Column & Blog 6


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[No,1〜No,39] [No,40〜No,79] [No,80〜No,119]
[No,120〜No,159] [No,160〜No,199] [No,200〜No,239]
[No,240〜No,279] [No,280〜No,319] [No,320〜No,359]
[No,360〜No,399] [No,400〜No,439] [No,440〜No,479]
[No,480〜No,***]

 No,200  【認知心理学から人間の錯覚について考えてみる】
 No,201  【丸山眞男からもう一度学ぶべきことについて】
 No,202  【お金が余っているから増税になることの意味】
 No,203  【消費税増税とTPPの問題について考える】
 No,204  【政府の政策の限界を知ることの必要性】
 No,205  【政府主導の日銀国債引受けの意味する裏を読む】
 No,206  【ヨーロッパ人の強制的な文明と知識人の詭弁】
 No,207  【三重野元日銀総裁の功績について改めて考える】
 No,208  【日本の大学の存在意義について考えてみる】
 No,209  【日本教の日本人の曖昧な面を考える】
 No,210  【金利商品と日経平均株価に関係はあるのか?】
 No,211  【TPP参加の本質についてもう一度考える
 No,212  【経済から離れて日本の国防問題について考える】
 No,213  【白川方明総裁と黒田東彦次期総裁について考える】
 No,214  【資源と技術問題について少々考えてみる】
 No,215  【大韓航空機撃墜事件から考える日本国憲法】
 No,216  【正しい感覚を養う為のヒント】
 No,217  【投資では認知心理学を応用できる能力を養うこと】
 No,218  【株価の予知はなぜ当たらないのかについて考える】
 No,219  【現在の経済政策に関する問題点を簡素化して考える】
 No,220  【成熟経済の予測には一定の循環性を利用できるのか】
 No,221  【デフレが悪であるという方々が考えるべきこと】
 No,222  【正しさを考えず、間違いばかりを追求しがちな人々】
 No,223  【グローバリズムと情報革命について】
 No,224  【リフレで恩恵を受けるのは資産家と無資産の人々】
 No,225  【ドイツを中心にEUについて少し考えてみる】
 No,226  【これからの為替相場について】
 No,227  【現政権に対する問題と報道機関の矛盾について】
 No,228  【日本と捻じ曲がった儒教思想の韓国は折合わない】
 No,229  【左派・右派を問わず正しく歴史を認識しましょう】
 No,230  【経済問題を考える上での不思議と投資について】
 No,231  【働くという第一義的な目的と株式投資について】
 No,232  【正しい歴史認識と歴史的事実は異なることについて】
 No,233  【テレビの凋落と質の低下、そして投資について】
 No,234  【株式投資で出遅れたと感じている人たちへ】
 No,235  【円高に際して天皇陛下が述べられた言葉】
 No,236  【見せかけに過ぎない建築バブル到来報道について】
 No,237  【「仕方が無い」という言葉の使い方と意味を考える】
 No,238  【学問そのものを真摯に考える】
 No,239  【ホームページを開設して2年が経ちました】

  





 【認知心理学から人間の錯覚について考えてみる】第200回

 クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ著、「錯覚について(サブタイトル:見えざるゴリラ)」を読んだところ、私が抱える幾つかの疑問が解けたことから、錯覚について考えてみます。

 昨今のニュースでは「地震はいつ起こりますか?」という愚問が飛び交います。地震学者は必ず起こると言いますし、確率も毎年高く出します。この質問は、「私は死にますか?」というのと同じ愚問であり、いつかは来るものに対していつ来るのかを聞けば返せる答えは「今来てもおかしくない」になってしまいます。もちろん日頃からの備えが必要なことは言うまでもありませんが、結果として視聴者の不安を煽るような表現は避けるべきだと思っております。不必要な知識は不安に繋がるのです。

 また、多くの知識を持つ人間は知識の呪いを受けます。知識はある一定の方向に人間を向けてしまうからです。相手の使う専門用語に酔ってしまうからともいえます。理解しにくい単語ほど影響力が強いでしょう。解ったような気がしてしまうのです。
 多くの人は銀行員やファイナンシャルプランナーの言うことはすんなりと聞きますが、その結果のサブプライムローン不況です。結局他人の知識を自分の知識だと錯覚することから、問題が発生してしまいます。そして、情報が多いほど損をすることもあります。自己において情報が多いほど混乱するのです。サブプライムローン債という債権は金融商品を作るエリートが集って問題を大きくする結果となりました。
 結局のところ、取り入れる知識を絞り込み、自分で判断し行動することこそが危機を乗り切る最大の手段になるでしょう。

 日本が東日本大震災で「福島パニック」になった時、アメリカ合衆国は外交官を強制的に送り返したようです。しかし、ニューヨークの放射線量は当時の東京よりも高かったことから、東京に戻したという話を聞いたことがあります。ニューヨークにもエリアによって自然に放射線量が高くなる地区があるということです。つまり、安全というものは的確な測定がなければ解らないのです。イメージから危険と判断された東京がニューヨークに対して安全であったことは人間の錯覚の大きさと単純さを物語っているようです。いつも人間は頭で考えてしまい、錯覚に陥ってしまいます。

 「いつも野菜を食べている人は健康」と思いませんか?これは間違いです。野菜を食べると健康になるという科学的根拠はないのです。相関関係は因果関係ではないことに注意しなくてはなりません。
 「モーツアルトを聞くと成績があがる(モーツアルト効果)」はグレーです。そもそも冷静になることと、知能テストを行う人間の知能が同じであることが必要条件ですが、効果を測る条件は揃いません。つまり、モーツアルト効果は証明できないといってもよいでしょう。
 「脳は10%しか使っていない」これは完全に間違いです。そもそも潜在能力がどのくらいあるかを測りようがないからです。
 他にもたくさんの例がありましたが、興味があるようでしたら本をお読みになることをお勧めします。

 もうひとつ、私達が報道から因果関係を勝手に思い込む例を紹介します。
 「ある晩、静岡大学にいた彼女が岐阜に帰ると言った、彼は帰るなと言った。彼女は故郷に帰った。その後彼は薬物自殺をした」。このような記事を読むと事実だけを書いており、嘘は一行もありません。しかし彼が死んだ理由は彼女のせいに思えてきます。しかし上記の文章は出来事の羅列に過ぎなません。事件を最後に置くと、その直前の出来事が原因に思えてしまうのです。

 デマの基本は、偶然に聞いた出来事を重要な情報と錯覚してしまうことから発生するということです。私達は錯覚を避ける術がありません。錯覚が起きることを忘れた錯覚ほど怖いものはありません。原子力発電の賛否は別として、安全神話という奇妙な神話にして国民が錯覚してしまったことが危険であるのです。
 「私は錯覚する生き物である」ことを理解することが、錯覚から逃れる唯一の方法でしょう。そしてこの平衡感覚が株式投資における投資ロジックの構築に繋がるものと思います。

<サイト管理人> 2013年 1月29日記述



 【丸山眞男からもう一度学ぶべきことについて】第201回

 コラムの第195回でも記述しましたが、戦後を代表する政治学者、丸山眞男の論理と精神は日本で有力な知識人とマスメディアに受け継がれていることでしょう。現代の日本に関係の深い彼の思想は、次のようにまとめられます。

●誰も戦争をするつもりがなく、大東亜戦争に突入したのは、論理で社会が動かずに空気で動くから。誰が主張し、誰が言っているのかわからないような空気を支持してはいけない。
●考えの違う他者を許さず、日本だけが特殊で一歩外国に行くと全く通用しない事実や論理を崩さない日本社会の欠陥は修正されなければならない。
●民主主義が機能するのは、個人が自立し、尊厳を守り、本質的に矛盾する関係にある権力に対して自立することに他ならない。

 このような矛盾した日本ができたのは鎖国と開国をくり返し、精神分裂的状態になったからでしょう。多数派につけという雰囲気が彼の時代よりさらに強くなり、他者を認めないどころか、バッシング、新聞やテレビは意見の同じ人ばかりを出すというようになってきました。「他者の存在を認めないのではなく、さらに病的に他者の存在に気がつかない状況には気をつけなくてはならない」と丸山が語っていたのを思い出します。

 私はよく「多重人格者」と呼ばれます。それは「自分と違う意見の人の考えを理解しよう」という行動を取るからです。理解するのは自分が同じ意見だということには繋がらず、相手の言っていることを理解するということだけなのですが、そこに誤解が生じるようです。現在は「人の話を聞かない日本」なのですが、それにも方向性があります。政府が言ったことが本流であり、それに反する意見を言う人は非国民だという感情は日本に強く残っています。そして意見を聞かずに一方的にバッシングしてしまう。これこそ丸山眞男が批判したことでもあります。

 権力は常に民主主義の敵であり、それに対する警戒心と、自立の心を持つことが求められるのに、エコポイントや禁煙運動、クールビズ、節電まですべてのことを政府からの指示で動く社会ができあがっています。丸山眞男は「思想は思想だけでは意味が無い」だけではなく「思想が社会運動に発展しなくても大いに語られ、それが社会に影響を及ぼさなければ何の意味もない」と言っております。
 現在の日本を考えると、日本には「政治学」というのは無いのではないかと思います。学問というのは積み重ねていくものですから、丸山眞男のような人間が体系化し打ち立てた「日本の政治学の基本」は事態の変化によって容易には変わらないはずです。もしも日本の中枢の政治学が彼の学問から大きく変化しているなら、政治学という名前を使うべきではないでしょう。

 私は丸山の思想の全てを受け入れるつもりはありません。天皇制の問題に対しては全く違う見解をもっているからです。しかし、丸山が追い求めた政治学の基本はもう一度日本全体で考える価値があると思うのです。
 株式投資の手法も様々ですが、自分とはかけ離れた手法を取るパターン人も単に異端として排斥せず参考にし、自分なりの方法を客観視する手立てとして捉えるべきでしょう。

<サイト管理人> 2013年 1月30日記述



 【お金が余っているから増税になることの意味】第202回

 日本人は一年でほぼ500万円稼ぎます。 こんなに稼ぐことができるのは,トヨタ自動車や三菱重工業などの最高の技術をもった会社があり、それを支える中小企業と300万人近い技術者がいるからです。そして日本人は一年でほぼ400万円を使います。節約精神にあふれ、さらに年金が不安定である点が影響していますが、付け加えるならば、使い方を知らないということもあります。これは世界的にも珍しい国民性です。

 税金は官がその年に使い切ってしまいますが、国債は証券が国民や銀行の元にあるので、何となくお金が残っている感じもしがちですが、もちろん無くなっているのです。もしも国民と銀行が「国債のお金を返してください」といえば,政府は「その分消費税や相続税、所得税を上げます」と答えますから、預けたお金は日本中どこにも無いとも言い換えられます。

 現在はもう少し酷いことになっているでしょう。銀行は国民から預かった預金を国民には貸さずに国債を買っています。 国民は預金しているつもりですが、実際は「国債」を買っているにすぎないのです。だからこそ、銀行預金を払い出しに行くとそれだけ消費税があがる仕組みともいえます。 すでに銀行預金は「自分のお金」ではなくなったのかもしれません。
 消費税を10%まで上げると政府は決定しました。それは「国債という借金を返さなければならない政府の責任だから」と言います。これは正しいのです。悪いのはお金を余らせてしまった国民だからです。日本には資本主義における精神に不可欠な倫理が欠けた結果といえます。よくマネーサプライの話をされる方もいらっしゃいますが、通貨供給量とこの問題は別問題と考えてよいでしょう。参考にマネーサプライの状況を以下に示します。

           

 なぜ国民はお金を余らせてしまったのでしょうか?それは、政府やマスコミの戦略に引っかかったからとは言えないでしょうか。 「もったいない」、「エコ」、「年金」の3つが制作者の作戦だったのです。一ヶ月一万円生活などという番組もありました。もともとお金の使い方が下手で,節約家の日本人に「もったいない」などと呼びかけたらどうなるかはわかっていることです。 特に財布の紐を握っている主婦は節約に走るのは当たり前です。貨幣の回転速度はインフレ・デフレに大きく関与してきますから重要な問題です。
 かくして、100兆円のお金が毎年政府に行きます。そこからまず自分たちの給料を取り、キックバックや天下り、さらに隠れた利権などを判断基準に分配を行います。

 かつて、日本の武士は「政治をするならお金とは縁を切る」というのが基本でした。それは「お金を前にしたら人間は意地汚くなる」というのが鉄則だからともいえます。
 官僚は優秀ですが、利権が絡みます。そして国民も悪いのです。お金を余らせば政府が使い、政府は「収益事業」をしないので、返ってこないことは始めから解っているのです。

 現在、日本人には二つの道が残されています。 一つが活発で明るい社会を造り、自由な雰囲気で人生を送ることです。 競争社会になりますが、格差は何らかのシステムで限界を決めることができるというものです。もうひとつは、日本人が全部,政府の家畜になり、何も考えずに黙々と働き、余ったお金はすべて政府が使う・・・今、ますますその方向に向かっているように思えます。

 株式投資においては家畜化が進んでいるように思います。銀行員が投資信託を勧めたから、証券会社が推奨銘柄を教えてくれたから、有名な投資サイトが有望銘柄を掲載していたから金融商品を買うという人が多く見られますが、これでは仮に投資で利益を上げられたとしてもその理由がわからないように思うのです。

<サイト管理人> 2013年 1月31日記述



 【消費税増税とTPPの問題について考える】第203回

 いきなりの話ですが、国の借金1000兆円は私達国民が銀行等の金融機関を通して貸しているのです。国債の購入です。借金の残額ばかり話題に上がり、消費税増税が決定されていますが、既にIMFに拠出した資金が2012年だけで10兆円近くが返還されています。これは恒久財源として政府に確保されています。国には多くのお金が眠っているのにも関わらず国債の発行残高に目を向けさせ、報道を煽り増税に繋げているのです。
 資本主義の倫理が欠損している日本教の日本人には私は増税が一番正しい手段とも思われますが、それよりもまず行政改革が優先されるべきです。公務員の給与カット及び公務員数の抑制、そして、不要な外郭団体(特殊法人)の解体です。また、政府は恒久財源の残額を正確に示すべきでしょう。

 また、環太平洋パートナーシップ(TPP)の問題は農業について多くが語られます。北海道を考えると農業だけで2兆円以上の損害を受けるとのシュミレーションがされています。日本全体で考えた場合どの程度の資産になるかは想像がつきません。また、遺伝子組み換え大豆といった安全性の不確実な食品も流入することでしょう。しかし、農業ばかりでなく公共工事が完全自由化され、国民皆保険制度が解放されてしまう可能性を秘めています。海外の安い労働力が流入されることも十分に想定されます。TPPで日本に自由に来ることが可能になる国々であるマレーシアなどは両手を上げて喜ぶことでしょう。
 ただ、一番喜ぶ国はアメリカ合衆国です。TPPにおいて考えるべきことはアメリカ対日本の構図です。TPP参加国の貿易額を見ても日米だけで90%を占めていますが、ここで問題になるのはTPPに参加する国の多数決で様々な事柄が決められることです。つまり日本は交渉に参加するだけでリスクがあるのです。そしてその先には制裁措置が待っています。1対1ではないのです。日本対他のTPP参加国という構図が自然と出来上がってしまうのです。

 対アメリカで考えると、医療の問題が最も深刻ではないでしょうか。最新の機械を導入することを進めたい地方の病院ですが、現在の医療費では経営が難しい病院が多く見られます。アメリカの医療法人はビジネスとして考え、疲弊した病院を買収し組織化することでしょう。そして、日本の国民皆保険制度を根本から覆すことでしょう。金持ちといわれる0.01%の人間は高級医療を受けることが出来、それ以外の人間は低レベルの治療しか受けられなくなる恐れもあります。
 また、アメリカの巨大保険会社も日本のTPP参加を強く望んでいます。国民の資産が1500兆円とも言われていますが、外資はその資産を狙っていると考えるのが自然です。揶揄するのではなく、アメリカ合衆国という国は実にロジカルに政策を取るものだと考えさせられます。

 少々話が飛びますが、TPP参加で水道等の公共サービスが民営化されるケースも考えられます。不合理に料金を値上げして、払えなければ簡単に水道を止めてしまうことも不可能ではありません。そうした角度からも生活が困窮することを考えておかなくてはなりません。ちなみに、今回のTPPには水道の利権に関しても盛り込まれております。やはり安易に交渉のテーブルに着くことは危険と思います。とは言いながら、私達の多くはその考えを進める政権を樹立したのです。もう少し国民一人ひとりが日本を取り巻く資本主義について考える必要があるでしょう。

 現在の総理は「聖域なき関税撤廃」という解りにくい表現をしていますが、日本にとっての聖域とはコメになるでしょう。政治家にとってJAの組織票である大票田を失いたくないからです。つまり、コメの関税さえ守ってくれれば全て飲むということを指しているのかもしれません。
 結局TPPを主導するアメリカは日本へのあらゆる分野での輸出を増加させることを目的とするでしょう。先述のGDPで考えても、アメリカの輸出先は日本しかないのです。アメリカは国内が空洞化した金融立国になってしまいましたが、一世代前の技術立国、生産大国に戻ることから、経済の回復を望んでいると思います。よって今のうちに日本に外貨を保有させ、その後、望ましくない急激な円高(緩やかな円高は望ましい)から、TPPが始まる頃、アメリカは日本への輸出を増やすと考えれば解りやすいでしょうか。
 結局のところ、日本という社会主義と資本主義の交じり合った国は、最高の軍事力を持った資本主義国家たるアメリカの政策を飲まざるを得ないのかもしれません。TPPの問題は次の参議院議員選挙の論点になるでしょうか。日本はアメリカ的な資本主義国家になれるのでしょうか。

 私観ですが、株式投資において自ら判断して売買を行えている人は少ないように思います。何となく買ってはみたものの含み損が出てしまい何年も塩漬け状態、そして相場全体の押上げで戻り売ってしまう。これでは資金を無駄に運用したばかりか、大きなリスクに自らの資産を晒したことになるのです。そういう資質を日本人は持っていますが、TPPの問題同様、何が投資の本質であるのかといった原点を考える時間を設けることは有益に思います。

<サイト管理人> 2013年 2月4日記述



 【政府の政策の限界を知ることの必要性】第204回

 これまで経済学者が実体経済に寄与したことはありません。また経済学者はバッシングを多く行う傾向があります。彼らはリーマンショックを起こした張本人でもあり、そのことを予測できなかったのにも関わらず、その反省を述べることはありません。
 現在、政府は税金を上げ、経済連は給与を上げないといっています。経済産業省は電気料金は値上げることを認めると言っています。これでは消費を増やすことは出来ません。

 ちなみに、新しい産業はイノベーションによって発生します。例えばスマートフォンです。日本人にスティーブ・ジョブスのような人間がいなければなりません。そして彼らを援助しなくてはなりません。本田宗一郎がオートバイを作った時には政府サイドからは本田に資金を提供しようとしませんでした。松下幸之助の場合もそうです。上から見た場合、本田のビジョンは到底理解できなかったのです。新しい分野の発展についてはお上は誰も理解を示せないのです。
 そもそも日本が発展する為には民間が発展しなくてはなりません。健康、太陽光発電(太陽電池)、エコロジー政策は既に終わっているのにも関わらず、こうした分野に投資を続けることには無理があるというものです。

