起こると専門家という人が出てきて、犠牲者の気持ちとは全く違い第三者のような顔をして話をするのが日本であり日本人です。日本の指導層は良心をもってもらいたいものです。

<サイト管理人> 2014年 9月29日記述



 【「省エネ」思想から考える自然発生的なデフレについて】 第423回

   私たちは同じ言葉を同じ意味に使っているつもりでも、社会や時代が変わると、違う目的や異なる意味になってしまうことがあります。そのひとつが「省エネ」ではないでしょうか。そもそも高度成長時代における「省エネ」は生産量を上げ、資源をより多く使うために欠かせないことでした。私が子供の頃(1980年代)には、今使われているような「省エネ」に対する意味は無かったのです。言葉だけ存在したのです。後に、「省エネ」が資源節約の意味を持つようになった際、私は日本経済の転機を実感しました。成熟経済への移行です。

 「省エネ」について考えるには、まず、例えとして【冷蔵庫を生産することと使用すること】を考えてみます。仮に冷蔵庫の販売価格を10万円として、製造時に1台当たり1万円の電気や石油を使う(原価が1万円)とします。その後、生産を効率的にして「省エネ」を達成し、1台当たり5000円作れるようになると利益が一定額なら1台の値段が95000円になりますから、その電機メーカーが資金1億円で冷蔵庫を生産しようとする場合、当初は1000台しか製造できなかったものが、「省エネ」後は1052台作れるようになります。つまり省エネをすることで、その会社は資金を追加することなく52台余計に生産できるようになるので、「省エネ」は会社にメリットをもたらし、結果として生産量を増やし、資源を余計に使うようになるわけです。これが私の子供だった頃の「省エネ」の解釈でした。もちろん増産しても売れなくてはならないことが前提になりますが、バブル時代にそのような心配は存在しませんでした。
 ところが、1990年代に入り、環境が叫ばれる時代になると、「省エネ」の考え方が180度変わってしまい「省エネは資源を守ることに繋がる」とすり替えられました。現在周囲の人間に「省エネとは?」と聞いてみれば、10万円の冷蔵庫で、それまで1万円の電気と石油を使っていたのに、それが5000円で済むようになると、その分だけ電気や石油を使わなくなると答えるでしょう。この裏には、冷蔵庫の値段が下がっても冷蔵庫の売れる量は変わらないという前提があり、資源が節約されるという解釈にもなります。当たり前ですが、こうなると企業は売上が1億円から9500万円に下がります。一方で冷蔵庫を使う人間は買う値段も下がり、電気の使用料も減少することから電気代も下がる構図が出来上がります。簡単な需給の話です。結局、企業の売上が減る分だけ個人は貯蓄を増やすこととなるのです。よって、自然発生的なデフレとなり、企業はお金を必要以上に借りないことから、銀行は運用先に困り、日本国債を買いたがるので政府が発行する赤字国債額は膨らみ、消費税が当然に上がる・・・という仕組みが出来上がるのです。現在を観れば当たり前の流れです。私はモノの価格が下がることを悪いとは思いませんが、銀行を始めとした金融機関の資金運用の無能さや、政府が行う赤字国債の発行には疑問を抱いております。財政均衡主義など古めかしいと言う人もおりますが、それすら出来ない国に未来は無いと思うのです。

 さて、話は脱線しましたが、上記の例から見ると個人にお金が残るのですが、現在捉えられている意味での本当の「省エネ精神」から「地球のことを考えてそのお金を捨てる」という人はいないでしょう。ですから、自分の代わりに政府が勝手にそれを使って、日本政府の借金がかさみ、それをもう一度、国民から消費税として取られるという事態を招くのです。悪いのは政府とも言えますが、国民にも問題があるのです。ですから文句は言えません。まさに悪循環です。消費税増税も正しいループの中で行われれば問題は無いのですが、悪循環の中で行われる限りにおいては政治的な説明は一切つかないのです。
 ちなみに、省エネの結果、個人が残したお金はその人が使っても政府が使っても「資源の消費」という点では同じになります。ですから個人サイドでは「省エネ」は「資源の保護」には繋がりません。また企業サイドから見ても販売量が減って売上が低下すると経営が悪くなりますので、何か新しい事業を起こすことから、これも同じなのです。経済の総量は簡単には変わらないのです。これからの選択肢は省エネの考え方を改めて昔に戻るか、日本の人口減少も踏まえた経済縮小の自然な流れに即した政策を求めるかのどちらかではないでしょうか。しかし、自然の流れに逆らう金融主導の前者は失敗に終わることでしょう。

<サイト管理人> 2014年10月14日記述



 【ノーベル平和賞を授与することの本当の意味について考える】 第424回

   先日ノーベル平和賞が17歳のマララさんに与えられました。周囲の反応は「素晴らしい勇気を持った彼女は平和賞を授与されるに値する」という反応ばかりです。しかし「本来あるべき平和というものは他人の価値観を認めること」と考える私からすると多くの疑問が残ります。

 かつてポルトガルが世界の多くを植民地とし、そこの国民を奴隷にしたことは知られております。それによって2世が大量に生まれ、男子には全員2世であることが判別できる名前と銃火器が与えられました。後になりこの集団が「独立戦争」を起こすわけですが、「独立」とは名ばかりのもので、直接的な植民地支配は効率が悪いので、現地のハーフに父親がポルトガル人であるというプライドを持たせて、独立自治をさせたに過ぎません。ノーベル平和賞というものは歴史的には有色人種を支配し、劣等民族を支配する者に栄誉を与えられるべきと考えた白人の策謀と考えるのが自然で、これはノルウェーのノーベル賞委員会が始めたことです。
 アウンサンスーチーの時も、ミャンマーを植民地にしていたイギリス男性と結婚し、イギリスで学校を出て祖国ミャンマーを弱らせる作戦に加担した彼女にノーベル賞が授与されました。現実には文盲が減り、所得がある程度まで行けば「民主的」であることが国を栄えさせるのでしょうが、まだその過程にあるにも関わらず投票などを行い、国が大混乱してしまった経緯もあります。

 このように、ノーベル賞は常に「有色人種を迫害した人」に与えられます。佐藤栄作もそうした理由で受賞したといえます。今回もマララさんがやったことはヨーロッパから見ると正義で、都合が良いのですが、パキスタン、特にイスラムの考えでは決して正義などではなく都合も悪いものでしょう。自分が正義と思うことを他人に強制すれば戦争に繋がります。その意味では、マララさんの行動はその社会では「反社会的行為」である可能性もあります。

 人はみな、自分で考えております。そしてそれが自分と違っているからといって、強制力を使ってはいけないのです。今、イスラムに「過激派」という名称の団体が多いように思いますが、これはアメリカやヨーロッパがイスラムの石油利権を求めて悪行をしたことに対する反発で、イスラムの文化はその地方、その風土、その発展段階でそれなりに意味のあるものとして私たちは受け取らなければならないでしょう。
 日本人はノーベル賞というと、絶対的な権威が決めている、神様が決めていると錯覚している風潮がありますが、ノルウェーのノーベル賞選考委員会は、ヨーロッパの利権を守ろうとするいかがわしい団体と考えるのが筋でしょう。

