【投資における良いパターナリズムと悪いパターナリズム】 第40回 |
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多くの論説や本、また私の実体験から、年をとるほど人間は観念に重きをおくという悪いパターナリズムの傾向があるのではないでしょうか?「私はお父さんなのだから子どもは黙っていなさい」「人間長く生きると解ることがある」という言葉はこれに当てはまります。 しかし、こうしたケースではほとんど当事者が物事の本質を理解しておらず、観念的でぼんやりの感覚で話しているのではないでしょうか。これはストレスを溜めない為の防御規制とも言えます。付け加えれば、それが大人というものでしょうし、精神安定のための正しい生き方なのかもしれません。 観念にこだわり、集団の論理に乗ることから安心感を得て、都合の良い過去のみピックアップし、自伝すらも頭の中で作り上げてしまう。酷いケースでは自分がしたことから現実逃避をし、捻じ曲げられた事実(嘘)を本当のものと思い込んでしまう人も存在するほどです。 株式投資に話を変えますが、投資と名のつくものを突き詰めていくと勝つためのパターンが存在します。私の方法については過去のコラムにおいて記述済みですので、ここでは再度解説をしません。 大切なことは本質について触れ、政治も経済も環境も総括的かつ論理的に理解できるかに修練されると思います。そうしてロジックという名のパターナリズムが生まれるのです。 ・「どうリスクを考えておくのか」 ・「だからどうするのか」 ・「だったらどうするのか」が繋がればロジックに輪が完成されます。 また、投資の失敗には「取り返しがつかないもの」と「取り返しがつく範囲のもの」があります。 「だったらどうするのか」の線引きが出来ている人は取り返しのつく範囲で降りることができ、出来ない人は9割とも言える投資失敗者になってしまうでしょう。 はっきり解っていないことや不明な点がひとつでもあればそれがリスクになります。日本株投資のリスクは日経225採用銘柄を追う限りでは、カントリーリスクでも企業のデフォルトリスクでもなく下落局面での下値目処と言っていいでしょう。株式の買い入れ条件にも書きましたが、きちんと買い入れ銘柄のスクリーニングを行えばデフォルトリスクの問題は限りなくゼロになるからで、過去における日本航空株などに目もくれる必要はなかったのです。 ちなみに、下値目処は結局テクニカル指標で測るしかなく、テクニカルは過去のチャートを参考に出来ている為、不測の事態には対処できません。不測の事態(あらかじめ設定しておいた含み損割合に達する、外部的要因:天変地異等)が起これば当たり前にロスカットを行うだけで、その時の投資は失敗になりますが、次の機会を待ちましょうと落ち着いて言えるわけです。 これまで投機筋の換金売りを伴うパニック相場での投資勝率は天気予報の予測よりもはるかに高い確立となっております。無論ロスカット時の損失割合と利益率の問題は残りますが、その点は皆様が設定するパラメータ次第で大きく変わってきます。良いパターナリズムはこのようにして養われるのです。 <サイト管理人> 2011年9月7日記述 |
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【レ・ミゼラブルが教えてくれること】 第41回 |
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皆様はレ・ミゼラブルという映画をご覧になったことがあるでしょうか?私は学生時代に原作の小説を読むと共に映画を観ました。この映画には様々な人間が出て来ると共に、それぞれの人間が仕事に就き、それぞれの職責を全うするというものです。 少々内容に触れると、1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯が描かれています。ジャン・ヴァルジャンは市民を守る人格的な市長。そして彼を追及する刑事、この人は社会における刑事という立場から市長を追求し、適わなければ自らの命をも絶つといった内容ですが、物語とはいえ、これがやはり社会を健全に保つ法則に思います。 市長は人格者でなくてはならず、教師は聖職者でなくてはならないと当時感じたものでした。 自分達を尊敬する人たち、そして、尊敬するとは人間としての心、その心に市長も刑事も教師も従わなくてはならないと思うのです。だからこそ教師は生徒の純粋な心に従わなくてはならないと思いましたし、裏切ってはいけないとも思います。教育学を修了しながら私が教師の道を選択しなかったのはこの映画を観たからなのかもしれません。 大切なことは私達が自分の心に純粋であると共に、純粋に社会的な役割を全うし、他人の考え方に従順かつ柔軟に対応することと思います。どのような事でも話の上での脚色は構わないと思いますが、自分の心や自分以外の人間に嘘をついては純粋さが失われ、全てが崩れ去ってしまうことでしょう。 株式投資は場当たり的なものではありません。そこには純粋さが問われてくると思います。多くの書籍や日々のニュース、新聞、そうしたものを客観的に捉えると共に、掲載者の意図ある情報には決して流されず、買い入れには自分の投資ロジックに従うことが大切と考えます。 レ・ミゼラブルから学ぶことは、自分としての立ち位置であり、そこにいることの意味を理解し、自分なりの法を守ることではないでしょうか。これは株式投資において重要な要素に思うのです。 <サイト管理人> 2011年9月8日記述 |
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【坂井三郎氏が少なからず残したものは何であるのか】 第42回 |