 国家が税金を配る(国債の発行)はマイナス要因です。つまり、既存の技術に資金を投入するからです。将来のない分野に資金を投入しても何も生まれないでしょう。報道も誤った方向に進んでいるように思います。製造業の人口が1000万人を切りましたが、残念なことです。子供達は不遇な時代を過ごさなければなりません。パナソニックやシャープといった優良企業の凋落が良い例です。

 政府はもしも今の生活を向上をさせることを切望するならば、今存在しない技術に資金を投入することですが、それは残念ながら予測が出来ませんから無理があります。だからこそ国民の所得を如何にして増やすかという問題を解決することが優先されるべきです。そして国民が如何にしてそのお金を使うのかを考えなくてはなりません。先程イノベーションの話をしましたが、それはお金の使い先を作ることにも繋がるのです。
 繰り返しになりますが、現状は国民が自由に使えるお金を増やすことが重要です。日本の官僚は優秀ですが、今あることにしか対処できませんから、ここにも大きな問題があります。

 日本人全員がこの問題について考えなくてはならない時期に来ていると思います。とても難しい時期に来ていることは確かです。

<サイト管理人> 2013年 2月5日記述



 【政府主導の日銀国債引受けの意味する裏を読む】第205回

 丸山眞男などをコラムに出す私ですが、自民党内のタカ派?である安倍晋三首相の教育観や国家観(国防政策)は部分的に支持しております。しかし経済政策に関してはまるで理解が出来ません。政府の政策として金融緩和を行うということから、日本銀行もこの間の政策決定会合で物価上昇目標を2%として合意せざるを得ませんでした。
 そもそも金融政策に効果が無いことは過去のデータから明らかなのです。日本はこれまで極めて大規模な量的緩和政策を2001年から2006まで行ってきました。2010年からも行っております。しかし効果は一切無ありませんでした。物価上昇率に影響することも、不動産投資が活況をきたすことも、国内総生産も増加しませんでした。金融政策の大前提の経済全体にあるお金の量(マネーストック)が増えなかったことが原因といえます。

 教科書的な金融緩和とは中央銀行である日本銀行が銀行が持っている国債を買うことです。銀行が国債を日本銀行に持って行くことで、銀行の当座預金が増えることから始まります。実際、2001年から2006年までの間に、マネタリーベースは2倍に増えましたが、マネタリーストックは10%しか増えなかったのです。金額で言うと両者とも50兆円です。
 結局のところマネタリーストックが増えた分だけしか効果がなかったのです。銀行はマネーストックが増えると貸出しを増やしたいわけですが、これまで貸出しは増えませんでした。経済の全体に貸し付けの需要が無い為に、銀行の当座預金が増えただけに過ぎなかったのです。あくまで日銀券が増えただけなのです。経済全体からすると個人及び企業の預金の量も増えてはいません。

 ちなみに、消費者物価指数が1%を超えたのは2008年です。これは投機的な原油価格上昇に伴うものです。1%ですら厳しい状況で、継続的な2%という目標は無理な話でしょう。金融政策は引き締めこそできますが、活性化していない経済を後押しすることはできないのです。通貨価値を下げるだけでしょう。そして内需系の産業を圧迫することになるでしょう。円安になって輸出産業の収益が増えるのは確かです。2005年くらいの時も同じ状態でしたから否定はしません。ただし、日本は輸出大国であると同時に輸入大国なのです。

 そもそも「金融緩和をすれば実質利子率が低下する」というのは著しい誤解です。これでは投資の増加にはつながりません。経済学では「名目金利は実質金利+インフレ率」といわれますが、これはインフレ率が上がった時に、名目金利が一定だからこそ実質金利が下がるという議論です。完全な間違いです。
 インフレ期待が膨らむと、実質金利が一定で、名目金利が上がるのです。実質金利が下がることはあり得ないのです。ちなみに、個々の借入者(住宅ローン)から見れば、名目金利は固定されていることから実質的な負担は減りますが、経済全体ではインフレ期待が高まれば名目金利が上がります。個人の話を経済全体にすりかえてはいけないのです。繰り返しになりますが、インフレ期待が高まれば実質金利が下がるのは大間違いです。
 また、インフレになれば消費性向が高まるということも間違いです。将来高くなるなら今買おうという気持ちが生まれそうですが、名目金利が上昇しますから、インフレになっても同じ量だけモノが買えるからです。やはり、金融緩和が実体経済に何も影響を与えていないということを科学的に考えるべきでしょう。もちろんこのように単純な話を政府が理解していないはずがありません。本当の目的についてはコラム後半にて記述します。

 株が上がると思うから買う。不動産価格が上がると思うから買うのですが、実態経済と乖離することから資産バブルが生まれます。1980年代の話を持ち出せば簡単なことです。資産バブルとは実体経済との乖離です。企業の実態は改善しておらず、株価だけが上がっていくのはまさに資産バブルであり、本日の株価はすでに十分な乖離状態と言えるでしょう。これから先にまだ上昇するのか大きな下落を伴うのかは予想がつきませんが、実体の無い部分で解散価値を大きく上回った株価は幻想といえます。個人的な見解ですが、不動産価格の大幅な上昇といった状況にまでは至らないでしょう。

 さて、現在の相場は安倍バブルといわれていますが、本質的には2012年10月からユーロ危機が一服したことが大きな理由です。去年10月頃からイタリア国債が7%から4%台までに低下しております。つまり円を売って比較的安全資産になってきたユーロを買うという流れが生まれたのです。

 話を戻しますが、金融緩和に危険は無いのかですが、裏にある本当の目的は「国債の発行額増加に伴う金利上昇を抑えるため」日銀が国債を引き受けるということです。ただし、それがいつまでも出来るかというと疑問があります。札割れは2012年の9月から頻発しています。よって日銀に直接買わせることでこの問題は解決すると政府は考えているのです。本来そうしたことを政府が求めた時には日本銀行はNOを示しますが、政府は日銀法を改正してまで、要求を飲ませようというのです。これは何十年前の過去の失敗に学んでいないことを意味しています。

 物価上昇率やインフレ目標を引き合いに出すのは、出来ないことを示して日本銀行に責めを負わせる形で継続的に国債を引き受けさせることが真の目的なのでしょう。個人的にインフレを求めるのは構わないのですが、負担を負うのは個人です。定期預金が意味をなさなくなるということです。まずありえませんが、10倍程度のインフレ(ハイパーインフレと言っても良いレベル)が起こると予想した場合、円安が加速度的に進むことから輸入物価が上がり、国内の物価が大きく上昇します。この状態はコントロール不能な状況に追い込むことを意味しています。

 自民党が3本の矢と言っていますが、結局の1番の目的は財政出動に過ぎないのです。そして、国債の発行に伴う金利上昇を抑えるための日本銀行の国債引受けなのです。
 円の価値を守ることこそ政府の考える問題であり、日本銀行の役割でしょう。まず現政権が行うべきことは構造改革であり、日本銀行が行うべきことは通貨や物価の安定なのではないでしょうか。今回の資産バブル的な株価の推移が小さなもので収束することを願っております。また、際限の無い国債引受に伴う円安から日本人の持つ円の価値が国際的に下落しないことを強く願っております。

<サイト管理人> 2013年 2月18日記述



 【ヨーロッパ人の強制的な文明と知識人の詭弁】第206回

 アジアの人々はこの300年、ヨーロッパ人の圧倒的な軍事力と巧みな戦略にダマされてきたとは言えないでしょうか。今でも「ヨーロッパ(アメリカを含む)がやっているから正しい」という奇妙な論法を使う知識人が多いことは事実です。何かにつけてヨーロッパの社会保障政策などを持ち出す評論家もおりますが、それは欧州の政策の中の本の一部を切り取って都合よく論理を組み立てているに過ぎないのです。
 ヨーロッパ人は長くアジア、アフリカ、南アメリカを植民地とし、そこからの収益で豊かな生活をし、それを正当化してきました。ですからヨーロッパの論理が「正しい」ということは浅はかです。
 そして、現代は彼らの力はかなり後退しているものの、フランスの原子力、地球温暖化(ドイツの1990年基準)、生物多様性(アメリカの薬品会社)などは植民地主義の延長ですが、残念ながら日本はそれに追従してしまします。

 日本のようにヨーロッパより歴史が長く、誇り高い独自の日本教という文化を持った国が、ヨーロッパの後を伺い、まるで狐のようについているのは実に残念でなりません。ヨーロッパ人のもっとも大きな罪は「正しくないことを正しいように言う詭弁法」を磨いたことでしょう。そのような詭弁法を持たなかった純情なアジア、アフリカの人はみんなダマされ続けています。
 以前、アメリカに住んでいたマヤ、インカ、そしてインディアンの人はほぼ全滅させられました。コロンブスが今のカリブ海あたりの島を見つけたことを「アメリカ大陸の発見」と言い、まるでそこには国が無く、誰もいなかったように歴史を作り、マヤとインカの人を全滅させ、インディアンをほぼ絶滅まで追いやりました。実に残虐としか言いようがありません。日本でもアイヌの問題がありますのでこの点は否定をするには一考の余地もあります。

 今でも、アメリカやイギリスのミサイルや核弾道は正しいが、北朝鮮、イランの核やミサイルは正しくないという論理を構えています。対抗国はそれを見事な論理、たとえば核抑止力などを持ち出して正当化しています。北朝鮮の政策は非常に見事であり、日本からすればとても迷惑な話ですが、彼等の国策はとても計画的かつ効果的なものとなっています。

 現代の日本の知識人がヨーロッパを「正しい」という理由は、日本の知識人が「正しくないことを正しいように言う詭弁法」を身につけていることです。しかし、それは日本文化ではありません。そして、善し悪しは別にして、かつてはアメリカと対等に戦争をする日本人でしたが、今はそうした挑戦的な発想はありません。

 詭弁法を身につけた知識人というのも、集団化しているのでなかなかその論理を崩すのは難しいのが現状です。民主主義というみんなが賛成する体裁をとって知識人の利益を守る仕組みと論理を構築しているからとも言えます。

<サイト管理人> 2013年 2月24日記述



 【三重野元日銀総裁の功績について改めて考える】第207回

 三重野は日本銀行内でも若い頃から頭角を表し、早くから総裁への就任が確実視された存在でした。総裁に就任したのは平成元年12月です。当時の日本は資産バブル絶頂期であり、その年の12月日経平均株価は3万8915円という史上最高値をつけていました。大都市圏ばかりでなく、地方都市でも不動産価格が急上昇した為、1億円を超える住宅が多く見られ、企業勤めのサラリーマンが自分の家を買うことは難しくなっていました。投資による長者が多く生まれ、労働が軽んじられると共に、資産を持つ者と持たない者の格差が拡大していました。
 そのような中、三重野は就任後、金融引き締めを行います。就任してすぐの12月に政策金利を3.75%から4.25%に引き上げたのです。そして矢継ぎ早に90年3月に5.25%、8月に6%に引き上げました。こうした大幅利上げで株価や地価が下落に転じました。確実な利子収入が投機マネーを国債の購入や預金に向けさせたのです。結果、日経平均株価は90年に入ると急落し、10月には2万円を割り込む様相を呈しました。地価も91年をピークに長期の下落基調に転じます。日本の資産バブルはこうして崩壊したのです。

 株価と地価のバブルは、それが好回転している間は、大きな問題は表面化しません。価格の上昇が実体経済を改善し、それがまた価格を上げるという好循環を生じえるのです。そもそも、資産バブルが問題なのは、それがやがて泡と消え、すぐには回復できない大きな痛手を経済に与えるからでしょう。株価や地価の下落は、消費や投資を冷え込ませ、実態を現実以上に悪化させるばかりでなく、将来に大きな不安を生みます。不安からの下落がさらに不安を高める悪循環になるのです。

 結局、1990年の資産バブル崩壊に対する副作用が真正面から日本経済を襲いました。不動産担保融資は評価額割れし、銀行の不良債権が急増したのです。日本銀行は91年7月に利下げを行いましたが、資産デフレは止まりません。結果、日本経済は現在に続く低迷期に入ったとされています。

 歴史にもしもは禁物ですが、90年に株価が急落し、地価高騰の勢いが鈍化する中で利上げのペースを緩やかにする、もしくは、金融緩和に踏み切っていれば、日本経済はソフトランディングしたことでしょう。もしくはバブルの悪循環を生じさせない為に、早急に手当てを行っていれば良かったのでしょう。時間が経過するほど、階乗的に不良債権の元となるバブルが膨れ上がるからです。対処は早いほど傷は小さく、財政出動や金融緩和、その他のコストも低くすむことでしょう。実際に三重野の取った方策は間違えていなかったと考えています。ただ、彼の就任が後数年早ければここまで問題が大きくならなかったのではないかと思うのです。
 なお、この時期の日本を教訓としたFRBは、2000年にITバブルが崩壊し始めると、翌年にかけ素早い金融緩和で対応し、米国経済はその後も順調に拡大を続けました。しかし、サブプライムローン債の破綻という自体までは想定していなかったといえます。

 再三になりますが、私は大きな流れとしてみた場合、三重野のとった方策は間違っていなかったと思っています。真面目に学び、真面目にコツコツと働いた人間がマンションないし一戸建てを手にいれられる環境を作ったからです。一方で急激な金融引き締めが日本経済長期低迷の要因のひとつともなりましたが、結果として円高水準を維持できていることは、世界から円の信任を得ていることに繋がり、貨幣価値を守りながら日本という国の経済力を温存したとはいえないでしょうか。
 話が戻りますが、平成4年、株価は1万5000円を割り底値を記録しました。その時点で60%強の暴落です。この暴落は日本銀行によって意図的にもたらされたものであることは否定しません。世界史に残る暴挙と言う人もおりますが、物価の安定を目的とする中央銀行の役割からすれば当然のことに思えるのです。

<サイト管理人> 2013年 2月27日記述



 【日本の大学の存在意義について考えてみる】第208回

 少し前のことになりますが、2012年11月に田中真紀子文科相が大学の設置認可手続きを厳格化するとして、2013年度に大学の新設を予定していた札幌保健医療大、秋田公立美術大、岡崎女子大の新設を不認可としました。公私立大の設置認可を文科相に答申する大学設置・学校法人審議会は「新設を認める」としていましたが、田中文科相の判断で覆したのです。答申通りに認可されないのは、記録の残る過去30年を通じて初めてのことだそうです。
 田中氏は記者会見で「大学設置認可の在り方を抜本的に見直す」と明言するとともに、同審議会をめぐり「大学関係者が委員の大半で、大学同士でお互いに検討していると共に、全国に大学は約800存在するが、質が低下している。量より質が重要」と強調しました。
 文科省によると、審議会の委員29人のうち大学関係者は22人で、過去に新設を不認可としたのは11校。今後、外部の有識者らによる検討会をつくり、設置認可の仕組みや委員の選び方などについて見直しを図ると当時コメントがありました。

 名前を忘れましたが、有識者の言葉に「3ケタの割り算ができない学生に経営学を教えても意味がない。大学全入時代では、そういうレベルの学生が入学してくることを、もはや止められない。大学は社会のリーダーではなく、社会の土台となる大人を育てていくことが求められている。そのためには、それぞれのミッションをはっきりさせ、学生の力をどれだけ引き上げてあげるかが重要だ。つまり、4年間でどれだけの付加価値をつけて社会に送り出せるか、が問われている」というものがありました。お説はごもっともですが現実はそう単純でもないと思うのです。

 私の知人の藤枝市役所職員は一桁分数の掛け算が出来ませんでした。私と同じ進学高校の同期であり、地方の国立大学で法律学を学んだ彼は10秒ほど考えて1/2×1/3を1/5と答えたのです。分数の掛け算はそのやり方を暗記するのではなく、半分のものをさらに三等分したら、分割された一つのものの大きさは全体の何分の一になるでしょう?という論理的な問題です。詰め込み教育が生んだ弊害がここに表れています。問題なのは大卒の公務員たる人間が小学生の算数が出来ないことであり、彼自身がその事態に対し何の危機意識を全く持たないことにあります。私は彼に日商簿記2級くらい取得してはどうかと勧めましたが、結局何もしておりません。大学では法律学を学んでいると豪語しながら法哲学の話をしても通じません。しかし彼は地方公務員としての給与を貰い、一応の役職がついているのです。まったく恐ろしいことです。就職浪人をして、就職予備校に通い市役所に採用された彼は何のために大学に行ったのでしょう。答えは簡単で、親と同じ公務員になる為です。そのような人間が将来行政判断を行う立場に立つことを危惧してなりません。このような職員が存在してよいのでしょうか。

 なお、私自身は文系といわれる教育学研究科を修了しております(研究内容は理科系)ので、文系そのものがいらないとは思いません。経済も法律も語学も宗教学も数学の一部と考えれば文系という日本独自の概念が消え去るからです。ちなみに、文系の学習が暗記と捉えられている風潮にも問題があると感じています。強い言い方をしますが、微分方程式すらも解けない人間が経済学を学ぶこと自体問題があるのです。そのような人間にはそもそも経済学を学ぶ資格が無いとも言えます。

 さらに考えなくてはならないことは、文系学生の大半がそれを生かせない仕事につく現状です。要するに文系大学生の数に対して、その知識を必要とする仕事は圧倒的に少ないことにあります。つまり、文系科目が不要というより、無駄に文系の学部が多いということです。
 今のところ大学が多すぎることが、高等教育の質の低下には繋がっていないと信じたい部分もあります。大学の数が高等教育の質の低下を招いているなら、それは大学の学生定員が増加していることが原因ではなく、高等教育を行うにあったって適切ではない人材が教育を行っていることが原因ではないでしょうか。つまり、大学の学生の定員が多いことが問題なのではなく、無能な大学の教員の定員が多いことが問題なのです。これは、大学教授のレベルが低いことを指しています。研究者として求められる能力と、教育者として求められる能力は全く違うと思うのです。「優秀な研究者でありながら、優秀な教育者である」というのがそもそも無理な話で、普通はどちらか一つです。今の大学は少し複雑な役割を担っていると思います。研究機関として成果を出し続けなければならないのと同時に、学生を教育して社会に送り出していかなければならない。この全く異なる役割を同じ人に行わせることに無理があるのです。

 話は飛んでいきますが、未だに学閥というものが跋扈している企業もありますが、私がこれまでに所属した企業では、同僚や上司や部下がどこの大学出身であるか大して興味はありませんでした。仕事を進める上で、そのようなものは関係無いからです。その人がどのような能力を持っていて、これから何ができるのかが重要だからです。きっと世の中全体としても「何ができるのかという能力」を重視するようになっていくでしょう。
 これからの日本に必要なのは、新しい仕組みを作り出す能力を持った人材です。決して大学卒という経歴を持った人ではありません。このような能力を持った人材を増やすためには、高等教育機関で体系的な教育を受けた人材が必要です。

 やはり大学生の質を一定以上に保つための方法は、成績の下位に所属する大学を廃止し、学生自体の数を減らすことです。無能な教員を減らすことに繋がるからです。学習意欲が高い学生には、高等教育を受ける機会を広げたほうが良いと思いますので、公共の専門学校(高専)を増やせば良いと考えております。当時の田中真紀子文科相が大学の新設を不認可としたことは画期的なことだったと思うのです。大学自体の存在意義を真剣に考えなくてはならない時期に来ていることは確かだと思います。