<サイト管理人> 2014年10月16日記述



 【空気が読めないのではなく、空気を読まないことの大切さ】 第425回

   「日本には昔から『多数が正しいとはいえない』という言葉がありますが、この言葉自体は多数決の原理を知らないからこそ生まれたものです。正否の明言ができること、たとえば論証とか証明などは、もともと多数決の対象ではなく、多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法なのです。これは、日本の企業における『会議』の実態を探れば難しい説明はいりません。たとえば、ある会議で何かが決定されるとします。そして散会しますと、各人は飲み屋などに行きます。そこで先ほどの決定に対する『議場の空気』が無くなって『飲み屋の空気』になった状態での文字通りのフリートークがはじまります。そして『あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの決定はちょっと・・・』といったことが『飲み屋の空気』の中で言われることになり、そこで出る結論はまた別のものになってしまいます。ですから、飲み屋をまわって、そこで出た結論を集めれば、別の多数決ができるのです。
 私はときどき思うのですが、日本における多数決は『議場・飲み屋・二重方式』とでもいうべき『二重空気支配方法』を採っており、議場の多数決と飲み屋の多数決を合計し、決議人員を2倍ということにして、その多数決で決定すればおそらく最も正しい多数決ができるのではないかと思います。というのは、このように、会議内と会議外で、同じ人間の同じ決定が逆にもなるということは、その人々の命題への把握の仕方が各人のうちでそれぞれの空気によって、会議内では賛成だけが表に出、会議外では反対だけが表に出る、という形になっているからだと考えざるを得ないからです。従ってそれを総計すれば本当の多数決になるわけですが、元をただせば、これを一議場内でやることが多数決のはずです。
 決断を引き延ばしても、問題にはならない状態が長く続いた日本では、これでも支障なかったのかもしれません。徳川時代を見ていくと、幕府の成立からその終末までに、真に大きな決断を要とした事件はほとんどなかったからです。そのため、一時的な例外期はあり得ても、日本は常にこの状態へと回帰していってしまいます。空気の支配は、逆に、最も安全な決定方法であるかのように錯覚されるか、少なくとも、この決定方式を大して問題と感じず、そのために平気で責任を空気へ転嫁することができました。明治以降、この傾向が年とともに強まってきたことは否定できません。しかし、中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々やそこに住む人々は、『日本的な空気の支配』を受け入れていれば、既に存立していないことでしょう。

 空気を読めるといって「もてはやされる人間」は何も決断できない人間です。それは多数決の片割れの存在に過ぎず、読んだ内容も表向きの見せかけのものだからです。先述の会議の場での結論を導き出した者に過ぎません。周りが投資をしているから自分もしなくてはならない、報道ではインフレ経済に移行するといっているから不動産投資をしなくてはならない、早く必要なものを買っておいた方が得である、果てはスマートフォンを持たなければ恥ずかしいという些細なことも空気に支配されてしまった人の特徴です。何も考えていないこうした人々は投資には全く向きません。自分についてもう一度見つめ直す機会を設けることをお勧めしますが、自分自身では見つめ直すことの意味すらも理解出来ないかもしれません。己の自由にならないこと、例えばある程度のレベルの資格試験を受けてみるなどといったことは、その解決方法を模索するひとつの手段になるかもしれません。不自由さが自分を見つめ直す機会を与えてくれるのです。

<サイト管理人> 2014年10月20日記述
<参考> 山本七平「空気の研究」



 【安易に正しいと思い込む前に少し考えてみませんか】 第426回

   人は日常的に目の前にあることや話題について、「正しい」とか「間違っている」と判断しながら生きています。自分の得になることを正しいと思い、損になることを間違っていると感じる傾向も見られますが、これは脳の防衛機制の一種であり、当たり前の行為です。動物としてもまともなことです。とはいえ、人間はそれのみでは理性が納得し得ないものです。そこで、周囲の人が納得できる言い訳を考えます。この場合の理性は「自分一人では人生を送っていけない」という理由から発動されるものと考えられます。よって「正しい」というのは単なる「理屈付け」であって、もっと外に向けて「私の得になるから、正しいと思う。でもそれではみんなが納得しないからこういう理屈はどうか?」と発信するのが誠意ある態度なのかもしれません。なお、大半の人間はほとんど瞬時にして「正しいか間違っているか」を分別します。年齢を重ねるほどその傾向が強くなりますが、それは「損得」を判断するのに慣れているからです(価値観が固定化されていることも影響しています)。

 昨今アメリカはシリアを爆撃しておりますが、私にはどう考えても正しいこととは思えません。日本では「戦争はいけない、防衛だけは正義だ」と言い続けているのですから、地球の裏側まで行って爆撃することは正しいはずもありません。しかし、理屈をこねれば正しさを作り出すことはできるものです。「世界秩序を守るのは指導的立場にある国としては必要だ」であるとか「このまま放置すると過激派が世界を制覇するから、未然に防ぐのだ」などがそうでしょう。
 ところで、「正しさとはその人が得になること」という仮定を置くと、「本当の正しさを決める準備」が存在することがわかります。それはまずあることに対して「年齢、性別、国籍、幼児体験、趣味、性向」ごとに分類して考えることです。「アメリカのシリア爆撃」ということについて、アメリカ人、イスラム国人、インドネシア人を例にとると、アメリカ人は正しいと言い、イスラム国人は間違っていると言い、インドネシア人は遠い話ですがイスラムを信じている人が多くいることからイスラム国に味方したいという感じになるでしょう。本当に何が正しいかは神と同等の偉人お聞きしてみないとわからないものです。

 話は変わりますが、「節約は良いことか」ということを、お年寄りに聞くと「良いことだ」と言い、ちょうど遊びたい年代の若者は「今、そんなことをしたら人生で楽しむことができない」と言うことでしょう。私には若者の方が正しいように思えます。なぜなら、そのお年寄りの多くは若い頃バブルで遊びほうけており、今になって未来に余裕がなくなり節約が正しいと思っているのです。また、ヨーロッパ人に聞いても節約が良いと言います。ここ300年間アジアを植民地にして多くの贅沢をしてきましたし、アジアは独立してしまって今後は自分たちで働かなければならないので地球環境などと言いがかりを発信しているに過ぎないのです。アジアの人は「これからやっと自分たちも欧米並みの生活をしようとしているのに、こんな時に節約と言うな」という気分になって当たり前です。
 なお、女性に聞いてみると「節約は良いこと」と答えます。その意味を問うと「節約してお金を貯めて旅行に行きたい」とか「老後に備えたい」と理解に苦しむことを言い放ちます。それは節約ではなく、用途の違いだと説明しなければならないのではないでしょうか。女性の節約はほとんどが用途の違いで、女性で給料を上げること(事実上の浪費)に反対する人はおりません。また「自分は節約したいから」というのと、「他人も同じ考えでなければならない」というパターナリズムは一定年齢の男性と女性に同じように見られるのも不思議なことです。

 私は「私が正しいと思うこと」を「正しい」とは出来る限り言わないようにしていきたいと思っています。すぐに出来ることではありませんが、何年かかけてそうなればと思います。「私はこう思う」とか、「私は皆さんと違うけれど、これが正しいと思います」と表現できれば一番フェアでしょう。人間にはなにが正しいかを判断することはできませんが、ただ「自分が知っているのに違うことをいう」ことや、「場合によって違うことをいう」などという卑劣なことをしなければ軋轢の少ない社会になると思うのです。自分が得になることを正しいと感じるのは仕方がないのかもしれませんが、ウソや両価性(価値の違うことを相手によって平気でいう)はお互いの約束で止めることができるでしょう。

<サイト管理人> 2014年10月27日記述



 【日本銀行の手詰まり感の表れと政府の迷走について】 第427回

   [東京31日 ロイター] - 東京株式市場で日経平均は大幅続伸し、年初来高値を更新。2007年11月以来、約7年ぶりの高値水準となった。日銀が後場の時間帯に、マネタリーベースを年間で約80兆円増加するペースで資産買い入れを行う追加緩和を決定。市場ではポジティブ・サプライズとして受け止められ、急速に株高・円安が進んだ。日経平均は前日比で755円高と今年最大の上げ幅を記録。東証1部の売買代金は4兆1982億円と今年最高となった。日銀はこれまでに比べてマネタリーベースの年間増加額を10─20兆円追加した。資産買い入れは、長期国債を年間約80兆円、ETFを同約3兆円、J-REITを同約900億円、それぞれ保有残高が増加するペースで行う。いずれも賛成5人、反対4人の賛成多数で決定した。事前には、きょうの決定会合では追加緩和を見送りとなるとの見方が大勢だったため、マーケットは大きく反応した。

 上記は本日のニュースですが、日本銀行は追加緩和を決定しました。なぜこの時期に行うのか、なぜ緩和規模を縮小せず追加してしまうのか理解に苦しむところです。こじ付けであっても物価上昇から消費税再増税の流れの正当性を考えたいならば、追加緩和は5月頃に行うべきだったでしょう。
 原状、消費は伸び悩んでおりますが、これは消費税率を8%に引き上げたせいというよりも、政府の財政再建策がはっきりせず、日本経済の先行きが不透明だからではないでしょうか。安倍政権の予想以上に急速な円安が進んでいることは事実で、円安なら単純に輸入物価も上昇しますから、このところ食料品や工業製品の原材料価格が上昇傾向にあります。この影響を受けているのは製造業ばかりでなく小売業であることも考えなくてはなりません。イオンが本業で赤字を出していることからも、業界全体の未来には為替という大きな障害が待ち受けていると言ってよいでしょう。もっとも、対GDP比で80%を超える内需系の全企業には打撃ですし、物価の上昇分は実質的な所得減となり、景気の足を引っ張ってしまうこととなります。少し前は1ドル120円だったのだから問題ないとする安易な考えの方もおられるようですが、想像以上に企業の海外移転が進んでいる原状、輸出をどうしても増やそうとするのなら、まず、海外移転した企業が日本に帰ってこなければなりません。しかし、企業が帰ってくるまでには数年以上の時間がかかるでしょうし、日本における就業人口も減少していく中では国内生産の増加は絵に描いた餅です。GDPにこだわるのではなく、既にGNIで考えなければならない時代になっているのです。これは以前のコラムにも書いたとおりです。

 また、需要が物価を押し上げるのではなく、円安による悪い物価上昇が始まっているのに、賃上げがそれに追いついていないという問題も存在しております。安倍政権は企業に対して賃上げをするよう要請していますが、企業経営者からすれば財政問題などの懸念材料があるため、安易に賃上げをするであるとか、新規事業のための設備投資を積極的に行うといった判断ができない状況にあります。さらに悪いことに、このところ「地方創生」などという子供だましのテーマが掲げられ、地方にお金を流すような公共事業が近く実施されることとなっております。この「地方創生」で財政支出が増大する一方で、消費税増税はしないという結果になれば、最悪の選択になります。国家としての信任を無くしてしまうのです。そもそも「地方創生」は大いなる時代錯誤です。田中角栄先生の時代ではないのです。「列島改造」や「ふるさと創生」の発想のまま、ばらまきで経済成長ができると思っていること自体どうかしているのです。日本経済のメカニズムはその頃と様変わりしていますから、効果がないばかりか、事態を一層悪化させることでしょう。本来切り捨てる地域と育てる地域の分別から入るべきところを、過疎地も含めて日本国全体を持ち上げようとしているのです。小学生程度の発想です。つまらないことはやめて、世界に冠たる社会保障制度だけは維持して欲しいものです。なお、GPIFの運用に関しても、外債の運用額を増やす決定がなされましたが、アメリカ国債という紙くずを手に入れるために大切な日本円を10兆円近く追加で使う必要はどこにもありません。

 以上のように、失策を積み重ねてますますジリ貧になっていく日本ですが、本来は1000兆円を超える累積債務の解消めどを立て、財政を立直すための長期的なビジョンを打ち出し、国民を説得するプロセスが求められます。しかし現在、それをやろうとする政治家はいません。どうしても、次の選挙で勝つことを優先してしまうので、10年先、20年先を見据えた長期戦略を国民に示し、責任を持って実行することができないのです。そもそもこれは難しいことではありません。消費税増税を予定通り行うや法人税率引下げの案の廃止、贈与税率アップや相続税率の更なるアップ、そして固定資産税体系の見直し(増税方向)、自動車重量税率アップなどといった増税に伴う税収の増加からまずは歳入を増やし、歳出を減らせば良いのです。国民がお金を使わないから貨幣価値を下げて無理に使わせようとする方法ではなく、お金を使わないからこそ税金として徴収し、透明な予算配分を行うべきです。経済規模は小さくなるでしょうが、言い換えれば、ダウンサイズした成熟国家へと移行していくだけなのです。しかし、どの分野であっても一部の人間や地域を切り捨てるといった現実的なの政策を口にしては票をかせぐことはできません。政治家は次の選挙のことしか頭にないのかもしれませんが、有権者は違います。30代の人なら、あと半世紀も生きなくてはなりません。もっと長いスパンで常識的な判断ができるはずです。ただしそれには有権者が正しい情報を得るだけの教養を身につけなければならないでしょう。

 ジャパン・クライシスを防ぐのに金融緩和は不要です。対症療法をいくらやっても、長期的で構造的な問題には関係ないからです。これ以上構造的な課題を放っておけば更なる不測の事態を招くことでしょう。日銀は追加緩和という最後の手段を使い切ってしまいました。今回の追加緩和の規模で、予想通りの結果が得られなかった場合、さらなる追加緩和を市場から要求されるというリスクを抱え込んだことになります。政府や日銀の量的緩和策はまさに正念場を迎えたといえるでしょう。

<サイト管理人> 2014年10月31日記述



 【原状懸念すべきことは円安による企業倒産であることについて】 第428回

   多くの方が円安は日本にとって良いことだと口にします。マスコミの影響なのでしょうが、内閣改造以降、円安の効果に対して疑問を呈する報道もしばしば見られるようになって来ました。結構なことと思います。そもそも円安なのに貿易赤字が史上最高になった原因は化石燃料の輸入額が激増したことですが、もっと大きな原因は輸出がほとんど増えないことにあります。日銀の黒田総裁は、これは短期的な現象だと説明していましたが、貿易赤字は簡単に縮小しないでしょう。最近は「長期的には円安が定着すれば、日本に生産拠点は戻ってくる」と表現を変えておりますが、私はそれも疑わしいと感じております。

 昨今ソニーは1円の円安で30億円の減益要因になってきます。単価の高いスマートフォンなどを輸入し、価格競争の激しい液晶などの素子を輸出しているからです。1ドル=120円になったらソニーがスマホを国内で生産して輸出するようになるとは、誰も思っていないでしょう。つまり以前のコラムでも書いたように、日本の製造業の国際競争力が大幅に低下したことが根本原因であり、これは円安でむしろ悪化するのです。ここにアベノミクスの錯覚があります。その結果、潜在成長率はほぼゼロに低下し、実質成長率もゼロに近づいております。潜在成長率というのは成長率の天井なので、それを超えて持続的に成長することはできません。潜在成長率を上げるには、どうしても生産性を上げるしかないのですが、それができないのです。

 民主党政権下の政策で株価が過小評価され、投資が萎縮していたことは事実であり、その気分を偽薬で変えた黒田総裁の功績は大きいことは認めます。多くの人が懸念していた国債バブルの崩壊も、今のところ避けられた格好になっております。今のうちに「量的・質的緩和」から撤退し、2%のインフレ目標を延期して、これ以上の円安を防いだほうがいいのです。1ドル=110円以上の円安は、大企業のメリットよりも中小企業や消費者のデメリットのほうがはるかに大きく、大企業の大半も望まないレベルです。

 2010年代に起こった「空洞化」は、元に戻りません。例えばパナソニックの海外生産比率は50%程度ですが、海外で生産した製品はほとんどそのまま海外へ輸出されるので、日本を通らないことからドル/円は影響しないと考えられます。
 円高局面では製造業の業績が急速に悪化したので、海外生産を増やしても最終工程だけ日本でやり、本社の決算を黒字に見せる操作が行なわれていましたが、株主の立場から見ると、こういう益出しは不合理です。グローバル生産体制を取っている企業では、企業会計もグローバルな連結決算になっていることが多いので、法人税率40%の日本より13%の台湾で納税することで税引き後の利益は最大化されます。株主利益の最大化のためには、日本から輸出するより海外で生産して海外に輸出し、海外で投資したほうが効率はいいのです。日本では2011年以降、こうした海外法人からの配当や金利による所得収支の黒字が貿易収支の赤字を埋めている現実があります。

 グローバル企業の株主にとっては、法人税も人件費や材料費と同じコストの1つなので、それを最小化するように生産拠点を配置することが合理的です。日本政府に義理立てして「年産300万台」と約束しているトヨタ自動車は不合理で、タックスヘイブンでほとんどの利益を上げるアップルが合理的といえるでしょう。こうしたグローバル資本主義とナショナルな政府の闘いは、原理的には政府に勝ち目がないのです。日本企業もこれからますます「空洞化」し、グローバル企業の納税額も減ってゆくでしょう。それは資本主義では避けられないことですが、人類はそれより良い経済システムを知らない現実もあります。