<サイト管理人> 2013年 3月1日記述



 【日本教の日本人の曖昧な面を考える】第209回

 以前のコラムにも書きましたが、ヨーロッパ人は残虐であるのに対し、日本人は心優しく、誠実で、礼儀正しく、好奇心が強く、全体として他民族から信頼される「愛すべき人たち」だと思っています。
 しかし、原発事故の後日本人の野蛮性を目にしてから認識は少し違います。まるで日本教の悪い点が次々に露呈したようです。福島原発の事故の後、民主党政権ばかりではなく野党だった自民党、福島県をはじめとした自治体、大学教授などの専門家、気象学会や医学会など、本来なら国民から敬われるべき日本の指導層に深い事なかれ主義の曖昧性が見られたからです。具体的には「風評を立てて人に被害を与えた」ということです。
 たとえばヨーロッパ中世で猛威を振るった「魔女裁判と死刑」がありました。天変地異などがあると、普通に生活している女性を「魔女」に仕立て上げて火あぶりや縛り首にして、それで不運を解消しようとしました。まさに、「正当なこと」をせずに「風評を立てて押し切る」という手法です。

 福島原発事故に関しては、次のような風評がはびこりました。
1)原発は危険なのに安全という風評を立てた、
2)日本人を被曝から守る法令があるのに「無い」と言って風評を立てた、
3)法令で被曝限度が1年1ミリと決まっているのに「決まっていない」と言って風評を立てた、
4)1年1ミリは「外部被曝+内部被曝」なのに、内部被曝をもたらす食品の安全基準を1年1ミリとした、
5)販売してはいけない汚染された食材を販売し、それに反対する人に「風評をまき散らすな」という風評を立てた、
6)法令で退避させなければならない危険地帯にいる人に「大丈夫」と言った、
7)「法令を守れ」という人を排除し、あるいはバッシングした、
8)法令があるのに、その20倍の被曝でも良いという外国の任意団体を持ち出して日本の子どもに被曝させた、などです。

 これらはまさに、非倫理的行為そのものです。なぜ、日本人が突如としてこのような行為に走り、理性を持って呼び掛ける人をバッシングしたのでしょう。これが私達の本性なのでしょうか。ちなみに、バッシングにはいくつかのトリックが使われました。

1)自然放射線が1年1ミリより高いというトリック(被曝による健康障害は「足し算」だから比較することはできない)、
2)世界には自然放射線の高いところがあり、健康だというトリック(中国、インド、ブラジルなどの自然放射線の高い地域の発ガン率は明らかでは無い、
3)広島原爆でも大したことはなかったというトリック(福島の爆発によってでた放射性物質が77京ベクレル(広島原爆の186倍)という政府発表をしながら、口コミで指導層を抑えた、
4)スピーディーの計算値を隠したり、ベント前の漏洩を隠したり、放射線量を少なめに発表したり、ストロンチウムなどの測定値を公表しなかったり、さまざまなデータ隠しをした、
5)食材の多くの測定をせず、また汚染された食材の行く先を公表しなかった、
6)気象学会が「福島の風向きなどを発表するな」と学者に制限した、

 現実に、法令に反する被曝、食材、土壌汚染があるにも関わらず、「みんなで風評を立てれば、それで押し通せる」という魔女狩りと全く同じ手法を採ったのです。これはナチスがアウシュビッツでユダヤ人の大量虐殺をしたときの社会現象とまったく同一でしょう。それは、1)権威(政府)が認めたこと、1)大勢が参加すること、によって残虐な行為が、「自分の責任では無い、みんながやっているから」という言い訳ができることによる人間の野蛮性の発現です。

 私もこの2年日本で生活する精神的苦痛は大きかったと言わざるを得ません。このような非情な行為を見て、辛かった人も大勢おられるでしょう。これまでの日本社会でも部分的には非情で残虐な行為がありましたが、原発事故で見られたような残虐さは歴史的あったでしょうか?この先日本史、日本社会の研究をされている学者の研究を期待しております。ますます日本人というのはこうだったのか?と複雑な気持ちにならざるを得ないのです。

<サイト管理人> 2013年 3月3日記述



 【金利商品と日経平均株価に関係はあるのか?】第210回

 今更ですが、金利はマネーサプライに大きな影響を与えます。経済学の基本に以下の定義があります。

「M×v=P×y」
 M:マネーサプライ
 v:貨幣の回転速度
 P:物価
 y:GDP

 一般的に景気が良くなれば金利が自然と上昇します。しかし、金利と株価の関係は非常に難しいもので、一概には何とも言えないというのが私の答えです。なお、私がこれまでに述べた日本の経済問題は貨幣の回転速度が不足しているという点が多分に含まれています。マネーサプライは十分にあり、GDPを支えるだけの生産力やサービス力がある日本は貨幣の流れが異常であると断言できます。これは過去15年を振り返っても確かでしょう。日本人には資本主義の精神たる倫理の部分が欠損しているということです。
 本来ならばマネーサプライが上がると物価も上昇し、期待インフレ率も上昇するため名目金利も上昇するという関係が成立します。しかし、先日のコラムに書いたように、ゼロ金利政策を進めた日本はこの15年間定義そのものが成り立ちませんでした。

 さて、金利商品と日経平均株価の問題ですが、私は金利商品の代表である債券相場と株式相場は間逆の2パターンが成り立つと思っています。まず、株価は景気の先行指標であり、金利は景気の流れから上昇することを考えれば遅行的指標であるといえます。よって、両者には時間的な差があって当然です。ただ、景気の上向いた状況では株価も金利も互いに上昇するケースが見られます。景気が良くなれば企業収益も伸び、それらを織り込む株価は上昇していることとなり、好景気を受けて金利も上昇します。資金需要が増すためです。逆に景気が悪くなれば赤字企業も増え、株価も下落し、それに伴う評価額の減損処理、そして金利も下落します。
 しかし上記とは逆に、金利が上がれば株価が下がるという考え方も成り立ちます。これは、金利も株式も金融商品として見れば容易に想像がつくことです。株と債券の両方に投資をする場合、金利が上昇すれば債券の需要が高まり、資金が株から国債などの金利商品に移行するからです。ですので、反対に金利が下がれば高い利回りが期待できる株式市場に資金が流れ株高をもたらすことになるのです。

 以前、量的緩和政策を解除する方針が当局より発表されましたが、その後金利商品への資金移行が警戒され、日経平均株価が大きく下落する局面がありました。ただ、ゼロ金利政策でも株価が上昇しなかった事実もあります。
 こうして書いているとまるで意味不明なことの羅列になりますが、総括すると、長期的な視点では金利と株価は比例関係にあるようで、一時的に反比例になることもあります。ただ、金利が異常値を示した場合(大幅な円安、債券価格の大幅な下落等の場合)は記述した2つのパターンすら成り立たないように思うのです。

<サイト管理人> 2013年 3月5日記述



 【TPP参加の本質についてもう一度考える】第211回

 韓国ではTPPに乗らないと世界経済という団体バスに乗り遅れると表現されたほどで、日本にとって今回の交渉は最終電車に等しいとも言われているようです。そもそもアメリカという超大国はなぜ大国の日本にTPPへの参加を求めるのでしょう。それは金融が破綻したアメリカが貿易立国に返り咲く必要に駆られているからです。国内空洞化の話にも繋がりますが、これは第203回のコラムで書いた通りです。一言にまとめると簡単に思えますが、実に複雑な問題だと考えさせられます。直接利害当事者でない人はどう考えたらよいのでしょうか。

 まず、マスコミではコメの問題が取り上げられますが、コメの輸入には700%以上の関税がかかっております。当然外米の流入を防ぐ為です。外米の流入はコメ価格の下落を招き、農家の個別所得保障政策の維持に支障を来たすでしょう。日本では嵩上げした状態で農業の市場原理が成り立っておりますから大問題です。政府が「条件付」であるとか「聖域」という表現を使うのはコメを指しています。農家の個別保障は票集めの為に行った政策であり、日本が社会主義国の側面を持つと言われる所以にもなっていますが、これらは全て悪なのでしょうか?TPPへの参加からショック療法的に農業にイノベーションを起こすことで、農業に正統な生産性が生まれるという論理を立てる人もおります。可能性はゼロとは言いませんが、これは少し行き過ぎた議論と思うのです。
 リスクマネージメントの観点からすれば、戦争やそれに順ずる自体が発生した場合、食物自給率の確保は重要なことです。日本に残っているのは殆どコメだけといっても良いでしょう。私自身JAの有り方(金融事業的側面)には多くの問題を感じ、今後大きな改革が必要と思いますが、現状でも社会環境資本を保つ役割だけは担っています。TPPとJAをセットに考えると極論になってしまいますので、今回は別問題として捉えるべきなのかもしれません。

 ちなみに、日本ではコメと一部特殊な物以外、特に高い関税率のものはありません。EU諸国と比べても見劣りする点は無いのです。韓国は自由貿易協定を迎え入れますが、それは外需依存度が5割だからでしょう。GDPが日本の5分の1程度で、その内の内需分と勘案すればTPPへの参加はメリットが多くあります。それに対し、日本は外需依存と言われがちですが実際は17%です。新聞やテレビのコマーシャルは外需産業が多く見られることから、マスコミは外需産業のTPP参加のメリットも強調しがちです。現実として半数弱を占め、苦境に立たされている内需系基幹産業の肩は持ちにくいでしょう。
 日本は人口が多く世界的に見てとても大きな国です。私自身そのことを痛感したのは東日本大震災の後でしたが、それだけ内需産業が盛んで、ここには大きなマーケットが存在していることを裏づけています。人口が1億2000万人と言われますが、その規模は個人の想像を超えたものであることは確実です。アメリカという一等国がその巨大マーケットに目をつけない方がおかしいのです。経済的に見ればまっとうな交渉です。しかし、日本がその交渉に臨んだ以上、逃げる道はありません。

 日本が沈下していく原因は新しい市場の創出できないことにあります。しかし、元々不得意な私達がTPPへの参加から創出活動を無理に行おうとすれば行き詰まってしまうでしょう。参加は日本人のアイデアを試される場になると思いますが、考え負けするであろう日本人は資本主義の本質を肌で感じる結果になると思うのです。その時点で資本主義の精神を学んだところで既に遅いでしょう。TPP参加をめぐる抗争からは何も生まれず、ここに住む人々は大きな生活環境の変革を迫られると感じております。

 アメリカが今まで何をやってきたかを考えますと、日露戦争以後を例えるとアルフレッド・セイヤー・マハンという提督が記した本が参考になるかもしれません。彼はかつての戦略研究者です。日露戦争に勝って太平洋の利権を握ろうとした大日本帝国を如何にして抑えるのかを徹底的に記しました。「海上権力史論」などの本が有名です。結局、アメリカはいつでも日本を軍事的にも経済的にもせん滅することを考えます。その為に国家安全会議、国家経済会議があるのは解りやすい例です。ニクソン・ショックも終戦記念日たる8月15日に行われました。そもそも、なぜせん滅する必要があるのでしょう?私達日本人の大半はアメリカに強い敵対心を持っていないにも関わらず。
 それはアメリカ合衆国がひとつの目的をもって作られた国だからではないでしょうか。宗教的な弾圧を受けた知識人が新しい国のスタイル(自由+民主主義)を作り上げ、それを全世界に広めることが神からの使命であるという概念を基本に持っています。ですから、日本の民主主義はそれでなく、他国の民主主義も認めません。私自身日本は一等の民主主義国家ではないと思っています。社会主義と民主主義が融合した国家です。しかし、ここに存在する歴史的・文化的良さの多面は受け入れられます。結局、日本古来の考え方や精神はアメリカ的な民主主義に反するものです。東日本大震災で「絆」と言いますが、米国は個人の尊厳を大切にするので、「絆」など大切なものではなく、「自分自身の命を救うことが第一の使命」という論理を示します。農業や関税も目先の問題としてとても大切ですが、TPPの意味するものは古来からの日本的なものを徹底的に破壊する手段であると思えないでしょうか。人種問題もありますから、大半のアメリカ人にとって日本人などはこのままでは永久的にジャップに過ぎないのです。

<サイト管理人> 2013年 3月7日記述



 【経済から離れて日本の国防問題について考える】第212回

 「国防軍とは戦争を始めるために存在するのではなく、戦争を抑えるために存在する」と私の尊敬する人が言われたことがあります。でも、それには条件があります。それは「政府、官僚、軍部、オピニオンリーダー、マスメディア」が誠実であることという前提です。
 これまでの戦争は、政府や軍部などの一部の人たちが利権とつながって外国への進出を試み、それをオピニオンリーダー、マスメディアが間違った情報と解説を加え、官憲が国民の口を封じるということで始まりました。従って、国防軍を作るための「前提条件」はこれらの人たちが「職務に誠実である」ということが前提です。たとえば福島原発事故では次のような言動が求められました。

1)原発が安全で爆発しないと言っていたのが爆発したので、間違っていたことを謝る。
2) 事故原因を追及して、他の原発の対策が現実的に行えることを示してから工事にかかり、それが終わって再開する。
3)制御室の爆破などの爆発要因についても対策を取る。
4)法令で定めた1年1ミリが線量限度や、事故時に定められていた多くの守るべき制約条件(発がん者150名までなど)は間違っていたのか、守るべきなのかを明らかにする。
5)被曝が健康にどのような影響があるかを明確にしてから再開する。

 しかし現状では何一つやっていません。原発の場合はいわゆる「原子力村」の人に、これまでの方針や言動について謝罪し、再出発するだけの誠意と胆力がありませんでした。また、自衛隊に所属していた人たちの中でも「被曝など大したことはない」と法令を超える発言をくり返す人もおられましたが、「法令を無視する軍部」ができる可能性が高いのが現状です。

 前提条件の整っていない日本社会に国防軍は危険でしょう。「安全かどうか不明ですが、経済的に必要だから原発は再開する」という論理を取る限り、国防軍ができると「戦争をするべきかどうかは別にして、経済的に必要だから戦争をする」という論理で利権が動き、利権に関係の無い善良な国民が死ぬこととなるでしょう。

 再三ですが、私は国防軍が必要と思いますが、前提が整っていないので今のところ反対です。これは「原発は危険なので、経済的に必要でも再開に反対」というのと同じ論理です。この際、私たちは子どもをムダな戦場に送らないように、親として責任あるしっかりした判断をしなければならないと思います。

<サイト管理人> 2013年 3月8日記述



 【白川方明総裁と黒田東彦次期総裁について考える】第213回

 日本が平安時代だった頃「男性に許されず、女性が活躍できる」分野がありました。ひとつを挙げるならば「小説」がそうで、男性は基本的には「漢字で書く記録」、女性は自由な発想で「仮名を使う小説や随筆」を残しました。皆様がご存知の清少納言や紫式部が活躍したのはこれが大きな理由でした。
 世界を観ても日本ほど女性を重んじた国はなく、1000年も前から女性の立場を認めていたのです。ただしこれは高貴な身分の間での問題であり、清少納言に関して言えば、清原元輔という官位が従五位上肥後守という娘であったことからも容易に想像がつきます。男女同権の問題は最近のお話となります。
 西欧に関して詩や小説で言えば、紫式部以後、約700年たってドイツで初めての女流作家が世の中に出てきました。アンナ・ルイーザ・カルシュ(1722〜1791)という女性です。彼女は貧窮の境涯から身を起し、幼妻となるもやがて離婚、再婚した酒乱の夫から解放されるや、その詩才を見出されてベルリンに出ます。詩はたちまち評判となり、最終的に貴族や文壇の大物と対等にわたりあったのです。ついに、18世紀全体を通じて一冊の書物としては最高の売上高を記録する書物(精選詩集:1763)を刊行しました。才能さえあれば、身分の高下を問わず社会で立派に身を立てていける、その前提として「理性」を鍛え、自分の意思で進むべき道を選択する、だからこそその選択に責任を持つこともできる。これが成年に達するということである・・・そんな人間の夢が現実のものとなり始めるきっかけを彼女は作りました。とても大きな功績であり、この点は大きく評価すべきでしょう。

 私は歴史家でもありませんし国文学なども修めておりませんからたいしたことは言えないのですが、男性は「過去からの緩やかな継続や緩やかな進化」を望み、女性は「時代の流れ」を求め続けるように思うのです。言い換えれば、男性は多くを記録し、青銅器や鉄器といった変わらない物を作り、家にあるものを捨てず、系図を重んずることからも推察されます。反対に多くの女性は、そこら辺にある紙にメモをし、要らなくなったら捨て、系図などにはほとんど興味を示さないのではないでしょうか。

 さてここから今回の本題ですが、現日本銀行総裁の白川氏は極めて男性的な存在とは言えないでしょうか。昨年秋、安倍晋三自民党総裁が登場して日銀への大胆な政策転換を求め始めたとき、白川総裁は「後世、日本の金融政策を振り返った歴史家は、1990年代後半以降の日本銀行の金融政策がどれほど積極的であったか、大胆であったか、あるいは革新的であったかとみると思います」と言いました。私は白川氏のコメントは正しいと思っています。非難の標的とされ、不遇な総裁であるとも思います。決して積極的な側面を見せず、大胆なそぶりも見せず、伝統的な手法から日本銀行は包括緩和政策を2010年10月から行っております。無論それまでも金融緩和は行っております。小口の資産買い入れが中心です。日本銀行の使命は物価の安定にありますから、デフレは悪だといいますが、それはとても緩やかなペースでのものでしたから、私は結果として正しい方策を取ったと思っています。現時点で100兆円近くの緩和を行ったのです。
 確かにリーマンショック後、米連邦準備制度理事会は資産を3倍程度まで短期間で増やしドル安+デフレ回避+株価回復に成功しましたが、既に経済は過熱状態にあります。資産バブルの兆候です。日本も黒田日銀新総裁体制になり同じ道を辿るのでしょうか。

 現在の日経平均株価を見てみますと、昨年末から2月末時点まで日経平均株価の上昇率は為替を勘案すれば米ダウ工業株平均と同程度の上昇率です。株高は日本固有の現象ではありません。世界がリスク商品へ資金をシフトしているのです。マーケットは女性的で時代の流れを求める黒田新総裁に期待している部分も認めますが、それが直接の原因とは言えないでしょう。投機が生むものは物理法則と同じで不確実性だからです。結局今回の株高円安は、米国経済の影響が強いと考えるほうが現実的でしょう。新総裁は自由かつ新しい発想を持った人であるのかは未知数です。また、大手企業の中でも政府の賃上げ要請に応じる会社も見られますし、逆に賃下げを労組に申し入れるパナソニックのような一流企業もあります。総じて賃上げの流れとなっても緩やかなものとなり、資産バブルだけは招かないことを切に願っております。
 私は過去のデータから見ても解るように、日本銀行の金融緩和政策や政府の財政出動からは日本経済はインフレ経済に移行しないと考えておりますが、来年度は為替要因による単年度のインフレは仕方なく起こると思う今日この頃です。とりあえず国債の利回りに気を配り、その安定がなされている内は国内における生活水準が大きく変化することは無いと思っております。白川総裁の評価は現在分かれておりますが、私は十分に評価に値するものであったと考えております。

参照:「ドイツ女性作家の歴史からみたアンナ・ルイーザ・カルシュの位置」広島大学総合科学部教授 佐藤正樹2005

<サイト管理人> 2013年 3月14日記述



 【資源と技術問題について少々考えてみる】第214回

 日本にはまだ1970年初頭の第一次石油ショックのトラウマが残っていて、石油は備蓄しなければならない、いったん事あればエネルギー資源を失う、等の話があります。しかし、すでにエネルギー資源は供給過多の状態にあり、産出国は多く、技術がポイントになっています。つまり、かつては「山」がある国が強かったのですが、いまでは「技術」が「資源」になったのです。
 世界はこの40年で大きく変わったのですが、日本では主として報道機関などが「世界は同じような状態にある」ということを基本とした報道が続いたので、「エネルギーは不足している」という認識が広まっています。ただ、すでに石油は、中東、ベネズエラ、北海、アメリカ、ロシアなど多くの場所で生産され、天然ガスはカナダ、ロシアなどを中心に生産量が伸び得ています。石炭は世界で広く存在し、資源量も豊富です。これに加えて、シェールガス、シェールオイル、オイルサンド、オイルシェール等の新しいタイプの化石燃料が多く、その分布も世界に広く分布しています。

 つまり、今や「化石燃料(炭素資源)」は、1)産出国が多い、2)供給過剰である、ということから「特殊な輸入品」ではなく、「一般的にどこからでも買うことができるもの」に変わっています。
 それに加えて大きく変化したのが、「山から技術へ」の変化です。かつては「石炭の山」を持っていれば「お金持ち」だったのですが、今では「石炭の山」を持っていても「掘る技術」がなければ、石炭もないも同じになったのです。
 石炭はかつて「つるはし」や「トロッコ」を使って掘ったので「炭坑夫」を雇えば石炭を売ることができたのですが、今では「劣った技術」で掘ったら大きな赤字になるので、「優れた掘削技術」を持っていなければ山は持ち腐れになるからです。

 結局、資源は「鉱山」から「技術」へと変貌したのです。その結果、日本のように掘削技術の部品に強い国やアメリカのように掘削システムを持っている国が「資源国」で、石炭やシェールガスの鉱山があるからと言っても、技術がなければ「資源国」とは言えないのです。

1)資源の山を持っていても資源国では無い、
2)技術を持っていれば資源を持っていると同じ、
3)だから日本は資源国で、「国産資源」とは「技術」ということ。

 また、省エネルギーというのは産出国にとってもとても辛いことだということを知っておく必要があります。怪しげで税金を狙った話に引っかからないようにしたいものです。エネルギーの専門家は現状を良く分析し、できるだけ正確な情報を提供していただくようにして欲しいと思います。

<サイト管理人> 2013年 3月17日記述



 【大韓航空機撃墜事件から考える日本国憲法】第215回

 イラン・イラク戦争の時ですが、日本はアメリカを始めとする西欧諸国からペルシャ湾へタンカー護援の為に護衛艦の派遣を求められました。当時の後藤田官房長官は自衛隊及び海上保安庁の艦艇の派遣には反対で、総理である中曽根康弘氏は日本も国際貢献として積極的な行動を取るべきとの考えを持っていました。後藤田官房長官には事実上戦争に参加することになるとして「最終的に国民の支持を得られない」という疑念があったのです。自衛隊が日本国外に出ても武力行使をしなければ世論も認めてくれるでしょうが、国外で一発でも砲弾を発射するといった武力行使は日本国憲法に反することから、世論が日本の安全保障の根幹を揺るがしかねないと考えたのです。
 1987年9月後藤田氏は中曽根総理と最終的な話し合いの場を設けましたが、「ホルムズ海峡の外までなら派遣しても良いのでは?」という中曽根氏に対して、後藤田官房長官は「総理はこの問題を閣議にかますか?」と説きました。また「閣議にかけるなら絶対に私はサインしません」とも言われたようです。つまりこれは閣議不一致から内閣総辞職を意味しますので、後藤田氏は中曽根総理に対して職をかけて信念を貫いたとも言えます。つまり官房長官を変えるか、護衛艇の派遣を諦めるのかを最終的に迫ったのです。中曽根氏にとっては屈辱的な選択であったように思いますが、後日、「ペルシャ湾の問題は非常に良い判断をしてもらった」との感想を述べています。
 つまり、日本の安全保障に関する針路を決めたのは後藤田正晴氏だったのです。総理の考えを覆させ、日本国憲法を堅持したとも言えるでしょう。彼は護憲的なハト派的な部分と、警察庁長官として学生運動を徹底的に取り締まったタカ派的な部分を持ち合わせた政治家でした。能力が高いばかりでなく、バランス感覚に優れ、信念を堅持できる人でした。以前のコラムに書いた通りで、私の好きな故人の一人です。

 現在、日本国憲法は解釈からどうにでも捉えられる状態です。このところ改憲論議が湧いていますが、そのことにメリットは無いと思います。自衛隊は9条に対して違憲の存在であるという考えを持った人もおりますが、これは治安維持組織としての警察予備隊、そして自衛隊という組織形成の流れに抵抗があるからかもしれません。
 大東亜戦争に負けた日本はアメリカ合衆国に現在の日本国憲法の制定と警察予備隊の創設を求められました。結果として私はこのどちらも日本にとって都合の良いものであると感じています。朝鮮戦争や他の国際紛争には日本国憲法があるから予備隊(自衛隊)は出せない、しかし、治安維持ひいては国防としての自衛隊は認めるという解釈が可能だからです。イラク戦争の時に自衛隊が後方支援や戦後の復興作業という活動を行ったことは国際貢献の観点から誇れるものとも感じますが、結果論に過ぎません。自衛隊の海外派遣はもう一度考え直す必要があるのではないでしょうか。もし一人でも死傷していれば当時の小泉内閣が総辞職するばかりでなく、世論も大きく左傾化した可能性があるからです。結果として世論は中道に保たれるのが好ましく、日本人の特性を考えると何らかの大きな結論を出すことよりも、個々の小さい問題に対処していく形態が望ましいと思うのです。2009年に民主党の一党政治体制を作り上げてしまった失敗にも学ぶべきです。
 少々逸れましたが、日本国憲法が障壁となっているのは日本国自体ではなく、それを取り巻く国、つまりアメリカ合衆国でしょう。決して経済問題とセットにして安全保障の問題を考えてはならないと思います。本来全く別のものでなくてはなりません。経済協力をしなければ日本の安全を担保できないという議論が成り立ってしまうからです。日本が独自に自国防衛の為の装備を持つことは良いことです。戦闘機や戦車も戦力ではなく単なる国防の為の道具であると解釈すれば済みますし、これまでもそうしてきた現実があります。

 ただ一方で、日本の国防を考えた時にアメリカ抜きでは何も語れない現実にも目を向けるべきです。これは過去の大韓航空機事件からも明らかです。1983年9月1日、サハリン上空で大韓航空機がソ連軍の戦闘機に撃墜された事件です。日本人乗客28名を含む300名近くが死亡しました。
 自衛隊は情報を完全に持っていました。撃墜したソ連機の無線を傍受し録音していたのです。防衛庁は内閣官房室情報を送りましたが、この情報はアメリカにも送られていたのです。シュルツ国務長官は同日ソ連軍による大韓航空機の撃墜についてコメントを行いました。これは情報の連絡ルートが二重になっていることを示し、当時の世論に大きな問題を投げかけました。自衛隊はまず稚内のアンテナで撃墜の情報を収集しそれを内閣官房に送りますが、同時に稚内での情報は三沢基地を介してアメリカ合衆国にも並行して送られていたのです。情報が共有されているのです。戦後日本自体がアメリカ合衆国の情報収集基地になったからとも言えるでしょう。冷戦は終わっても中国の軍事大国化や日米の経済戦争が続いていることを考えると、軍事と経済がセットになっていると考えるのが自然です。経済的な諜報活動にも自衛隊が関与せざるを得ないのが今の状況であり、世界各国での通信傍受は昔からアメリカが得意とするものです。戦争で勝ったことの代償とも表現できます。組織としてはアメリカ国家安全保障局(NSA)などが良い例でしょう。日本は大切な情報収集基地となっており、普天間基地移設問題なども大きく取り上げられておりますが、アメリカにとっては三沢基地、岩国基地、嘉手納基地以外は大した基地と捉えていないでしょう。軍事力の差は文明の差であるというなら、アメリカは日本よりもはるかに先進国です。三大基地及びアメリカ軍なくしては日本の国防は成り立ちませんが、仮に日本独自で十分な備品や要員を用意し、アメリカと真正面から経済戦争を行うことは実現可能でしょうか?日本は過去100年の間に2回もアメリカ合衆国に大敗を期すのでしょうか?日本国憲法はアメリカにとっては負の遺産であり、日本にとっては財産に思えるのです。現在の改憲基準を大幅に変えるようなことは今後の混乱を招くことになると思うのです。日本人は歴史的かつロジカルに物事を考えられないからです。単に押し付けられた憲法だから悪である、数日で考えられたものであるから悪である、和訳の助詞がおかしいから悪であるといった小さな議論よりも、そこにある本質を考えるべきだと思えてなりません。

 日本国憲法といった大きな問題を考える時こそ直接その問題を考えるのではなく、その裏にある大きな問題を解決しなくてはなりません。これは従属矛盾と主要矛盾という言葉でも表現されます。日本人の95%程度が日本国憲法を読んだことが無いそうです。そのようなレベルで国民が主要矛盾にたどり着けるとは考えにくいでしょう。私も含め仮に主要矛盾にたどり着いたところで、日本はアメリカと真っ向から戦争をして勝たない限り何も変わらないのです。しかし、情報戦争において決して勝つことの出来ない日本には無益なものとなるでしょう。憲法論議に目を向けさせられるのではなく、日本国政府が抱える構造的な問題を解決させることに目を向けるべきではないでしょうか。

<サイト管理人> 2013年 3月19日記述



 【正しい感覚を養う為のヒント】第216回

 消費税増税に伴って自民党は「消費税アップ還元セール」のようなものをスーパーなどでやるのを禁止する法律を作ろうとしています。私のように「日本はある側面において自由主義国家である」と思っている人にとっては、「なぜ還元セールが悪いのか?」という気がしますが、自民党は「悪い」と思っているらしいのです。
 また家族で親子げんかや夫婦げんかが絶えない人もいますが、「なぜ、ケンカするの?」ということをあまりしっかりとは考えていない人もおられます。

 現在問題になっているPM2.5についても同様ではないでしょうか。黄砂は数1000万年前から絶えず大陸から日本列島に降ってくるもので、「自然現象」です。一方、PMは石炭を焚いたりディーゼル発電などからでる人工的な物質です。黄砂が無機質、PMは有機物なので、水と油のような違いがあり、まったく別もので、また「黄砂にPMがつく」などということはありません。中国の砂漠などの大地から黄砂が発生しますが、黄砂は太古の昔から日本に飛んできて、日本の大地を作り、食物を育て海を豊かにしてきた事実に目を向けてみませんか。黄砂は弱アルカリ性なので、とても良いものです。
 ところが、役所や最近の報道はややいい加減なので、黄砂とPMを両方「大気汚染物質」として一緒に測定したり、記事に書いたりしています。もともと、アメリカで大気中に浮遊する微小物質がPM10とかPM2.5のような指標で示すことが決まったときには「砂塵のような天然物を除く人工物」となっていましたが、日本の大気汚染法令では天然物を除いていません。
 黄砂は粒径が数ミクロン(4ミクロンぐらいが中心)ですから、PM10にもPM2.5 にも入ります。PM2.5は2.5ミクロン以下と報道されることもありますが、2.5ミクロン以下の粒子が50%ある粒子群を言っているので、4ミクロンの黄砂も入るのです。

 このように現在のPMの発表や規制値は「いい加減な定義、測定、発表」ということで行われ、それを元にして「中国は非常識な国である」と非難している人がいますが、このようなことは「事実を曲げて相手を非難する」ということになるので、「南京事件で中国が事実に異なることを言っている」というのと同じレベルになってしまいかねません。
 またPMの最初の事件は1953年12月のロンドンスモッグですが、ロンドンスモッグも含めて何回かあったが、隣の市や隣の国に人的な影響があったことはありません。その意味では中国のPMが日本に影響を及ぼすというためには歴史的な事実、流体計算、気象解析などを十分に行う必要があるでしょう。第一として、PMの報道がほとんど東京などの都市に限定されていて、中国からのPMと分離するのは詳細な分析をするか、もしくは日本の地方の測定値を公表する必要があるでしょう。

 以上の例は「正しさ」を考える上での前提条件のような初歩的な例で、まずは事実を正確に整理しなければならないことを示しています。「どれが正しいか」、つまり自分の意見を定めるためには、{事実→整理→意見}という順序が必要になります。決して{好き嫌い→意見→事実}にならないように注意しなければならないのではないでしょうか。銘柄に好き嫌いを作ることは投資においても致命的な損失を招く原因になることも然りです。

<サイト管理人> 2013年 3月21日記述



 【投資では認知心理学を応用できる能力を養うこと】第217回

 最近は投資の話から大きく離れがちですので、投資と心理について必要不可欠な問題について一覧形式で明示します。なお、人間の思考方法にはパターンがあります。認知心理学に通ずる問題ですが、最近は脳科学によって裏付けがなされています。株式投資を始めとする金融商品への投資の際は十分に理解した上で望まれることをお勧めします。

「人間の心理一覧」
代表性バイアス
 
人間は代表的な事例を基準にして物事を判断する傾向があり、これは代表的な事例から直感的に判断することで脳にかかる負担を抑えようとすることから起こる。
 
ハロー効果
人間は他人や物の価値を一部の目立つ特徴によって決めてしまう傾向がある。目立つ特徴が良い面の場合、別の項目も「良い」と思い、悪い面の場合、別の項目も「悪い」と思い込んでしまう。
 
プロスペクト理論
 
人間は利益を得る場面では確実性を好み、損失する場面ではリスクを好む。利益場面では、利益が下がったとしても「利益を得る確立が高くなる」ことを好み、損失場面では、損失が大きくなったとしても「損失を出さない確立が高くなる」ことを好む。
 
ピークエンドの法則
 
人間はある経験の記憶を、快苦が印象的だった「ピーク時」と「終了時」によって決めがちである。経験の記憶が、主観によって変えられ、その経験の時間的な長さは影響しない特徴がある。
 
単純接触効果
 
人間は何度も見たり聞いたり、繰り返し接するとその人物や物に好意度や印象が高まる。この効果は、不快な環境よりも、快適な環境で接触が起こるときに高まりやすい。
 
コミットメント
 
人間は立場を明確にすると、その立場を強固に一貫して行動しようとする傾向がある。一貫性が自分の利益になることもあるため、その経験から無意識的に一貫性を保とうとする。また、立場を変えることで、他人の期待を裏切り、自分の価値が下がることを恐れるという心理が働く。
 
バーナム効果
 
人間は誰にでもあてはまる一般的なことを、自分にだけ当てはまると錯覚してしまう。
 
社会的証明
 
人間は他人の考えや思想に影響を受け、自分の判断や行動を決定する傾向がある。自分の判断や行動に確信が持てないときに、他人の行動に影響を受けやすい。特に「自分と似ている他人」から影響を受ける。
 
バンドワゴン効果
 
世の中で流行しているというだけで、その流行物への価値を高めてしまう。行列のできている店は美味しいだろうと考えたり、テーマ株への投資を行うことなど。「多くの人が価値を感じているものは、自分にとっても価値が高い」というステレオタイプ的な思考が影響している。
 
アポフェニア
 
法則を見つけようとする少数の法則で、人は規則性の無いランダムな事柄に規則性や関連性を見つけようとする傾向がある。
 
アンカリング効果
 
人間は最初に印象に残った数字やものが、その後の判断に影響を及ぼすことを指している。
 
観察者バイアス
 
人間は他人や物を評価する場合、自分が期待する行動ばかりに目がいき、それ以外の行動に注意が向かなくなる。例えば人は、他人の悪い面ばかり見る傾向があり、その反面、良い面には目がいかない傾向がある。
 
内集団バイアス
 
人間は自分が所属する集団(内集団)を他の集団よりも高く評価する傾向がある。また、評価の高い集団に属する人を、高く評価してしまう傾向もある。
 
確証バイアス
 
人間は無意識的に「自分に都合のいい情報」や「先入観を裏付ける情報」だけを集め、反する情報を探そうとしない傾向がある。対立する2つの意見を調査するとき、自分の支持する意見を肯定する情報を重んじて、反する情報は軽くみがちである。自分に都合のいい情報だけを集め、最初にもっていた先入観や思いこみは、さらに強いものになり、客観性を欠いたり、正しい情報を見逃す危険がある。
 
自己奉仕バイアス 人間は成功の原因を自分にあると思い、失敗の原因を他人や環境、不運だったなど自分が制御できないことにあると考える傾向がある。結果ではなく、結果に至ったプロセスを評価することが重要となる。
 
現在志向バイアス 人間は、時間が経てば多くの利益、損失があると知っていても、目先の利益を選んでしまう。評価する対象が「今」か「未来」かで、対象は同じであっても着目する観点が異なるために発生してしまう。
 
後知恵バイアス 人間は物事の結果を知ってから、それが予測可能だったと考える傾向がある。間違った選択を後悔するより、結果にいたったプロセスを評価し反省しなければならない。
 
保有効果 人間は自分が所有するものに高い価値を感じ、手放したくないと思う。これは、所有物を手放す効用より、失う痛みのほうが大きいと感じる「損失回避」が原因の1つにあげられる。
 
ツァイガルニク効果 人間は成功よりも失敗のほうが強く記憶される傾向がある。これは人が成功することで目標に向かっていた際の緊張感から開放される効果を得るが、失敗して止めてしまうと緊張感だけが残り続けてしまうために発生する。
 
偽の合意効果 人間は他人も自分と「同じ考え」や「同じ知識」を持っていると思う傾向がある。
 
サンクコスト 過去の投資によって将来の投資を見誤る人は、過去の投資の大きさによって、将来の投資を見誤る傾向がある。
 
フレーミング効果 人間は意思決定するとき、説明や質問のされ方によって、選択の結果が変わってしまう。数字のトリックに惑わされず、最終的な結果を評価しなければいけない。
 

<サイト管理人> 2013年 3月24日記述
<参考>心理学入門 (図解雑学) 松本桂樹著



 【株価の予知はなぜ当たらないのかについて考える】第218回

 1929年のブラックマンデー、1972年の第一次石油ショック、1990年の日本のバブル崩壊、そして2008年のリーマンショック・・・いずれも社会に大きな影響を与えたショックでしたが、すべて「予想外」のものとなりました。しかし「予想外」自体がおかしいのです。第一次石油ショックは第四次中東戦争をキッカケにして始まりましたが、「第四次」と言われるぐらい、イスラエルとアラブ諸国の対立は激化していましたし、戦争をより有利に進めるために、イスラエルの後ろ盾になっている欧米諸国に石油という武器を使うことも予想されていたのです。一般の人なら情報が入らないこともありますが、政府、石油業界、専門家が知らないはずもありません。

 1990年の資産バブル崩壊の時もそうです。株を専門としている人の多くが「まだ天井では無い。突然の大暴落など起こらない」と言っておりました。経済学や金融学は「経済という現象、金融の状態」を解析する学問で、予想ができないからと言って存在価値がないわけでもないですが、これほど多くの専門家がいて、あれほど大きな変動を専門家の多くの予想が一致しないのも不思議でと言えばそれまでです。
 2008年のリーマンショックでは、すでに2006年からショックの原因になったサブプライムローンの破綻が予想され、2007年から2008年の春にはヨーロッパに飛び火、アメリカの住宅公社も怪しくなっていました。その収集のためにアメリカの財務関係者が中国に飛んで説明を行ったのですが、リーマンショックの半年前だったことを考えると、これも奇妙です。