<サイト管理人> 2014年11月4日記述



 【多くの人が感じるアベノミクスへの不安感の源泉について】 第429回

   なぜ多くの人が先行きに不安感を感じるのでしょうか。答えは意外と単純であるように思います。そもそも景気というものは良くなれば悪くなることを繰り返します。当然に、株式市場も上がれば下がることとなります。ここにアベノミクスが集約されているのではないでしょうか。株価が上がれば下がるのは、何度も繰返し書いてきました。株価が上がるのは、誰かがより高い値段で買ったからであり、買った人が安く売れば、株価は下がる仕組みです。下がらないのは、新たに買う人が続けざまに出てきた場合だけですが長くは続かないでしょう。

 企業収益の改善が続けば、将来の株価への楽観者が徐々に増えることから、株価の上昇が継続するでしょう。しかし、ファンダメンタルズで上がるから上昇が持続するわけではなく、徐々に増えていくことが重要で、大勢が将来への見通しを180度変えてしまえば、そこで買いは出尽くし、上昇は止まります。本当に買いが出尽くすと思えば、そこで売るのが正しく、好材料出尽くしで、決算発表が期待通り素晴らしかった場合に、株価が下がるのはそういうメカニズムから来ているのが一般です。
 今回のようなサプライズ金融緩和は、サプライズであったという点で、急激な買いが殺到するものの、今後、買いが継続するかという点から行くと、持続的ではないので、今回一気に買った人々は、短期で売り抜けようとするでしょう。ですから、今後そう遠くない未来(もしかしたら本日)ピークを打っていて、その後は乱高下を繰り返しながら下がっていくことも見込まれます。今後、上昇するとすれば、今回のサプライズ緩和が、現在予想されているよりも企業収益の改善をもたらした場合です。私はその可能性は無いと思っていますが、あると思う人々は、ここからでも、株を買い、長期保有すら目指すでしょう。

 さて、今日の本題は株価ではなく、アベノミクスがもたらすとされる好景気でについてです。アベノミクスが、このところ風向きが悪くなり、景気が悪くなってきた、という風に感じられるのも、株価の上下と同じで、景気が上がったから、その後は下がる、ということでしょう。これには4つのメカニズムが存在しています。

 ひとつめは、景気が良くなり水準が高くなってしまったから、そこからの比較で見れば、景気は悪くなるというものです。景気とは雰囲気やスピード感であるから、全速力で走った後で早歩きになれば、減速感が生まれます。歩いているところから早歩きになればその逆です。アベノミクスにより、短期的に日本経済の実力を上回るGDP増加率を実現してしまったのであるから、実力よりも高い位置になったのだから、落ち着いてくれば、そこからは下がると考えるのが自然です。
 ふたつめは、そのスピード感の問題なのですが、金融及び財政政策を総動員し、経済を短期的に全力で加速させてしまった以上、後は減速するしかないというものです。減速するときは、労働力も資本も原材料も投入を減らすのですが、経済全体を一気に減らす訳にもいかないことから、部分的に急ブレーキをかけたような感じになります。大都市部の若年層の非正規雇用という素晴らしく収奪するリソースは限られており、この投入ができなくなって、一部一気に急停止がかかっている昨今です。
 みっつめは、消費税の引き上げという駆け込み需要を誘発してしまったのであるから、その反動減があることです。これは誰もが知っていることで、これを織り込んでも、それ以上に景気が悪くなっているのです、しかし、これだけの表現では波の影響を過小評価しているようにも思います。

 日本経済はまさに正念場を迎えているのです。楽観的に考えるのではなく、住宅ローンなども変動金利が安いからと安易に選択ができる状況でもありません。国債の流動性もますます低下していく中で長期金利の急上昇が経済にもらたらす想像を超えた悪影響を国民全体が知っておくべきでしょう。アベノミクスの抱える不安感の源泉はここにあるのです。

<サイト管理人> 2014年11月6日記述



 【生活の内に充満する個性や平均について考える】 第430回

   昨今個性を活かそうであるとか、多様性の時代となりましたが、相変わらず社会には「平均から外れる人をバッシングしたい」という感情も強く存在しております。中学生ぐらいの思春期ならそんなこともイジメの原因になるとは思いますが、年齢を重ねた人間ですらも他人に対して「欠点を直せ」と言いがちです。私は価値観の多様性を認めない立場ですから、多様性の時代そのものについて否定的なのですが、世の中は多様性を認めるべきという流れになっていることも承知しております。よって、今回のコラムを書いております。
 科学の世界では大勢の人や個体、分子などがあると、必ず「同じもの」だけではなく、ある幅の「分布」をしていると考えます。たとえば、日本人の男性なら身長が160センチの人もいれば180センチの人もおります。確かに平均値は170センチ程度ですが、180センチの人は「不適切」だから、脚を切り詰めて平均にしなければならないということはありません。ところが、体重になると身長とは違って、他人に「太りすぎだ」という人が出てきます。体型にも個性があるのだから、小太りでも痩せていても問題がないはずです。その人にとって最適な体重があり、それがもっとも良いのです。だれでも同じ体型ということはありえないわけですが、厚労省や専門家が「BMI」なるものを作ると、日本人全員がそれに合わせようとします。

 身長、体重ならまだ少しは良いのかもしれませんが、「空気を読めない」とか「動作が遅い」などということになると、イジメの対象のような感じで、到底、他人に注意するようなことではないと思うのです。「空気が読める」というのは実は自分に意見がなく、他の人の顔色を見て素早く判断し、その時に言えば良いことをいうという「太鼓持ち」の人ではないでしょうか。空気が読めない人は自分の考えがしっかりしていて、空気を読まずに自分の考えどおり行動している場合が多く観られます。
 日本教の日本では自分の考えを持たずに空気を読む人が出世するのは仕方がないのでしょうが、それを無理やり治させるのはどうかと思います。また「動作が遅い」という人は単に動作をするだけではなく、その時によくよく頭を働かせているのかもしれませんし、動作が速い人は何も考えずに行動していて、もしかしたら浮ついているかもしれません。

 日本人が何に対しても平均的でなければならないと考える為には以下のふたつのうちのどちらかの方法が成り立たなくてはなりません。ひとつは芋づる方式で、優れた人をより良くして平均を上げていく方法です、そして、もうひとつは、劣った人をバッシングして欠点を直す方法になりますが、私の経験では、芋づる方式の方が成果は上がると思えます。そもそも芋づる方式は明るいものです。人をバッシングすると暗くなりがちですが、良いところを伸ばすのは気持ちの良いものです。ましてや、そうすることによって全体のレベルが上がるとなれば、自然と良い方向に向くのではないでしょうか(本心ではありませんが…)。この場合も「分布(個性)の幅」はあるので多様化は保つことはできます。封建主義の日本なら画一的でもよかったのかもしれませんが、一人ひとりが判断するほうが未来の日本のためには良いのではないかと思う部分もあります。つまり、誰かをバッシングして改善をさせるのはかなり難しいですし、その人に大きな負担もかけることとなります。それなら「平均値を少しずつ上げていく」ことによって知らぬ間に、欠陥が改善されていくほうが良いでしょう。

<サイト管理人> 2014年11月8日記述



 【国債の貨幣化はどこまで続くかを憂う~アベノミクスの失敗】 第431回 

   国債発行残高は増え続けているので、これを常識的に考えると、利回りが上昇することとなります。そうなれば、国債の市中消化は難しくなるのです。そのため、増税や歳出削減を行って、日本政府の財務バランスの改善を行うことが急務となります。つまり、歳出を国債で賄っていたとしても、際限なく財政赤字を拡大できるわけではなく、それを抑制するようなメカニズムが働くはずです。ところが、日本の現実を見ると、そうなっていないのです。国債の利回りは、上昇しておりません。それどころか、低下を続けております。

 日本の財政状況は極めて厳しい状況にあります。消費税を増税したものの、財政赤字は縮小しません。他方で、社会保障費を中心として歳出は増加し続けております。従って、財政赤字が今後拡大することはあっても、縮小することはあり得ません。こうした背景を考えると、現在のような低い金利で資金を調達できるのは、不自然な状態なのです。これまでは物価上昇率が低かったことで低い金利を説明できました。しかし、円安によって本来望まざる方向で物価は上昇しています。それでも金利は上昇しません。現在では実質利子率はマイナスになっており、異常な状態になっております。