 国家の財務を運営したり、会社の経営に資することを別にすれば、一般人にとってテレビの解説者や新聞の経済専門記事の意味は「おおよそどのように経済が進むか、暴落やショックは来ないか」を知ることでしょう。それが1972年、1990年、そして2008年と18年おきに起きる経済ショックを一つも予測できないとはどういう理由でしょうか?これはまさに「地震予知」と同じなのかもしれません。
 東海地震が来ると言ったのが1970年台はじめです。1996年に阪神淡路大震災、それから15年目の2011年に東北大震災。当の東海地震はさっぱり音沙汰がありません。しかし地震の専門家は「4年以内に東京に大地震が来る確率は80%」と自信たっぷりに言います。

 株価暴落(経済崩壊)と地震予知が似ているのは、
1)予想が当たらない、
2)それでもいばっている、
3)それでも言い続けている、
という奇妙さです。専門家が自信ありげに言うのでつい信じてしまいがちです、本当は恥ずかしくて口に出せないのが普通の感覚ではないでしょうか。

 しかしなぜこんなにも予想ができないのでしょうか?「学問としてはまだ未熟」だからなのかもしれません。学問というのは確実なデータや理論に基づき、積み上げていくもので、時に失敗がある場合もありますが、同じ対象物なら経験を積めば予測に間違いは生じません。例えば航空機を例に取ると、最初の内はデータも理論も不十分で墜落した歴史がありますが、「航空工学」が確立すると、次の飛行で航空機は墜落しないということを合理的に説明できます。専門家の間で鋭い意見の対立があれば、それは「まだ不十分だから飛ばすのは止めよう」と言うことになります。天文学も完成した部分、たとえば日食や月食の予測などはきわめて正確にできます。しかし、学問が未完成のところ2013年にロシアに落下した隕石などはまだ予測できないことだったのです。
 学者は「学問が未完成な場合は予測しない」のが原則ではないでしょうか。「まだ、できません.頑張ります」と言います。ところが地震学者と経済学者は何回くり返してもそのように言わないところに特徴があると感じています。

 株価は暴騰し、暴落します。円クロスドルも暴騰し、暴落します。ただ、その方向も時期も誰にもわからないのです。時に幸運が訪れて当たることもあるでしょうが、それは自分の予想が当たったのではありません・単に偶然か幸運に過ぎないのです。だから、常に「あらゆる状態に備える」こと以外に手は無いのかもしれません。「国家の経済運営」と「個人の財産運営」というのは同じ政策でもまったく違う結果をもたらします。

<サイト管理人> 2013年 4月2日記述



 【現在の経済政策に関する問題点を簡素化して考える】第219回

 アベノミクスの評価が真っ二つに割れていおります。一つの見方は「経済学を無視した政策」というもので、「お金なんか配っても経済の拡大の方には使われずに「デフレ下の資産バブル」を産むだけ」という考えの学者と、「お金さえ配れば、活動が盛んになって一気に景気が回復する」と言っている学者がおられます。どちらも途中まで同じで、結論は正反対です。

 アベノミクスの基本は、資産+一般物価デフレで景気が悪いのと、アメリカが金融緩和をしてドルが余り気味で円高になっているので、円を刷って円安に誘導し、物価を2%上げるということです。それには「お札を刷るぞ」と言い、「インフレになるぞ」と庶民の懐を脅かすことでしょう。とは言え、本質は破綻する可能性のある日本政府の担保(国債の信任)の役割を果たしているのです。つまり、政府はこれまでの政策を大転換して経済的な構造改革を行う気が無いことを意味しています。

 もともと「もっとお金を使いたい」という人が多いから、購買意欲が刺激されて国内ではものが売れ、円安になるので輸出が増え、円安でも海外からの輸入品が増えるのでそれほど物価は上がらない、だからとにかくインフレになるまでお札を刷れば良いと言うのです。
 もともと人間の活動が1年に2%ぐらい拡大するので、それにそって金融も拡大していくというインフレターゲットはすでに先進国で実施していないのは日本だけという状態であったことも頭に入れておく必要があります。つまり日本の日銀の政策は世界で日本だけだったのです。しかしそれは悪ではなかったのではないでしょうか。なお、私は強い円、緩やかなデフレが現在の日本には望ましく、今こそ大胆な行政改革を行うべきでいるというスタンスです。
 話が逸れましたが、もう一方は、もともと金融は緩和されているからこそ、ゼロ金利で、それでも需要は弱かったことです。だからこれ以上、金融を緩和するとそのお金は株や土地など「現物」にはいかないのでデフレのまま資産バブルになるというものです。だから構造改革か新しい技術革新がなければダメだと言うわけです。実に無責任です。

 国内物価は円安で原料価格が上がるので値上げ(インフレ)になりますが、すでにグローバリゼーションしているので、価格の上限は抑えられます。だから一部の輸出産業だけ良くなって、あとの内需系基幹産業はダメになることでしょう。お札が刷られているので、円安が加速し、あるいは1ドル150円ぐらいまで円が暴落する可能性があるという経済学者までが存在することは恐ろしいものです。筆者は適正レートは1ドル70円程度だと思うのです。日本の外需依存度は韓国などとは違い17%です。それだけ日本という国が大きく、内需が成熟しているのです。

 さて「経済学」が「学問」ならば、「同じ事実」から「同じ結果」が予想されるはずです。ボーイングが航空機を製造して「飛ばしてみないと墜落するかどうかわからない」では航空工学は成立しません。ということは、経済学はまだ成立していないことになります。1990年から今まで22年間の経済実績があり、今回のアベノミクスは政府と日銀、それに経済界もほぼ考えや実施することは決まっています。つまり「事実」はすでに確定しているのだから、その結果が学問的に確定しないと言うことになると、何か「個人的な判断」が入るからに他なりません。
 学問は「一つ一つの事実を精密にくみあげ、精緻な論理で合理的な結果に到達する」というものだから、結果は一つになるはずです。どうも経済学者の話を聞いてみると、Aグループの人は「お金は従」としているのに対して(アベノミクス反対派)、Bグループの人は「お金が主」と言う考え(アベノミクス賛成派)です。
 これは基本中の基本で「必要に応じてお金を刷る」というのか「お金があれば人は行動をし出す」というのかという経済の基本的な事になります。しかしそれが決まっていないのです。そして途中に「個人の判断」が入るから、経済学の専門家以外は「わからない」と思うしかないのです。

 インフレターゲット2%ということは、とりあえず物価は2%の上昇することを国民が支持しているはずですが、私の周りを見る限りそうでもない感を受けます。まだ学者も一般人もどうしたら良いかわからないのかもしれません。また、インフレターゲットは消費増税とは全く別の狙いがあり、日本経済そのものとは別に個人の資産にも大きな影響を与えるので、もう少し慎重に考える必要があるでしょう。投資のタイミングを外せば大きく資産の目減りを生むのです。既に世界的に見て円の価値は急落し、外貨預金等をされていない方には資産が大きく減損したことを意味しているのです。

<サイト管理人> 2013年 4月4日記述



 【成熟経済の予測には一定の循環性を利用できるのか】第220回

 私自身経済の学習を進めてきました。経済学で確実に答えの出ないことといえば以下の4点です。

1) いつ経済の崩壊がくるのか
2) 株はどこまで上がるか、そして下がるのか
3) ±20円の範囲の円ドル相場について
4) お札を刷ったら景気が良くなるかについて

 これらは現代の経済学では予測不可能なことであり、経済学という学問の抱える永遠のテーマです。ただ、将来の判断をする場合にはある方法が存在します。ひとつは経済学がわかる限界まで経済学で理解し、その先は「安全を見て二つの方向で備える」か「自分の感覚か、他人の言葉を信じる」かを選ぶということです。前者は株式投資で言うところのポートフォリオの構築であり、資産クラスで言うアセットアロケーションの実践です。

 これまで私は常に「ひとつの方向で備える」ことをしてきました。株式投資における相場のリバウンドを利用した現物買いです。これは経済学の話ではなく統計学で考えるとかなりの確率で将来が見えることを利用したものです。現状この考え方を変える必要はないと思っておりますし、長期投資に移行するならばファンダメンタルズで割安圏にある銘柄も多く存在していることから、慌てるまでもありません。結局今のところ突き詰めても仕方の無い状態であり、無理矢理自分の感覚や金銭欲で投資を行えば2回に1回は間違える結果を招くでしょう。つまり利益を得られないと考えております。そして、その2回に1回が致命的な失敗になることも十分にあります。私は素人の個人投資家ですから、損失を出すことは決して認めてはなりません。プロは負けても次があります。プロ野球でもJリーグ、プロゴルフでも同じことです。しかし、甲子園で優勝を目指す私達は一回の負けが夏の終わりを意味することを十分に考慮すべきと思っています。

 ところで、先程も統計学についてお話しましたが、長期的には投資の判断を行う方法が一応存在しております。歴史的な事実と物理的な論理からの「17年周期」(最近では1972年の石油ショック、1990年の資産バブル崩壊、2008年のリーマンショック)です。




 この図は円ドル相場がおおよそ17年周期で変化しているというものですが、グラフを見方は別としても、17年毎に別の動きをしていることが読み取れます。物理を勉強した人は「当然だ」と思うでしょう。というのは、物理の現象は対象とするものの大きさである程度の時間が決まるからです。たとえば、小さいネズミは細かく動きますが、大きなゾウはゆっくりしている...これはパイの大きさに関係している例です。ですから、日本社会や世界の大きさや人口がある程度なら「周期性」があっても不思議ではありません。

 個人はそれぞれ夢があり、挫折しますが、1億人以上の人間がいれば、個性は埋没し平均化されてただ「数の平均」の問題になります。集団が夢を持っている期間は上向きになり、だんだん沈静化すると変わらなくなったり沈んだりするのです。こういった単なる傾向や運動は、時間だけで決まりがちなのです。
 経済学でわかるところまでは学問で詰めることができますが、それを超えた領域でも専門家は発言してきますので、うっかり自分にとって都合の良い専門家の考え(単なるカン)を聞いてしまい、失敗することがあります。出来うる範囲で経済学学んだらば、後は「両方に備える」か、あるいは「周期性を参考にする」以外は無いと思うのです。今の私は後者を選択しております。

<サイト管理人> 2013年 4月10日記述



 【デフレが悪であるという方々が考えるべきこと】第221回

 日本が不景気になったのは政府の責任であるという話がいつの間にか摺りかえられ、日本銀行の量的緩和に問題があるという風潮になっております。しかし本当にそうでしょうか?責任は日本銀行や政府だけでしょうか?まず、貨幣の回転速度を減速させた(節約した)国民が第一責任なのです。「物を買わない社会」で景気が良くなるはずもありません。ただ、物を買わないからデフレになるという考え方は成り立たないことは申し上げておかなければなりません。

 周囲で良く見かけるのは「給料が安い」と言って「節約」をしている人々ですが、「節約する」というのは物を買わないことに直結する為、売り上げが減って給料が減るのは当然な流れです。ある意味で自作自演の問題です。
 もう一つは、「コスト削減」を進めた大企業でしょう。商売ですから「コスト削減」も当然の行為ですが、それも「企業と場合」によります。大手の企業から注文を受け、必死に働いている中小企業の多くはコスト勝負で頑張ります。もちろん、独自のアイディアで手広く商売をしているところもありますが、レアなケースになります。それに対して、大企業はもともと「夢のある商品」を作り、それを「少し高いものの、良いものです」というコマーシャルを打てることが開発が基本です。かつて、本田宗一郎が社会に出したバイク「ドリーム」などはその典型的なもので、素晴らしいスタイル、エンジン音は独自のもので他のバイクを寄せ付けませんでした。私の祖父も発売当時購入し、日本を縦断したと言う話を子供の頃聞かされたものです。
 バイクを見に行くとヤマハやスズキ、カワサキとは違い、ホンダのバイクは別格で購買意欲をそそられたようです。それから、バイクから逸れますが、ソニーのウオークマンや任天堂のファミリーコンピュータ、NECのPC98シリーズも欲しいという感情を駆り立てる商品でした。値段などどうでもよく、ただ欲しかったものです。今で言うとスマホに当たるのでしょうか。

 現在は日本の大企業の経営陣がサラリーマン化して、「魅力のある製品」を生み出していくのでは無く、「コスト低減」だけに力を注いでいる状況です。サラリーマン経営者にとって見ると、新しい製品を作り出して収益を上げるまでには、ジョブス氏のような変わり者をなだめなければなりませんし、研究から企業化に至るいわゆる大きな谷を越えなければなりません、さらには新規事業の収益を上げるまでには赤字が続くので苦労して手に入れた重役の地位を脅かされることも事実です。私自身研究開発の仕事をしておりましたから、その点は十分に理解しているつもりです。
 それに対して、既に商品化している物のコストを下げるには小さな改善や従業員を叱咤したり、安く働かせるだけですから、経営者という選りすぐれた課長クラスでもできることです。だからサラリーマン経営者はコスト削減に走ったのかもしれません。無能な株主への説得も容易という特典もつきます。

 よって、日本の製品は単に安くて品質が良いだけで魅力を失い、新しい商品も見かけなくなりました。デフレの責任は日銀や政府だけではないのです。大企業の経営がサラリーマン化したことによって世界的に見て日本の工業製品の魅力が失われたことによるのです。高度成長期はまだ日本がヨーロッパやアメリカに追いつく時期だったから、二番煎じの製品で安く、故障しなければ良かったのですが、すでに世界のトップを走っている日本は常に魅力ある製品が求められています。新しい魅力ある製品を開発できない日本の大企業、それに甘んじて社内政治だけにいそしんでいる部長クラス、もったいないと言って物を買わない庶民、高額の医療費をふんだんに使う年配者、さまざまな日本の病根がデフレの要因になったのです。

 しかし企業が起業精神を取り戻す状況が生まれれば、デフレのメリットも考えなくてはなりません。真面目に働き、夢のある商品を買うために努力し、また日常では必要なものを購入し、最終的にはマイホームの購入までの流れを得ることができるのです。金利も抑えられることでしょう。政府債務は構造的な改革にて解消すべき問題であることから、日銀の故三重野総裁が描いた世界はここにあるのではないでしょうか。

<サイト管理人> 2013年 4月12日記述



 【正しさを考えず、間違いばかりを追求しがちな人々】第222回

 正しさとは何でしょうか。多くの人は間違った行為を追及しがちですが、正しさについて考える機会はあまり無いのではないでしょうか。「正しい」は英語ならば「フェアー」、日本語で短的に表現すれば明治天皇の「万機公論に決すべし」になるでしょう。

 最近の報道は間違った行為への追求へ偏重しているように思います。ある大学が厚労省の研究費を秘匿していたこと、原子力委員会の委員が自分のNPOに電力会社から資金を得ていたこと、全柔連が何もやらずに補助金だけをもらっていたこと、アメリカで日本の自動車部品メーカーがカルテルであげられたことなどです。挙げればきりがありません。
 そもそも原子力委員ならば電力会社からお金をもらっても法律には違反しません。大学は厚生労働省からの研究費をどのように発表するのかが明確になっていない可能性もあります。柔道の指導などの報酬はもともとそれほど報告などの必要は無かったのかもしれません。そして、日本では企業の談合で消費者により高いものを交わせる談合は普通のことでした。
 しかし、これらのことは明治時代に否定されているのです。それが「万機公論に決すべし」という明治天皇の五箇条のご誓文です。すべてはオープンにして、そこで公明正大に戦いましょう。人間だから心の中にやましい部分はありますが、それを抑えて日本のために「万機公論に決すべし」ということです。

 人間は自分で額に汗して働き、正当にお金をもらい、それを正しく使う。決して後ろめたいお金を他人からもらわず、もらったお金はつねに公開できる、そういう正しい人生を送ることが幸福につながるという確信が必要です。もし、自分に能力があれば稼ぎは多くなるでしょうし、もしそれほどでも無ければ貧乏に甘んじることもあります。でもそれはそれでよいのです。ただ、一つだけ望みたいことは最後までフェアーであるということです。
 私は「誰々の子どもだから・・・」というのは嫌いです。なぜ嫌いかというと「誰々の子ども」だけなら良いけれど、有名な親を持たない子どもはそれだけハンディを負うことになるからです。よって、人は生まれながらにしてフェアーでは無いことになります。かならず競争はフェアーに、オープンにしたいものです。
 ところが不思議なことに、力があったり恵まれたりしている人はあらざるべきことを行います。簡単な言葉では「ズル」と言ったらよいでしょうか。そもそもそんなことをする必要の無い人ほどズルをしがちです。江戸末期のことですが、スイスの遣日使節団長アンベールは日本の印象について、「若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、概して人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きているのを見た。」と書いておりますが、今でもそのことに変わりはないようです。

 人間は不思議なものです。資産家は莫大な富を持っているのに更に金儲けに夢中になり、大半の人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きています。幸せは普通の人にこそあり、資産家は不満と恐怖のなかで生涯を終えるでしょう。私は共産主義者ではありませんが、日本的な資本主義というものを考えれば大資産家は不幸であろうと思わざるを得ません。

 正しさは人に幸福を与えてくれます。株式投資について考えてきましたが、投資は自分の生活の中で優先順位が低いものでなくてはなりません。両手に入るレベルの人は退場すべきです。評価益が出れば気が大きくなり、評価損が出れば黙り込むようなことは次元の低い人々の感覚です。本来お金儲けが第一ではなく、幸福たることが目的になることから、投資で得られるリターンはその方法としてほんの一部に過ぎないからです。投資で感情を左右される人は自分の行動に規範がなく、他人の間違いを指摘することで自らを満足させるレベルの人間に過ぎないことでしょう。大切なことは投資に対して真摯であり、投資を学ぶ為に幅広い学問を修めることではないでしょうか。

<サイト管理人> 2013年 4月14日記述



 【グローバリズムと情報革命について】第223回

 最近の経済崩壊は、1972年の石油ショック、1990年の資産バブルの崩壊、2008年のリーマンショックの3つありますが、そのうち、石油ショックとリーマンショックは日本以外の出来事と言えるでしょう。もしかすると資産バブルの崩壊も1989年から始まったホメイニ師死去、天安門事件、共産国家の崩壊などに影響を受けているのかもしれません。ただしこの点は曖昧です。
 つまり、経済変動は日本だけの時より、数倍、数10倍になって日本経済に影響を及ぼす昨今となっております。また、2013年は遠く欧州のスペイン、地中海のキプロス、2007年はアイスランド、1972年は第4次中東戦争がその原因となっております。
 かつては日本だけの状態が日本の経済に影響を与え、まさか地球の裏側の小さな国で起こった事が「自分の生活」に影響を及ぼすなどと考えたこともありませんでしたが、「グローバリズム」は全く別の世界に私たちを連れて行ってしまったとは言えないでしょうか。そもそも、世界の情勢で影響を受けない生活や人生は無いのでしょうか?