 これまで日本の銀行は、貸し出しを減らし他方で国債を増やすことで、バランスをとってきました。そのため、金利を上昇させずに国債を市中消化することができたのです。しかし、このメカニズムには限度があることも事実です。実際、貸し出しの中でも住宅ローンは簡単には減らせません。ここ数年は、消費税増税前の駆け込み住宅需要もあって、住宅ローンは増大してきました。これを考えても、金利が上昇しないのは不自然なことと考えざるを得ないでしょう。なぜ不自然な状態が継続しているのか? それは、日本銀行が国債を購入しているからに他なりません。それによって、国債を市場から隔離しているため、市場メカニズムによる金利上昇が生じないのです。
 他方、預金取扱機関の国債残高は、13年3月をピークとして減少しています。13年3月から12月までに27兆円ほど減少しました。全体としての国債残高は増加しているのだから、異常な現象です。資金需要がない中で、国債は銀行にとっての重要な運用対象になります。それが減っているのだから、価格は高くなり、利回りは低下することとなります。このため、前述のメカニズムは働いていません。金利上昇というシグナルが生じないから、財政規律が弛緩します。中央銀行が国債を購入することを通じて赤字財政をやりやすくすることを、「国債の貨幣化」あるいは「中央銀行による財政ファイナンス」といいます。異次元緩和の本当の目的は、経済活動の活性化ではなく、国債の貨幣化なのです。ただし、現在の国債の貨幣化は、分かりにくいものです。負担がないように見えるからかもしれません。
 日銀券を増発して、国債を購入すれば、マネーストックが増加して、インフレになる。しかし、日本の現状では、そうはなっていません。異次元緩和以降、マネーストックの増加率は顕著には上昇していないのです。物価は上がっていますが、単に円安のためであり、マネーストックが増えたためではありませんし、ましてや需要が供給を押し上げる形の物価上昇でもありません。見せかけのものなのです。こうなる理由は、日銀負債の増加が、日銀券の増加でなく、当座預金の増加で生じていることにあります。当座預金はマネーストックに入らないので、インフレ圧力にならないのでしょう。

 こうした不自然な状態は、何らかの切掛けで崩れるものです。負担なしに財政を拡張できる状態を、いつまでも続けられるでしょうか。できないはずだと、誰でも思うでしょう。それは、常識で考えれば明らかなことです。

<サイト管理人> 2014年12月23日記述



 【事実を捉えるにはどうしたら良いのかについて】 第432回

   昨今テレビを見ても、新聞を読んでも{「事実」を知ることができない}と困っている人が多いと思います。自分の人生を誤らないように、次の世代が幸福になるようにと考えると、事実を伝えないばかりか、それをひたすらに隠す大人の責任は重いものと思います。
 高齢者世帯を考えると現実的にテレビしか情報源はありません。新聞は地方紙が少し情報源になりますが、中央五誌(毎日、朝日、読売、日経、産経)は情報がテレビより遅く、間違いが多いので私は定期購読する必要はないと思っておりますし、ラジオではニュースの量が少なすぎます。そこでテレビを見ることとなりますが、その中のウソを見分けて事実を知る方法はあるのでしょうか。
 私の答えは「偉いとされている人」の考え方を知らなければならないということです。テレビは「偉いとされている人」に弱い傾向がありますが、それはテレビ局の「言い訳」を作り、「放送認可」を得るために必要だからかもしれません。だからこそ、偉いとされている人がウソを言ってもそのまま報道されるのです。

 一例を挙げますが、今年は台風が少なかったのですが、10月に18号、19号と中型の台風が2つ上陸したので、テレビに「元気象庁長官」という人が頻繁に解説に出ていました。実に面白い人で「海水温が高いから10月に台風が来る。温暖化が原因だ」と繰り返しておりました。一緒にいた気象予報士は困った顔をしていたのを思い出します。というのは、2009年、気象庁予報部の課長が「予防時報」に台風観測と予報について論文を書いており、著者は温暖化によって台風の発生がどのように変化したかについて数多くの研究がなされていると記し、その結果、1950年から2010年までの58年間の台風の状態をデータで示したうえで、「台風の数も強さもほとんど変わっていない」と結論しているからです。なにしろデータのソースが気象庁ですから、ある程度、科学の訓練を受けた人なら同じ結果になるはずです。つまり、データを見ると長期的なトレンドは見られないものの、強いて言えば、台風の数は20世紀後半からかなり減少していること、巨大台風は1940年ぐらいから1960年には見られたものの、その後は巨大台風がなくなったという現実もあるのです。さらに気象庁の発表によると、1997年から17年間も「地球の気温は変わっていない」とされていることです。これはグラフでもデータでもはっきりと示されております。17年も気温の変化がないのですから、「今年の台風は温暖化が原因している」というのは全く違うこととなります。なぜ、元気象庁長官は気象庁予報部の論文、気象庁の発表した平均気温と真逆のことを白昼堂々とテレビでくり返し発言するのか、そしてテレビはなぜそのような非常識な人をくり返しテレビに登場させるのでしょうか。

 仮に偉い人が正しいことを発信し、テレビにステータスがあろうと無かろうと、裏付けをとっているので、事実と違うことを言う人を排除していれば、テレビは信頼されていたでしょう。それが現在のように多くの日本人がテレビを信用しなくなったのは、事実を違うことを言う偉い人が登場し、それを無批判に出演させているからに他なりません。日本は建前上民主主義ということになっていますが、それは建前であって、日本人の民度から言えば、そんなことは架空のものに過ぎず、日本でうまくやっていくには、国民に情報の一部を提供し、あまり考えさせず、テレビに人の良さそうなアナウンサーを配置しておけば、肝心な情報は一部の人だけで独占できることとなります。

 私も地方の国立大学出身ですが、東京大学を中心とした国立大学のトップクラスの人は「自分は優秀だから報われて当然だ」と思っています。「税金で勉強させてもらったのだから、社会に出たら奉仕をしなければならない」という思想はほとんどありません。だから、彼らは「ウソをつく(知っているのに違うことをいう)」というのが正しい」と確信しているのです。ウソをついてはいけないと少しでも思っていれば顔に出たりするのですが、「正しく嘘をついている。嘘をつかなければこの社会は成り立たない」という誤った確信がある為に、多くの人には分からないのです。特に、日常的にあまりウソをつかない人から見ると、テレビに出る偉い人が確信に満ちて言うので、そう思って見ると信じてしまいます。テレビのウソを見分ける第一のことは、「偉い人はウソをつく。ウソをつくのが正しいと信じている」ということを知ることです。だからこそ、まず慣れないうちは「テレビに出る偉い人の言ったことはウソである」と考えるのもテレビから事実を知る一つの方法と思えてなりません。

<サイト管理人> 2015年1月1日記述



 【個人に二者択一を迫る日本的な風習について】 第433回

   日本に住む人間は左翼か右翼といわれるように、思想的に「左」か「右」に属することを求められます。そして不思議なことに一旦「左」と決められると、政治的な問題から日常生活まで「左」の言動を求められます。「左」とレッテルを貼られた人は、平和憲法を守らなければならない、夫婦別姓に賛成、原発の再開は反対、リサイクルを進めるべき、日本は過去に侵略戦争をした、大企業は悪であると言わなければならないでしょう。日本はある種のムードで左の考えは左で統一していなければならないとされるわけです。
 一方で「右」となると、日本の伝統尊重、日本式家庭を守れ、原発再稼動に賛成、再軍備賛成、神社尊重、保守系政府への批判的な発言の禁止、憲法改正となります。それに反すると右のグループから追い出されることとなります。

 私は日本の伝統に誇りを持ち、日本を守る必要があると考え、日本は侵略戦争をしていないと思っております。しかし、原発の再開には反対しておりますし、現行憲法の内容は概ね正しく、改悪するくらいならばそのままのほうがまだ良いと考えております。ですから、多くの人には矛盾していると言われます。日本的な右翼ならば原発には賛成しなければなりませんし、右翼なら平和憲法思想に反対のはずです。左翼と判断された人は左翼が言っていることに反してはならず、自分なりにひとつずつ考えるとおかしな人とされてしまいます。とにかく、まず「全員が一致しているのが良い。違う考えのものは排斥しろ」というのが日本人に求められる第一で、次に、「全員が一致しなければ、左か右に別れなさい。そして自分の考えを持ってはならない」というのが第二です。いずれにしても、「みんな一緒」を求めたがります。そうでないとその人を評価することができないというのは残念でなりません。そういう意味において日本教に染まった日本人が私は好きになれません。

 民主主義というのは各人が歴史観、人生観で考えて自分自身の考えをもつことを認めるといいますか、それが前提となります。「みんなが言っているから」であるとか、「左や右のの思想とはこういうものだ」という定義こそ、社会を停滞させ、思考を停止させ、思い込んでいることを示しているのではないでしょうか。そしてそれを理由にバッシングしてくるというのも奇妙なことです。それに加えて、今度のシリアの悲劇で見るように、「自分の考えていることは正しい。だから不正なものはやっつける」という「正義尊重」は危険といえるでしょう。日本でも「右」、「左」の硬直化した思想で、この問題を論じ、日本が戦争の道に進まないようにしたいと思うのです。欧米的な発想に浸って正義を判断することは日本の安全保障の崩壊を意味するようにも感じております。

<サイト管理人> 2015年2月9日記述



 【イスラム諸国を理解できるのは日本教の日本人だけでは】 第434回

   以前のブログでも紹介しましたが、「あなたは宗教を信じますか?」という質問に対して「信じる」と答える日本人はわずかです。しかし、日本の宗教施設に関係している人は2億人以上といわれ、人口の約2倍にもなるのです。言い換えると「神は信じないけれど、結婚式ではイエスに愛を誓い、正月は初詣に行く、葬式は坊主に経を上げさせ戒名をもらう」というのが標準的な日本人ですから、2倍という数字になってしまうのです。
 それでは日本人は神を信じていないのでしょうか?もしそれが事実なら、初詣で手を合わせたりしないでしょうし、手を合わせる際、多くの人は心から神に願っているのではないでしょうか。つまり日本人は「神はいないと思うけれど、いると思う」という心をもっているのです。私には「日本人のいい加減さ」と思えますが、そうではないというのが識者の考えのようです。日本にはもともと「宗教」という言葉がなく、明治維新前後に欧米の書物を翻訳するときに、仕方なしに作ったのが「宗教」という言葉です。「宗」の字は「あまりに厳かで文字にすることができないこと」です。なお、日本では仏教に「宗門」という言葉があり、宗教に似ていますが、かなり意味は違ってきます。ただ、日本には神道、仏教、そして一部ですがキリスト教(浄土宗,浄土真宗はキリスト教のネストリウス派の影響を受けている)もあり、違う宗教が混ざっている状態でした。そもそもそれを日本人はどのように考えてきたのでしょうか?

「日常生活は神道の神」
 農作業の時には神道の神にお願いする。
 新年のお祝いには神道の神にお願いする。

「生死などは仏教」
 生死を考える時は仏にお願いする。
 疫病など、危機が訪れると仏にお願いする。

「男女関係や遊びはキリスト教」
 結婚の時にはキリスト教会でイエスに愛を誓う。
 告白にはバレンタインデーを利用する。
 遊ぶ時にはキリスト教のハロウィンを利用する。

 このように日本人は、神仏に分業を願うというスタンスで、全ての神を受け入れ、本来崇拝の対象でない仏をも半分信じ、決して神仏を裏切らず、どの神仏も尊重することをしてきました。決していい加減ではなく、深い理解力があることを示しているともとれますし、主だった戒律がいらないというのも日本特有の生活環境に根ざしていると考えられます。このような日本教の日本人の考え方でイスラム教を見ると、すでに同じものが神道として日本にあるので、特に分業をお願いする必要はないばかりでなく、イスラム教を排斥しようという意識は全く持っていません。従って日本人はイスラム教を受け入れることができる民族であり、さらには、それを世界に向かって発信できる唯一の国ともいえるでしょう。

<サイト管理人> 2015年2月18日記述



 【法人税率引下げは設備投資の増加に繋がらないことについて】 第435回

   まず、法人税率引き下げにおいて重要なのは、「なぜ引き下げが必要なのか」について証拠を示すことでしょう。
 一般に法人税率引き下げが望ましいとされる理由は、幾つか挙げられています。主要なものは「日本企業の海外移転を防げる」、「国内の設備投資が増加する」、「対内投資が増える」、といったことではないでしょうか。これらについて考えてみます。

 第1に、法人税率引き下げによって設備投資が増加するとは考えられないことです。「法人税率は設備投資の決定に中立的」という結論は経済学の基本的な命題になっています。税率引き下げによって税引き後投資収益は増えますが、他方で控除される利子分か減るので、税引き後の利益は不変にとどまるからです。もしも設備投資を増やしたいのであれば、投資税額控除等の手段によるべきでしょう。
 過去のデータを見ると、2011年12月の改正で、日本の法人税率は30%から25.5%に引き下げられました。しかし、設備投資は増えなかったのです。実質GDPに対する実質民間企業設備投資の比率は約13%で変わっていません。税率引き下げが必要というなら、この際の税率引き下げがなぜ設備投資を増加させなかったかを、まず説明しなくてはなりません。

 第2は、日本企業が設備投資を行ったり、対内投資を呼び込めるような魅力的な投資機会が日本に存在しないということです。実際には、金融緩和を行ったにもかかわらず、国内の設備等は増えておりません。この事実が示すのは、もはや日本国内に有利な投資の機会がないということではないでしょうか。設備投資を行っても、企業価値は高まらないのです。仮に大胆な規制緩和が行われてビジネスチャンスが生まれれば、条件は大きく変わるでしょうが、重要なのは、そのような経済環境をつくることです。法人税率を操作することではありません。

 第3は、高度成長型思考法からの脱却です。法人税率引き下げ論の根底にあるのは、輸出産業を中心とした産業構造を復活させようという願望です。しかし、さまざまの指標は、もはやこうした方向が適切なものではなくなっていることを示しています。先に述べた投資機会の消失は、その最たるものでしょう。国際収支統計が示しているのも同じことで、13年度の日本の貿易収支は、国際収支統計ベースで10.9兆円の赤字となりました。これは、日本の輸出立国モデルがもはや成立しないことを示しているわけです。国内の投資を増やして国内の生産を増やし、それによって輸出を増やそうとしても、もはや実現できません。

 法人税率引き下げには、引き下げという結論がまず最初にあります。さまざまな理屈は、それを正当化するために無理して探し出されたものです。本当に必要なのは、日本経済をどのような構造にすべきかの議論でしょう。

<サイト管理人> 2015年2月23日記述



 【原油価格の下落からあれこれ考えを巡らせてみますと】 第436回

   昨今1ドル120円程度で推移し、原油価格が1バレル当たり50ドル程度まで下落しております。日本銀行が掲げる2%インフレターゲットにとって円安はフォローになりますが、原油安はアゲインストです。原油価格の低下は国民生活や産業活動にとって望ましいことですが、日本銀行はそうした効果を円安で打ち消そうとしています。私からするとこれほど愚かしい行動は考えられません。

 原油価格の長期推移は1980年代の後半から1999年後半まで、1バレル20ドル程度で安定していました。しかし、2005年頃から需給を無視した原油価格の高騰が始まり、2005年に50ドルを超え、2008年には100ドルを超えました。これは記憶に新しいところですが、第3次オイルショックと呼ばれることもあるそうです。ガソリンスタンドでは値上げ前日毎に渋滞ができ、救急車の通行に支障を来たすこともありました。当時は中国やブラジルなどの新興国の需要が増えたからと言われていましたが、相場の長期的なトレンドからするとこの時の上昇は例外的だったようです。なお、鉄や非鉄金属の価格も大幅に上昇しており、私の記憶ではスクラップ価格が1キロ70円という値段をつけていました(現在は1キロ20円程度)。その後リーマンショックが起こり2008年9月下旬頃からわずか2ヵ月で原油価格は半分程度になりましたが、2011年頃に再び100ドルの水準に復帰し、2014年秋から暴落となりました。
 原油価格下落の原因として、供給過多や、原油輸出の依存度が高いロシアへの制裁が目的とする指摘もあるようですが、基本的な理由は、世界的な投機資金の動きが変わったからだと思います。2008年に原油価格が急上昇したのは、それまで証券化された金融商品に投資されていた資金が、原油などの資源に移動したからであり、今回の原油価格下落はアメリカの金融緩和策の終了予測によって資金が原油から引き揚げられた結果と考えられます。 なお、現在の水準はまだ2002年頃からの上昇トレンドには乗っています。つまり、長期トレンドからすれば1バレル50ドルは決して安いわけではありません。だとすればもう一度値を戻すか、この程度での価格の安定が続く可能性もあります。要するに先の相場は解らないのですが、50ドルという価格は高いわけでもなく、安いわけでもないことを理解しなくてはならないでしょう。思い込みは禁物です。
 ちなみに、日本では円高が悪で円安は善であるという認識が強いようですが、これも思い込みによるものであり、日本経済にとっては円高よりも原油などの資源高による国民所得の流出の方が大きな損害を与えてきましたから、1990年代に続いた1バレル20ドル台に戻ってくれることは望ましいところです。私は学生の頃中古のシルビアに乗っておりましたが、ガソリンは1リットル当たり90円程度でしたし、国民の所得は今よりも10%以上多かった現実があります。