 かつて貨幣が「石」であった時代、少しの決済も大きな石を担いでいかなければならなかった為に大変でした。「石」が「金」になっても、さらに「紙幣」になっても同様です。決済には「現物」が必要だからです。つい最近までは決済日には車が混んだものです。集金に走り回るためです。でも、そんな社会現象ももう過去の物になりました。現在は決済はほとんど「電子決済」で行えるからです。
 電子決済は便利なようで、10万円というのを0を一つ増やすと容易に100万円になります。こんなミスが大きな会社を揺るがすような時代になりましたし、世界的に金銭のやりとりが瞬時に行えるようになり、巨額な資金の移動がそれに全く関係の無い私たちの生活を揺るがすようになりました。やはり資金の移動に有効な規制が必要な時期が来ているのかもしれません。

 グローバリズムと情報革命、この二つが今の経済を激しくし、かつ理解しにくくしております。そしてもっとも「理解が出来ない」のは、もともと経済とは「真面目に働いている人が働きやすくする」ために存在するのに、「一部の投資家などが巨万の利益を得て、庶民は右往左往する」という状態を経済学者や専門家がいっこうに真面目に解決してくれないことです。お金はもともと社会の活動を円滑にするために存在しております。銀行はもともと社会のお金を有効に活かしてその社会にとって必要な新しいイノベーションやビジネスを応援するために存在します。決して財テクのためではありません。多くの人々が興味があるので投機は仕方が無い部分もありますが、マスメディアもおもしろがって「円高、円安、ユーロの崩壊、アメリカの財政の崖、国債の崩壊」などを取り上げますが、「安定した金融社会」を真面目に考える試みは少ないといえるでしょう。本来日本銀行の役割はここにあるのにもかかわらず、現総裁は何もその点を勘案していないと思わざるを得ません。。

 現代日本では「雇用、給料、財産」のいずれも「金融のイタズラ」に左右されざるを得ない状況です。しかし、それはいかにも無味乾燥です。私たちは人生を幸福に過ごし、エンジョイし、感激し、芸術にいそしみ、学ぶために生きております。しかし、お金に興味のある金融関連の人間はそれに夢中で、おそらくは幸福な人生の方には決して向かないでしょう。ですから、彼らを説得せずに、個々人は自衛するしか無いでしょう。この「投資の勉強」は経済や金融の専門家の興味に引きずられること無く、自分の人生を大きく狂わされることもない、穏やかな生活をどうしたら手に入れることができるかを探る目的を持っているおります。そのためには「グローバリゼーション」と「情報革命」がきわめて危険な状態を作っていることをまず認識し、合意しておかなければなりません。答えはそれから導き出されるのです。

<サイト管理人> 2013年 4月16日記述



 【リフレで恩恵を受けるのは資産家と無資産の人々】第224回

 日本の国債1000兆円と覚えた方が良いぐらい1000兆円に近くなっております。日本の国家予算は増え続けていますがそれが約100兆円です。国民全体で稼ぐ1年のGDPは400兆円から500兆円ですから、国債残高は2倍程度の数字になっております。なお、「赤字国債」と言っても、既に発行した国債を返したり、利払いがありますからとても不健全な状態と言えるでしょう。

 よく、日本はギリシャのように借金で国がつぶれるということにはならないと言われています。「外国から借りていないから」というのが経済学者の説明です。ギリシャの債務の60%が外国ですが、日本は外人がたった5%程度しか買っていません。ですから、人によっては「赤字国債を「国の借金」と言ってはいけないのです。よって、借金のように見えて国民に取っては債券だ」という人もいます。確かに、政府がお金を借りて、国民が貸すのですから、借用証書は国民が持っていて、政府に「返せ」と言えばお金に戻るという点では、国民の財産です。しかし、これはなかなか危険な説明です。

 日本の国には「政府」、「銀行」、「企業」、「国民」などがあり、それらを全部合わせたものが「国」です。ですから「政府」は「国」ではありません。つまり、「国債は国の借金」というのは間違いで「国債は政府の借金」です。ところが、問題はその先にあります。もし「政府」が「お金を稼ぐことができて、借金を返さなければ怒られる」という人なら、国民が「債権」を行使して「返してくれ」と言えば、政府は「自分のお金」から返さなければならないのですが、政府はお金を持っていないのです。もともと「お金がなく、稼ぐこともできない」というのが政府ですから、政府が「借金をする」ということ自体が奇妙なのです。よって、もし国民が「返してくれ」というと、政府は「あなたからお金を取って(増税分で)返します」という以外には方法がないので、結局、国債とは「国民が黙ってお金を取られる」と言うだけに過ぎないのです。

 でも、経済学者から反論がくるでしょう。「インフレになり、景気が良くなれば政府にお金が入るから国債を返すことができる」という説明をします。最近はこの説明が横行しているように思います。実に危険な説明です。。この説明はふたつの点で「政府のための言い訳」で「国民は損をする」ことが前提になっています。
 まず、「2倍のインフレになったら、1000兆円の借金が実質500兆円になる」という説明は、「政府にとって借金が半分になる」ということで「国民がお金を失う」事を意味しています。たとえば10年前に100万円で国債を買った人がいたとして、その人は国債を買った年に100万円を使えば、100万円の価値のあるものを手に入れることができます。しかし、政府が「インフレ政策」をとって10年後に100万円の価値が50万円になっていたとすると、政府が100万円を返してくれても、それは50万円返してくれことと同じになります。このようなことは民間人同士なら許せますが、インフレ政策を採ることができる政府が主導でやると「自分の借金を減らす政策をして国民に被害を与える」ということになります。

 また、景気が良くなったら税収が増えます。だからその税収で国債を返せば良いというのも政府の都合の良い言い方です。景気が良くなったのは国民が努力したからであり、それは政府がかつての借金を返すためではありません。国債を買い景気を良くした人、つまり国民にその利益を還元する・・・結果として減税するというのが本筋です。「税はそれを取った人に還元する」ことが基本ですので、かつて政府が本当は「税金」を増やして支出に備えなければならないのに、それでは票が減るので、国債でやりくりをしてきたと考えるとこのやりかたも疑問を抱かざるを得ません。

 このふたつの理由の内、第一は同意し、第二は「それぐらい良い」と考える人もいますが、微妙な感じを受けます。しかし、経済学者はもう一つ踏みこんで「政府が借りたお金はどうせ、インフレにして紙くずにしてしまえば関係ない」という人がいますが、これは「国民は損をしても良い。政府の借金がなくなれば個別の人の損などどうでも良い」ということですから私はまったく同意できません。
 国債の借金が増えても日本は破綻しない・・直近ではそれも間違いでもありませんが、国民が政府に貸したお金は帰ってこないのは事実です。インフレなどを考えると100万円の国債を買うと、返してもらう時にはその価値は50万円ぐらいに減り、50万円は税金で取られます。それが赤字国債というものですが、政府や税金を使う役人、補助金をもらう人にとっては「乞食行為」ですから、三日やったら止められないということです。もう日銀もその方向に舵をきってしまいました。ですから現在の円安+株高があるのです。危険の始まりです。

 リフレ政策では結局リスク資産を分散的に保有できる資産家や手持ちの資産が限りなくゼロに近い人しか恩恵を被ることは出来ません。真面目に働き真面目に消費し、真面目に預金をする人間が一番損をするのです。一所懸命貨幣の回転量に貢献している人間が一番の被害者になるのです。

<サイト管理人> 2013年 4月21日記述



 【ドイツを中心にEUについて少し考えてみる】第225回

 ヨーロッパが国家が多いにもかかわらず、通貨が一つのままということで、「ユーロはいずれ崩壊する」との報道も見られますが、本当にそうでしょうか?もともとユーロを共通通貨にするときに、それはわからなかったのでしょうか?数年来ギリシャが危機に陥っていますが、これはギリシャは観光立国であり経済的に不安定な状況に置かれながら、国民はドイツ並みの給料などで生活していたということに起因しているのでしょう。また、自国の収入では足りないので、国債を発行し、他の国から60%ものお金を入れて経済を回しておりました。それに加えて普通は「国は詐欺行為を行わない」と思われていますが、ギリシャは国が破綻していることをしばらく隠していたのです。企業に例えるならば粉飾決済に当たります。それが現在の危機を助長させていることは確かでしょう。

 ギリシャ危機やキプロス危機というのは、南に位置する国があまり働かずに借り入れをして良い生活をしていたものの、借金生活が破綻したということですから、それほど難しい問題ではありません。ちなみに、ギリシャの支援にはおよそ1300億ユーロ、キプロスには100億ユーロ程度が必要と言われています。これに対してドイツのGDPは2兆5000億ユーロ程度ですから、ギリシャやキプロスの支援総額はもしこれをドイツ一国で全部肩代わりしてもわずか5%程度にしかなりません。ドイツには輸出競争力があることやギリシャやスペインなどがユーロを弱くしているので、輸出の方は強く、2011年の成長率は3%と先進国ではアメリカの1.7%、イギリスの0.7%、そして日本のマイナス0.7%と比べて高い数字になっています。ドイツは日本とは経済構造が異なる輸出立国ですから、ユーロ安になって経済が今以上に好転すると、ギリシャへの支援など消し飛んでしまう程度の規模ということになります。さらにドイツは統一した後、ギリシャのように不良債権ともいえる東ドイツを抱え、賃金差もあまり付けられない中で、大きな負担を強いられて来ました。それに対して、ギリシャが破綻状態になれば南の国の労働者がドイツに入ってきて低賃金で働いてくれることになるので、ドイツはいくら輸出を増加させてもユーロ高にならず、景気が良くても安い労働力があるという実に奇妙な状態を構築できます。こうしたこともドイツがマルクを捨ててユーロになったという基本的な理由ではないかと推測されます。日本のマスコミは一面的な解説しかしませんからヨーロッパは大変な状態であり、国家主権が別々なのに通貨がひとつであることなど無理があるとも言っていますが、ヨーロッパの構成はそれほど単純では無いということでしょう。

 経済学の専門家のご意見を詳しく勉強してみると、ユーロは崩壊するという人と、ヨーロッパにとっては効率的なシステムだという人がいて、これも経済学ではまだ解明できないテーマであることがわかります。つまりユーロの市場価格しかユーロの将来はわからないということですから、現在の日本の社会の空気で単純に決められないということです。決めない方が賢明ですし、決めるだけの根拠が無いということなのです。

<サイト管理人> 2013年 4月23日記述



 No,226 【これからの為替相場について】第226回

 全国の漁協が燃料費の値上がりで、5月から国内漁船20万隻の一斉休漁を検討しているというニュースを見ました。政府に円安対策ないし、助成金を求める為なのかもしれませんが、円安の影響で燃料が高騰していることは間違いなく、円安の負の側面が出てきはじめたことを裏付けております。各種食料品もその原料も一斉値上げの動きに入っています。特に鉄工材は昨年末から週単位で単価が上昇しています。私は緩やかなデフレ+円高論者ですから、嬉しくないことづくしです。

 ミクロの話ですが、世の中では1ドルは130円までいくという識者もいるものの、ただ今現在はなかなか100円を突破できない状況にあります。G20を無事通過したことで、ドル円レートは節目の100円を試しに行きましたが、結局3度も100円ラインの上抜けに失敗しました。100円の上抜けに失敗した理由をすこし考えてみますと、テクニカル的には、100円付近はリーマンショック前の高値124円付近からドルの最安値75.円31銭の半値戻し付近になっていることがまず第一点でしょう。

 もうひとつ、99円台後半から100円にかけては大量の売りオーダーがあり、これがドル円の上昇を止めることになっています。100円にはオプションバリアーがあり、このバリアーに絡む売りが相当な規模になっているのです。それが、今の為替市場では大きな影響を与えていることでしょう。
 今回の100円阻止の原因となったバリアーというのは発生、失効条件のついた特殊なオプションで、このバリアーの手前では、上昇してくる相場を抑えるように大量の売りが出てきますが、抜ければ損切りとなり、100円を一気に抜けるエネルギーになった可能性もあります。ただ、今回のケースでは、手前の売りが非常に大量だったために上昇が阻止されたと考えるのが筋でしょう。
 しかしオプションバリアーに絡む売りは、下落した場合は買い戻されるために、バリアーの手前ではレンジ相場になるケースが多いことも事実です。このオプションバリアーの存在は市場に知れ渡っております。それゆえ、提灯売りが重なったことも100円阻止の原因になりました。

 さて、ここからは100円をめぐる攻防戦を占ってみましょう。このところ5月の連休をはさんで、株安、債券高、円高のいわゆるリスクオフの流れとなったのが、10年〜12年までの3年間の季節要因でした。5月はファンドの決算などもあり、需給的に売られやすいところに、5月はなぜか欧州債務危機に絡むネタが出てマーケットをリスクオフ(この言葉は死語になりつつありますが)の方向に向かわせた。今年も米国株、日本株ともに高値圏にあり、下落の警戒感が出てきています。ゴールデンウィーク入りで日本勢の流動性は徐々に低下して行き、変動幅が大きな市場になる可能性もあるとは言えるでしょう。

 黒田日銀総裁の発言には今や世界中が注目しています。また、ここのところ出口戦略が一部でささやかれている米国FOMCの姿勢にも注意が必要になるでしょう。一方、ECBに関しては先週、欧州で最もタカ派のドイツ連銀のバイトマン総裁が「経済状況が正当化されれば金融緩和の可能性はある」と発言、ユーロ下落の材料になった。欧州の経済状況は悪くECBの利下げがささやかれており、ユーロ下落、ユーロ円での下落(円の上昇)はドル円のドルの上値を抑える可能性もあります。

 いずれ100円は突破されるように感じておりますが、それはいつでしょう。オプションバリアーの影響で上値が抑えられる中で、前出のイベントが100円突破のきっかけになる可能性があるので十分注意が必要です。もし100円が突破された場合は100円がサポートされれば、102〜103円付近までの上昇が意識されてきます。102〜103円付近はファンド勢などがオプションの構築を行ってきており、再びバリアーが上値を抑えてくる可能性が高いことも事実です。いずれにしても、100円を突破した場合は、100〜103円のレンジとなるのかもしれません。ここ数ヶ月の急上昇的な動きは暫く見られなくなるようにも思えてきます。
 ただ、目出度く100円の上方ブレークしに失敗した場合は、97円台前半がサポートになり97〜100円の高値圏のレンジになると考えるのが一般です。もし、97円台前半を下抜けすると95円台前半まで下落するリスクがあります。その場合は95〜100円の高値圏でのレンジ相場が予想されてくるでしょう。これは教科書的な一般論です。

<サイト管理人> 2013年 4月25日記述



 【現政権に対する問題と報道機関の矛盾について】第227回

 2015年に開催される核拡散防止条約に向けた第二回準備委員会で日本は「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に反対しました。理由は「いかなる状況下でも核兵器を使用しない」という内容が「強すぎる」という理由からです。核保有の大国以外の世界の国はほとんどこの声明に賛成しています。
 そもそも日本教の日本人が作る日本の政治には哲学がありません。よって現政権がすすめる憲法改正や再軍備に反対せざる得ません。先に進もうにも誤った方向に向かう可能性が高いからです。
 今の日本政府には軍隊を持つ力がありません。統率するすべが無いとも言えます。有権者ひいては政治家を信用するということはその人が「同じ事を言い続ける」ことであり、変更の時には「その理由」を明示することにあります。それのできない政治家に何を託せるのでしょう。
 原子力発電に毎年5000億円以上のお金を出し不経済な発電をしているのは、やはり「原爆を持ちたい」と思っていると考えられます。このような重要な政策を「国民は無能だから政策を教えない」というならば現政権は信用できないことになります。日本は自衛のための通常兵器を持つことがあって、核兵器と被曝には常に反対の立場を取ってきましたし、それは真実の叫びでなければなりません。もともと核拡散防止条約は1970年に締結され、1995年に核軍縮を進める事で期限が撤廃されているものです。「核抑止力」というヨーロッパ流の「正義では無い正義」に日本が屈服したら、何もできなくなることも事実です。第二次世界大戦で「大東亜共栄圏」と言い、中国が白人側のついたのに対してあくまでもアジアの人のために戦って死んだ英霊にどうして報いることができるのでしょうか?

 また、靖国神社の参拝問題が毎年のように再燃します。現在はやや右傾政府なので、軋轢は増えるでしょう。この問題のキーワードは、
1) 戦争で国のために命を捨てた人を後世の人が弔うのは当然、
2) どのような形で弔うかはその国の自由、
という「日本から見た当然のこと」と、
3) 靖国神社には「戦犯」奉られている、
4) 戦争で被害を受けた国民の感情を考えろ、
という「中国、韓国から見た当然のこと」の2つがあります。そこで、まず話し合うのは、
5) 「戦犯」と言うけれど、東京裁判などの「負けた国を勝った国が裁く」(原爆投下は勝った国がやったので、同じ事でも戦犯にならない)ということをどう解釈するか、しかも判決の主体は白人、
6) 日本から見ると第二次世界大戦は「有色人種の解放」という大きなことを成し遂げたが、その成果とその過程における不適切だったことの処理、
7) すでに戦後70年を経るが、何年間、「忘れられないのか」という問題、
でしょう。

 これらの問題を日中韓で話し合うのが前進的ですが、政治的にまだ話すことができないというほど弱い精神力なら、いがみ合って行くしかありませんが、それはアジアのためにはならないのではないでしょうか?さらに日本国内の問題としては、長く反日報道を続けてきたNHKと朝日新聞は、自分たちの意思で反日活動をしてきたのですから、それが正しいと思っているはずです。そらなら「なぜ反日活動が正しいのか」について正々堂々、主張をしてもらいたいと思っております。

<サイト管理人> 2013年 4月28日記述



 【日本と捻じ曲がった儒教思想の韓国は折合わない】第228回

 2012年は日本国民が中国や韓国に対して強い不快感を示した年となりました。2012年8月に起こった中国での日本製品ボイコット、日本企業への略奪は目に余るものでした。中韓は日本に対して許すという感情は今後数百年無いでしょう。経済援助や技術供与などは全く意味を成さないのです。
 台湾人の黄文雄著書の「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまでに違うのか」というベストセラーを読みましたが、内容は大変過激であり、台湾の国益を考えた内容ともなっております。私はこれ以外の東アジアや極東アジアの書物も読みましたが、表現は異なるものの内容自体は似通っております。

 これまで韓国という地域は長年の強国である中国に対して儒教精神に則って礼を尽くしてきました。特に明国に対して強い礼を尽くしましたが、清国成立の際、李氏朝鮮は戦争に際して最前線で戦いました。明国の弱体化を察知して態度を一変させたのです。朝鮮の人々は強者につくという姿勢が徹底しており、見切りが非常に早いのです。それまで明国に対して最大限の朝貢を行ってきたにも関わらず、北方民族の動向から一夜にして敵国として憎む対象としたわけです。明国の皇帝を迎える門や使節団を宿泊させる為の施設は屈辱のものとして現存しております。そして韓国は清国の属国となりすぐさま清国への記念碑を建てます。もちろん自国の安定の為です。しかし、清国との関係が悪化すると記念碑は屈辱史跡として認識・存在しております。日本の従軍慰安婦の銅像が日本国大使館の前に設置されていることも憎みの思想から生まれており、何に対しても反の思想は行動の原動力となっているのです。そして反の象徴として記念碑・史跡が存在しているのです。竹島の問題もそうです。なお、韓国は弱いものに対しては外交的にも強硬な手段をとります。ちなみに、ウリナラ思想、つまり全ては韓国から始まったという思想を彼らは持っております。

 2002年日韓でワールドカップが行われた際、ドイツと韓国戦において「ヒトラーの息子は帰れ」というプラカードを大きく提示しました。これにはドイツの選手も顔色を変えたそうです。ある意味勝つ為には何でもするともいえます。韓国という地域に住む人々は反日、侮日、勝日、抗日等の感情を持ち合わせておりますが、これは徹底的に日本を侮辱するという韓国人民の恨むという考えの下、自国発展のエネルギーに変えることを意味しております。韓国にはウエノという言葉がありますが、倭の野郎という意味です。しかしこれは日本に限った言い方ではなく、各国に対して国名以外の別称があるようです。

 韓国は常に恨むという反の思想を持っています。それは国内にも向けられ、過去の大統領の末路を辿っても明らかなことです。ちなみに、日本を許してしまうと韓国ではなくなってしまうことも事実です。韓国は他国を否定し、強国に朝貢的な付き合いをするという文化が歴史的に養われているのです。

 日本教に染まった日本人は諸外国の文化を受け入れることが得意ですが、韓国は利用しても決して受け入れることの無い国なのです。そうした理由から日本と韓国が友好関係を構築することには大きな壁があるのです。韓流ブームなども未だ健在ですが、その根幹を考えれば、それを支持する人間の程度は疑うに値します。そもそも韓国人には愛国心など無いのです。権力に従い、弱者を徹底的に攻撃するだけの地域に過ぎないと言えるでしょう。結果、私は韓国が経済がどれだけ発展しても文化的に一等国になることは無いと考えております。

<サイト管理人> 2013年 5月1日記述
参考:黄文雄「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまでに違うのか」



 【左派・右派を問わず正しく歴史を認識しましょう】第229回

 私自身はリベラルを自認しております。左と言われることがありますし、右とも言われます。侵略戦争には反対ですし、戦争そのものにも反対の立場をとっています。憲法改正には懐疑的で、自衛権等の問題は解釈で切り抜けることを望んでおります。日本は核兵器を持つ必要が無いと考えておりますが、迷彩服を着た人間を軽蔑することはありませんし、時として人が人を殺さざるを得ないことも承知しております。その為の訓練を行うことにも賛同します。ちなみに死刑制度には賛成の立場です。

 前回のコラムでは朝鮮という地域に住む人々について少し記しましたが、今回はその延長を書いてみようと思います。まず、日露戦争時、朝鮮半島では末期の李氏朝鮮が存在していました。しかし統治能力が無いに等しい状態で、大半の庶民は仮住まいのような建物に複数家族が住む状況でした。当時の日本は明治維新後大きく発展し、都心部では市電が走り統率のとれた軍隊がありました。日本は独立を保って発展していたわけです。中国は分割統治され、朝鮮は空白地帯(ロシアとの緩衝地帯)だったといえるでしょう。ですから、日韓併合とは日本が朝鮮半島を占領したわけではなく、朝鮮半島という何もない地域にやってきたロシアに対して先手を打つ形で統治するものでした。朝鮮が独立国家であったならば自国の力でロシアの侵入を止められたでしょう。しかしそれが適う状況ではありませんでした。独立国家ならば同盟国として太平洋戦争を白人と戦っていたでしょうが、不可能な話です。結局ロシアが朝鮮を占領すると日本に大きな脅威となる為、先手を打って日韓併合という形で統治したのです。そして植民地ではなく同じ国として技術や文化を供与したと言ってよいでしょう。無論朝鮮の人々はそう捉えることは難しいでしょうが、真っ当な歴史を認識すれば当然のことです。日本にも歴史を正しく認識しない人が多く、朝鮮人は日本人よりも劣るであるとか、差別的な用語を使いがちですが、歴史的に見て日本国の取った行動は間違いではなく、それは朝鮮が下等民族ということには繋がらないのです。

 さて、ここで歴史を直視しますが、1930年頃は世界には10カ国しかありませんでした。
・アメリカ合衆国
・イギリス
・ドイツ
・フランス
・イタリア
・スペイン
・ポルトガル
・オランダ
・ロシア
・日本
 帝国主義時代ですから、他の国をある程度支配する能力があることが前提になります。日本も満州、朝鮮、樺太、千島、一部中国を統治していました。なお、この時代の日本には選択肢がありません。植民地になるか独立国になるかという二択だったのです。一番帝国主義を推し進めたのはイギリスで、カナダ、インド、アフリカ、インドシナ、マダガスカル、オーストラリアを植民地化しておりました。イタリアはリビア、アメリカはフィリピンや一部中国、オランダはインドネシア。挙げればきりがありません。日本に対して謝罪をもとめる中国や韓国ですが、日本が謝罪するとイギリスなどは大変な事態となります。こうした状況から日本だけが謝罪を求められ、日本軍の侵略は特殊であることを認めるのは筋が違います。植民地化されることを望む国が無いとはいえませんが、独立の為に努力するのは当たり前の話のことだからです。1930年代は自国の領土+αを保有しなければ自国自体を守ることが出来ない時代でした。
 世界中の人々が正しい歴史観を持っていれば、世界には帝国主義時代があり、他の国を植民地化して運営していた事実を受け入れるでしょう。そもそも白人の国以外で独立を保ったのは日本だけであり、アジアにとっては希望の星だったのかもしれません。もしも朝鮮という地域をロシアに譲っていれば、有色人種が白色人種に対抗できる状況になるのは後何十年か何百年か先だったでしょう。このことを日本から発信しなければ誰も口にすることはないと思います。中東やアフリカ諸国は日本の言い分に賛同してくれるとも思います。
 結果として日本は時代の流れに乗って正しいことをしました。しかし、太平洋戦争に負けました。その結果正しい歴史認識を持つ人間を減らすこととなり、ピストルを突きつけたことを反省するように教育されました。あまりに事実と反する歴史認識は今後の日本にとって悪い結果を生むと思います。私は帝国主義が終焉した現在、戦争に賛成する立場ではありません。経済戦争には徹底的に対抗すべきであると思いますが、そこには自衛以外の装備は必要ないのです。

 話が逸れましたが、そもそも侵略戦争などというものがあるでしょうか。日本は太平洋戦争を起こしました。アメリカがいたフィリピンを攻略し、オランダが統治していたインドネシアを統治しました。イギリスがインド洋全体を支配するために徹底的に整備したシンガポールも攻略しました。簡単なことではありません。プリンスオブウェールズ、レパルスといった世界最高レベルの軍艦が配備されていたのです。それを航空機爆撃によって撃沈させたのです。世界初の軍艦対戦闘機の戦いで、その後の戦争のあり方を変えたと言われております。
 結局のところ日本はフィリピンを侵略したのではありません。マッカーサーが指揮するアメリカ軍と戦ったのです。インドネシアを侵略したオランダ軍と戦ったのです。確かに中国だけは侵略戦争と言えなくもありませんが、それをしなければイギリスが行っていたでしょう。つまり、日本が相手にしたのは中国を除いてすべて白人なのです。満州ではロシア軍と戦っていました。 日本はミッドウェイ海戦から後退を始め、敗戦に向かいます。敗戦後は正しい歴史認識を持つことを許されませんでした。教科書が良い例です。かつてのローマ帝国は悪でしょうか、地中海に帝国を作ったことは賞賛されるような形で教科書に載せられておりました。オスマントルコも非難されるような形で教科書に記述されていたとは思えません。つまり、日本がやったことはすべて侵略で、白人が行ったことは統治という書き方をしているのです。

 再三ですが、日本は侵略した国と戦ったのであり、国民はもう一度侵略という言葉の定義を考えなくてはなりません。そして侵略という行為の愚かさを考えなくてはなりません。これには左派も右派もありません。ある一定の正しい思想で歴史を観れば簡単に解ることです。日本教に染まった日本人は理解に苦しむのかもしれません。ただ、侵略という言葉を安易に使うのではなく、アジアの解放に向かうことを前面に押し出せばこのような事態にはならなかったのかもしれません。日本は帝国主義時代の政策としてプロパガンタを軽んじ過ぎたように思います。いずれにせよ正しい歴史認識から日本の過去と未来をみつめることが大切に考えます。今が過渡期かどうかわかりませんが、安易に進駐軍に押し付けられた日本国憲法だからといって改憲を求めるのではなく、国民ひとりひとりが中身をしっかりと理解した上で議論してほしいものです。

<サイト管理人> 2013年 5月3日記述



 【経済問題を考える上での不思議と投資について】第230回

 議論の争点として為替の問題が常に存在しております。為替というと解りにくい人もいるようですが、ドル/円というと理解しやすいのかもしれません。1円円安になるとある企業は営業利益を何十億円押し上げるなどという報道が良く見られます。もちろん逆の場合もあります。ただ、経済用語というのは使えば使うほど理解しにくいものと思っています。

 なぜお金持ちの経済学者がいないのでしょうか?彼らが未来を予測できる人たちであるのなら、それを読んで金融商品の売り買いをすれば良いのです。つまり、これからの上昇や下落が解ることになりますから、経済学者はそちらを本業とすればよいのですが、実際にはなり得ないようです。経済の問題には効用と副作用が常に存在しており、彼らはそのことを承知しておりますから、自らの主張は別として投資資金を一定の方向に向けることはしないはずです。
 また、経済学者は正反対のことを言い合います。アベノミクスについても意見が分かれています。自分の資金を株式に換えたほうが良いのか、不動産は売りなのか買いなのか?多くの国民は不安にならざるを得ません。ある経済学者はアベノミクスは全くもって古い政策である。もう既に2005年から数年間やっていることの延長であり、結局ゼロ金利に変わりないのだから、年額で135兆円総量を増やしたところで需要がなければ効果はないという人がいます。私はこちらの立場ですが、一方ではこれまでにない大胆な政策であり、これで日本の景気が上向くという人もいます。どちらが正しいかは解りません。何年か先になって結論が出ることでしょうが、予想をしているだけの経済学者は責任を問われることはありません。
 また、実務者レベルで考えると日銀レポートというものが存在しています。これを読むにはそれなりの知識が必要となりますが、予測値がほとんど存在していないことが解かります。過去と現在の値のみ記載され解説されていますが、未来については予測値がないのです。予測できないからです。

 経済学者はリーマンショックという大きな問題をなぜ予測できなかったのでしょうか。一応博士号を持っている人たちです。何の為の博士なのでしょうか。彼らは都合よく後付けで解説をします。それも自信ありげに行う為、素人である私達は何を指標としたら良いのか解りません。経済学は学問というよりも学説であり、宗教的な要素も含まれているのではないかと感じざるを得ません。確実なものが学問であり、それ以上は学説や宗教的なものといえます。経済学者を信じるのは良いのですが、責任を求めることは出来ません。投資は自己判断である所以はここにあります。

 1990年前後の資産バブル崩壊、そしてITバブルの崩壊、最近のリーマンショックといった具合に20年程度の間に大きな経済変動がありましたが、その都度立ち直れない投資家が生まれています。逆に利益を上げた一部の人たちがおります。長期投資ではいつ資金需要があるか解りませんから、含み損を抱えた状態で売らざるを得ない可能性も出てきます。結局、短期投資で資金を動かし、長期国債の金利や銀行の大口定期金利を上回る利回りを生み出せばよいのではないでしょうか。もしも好ましくない金融主導のインフレになるのなら、金利+インフレ率分を投資で稼げばよいのです。ですからリターンは数パーセントで十分なのです。問題は自分の資産を減らさないことであり、いつ必要になるか解らない資金を大半の期間において確保しておくことなのです。いちいち学者の予測に巻き込まれたらいけません。大切なことは自分で資金需要を計画しておくことであり、投資資金を決定することです。一口に投資といっても大口投資家もいれば、数十万円単位でお金を動かす小口の個人投資家もおります。それらをひとまとめにして向かうべき方向を定めることはできませんし、投資の手法を断定することはできません。前者は資産クラスで投資が行えるのに対し、後者は選択肢が無いのです。

 学者の方々にお願いしたいのは正確な情報のみを提供することであり、競馬や競輪の予想屋と同レベルの未来予測を行わないことです。そして一般投資家は不要な未来予測に便乗しないことです。

<サイト管理人> 2013年 5月4日記述



 【働くという第一義的な目的と株式投資について】第231回

 当たり前のことが当たり前にならない日本社会ですが、労働が軽んじられているのが今の日本の潜在的な問題になっています。日本では働くことが大切であり日本では「労働は神聖」なものです。もちろん日本国憲法にも「勤労の義務」が定められています。しかし、残念ながら昨今の株式価格の上昇から本業を疎かにして投資に多くの時間を割いている人が多くなってまいりました。勤労、自己啓発、株式投資などやるべきことがあるとは思いますが、勤労を蔑ろにすることは残念でなりません。

 それに対してヨーロッパの人は人間には原罪があるといいます。もともと人には罪があるという意識があり、性悪説を唱えていることから法律を徹底的に整備し、訴訟社会を生み出しています。だから人間は「原罪を償うために働く」とされるのです。神は人に働くという懲役刑を課しているとされ、労働は卑しいものという感覚を持っています。ですから過去には労働を行う奴隷が必要になったのです。ローマ帝国があれほど拡大したのも奴隷確保の為という側面があります。結局ヨーロッパを中心とした人々は労働は賤しいことだからこそ奴隷が代わりに行ってきました。奴隷に働かせて自分達は働かないことが正しいことなのです。だから白人の理想は「45才までで稼いで引退して遊ぶこと」という答えには何の疑問もありません。ギリシャの問題を考えても解かるように、勤労をないがしろにしていることは明白です。これでは生産性が無いばかりでなく、国内生産の空洞化は避けられません。ギリシャは観光立国ですから生産は小さなものかもしれませんが、サービス業も生産の一部ですから、そうした分野に積極的に取り組むべきでしょう。

 それに対して、日本には奴隷階級がありません(正確には一部存在している)。これは人はみな平等だという性善説に則っているからです。戦争をしてもそこの住民を奴隷として連れてくるということはしませんでした。現在東南アジア方面に仕事で行かれる方は自宅でメイドを使うことをしますが、心優しい日本の奥様方は家事に手を出してしまい現地の人々とトラブルになることもあるそうです。日本人の勤労精神の弊害ともいえます。

 働く人が尊重され、お金をもらう人を軽蔑する社会の方が私には居心地が良いものです。だから日本人の理想は「定年後も何かの仕事があること」であり、最低賃金は生活保護より高くなければならないと感じております。この点において今の日本は大きな課題を抱えているといえるでしょう。
 働かなければならないという感覚は日本と欧州とは大きく異なり、それぞれ当たり前が違うのです。最も基本的な生産、つまり労働にこれほどの感覚の違いがあることは知っておく必要があるでしょう。そして日本人はもう一度勤労ということについて考えなくてはならないでしょう。働くことから生まれる連帯性、経済の好転について真摯に考える時期に来ていると思うのです。株式投資はあくまで二次的なものですから、そこに生活の中心をおけば必ず金融商品価格の周期性において損失を被ることになるでしょう。

<サイト管理人> 2013年 5月5日記述



 【正しい歴史認識と歴史的事実は異なることについて】第232回

 よく歴史の話をすると歴史的事実という言葉を使いますが、たくさんの事象があります。私にとっては昨日目玉焼きを食べたことも歴史的事実です。そうした積み重ねを考えると雨粒ほどのたくさんの事象から歴史は成り立っています。さらに、私が今やっていることはひとつしかありませんが、他人からすれば断片的なものとなるでしょうから、正確に私という存在の歴史を認識することは出来ないでしょう。 また、人類にとっての歴史的事実とは数千年の合計になります。それも多数の人々の事象から生まれています。これは人によって解釈も違ってきますから、歴史的事実は多数決や当時の権力者の都合で作り上げるようなものです。つまり、歴史は事実を歪曲することもできます。

 多くの日本人は歴史がひとつであると思っています。大河ドラマを見ればわかるように、時代考証も比較的しっかりとしたもので、史実に忠実に再現されているからです。しかし、中国にせよ韓国にせよ歴史を変えながら国家を維持しております。過去の行為を否定することで現在があるわけです。良し悪しではなく否定なくしては成り立たないのです。韓国は憎しみの国家であると以前のコラムに書きましたが、それは歴史を都合よく解釈し、それを憎むことから国家繁栄のエネルギーに変えるというものです。

 日本には古事記と日本書紀がありますが、これも当時の権力者に都合よく書かれていることでしょう。神武天皇が137年も生きたことは疑問がありますし、その他では戦国から江戸時代まで生きたとされる天海僧正が108年も生きたこともおかしな話です。これには資料の不足と、歴史的な歪曲が影響しているでしょう。何が言いたいのかですが、歴史的事実ははっきりしないこと、歴史認識は更に難しいということを理解しなければ、国家間の紛争は解決しないということです。つまり、ひとつづつの事象を取り上げれば上げるほど物事が複雑になり、解釈が難しくなるということです。

 日韓の間には壬午政変(ジンゴセイヘン)というものがありましたが、朝鮮半島に住む人々にとっては憎むべき歴史であるようです。当時の朝鮮には国があって無いような状態でした。その時期に、朝鮮の中の権力争いで暴動が発生しました。普通は暴動が起きても大使館を襲うべきではないのですが、日本人が7人殺されました。これに対して朝鮮政府は日本に対して50万円の賠償金を払うという取り決めを行ったのです。当時の50万円はとても大きなお金であり、10年分割で支払うことになったのです。結局日本は最初の2年分だけ支払いを受け、残りは自国の為に使うようにと支払いを免除しました。そればかりでなく多くの武器などを贈り、富国強兵を促したのです。そうした日本に対し、清国は3000人の軍隊を送り駐屯させました。事実上の朝鮮支配を行ったのです。なぜ壬午政変に対して日本は憎まれるのでしょう?日本は親切を行ったにもかかわらず、恨みをかうことになったのです。これには理由があり、人間は自分に親切にしてくれた人ほど恨み、そうでない人に感謝する傾向があるからと言われております。これは心理学で十分に研究されていることです。日本人の心の中には債務を免除して物資を援助したにもかかわらず恨まれる筋合いはないという部分がありますが、これは人の性質に関わるため仕方のないことです。

 こうしたことから、歴史的事実や歴史認識とは権力者の意向や人間の感情が複雑に絡み合い正確には把握されることがないことがわかります。歴史と株式投資を結びつけることには少々申し訳ない気もしますが、投資を行うことはひとつずつ自分の中でより正確な歴史を作ることに繋がります。そしてその歴史は決して正しいものと言い切ることは出来ません。ですから私自身も自分の投資手法を常に否定しながら出来る限り第三者的に取り組むようにしています。ロジックは作っては壊し、作っては壊しの繰り返しです。

<サイト管理人> 2013年 5月6日記述



 【テレビの凋落と質の低下、そして投資について】第233回

 テレビなどは見たい人が見るものであり、自分の気に入った番組だけを視聴するものです。しかしそこには個人のレベルが関係してきます。近年のテレビは放送コードや、見る側の資質に合わせて笑いどころには音声やテロップを加えます。笑いなさいと一方的に笑わされているのです。見ていて気持ち悪くなります。結果私は古典落語などを見るのが娯楽となっており、テレビ番組は視聴者のレベルを下げ続けているのです。如何に安く番組を作るか、それは見る側のレベルを下げれば安い番組でも視聴率を取ることが出来ることにも関係してきます。

 現在は素人が芸をするか、玄人が話術を見せるかに分かれるように思いますが、ここ10年以上素人以外の番組を探すことが難しくなっております。玄人といわれる人たちのギャランティは高額であり、テレビ局側も安易に彼らを使うことが出来ないのです。これは仕方のないことでしょう。
 趣味の多様化から、いろいろな番組がありますが、無限に存在するアイドルをただ移しても駄目で、バラエティの要素を加えなくてはなりません。そこにはテロップも必要です。ガヤの音声を加えなくてはなりません。見る側の程度が低くなっている証拠です。
 北野ファンクラブや世界まるごとHOWマッチなどは面白い番組だったと思いますが、テロップもありませんし、たいしたセットの変更もありません。前者は北野武と高田文夫がただ日常の出来事を伝えるだけの番組です。しかしそこには大きな娯楽が生まれていました。これは彼らが玄人である証に思います。