 経済界や株式市場などでは円安を歓迎しているようですが、円安の時期が長くなり、構造的な問題にまで広がってしまった昨今、大きなゆがみが国内に生じはじめております。電気代や飛行機運賃などは簡単に値上がる可能性を含んでおり、値上がりすることは賃金が実質的に下がることにも繋がります。円安は一種の賃下げなのです。また、資源価格の上昇は円高よりも国民所得の流出につながる肝心な問題です。原状は原油安が補ってくれる分だけ所得流出は少なくて済んでいますが、個人的にはこれが長く続いてくれることを願うばかりです。

 2002年から2007年まで日本は戦後最長の景気拡大を遂げ、名目輸出額は7割増えましたが、賃金を見ると7%程度下がっておりますから、円安で輸出を増やしても当時の日本の国民生活は向上しなかったのです。以前のブログにも再三書いたとおりです。本来、物価はマネーの量に左右される現象であり、インフレもデフレも中央銀行がコントロールできるとの声がありますが、それは日本銀行が供給したマネーが経済を循環することが大前提となります。現在のようにその前提が無い状況では、日本銀行と金融機関とのお金のやり取りばかりが増えますから、円安による輸入物価高は考えられるものの、根本的にデフレを止めることはできないでしょう。
 グローバル化という言葉を安易に使いがちですが、これは世界中の最も安い国で製品を作って他の国が買うことを指しております。ですから、製品を作る国はこれからも変わっていくのです。日本のような一等国で作られる商品の品目は限られております。中国やインド、ブラジル、南アフリカ、ロシアの時代が終わればインドネシアもラオスもカンボジアもミャンマーもあります。ジンバブエやモザンビークなどのアフリカの南に位置する国々は近い将来日々耳にする可能性があります。つまり、生産は地政学的リスクを伴う国へ矢継ぎ早に移行していくのです。話を戻しますが、円高及びデフレが悪であるという洗脳は政府が多額の債務を抱えているからに他なりません。政府の債務が無ければ官民共に両手を挙げて「資源安+円高」を歓迎することでしょう。それとも政府は円安から日本を発展途上国へ戻そうというのでしょうか。自国で何でも生産する昭和40年代に戻ろうというのでしょうか。確かに円の価値が下がっても負債の額面は変わりませんから、所得や税収が増えればあらゆる借入れの返済は楽になるのでしょうが、「国債の利回りをいつまで抑えられるか」を想像しただけでおぞましい限りです。早く行財政の構造を変えてもらいたいものです。変動金利で借金をしている者を破産させるのか、日々慎ましやかな生活を送りながら預金をしている人間から多くを奪い去るのか...。個人も難しい選択を迫られる昨今になりました。

<サイト管理人> 2015年2月25日記述



 【目新しい出口戦略など立てられず迷走するしかない日銀総裁と首相】 第437回

   日本銀行は新発国債に匹敵する額をほぼ100%市中から買い入れることから、現状では金利が抑えられていますが、この国債買い入れを止めると発表した途端に長期金利は急騰し始めることも予想され、利払い増加を避けるためにも異次元緩和を続けざるを得ない状況続いているように思える昨今です。予算委員会での黒田日銀総裁を見ても以前のような強気の発言はありません。もちろん一般の金融機関は日本銀行が買入れを止めても以前のように国債での運用を進める(増加させる)でしょうから、どの程度金利が上昇するのか(もしくは下落)は誰にもわかりません。ただこの量的金融緩和政策の継続はコントロールできないほどの円安を誘発しかねないことも事実であり、年間3兆円にも及ぶ日経ETFの買付けも含めたこの前代未聞の財政ファイナンスが著しい負の遺産を積み上げたことは間違いないでしょう。

 現状、日銀のバランスシートは300兆円程度ですが、数パーセントの評価損が出た場合、いきなり債務超過になることを心しなければならないでしょう。特に住宅ローンなどを変動金利で借り入れている人は留意しておく必要があります。仮に2016年7月の参院選まで現状の金融緩和を続けた場合、2017年4月に消費税増税が控えておりますから、日本銀行が出口戦略をとる余地は無いに等しく、国債購入の中止を宣言すれば景気が後退するばかりでなく、国は利払いのために大きな赤字を背負い込むことになり、このケースでは財政破綻も視野に入れなければならなくなります(現時点では私はまだ可能性は低いと思っております)。日本銀行が引き受けた国債に対する利子は国庫に返納されるという不思議な構図が成り立っているので、日本銀行が日本国債を100%に近い額保有すれば利払いの心配も不要かもしれませんが、現実ではあり得ない話です。

 世界的な先進国のデフレ懸念から米国に端を発した量的金融緩和に愚かな日本政府が追随し、未だにデフレの特効薬であるかのような報道が目立ちますが、先進国で長期に渡って実際にデフレに陥った経験を持つのは日本だけであり、この量的金融緩和政策も前例など無い人体実験の様相を呈していることも認識しておく必要があるのではないでしょうか。デフレ脱却を旗印にした日銀の財政ファイナンスによる量的緩和の拡大は、少なくともこれまでの世界経済の歴史の中ではハイパーインフレを起こしてほぼ債務を帳消しにするかデフォルトするしかその最終的な解決策を持たないのが現状でしょう。
 このような状況をどこまで正確に理解しているのかは不明ですが、自身の名前をもじって株価の上昇と制御不能寸前の円安を自画自賛する無能な首相と、自らデフレ脱却の救世主を買って出たものの、窮地に立たされた日銀総裁が今後どのような判断をしていくのかが極めて注目される事態となってしまいました。
 なお、限りなく不可能に近い「無傷の出口戦略」などはあり得ないと考えておりますが、戦略としては日本銀行が行なっている量的・質的金融緩和を早急に方向転換して、緩和から引き締めへ向かうこと、つまり、国債などの買い入れを止めること以外にはありません。結局日銀の取れる行動は、国債の買い入れ額をどう変化させるかに依存しているだけで、出口というのは緩和を縮小し、引き締めに向かうことですから、現在FRBが行なっているように、まず買入れ額を減らしていき、買入れを止め、そして、国債を売り出していく、いわゆる売りオペを行うだけです。これは単純ながら結果が予想通りに行くかわからない難しいオペレーションになることでしょう。

<サイト管理人> 2015年2月27日記述



 【やはり難しい個別銘柄への投資とバスケット投資の重要性】 第438回

   以下は2015年2月26日のモーニングスターのファイナンス系のニュースです。
「26日後場の日経平均株価は前日比200円59銭高の18785円79銭と大幅反発した。終値ベースでの18700円台は2000年4月20日(18959円32銭)以来約14年10カ月ぶりの高値水準となる」。
 このニュースを見ると何やら大半の銘柄がこの10年来の最高値を更新しているように思いませんか?今回はTOPIX Core30採用銘柄をサンプルとして過去10年来の最高値をまとめました(本来ならば日経平均算出の225銘柄を全て抜き出すべきですが時間の兼ね合いからCore30としました)。個別銘柄への投資や長期投資が難しいことの意味とバスケット投資の重要性が見えてくると思います。なお、TOPIX Core30(トピックス コア30)は、TOPIXニューインデックスシリーズの一つで、東京証券取引所の市場第一部全銘柄のうち、時価総額、流動性の特に高い30銘柄で構成された株価指数のことをいいます。市場の実勢をより適切に反映させるために年に1回(毎年9月)構成銘柄の見直しが行われております。また、バスケット投資とはセクターごとに代表銘柄を選定し、全業種を網羅した買入れを行うことです。