 現在でもテレビはステータスがありますが、以前に比べて質の低下は否めません。再三になりますが、テレビ局の内部では見る側からすると客を軽視しているように思えてならないのです。視聴者を馬鹿だと思わなくては作れない内容を平気で見せます。嫁姑の問題、食べ物番組、芸能人の恋愛事情、実に中身のないものです。主婦を軽視しているのです。そしてその世界に引き込みます。男に関してはスポーツに引きずり込んでいきます。ドラマもそうですが、テロップは何の為に必要なのでしょう?このドラマはフィクションです。当たり前のことです。すべて絵空事だからです。低レベルの人間の為に配慮しなくてはならないテレビ局には同情もしますが、そうなる元を作り出したのも局に他なりません。また、クレームをつける一部の者の為に配慮を求められるのは残念でなりません。政治等討論娯楽番組も内容は何十年前からの繰り返しです。愚かしいものです。

 テレビには今でも大きな影響力がありますが、視聴率から時代のトレンドに流されます。2009年頃民主党を強力に圧したのはマスコミであり、2012年に民主党を叩いたのはマスコミです。当時の政府にもマスメディアにも一貫性がありません。
 ちなみに、芸人に一般常識を求めても仕方ありません。我々と同じ感覚を持っていては番組が成り立ちません。しかし、現在はそれが成り立ってしまうのです。芸人は一攫千金を狙い日夜働いていますが、それが一般人に浸透しているのは感心しません。
 視聴者がトレンドに流されなければ質の高い番組が生まれるでしょう。株式投資においてもトレンドに流されなければ痛手を被ることはないでしょう。両者は相関関係にあるように思えてなりません。

<サイト管理人> 2013年 5月7日記述



 【株式投資で出遅れたと感じている人たちへ】第234回

 2013年3月の消費者物価指数は前年比に対して−0.5%とまだデフレ経済にありますが、政治に無頓着な人たちも大半が意味のないアベノミクスを支持しており、経済通もその成果を強調しています。さてこのことは何を意味しているでしょう?よく考えると、日本はデフレを脱却してないのに好況になりつつあるということです。ちなみに好況を来たし始めている原因はインフレではなく株式の高騰なのです。一部のエコノミストが言うように株価と物価を混同してはいけません。経済が好転する為に必要なのはインフレではなく継続的な成長であり、そのために大事なのは国民全体の需要が増加することです。貨幣の回転率として以前お話しした通りです。現状、給与は一貫して下がっており、これが需要不足をまねいて今日もこれまで通りのデフレ下にあります。よって日本経済のデフレは現実であり、金融政策という片輪のみでは経済は好転しません。ちなみに、デフレ下でも経済を好転させることは十分に可能で、そもそもインフレにする必要などないのです。貨幣の流通量と貨幣の回転率から好景気は生まれるためです。

 大半の人は物価と資産の価値を同等として考えている為、結果、資産インフレ=需要増として間違えて伝えられています。私たちマスメディアから伝えられる側もその辺りをしっかりと自覚しなくてはならないと思います。
 資産インフレで景気が良くなるという人がいますが、もしもそうなるなら、金融商品や一等地に固定資産を保有している余裕のある人達に限定してのことです。毎月せっせと銀行に預金をしている人間との実質的な所得格差は拡大し、大半の人間が損失を被ることとなる為に逆資産効果で需要は低下します。これは30年前にも社会問題になっておりますので、国会でも大きな論争となるのではないでしょうか。

 今回の日本株式の高騰は為替に始まり、含み損が解消された投資家の参加や、貿易赤字などが原因で、そこに安倍氏の口先介入が加わった偶然に過ぎないでしょう。現在の相場は「楽観的観測」だけで動いている中身の無いものですから、アメリカやユーロ圏の経済が大きく崩れると連動して急落するリスクも常に抱えております。このところ株価が為替のトレンドと大きく乖離しており、実際の経済を映していない資産バブル的な雰囲気は、日本株が暴落すると一挙にしぼむことでしょう。
 実体経済を改善しないで期待のみで日本経済が回復することはありません。日本国が抱える財政危機や破綻しかけている社会保障を立て直し、規制改革や税制改革など、政府がやるべきことはいくらでもあるのです。逆に言えば、株高やTPPに隠れて多くの人達は本質的な問題が見えなくなってしまっているのかもしれません。報道が偏っているからかもしれませんが、国民ひとりひとりが思考のレベルを上げて、今政府が行うべき点を考える時期に来ていると思います。

 約半年続いた株価の上昇ですが、私自身は個人投資家として全株式を昨年末に手放しております。結果所定のリターンしか得られなかったとも言えますが、投資で大切なことはそのリターンが貨幣価値の下落以上であれば自分の資産の目減りには繋がらないということです。100万円程度を1億円にする本を参考にするのではなく、主力銘柄が連鎖的な売りから大きく下落し株価が反転するタイミングで投資を行えば投資資金に対して10%程度のリターンを確保することは難しくありません。
 現状は調整らしいものがなくここまで来ておりますが、ファンダメンタルズから株価は大きく乖離しており、ほんの些細なきっかけで株式の連鎖的な売り(パニック売り)が起こる可能性が十分にあります。それが明日から始まるのかわかりませんが、少なくとも数週間先まで株式を購入するようなレベルではありませんから、出遅れたと感じている人は毎日株価を気にしたり、少しでも割安な株はないかと小型株まで目をこらしたりする必要はないのです。5分で済みます。やるべきことは日経平均株価と出来高、売買代金を見るだけです。決して目先の動きに煽られてはなりません。現状レベルで儲かるのは証券会社くらいなのです。

<サイト管理人> 2013年 5月8日記述



 【円高に際して天皇陛下が述べられた言葉】第235回

 戦後しばらくして、それまで1ドル360円だったドル/円がニクソンショックから一気に240円ほどの円高になりました。当時のトヨタ自動車などは国際競争力もさほどありませんでしたから、一大事ということで時の水田大蔵大臣が昭和天皇の所に急行し、「陛下、大変な円高になりました。これは日本の危機です」と言ったそうです。円がこれだけ高くなると日本の輸出産業が駄目になると思ったからだそうです。それに対して昭和天皇は「そうか。日本人の価値が上がったと言うことだね。問題があるのか」と言われたそうです。これは陛下が国力が上がったことを十分に認識されていたことの証拠です。水田大臣は何も答えることもできず、冷や汗をかきながら退出したとされています。
 その後、さらにもう一度、円高があり120円になりました。そうしたら日本に入る輸入品が3分の1の価格になり、日本人はお金持ちになり、日本の産業は大いに栄えました。
 結局輸出産業は困らなかったのです。製品が良くなっていったことも事実で、輸入資材も下落しましたから、大きな儲けを出すことが出来るようになりました。当時の技術革新の賜物です。
 日本は外国から食物を依存しており、紙パルプも90%依存しております。鉄鉱石もボーキサイトもしかりです。しかし、技術力を駆使した製品を提供できれば大きな利益を上げられる構造が出来上がっていたのです。
 利権団体を背後にしている大臣と、日本国全体を分析された陛下の大きな差が現れた一場面でした。今では利権サイドの放送を続ける報道機関にほとんどの国民が洗脳されてしまいました。

 ちなみに、昭和天皇は常に国民を観られていたように思います。大半の政治家は国民を見ていないことを残念に感じられたことでしょう。いつの時代もそうですが、買う値段よりも売る値段を気にする政治家は無能なのです。円高というものは本来望ましいものであり、国力のバロメータなのです。もう一度為替の問題について考えてみませんか。現在の財政及び経済の問題は国民の購買意欲をそそる魅力的な製品をメーカー企業が提供できるかどうかに関係しています。そして製品を国民が購入するかどうかにかかっています。そうした活動の上で急激な為替変動は好ましくないことも事実です。ですから好ましいと思う円高であってもそれが急激では企業も対応に苦慮します。緩やかかつ継続的な円高こそが今後の日本にとって最も価値ある財産になるように思います。子や孫の世代が豊かな生活水準を確保する為には必要不可欠なこととも思います。円安になれば解決するかのごとく物事を考える人は理解に苦しみます。

<サイト管理人> 2013年 5月9日記述



 【見せかけに過ぎない建築バブル到来報道について】第236回

 最近は一戸建て住宅やマンションの購入を煽る記事が多くなりました。建設・不動産といった業種からの広告収入を考えればメディア(テレビや雑誌)からすると上客なのです。当たり前ですが、広告に依存して成り立つ業界は批判的な記事は書きません。過去に武富士のような消費者金融が好況を極めた際もマイナスのコメントがほとんどなかったことと同じです。なお、今のマンション販売に関しては2006年頃活況を迎えた時期と酷似しているであるとか、完売が続いておりますます購入の意欲は高まっているなど、消費者を追い込むような内容ばかりです。中古マンションも首都圏では価格が横ばいながらも、これから上向くなどといった大セールのような見出しが目立ちます。乗り遅れるなとばかりにはやし立てます。大半の人はローンを組んで住宅やマンションを購入しますが、彼らが支払いを終える20〜30年後は首都圏も含め空き家が多く点在する社会を迎えるといった内容はほとんどありません。真の投資対象となる物件など日本の国土に対して何パーセントでしょうか。コンマ以下何十桁の世界でしょう。

 私自身いろいろな記事を読んでいて、現実離れした印象を強く抱いております。金利は低下傾向を強めるであるとか、将来的に物価が上れば長期金利も上昇に転じる可能性が高く、今は歴史的な低金利を享受できるチャンスなどと買い急ぐように勧めていますが、日本銀行の長期国債の市中引き受けを継続する限り低金利政策は維持されますし、デフレ経済からインフレ経済へ移行するとも思っておりません。ただ、低金利の維持が不可能になれば、国債価格が暴落することから金利が急上昇し、変動金利で借りる多くの借り手が返済に苦労することは間違いないでしょう。そもそもこの時点で日本は制御不能なデフォルト状態になっておりますから、ローンが残った物件はどういう扱いを受けるのでしょう。アルゼンチン辺りの例を考えてみれば解かります。またどこかのタイミングで投資家の資金が不動産から引き上げられることも十分に考えられますから、現在の不動産購入の勧めは日本銀行が国債を買い続け、低金利が続くことが前提になっている点に留意する必要があります。

 また、多くの記事はアベノミクスが一戸建て住宅やマンションなどの購入と関係があると説明していますが、果たしてそうでしょうか?アベノミクスと資産家が不動産を購入する動きはほとんど関連性がないと指摘する声も多々あります。資産家は増税予定の消費税と改正された相続税対策のために不動産購入に走っていると考えるのが筋ですから、収益不動産は相続税の評価額を下げる効果と消費税前の駆け込み需要と考えるのが普通でしょう。よって、購買意欲が旺盛という一部の小さな動きがあるだけなのです。つまり、多くの住宅購入希望の人々は実際にはそれほど不動産購入に動いておらず、相続税対策で資産家が動き出し、投資家が資産バブルの波に乗ろうと物件を先行して買っているのに過ぎないのでしょう。

 どうしても一戸建て住宅やマンションが欲しい人は、現在進行している小さな資産バブルが終わり、投資家が多くの売りを出す時期に好みの中古物件を安く買えばよいのです。しかも、マンションに関しては中古の売買ならば消費税もかかりませんので、消費税増税とも関係なく取引できます。断言するだけの裏づけはありませんが、急いで不動産を買おうとしている人がいるならば、2004年から2008年にかけての小さな資産バブル時に高値で買った30代〜40代と同じ失敗を繰り返すことでしょう。
 不動産の購入は一種の投資です。ですから株式投資と同様一過性のトレンドにのらず、計画的な貯蓄と収入のバランスから適切と思われる時期に行いましょう。大半の人にとって一生の問題であることは間違いないのですから。

<サイト管理人> 2013年 5月10日記述



 【「仕方が無い」という言葉の使い方と意味を考える】第237回

 仕方が無いという言葉は、理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句です。ほぼ同義の表現として、仕様がない、止むを得ないなどがあります。古くは是非も無し、是非も及ばずなどともいいました。多くの人間は仕方が無いの一言でまとめてしまいますが、そこで終わっては何も進展しません。

  私が考える仕方無いとは「悩んでも仕方がないことがある」ということをしっかり認識することとと思います。 そして、次に考えて意味があることと、考えたところで意味がないこととの仕分けをやることが仕方無いから逃れる方法と考えています。考える対象、悩む対象には、考えて意味のあることと考えたところで意味のないことの大きく二つに分かれることと思います。
「明日は長い間計画した旅行。明日の天気は絶対晴れて欲しい。明日の天気などうなのだろう?」 これは考えたところで意味がありません。考えて天気を変えられるわけではないからです。よく「他人と過去は変えられない」と言われますが、私もそうだと思います。 自分の期待通りに世の中は動いてくれないからです。だから、人と気持ちが通じあったとき、人が期待に応えてくれたと素晴らしい感覚に捉われることでしょう。

 過去は、変えられないものです。悔やんでも仕方がないことです。終わった事実は事実として受けとめるしかありません。大切なのは過去を活かすことでしょう。同じ悩みが頭の中を占拠しだした時、
「今、悩んでいることは何か意味あるのか?」
「悩むことで、幸せにつながるのか?」
こう問いかけることは大切です。精神安定的にも重要な要素です。

 私自身、昔、人が自分の期待どおりの応対をしてくれないことについてしばらく悩み疲れたころ、
「意味がないことだ。」
「こんな意味のないことを、自分で増幅させて、自分を疲れさせているだけ。」
と気がつきました。

 意味のないことに時間をつかい、また心を疲れさせるというのは、何とも無駄なことです。貴重な時間をわざわざ自分を傷つけることに使うようなものです。
 「考えても意味がない。」という仕分けができたとき、「ムダだからそれを考えるのはよそう。」と意識するようになって、私自身の経験では、悩みを大きく引きずることはなくなりました。では「悩んでも仕方がないこと」と「考えて意味あること」を仕分けするのには、具体的にどうすればよいでしょう?

 まずは、自分が一体何に悩んでいるのか、何を考えているのか、悩みの対象を明確に意識することが出発点だと思います。 頭の中で、悩みを認識し、仕分けしようとしても、堂々巡りしてしまうような場合には、紙に書き出すことをお勧めします。自分が「何に」悩んでいるのか、「何を」考えているのかを 紙に書き出してみましょう。勢いで殴り書きしていき、頭に浮かんでいることを書き出してしまいましょう。 書き出していくうちに、感情もでてくるかもしれませんが、それもすべて書き出しましょう。紙に書き出したら、冷静に仕分けをしてみます。
 その後で考えて解決策が見つかるものか、考えても仕方がないことなのかを分けます。その指標としては、「自分がこれから行動すること」で変えられる可能性のあるものかを基準にすればよいでしょう。他人と過去は変えられないからです。具体的には別の紙に悩んでも仕方のないこと、解決策がみつかる可能性があるもの、と先に書いて、間に線を引いて、この悩みは一体どちらに分類されるのかなと、書いていくとよいかも知れません。そして書き出し、分類することができたならば、「悩んでも仕方のないこと」に分類できたことについて、今後、頭の中をよぎったら、「それは悩んでも仕方がない。意味がない。」と意識してみましょう。
 もちろんこれで、全部消え去るわけではありませんが、考えても仕方がない悩みについて、自分から悩みを増幅させ、自分を傷つけるようなことはかなり防げるのではないかなと思います。
 「考えて意味があるもの、解決策が見つかる可能性があるもの」については、今後自分がどうすればいいのか、具体的な解決策を検討していくことになります。

 悩むことは大切です、自分のロジックを壊すことになるからです。そして新しい自分を作りだすのです。そしてその虚像ともいえる自分をまた壊す。それが成長であり、仕方の無いという言葉を永遠に使い続ける意味なのです。これは投資と同じです。

<サイト管理人> 2013年 5月10日記述



 【学問そのものを真摯に考える】第238回

 科学は無限に発達し、学問は人類に大きな貢献をすると考えられています。私もレベルは低いにせよ人生の多くを学問に捧げてきました。私はその「学問」について、次のように考えています。

 まず、「学問そのもの」についてですが、一般に学問は新しいものを生み出すと考えられていますが、学問が新しいものを自ら発見したということは歴史的にまれです。むしろ、学問はそれまでに判ったもの整理し、筋道を立てて考える機会を与えてくれますが、新しいことを生み出すのは苦手だと感じています。その理由は次のように考えられます。

 学問は基本的には体験ではなく頭脳で考えるものです。我々の頭脳は情報を処理する新しいアルゴリズムを作り出すことはできますが、推論過程はそれまですでに経験的に知覚しているものから生み出されるものに過ぎないようです。ですから、現在、すでにインプットされている知識などから推論するということは、創造的にはならないということです。新しいことは何かを実施することによって偶然に発見されることであり、その発見に学問が手助けすることは可能ですが、主人公になることはないのです。

 次に「人間と学問」ということですが、学問は本来、人間の社会に貢献するものではなく、知的欲求を実現するものですが、時代とともに、法学、経済学、農学、医学、工学などの実学が誕生してきました。そこで、社会と学問との関係が生じ、たとえば、工学は「自然の原理を応用して社会の福利に貢献する」という目的を持つようになりました。そうすると、工学を行うときにはなにが「社会の福利か?」が判っていることが前提になります。それがとても難しいことを指摘したいのです。なぜなら、「善いこと」というのは人によって違うからです。

 むしろ、学問を学ぶものとして大切な心構えは、「学問を学ぶとともに自己防御が強くなる」ということと思います。私の経験では、学問を積んでその人が良い人になることはほとんどありません。多くの人は学問を学ぶことによって自分を守ること、他人を攻撃することを覚え、それで人生を送ります。だから、私は教育そのものに大きな疑問を持っています。

 それを自ら戒めるために、原爆の父オッペンハイマーを思い浮かべます。オッペンハイマーは世界的な物理学者で原子爆弾の父として有名です。人格も高潔で指導力もありました。また原子爆弾が現実に投下された後、その反省から神経を病んだと言われています。知識を積むことによって私たちが獲得する力に相当する人格をつけることは本当に難しいことで、それを考えると大学教育ではその半分以上を「人」「自然」などに費やすのが正しいと私は思っています。

<サイト管理人> 2013年 5月10日記述



 【ホームページを開設して2年が経ちました】第239回

 私が株式投資に関するホームページを開設したのは同時期に投資を始めた人間の損失の原因を探る為であり、その裏にある深層心理を追求することにありました。最近のコラムは歴史認識や金融政策といった内容が多くなり、投資とは内容がかけ離れている点申し訳なく思っております。
 ちなみに、同時期に投資を始めた人間も含み損が消えるレベルになりましたが、つい半年前までは向精神薬を常用しなくてはまともに正業につけない精神状態でした。最近は別人のようになりましたが、アベノミクスを信じてか、韓国人や中国人への差別発言が多く目立ちます。もう少し歴史を直視し、日本の正しい点、そして誤りを徹底的に分析した上で言葉を発して欲しいものです。彼は静岡県の公的金融機関に勤めておりますが、残念に思っております。

 なお、投資が経済学であるならばそれだけでは成り立たず、政治学、経営学、法律学、哲学、心理学、脳科学、その他分野の学習を行い、それらを統合して自分なりの答えを導き出すことから成立するように思っております。

 これからもコラムを続けて参ります。これは皆様への情報提供のためではなく、皆様自身のスタンスを確立するお手伝いの為です。これからもよろしくお願い致します。

<サイト管理人> 2013年 5月10日記述




 株式投資コラムは静岡県より発信しております。
 ページの更新は不定期となりますが、皆様の投資に役立てることを願っております。
 コラムの引用、転載はご自由にどうぞ。

 なお、株式投資は自己責任ですので、当方はいかなる損害に対しても一切の責任を負いません。その点ご理解ください。