 銘柄 コード  過去10年最高株価年次+株価   現在値 
 JT 2914 2014年  約4200円  3723円 
 7&IHD 3382 2006年 約5500円 4555円
 信越化学工業 4063 2007年 約9200円 8200円
 武田薬品工業 4502 2007年 約8200円  6108円
 アステラス製薬 4503 --- --- 1898円:10年来最高値
 新日鐵住金 5401 2007年 約950円 320円
 小松製作所 6301 2007年 約4000円 2480円
 日立製作所 6501 2007年 約910円 822円
 パナソニック 6752 2006年 約2850円 1457円
 ソニー 6758 2007年 約7000円 3346円
 デンソー 6902 --- --- 5636:10年来最高値
 ファナック 6954 --- --- 22930円:10年来最高値
 日産自動車 7201 2007年 約1500円 1263円
 トヨタ自動車 7203 2007年 約8150円 8126円
 本田技研工業 7267 2007年 約5000円 3996円
 キャノン 7751 2007年 約7000円 3882円
 三井物産 8031 2007年 約3100円 1654円
 三菱商事 8058 2008年 約4000円 2371円
 三菱UFJFG 8306 2006年 約1900円 786円
 三井住友FG 8316 2006年 約14000円 4702円
 みずほFG 8411 2007年 約1000円 220円
 野村HD 8604 2007年 約2900円 729円
 東京海上HD 8766 2007年 約5600円 4320円
 三井不動産 8801  2007年 約4000円 3366円
 三菱地所 8802 2007年 約4000円 2799円
 東日本旅客鉄道  9020 --- --- 10215円:10年来最高値
 日本電信電話  9432 --- --- 7500円:10年来最高値
 KDDI  9433 --- --- 8371:10年来最高値
 NTTドコモ  9437  2007年 約2250円 2130円
 ソフトバンク  9984 --- --- 7436円:10年来最高値

 今回は過去10年株価を参照しておりますが、過去15年株価を参照した場合1999年頃のITバブルの株価も関係してきますから、9000番台の銘柄は最高値になるかは解りません。とりあえず10年来の最高値をつけているのは30銘柄のうち7銘柄です。
 金属系や銀行系、証券系、商社系株価では直近高値から著しい下落が目立つと共に、ソニーなどの過去の主力銘柄の下落幅が大きいことが解ります。ちなみに、以上の表から何を思われるでしょうか?年代ごとにトレンドが移り変わり、市場の実勢も適切に反映されていないことが観られるのではないでしょうか?長期投資も難しいことが解ると思います。株価とは実に不思議なものです。だからこそバスケット投資からリスクを分散する必要があると考えるのです。

<サイト管理人> 2015年2月27日記述



 【「手元資金の自由度を奪う長期投資」をお勧めしない理由】 第439回

   一般論から入りますが、投資は株式でも為替でも短期にて売買を繰り返す「短期トレード」と、その逆の「長期トレード」があります。現在のような悪性の円安インフレに見合うかどうかは別にしても、投資は長期スタンスで臨むことを勧める識者が多くおります。短期トレードはゼロサムゲームに陥るケースがあるからでしょうが、これに関してはブログ開始当初もよく記しました。対して長期トレードは企業に投資することを意味します。ある企業が新技術の開発などに成功して、より大きな企業に成長し、企業価値が上昇することから株価は値上がりして配当金も増えるという考え方に則っています。
 長期トレードを肯定して短期トレードに対して批判的な立場をとる人は、「いつもパソコンの前に座ってマーケットを見続けなければならず、会社で仕事をしている人には無理な手法である」などということを口にしますが、私にはクエスチョンマークがつくのです。
 前回の投資ブログでも書いたように、投資期間が長くとも銘柄の選定は難しく、Topix30に選定された銘柄ですら高値で拾えば利益を上げることが難しいのです。先日会社更生法を受理されたスカイマークや以前のエルピーダメモリ、日本航空、武富士などといったかつての優良企業も安全な投資先ではありませんでした。一世を風靡したPC98シリーズのNEC、ウォークマンやプレイステーションのソニー、液晶に偏重してしまったシャープなども株価が低迷しています。ですから長期投資では業種別にバランスよく銘柄を買い入れなくてはなりません。それには最低7桁後半の資金が求められます。また、長期投資の問題は買い入れる期間も分散しなくてはならないことです。マーケット全体でみれば相場は常に上下を繰り返すことから、平均取得単価というものを考えなくてはならないのです。これも考慮に入れると投資につぎ込む資金は膨らんでいかざるを得ません。

 私が一番危惧するのは、投資をする人間の大半が1000万円強の金額で取引を行っている点です。この程度の資金を動かしているということは、預貯金や不動産、その他所有する動産価値の推測もできます。つまり石を投げれば当たるその辺の人が投資をしているのです。どこにでもいる普通の人は「ふつうの生活」をしますから、生涯に1度ないし2度程度住宅の購入もあるでしょうし、数年に1度は車の買い替えもあるでしょう。子どもの学費もかなりのものです。このように比較的大きな資金が必要になった時、保有株式の評価益が出ているかどうかはわかりません。マイナスでも売り切るのが短期投資の鉄則ですが、長期投資を行っている人に損切りができるとは思えません。とかく利益が出たら○○を購入しようという発想になりがちです。大切なことは生活を豊かにすることですから、いつでも必要なものがすぐに手に入れられる環境を作っておくことが肝要でしょう。

 そもそも長期投資は一般に言われるように最適な投資手法でしょうか。長期に自由を奪われるくらいならば換金売りを伴うパニック相場でのリバウンドを狙った短期投資こそ最たる投資(投機)手法ではないでしょうか。

 現在、日本銀行やGPIF、その他共済等が大量に株式を購入しております。GPIFに関して言えば、国内株式(外国株式も同様)の運用比率を25%にまで伸ばすことから、市場に大量の資金を供給しています。日本銀行もETFを3兆円程度買い入れると表明しておりますが、前者とは桁が違います。ただ、GPIFの資金も無限ではありません。現在のペースで買入れを行えば2015年中には資金は底をつくと考えられ、大きな買支えの一角を失うこととなります。東京証券取引所における取引の65%程度を占める外資の動きはそれに先行する可能性もありますから、現在のような状況が年末まで続くことは無いのかもしれません。もしも円安による貨幣価値の下落が今後も続くならば、実体経済を無視した株高は続くでしょう。しかし「実体経済と株価のかい離こそがバブル」であることから、この先のどこかで破裂することは必然なのです。また国民の実質所得は伸びず、生活が困窮するという不条理な状況となるでしょう。

 さて、株式を購入する企業の選定もそうですが、大量の資金を動かす機関の動きを読むことも難しいのが株式市場です。また、技術などの予測もつきません。今後何が発明されるか、どんな技術が開発されるかといったことはわからないのです。
 トヨタ自動車などの業績が堅調のようですが、同社は時価総額が世界ランクで50位以内に入る企業規模であるものの、単なる自動車メーカーに過ぎないことも知っておくべきです。自動車も随分とハイブリッド化が進み、完全に使い捨ての商品となりました。家電製品と同じです。また現在、自動車を自国で生産する能力のある国は世界にいくつあるでしょう。それだけ競争が激しく浮き沈みがある分野です。日産自動車は過去に大きな失策を演じ、未だにフランスのルノー傘下の企業に甘んじております。リーマンショック前まではスズキもGM傘下にありましたし、マツダはフォード傘下でした。自動車産業は軍需産業やロケット産業等の幅広い分野を包括している重工業のような分厚い業種ではありません。トヨタ自動車は負けないという神話を捨て去るべきです。また、10年前にGoogleやFacebookなどの企業が生まれることを何人が想像できたでしょうか?Googleは時価総額でトヨタ自動車の2倍近い巨大企業になっています。アップルに至っては3倍程度の企業です。10年足らずで巨額な時価総額を生み出す企業が生まれる分だけ消える企業もあることを心しなければならないでしょう。だからこそ長期投資は難しいものと考えるのです。

<サイト管理人> 2015年3月2日記述


 株式投資コラムは静岡県より発信しております。
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