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皆様は坂井三郎という方をご存知でしょうか?、大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員で、終戦までに大小の敵機64機撃墜した日本のエース・パイロットとして知られた人です。ラバウル基地等から、ニューギニアやソロモンに展開する連合国軍(米豪軍)と激戦を繰り広げましたが、ガダルカナル島の上空において坂井氏は集中砲火を浴び、その内の一弾が坂井の頭部に命中したことで、右側頭部を挫傷し右目の視力をほぼ失いました。太平洋戦争終戦時は海軍少尉です。 戦後は印刷会社を経営する傍ら、海軍時代の経験をふまえ、太平洋戦争や人生論に関した本を多数記述しました。代表作となる戦記『大空のサムライ』は各国語に訳され、世界的ベストセラーとなりました。 欧米では、戦争中のプロパガンダの影響もあって、日本人に対する偏見が根強く、多くの外国人が「日本人パイロットはただ獰猛に敵を攻撃する事しか考えない冷血な戦闘機械である」という認識を持っていましたが、『大空のサムライ』により、日本人パイロットも「自分達と同じ感情を有する人間」だったと再認識したと言われています。坂井氏の功績は国内外に及び、彼に学ぶことは多くあるように思います。決して戦争や死を美化すること無く、生に喜びを見出し自らの力で生き抜いて見せた戦闘機搭乗員の話ですから、世界で受け入れられたことも納得がいきます。ただ、多くの逸話については晩年作られたものではないのか?であるとか、名前を宗教的な経済活動に利用されたり、本人自身の記憶のすり替えも多分にあったとは思いますが、概ねの逸話には事実の裏があるように思います。 先日ある政治家が坂井三郎氏についてコメントをしておりましたが、昨今の学生は日本とアメリカが戦争をした歴史を知らず「結局どっちが勝ったの?」などという話をするほどで、その言葉を生前JR中央線の電車内で聞いた坂井氏は愕然とし、駅のホームに降り立つや否や何本もタバコを吹かさざるを得なかったようです。もちろん学生全体が無知であるはずがありません。しかし歴史的大事を知らない人が存在することは残念でなりません。 国家の意思もそうですが、個人としての尊厳を保持し続け、それを行動に移した坂井三郎氏は後世に生きる私達に多くの事柄を教えてくれると共に、戦後の彼の記述本が日本人に対する偏見を解いたということがどれほどの価値のあることかを今一度考え直す時期が来ているように思います。ちなみに私は戦争も大日本帝国憲法も大嫌いです。ただし、一旦戦争状態になった場合には犠牲も含め最小最短の方法でそれを終わらせるため、戦争自体を拡大することも厭いません。 本コラムも回を重ねる毎にエッセイ色が強くなり、株式投資とは随分とかけ離れた話が多くなりましたが、私達は自分について十分理解し、坂井氏の様に一個人としてのスタンスを全うする人生をおくることは必ずや株式投資にも生かされると思います。短期トレードであれ、中長期トレードであれ、熟考の上一貫したロジックを持ち、行動に移す。これが現役時代の坂井三郎さんが少なからず残してくれた人生の哲学に思います。 <サイト管理人> 2011年9月9日記述 |
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【思考停止状態の株式投資は結果ロジックに則ること】 第43回 |
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ある学者のコメントに「蒙古襲来図はモンゴル共和国にはありません。こうした絵図や書物、当時の甲冑などは日本にのみあり、現在のモンゴル人それらを全く持たない為、日本のものをコピーし、共和国の歴史館に展示しているのです。日本の歴史の長さや、資料の豊富さ、そしてこうした歴史的資料を保管するという文化には感服することしきりです」というものがありました。 しかし、日本国は先の大戦に関して、多くの資料を保有しているにも関わらず、その占領政策の根幹を公にすることを大々的に行っておりません。敗戦にて終結したことや、開戦直後と終戦時の政策に隔たりがあったことからそれが適わないのかもしれませんが、日本書紀や中国の史書にも記されている伽耶を中心とした朝鮮半島における倭(日本)の活動や、豊臣秀吉による朝鮮出兵と同様、日本がどのような意図をもって他国に攻め入ったのか、またどうした占領政策を執ったのかについて資料を公開し分析をすることで、先の大戦に対する問題点を解決することができるようになると思います。場合によっては日本という国が大きな過ちを犯したという結果になるのかもしれません。逆にアジアの開放という正当性が認められるかもしれません。どうあれ、私達はそれを事実として受け入れ、これから採るべき方策を考えればよいと思います。謝罪だけが外交でもなく、単純な正当化が良いわけでもありません。このように分析を行う際に必要となるのが多くの文献や絵図、直近ではフィルム映像といった資料です。つまり、データを残すことは将来に対してとても大切なことなのです。歴史から未来の予測はできませんが、歴史から学ぶことは多々あると思います。日経平均株価の値動きなども数百年後には歴史的な資料となるでしょう。 さて、投資の話に移りますが、投機筋の換金を伴う売りでの底割れ銘柄は基本的に買い入れの対象にはなりませんが、その値動きなどは過去のデータ分析からもある程度適うものです。四季報データ、個別銘柄チャートなど、重要なデータの保管をお勧めすると共に、ある期間毎まとめて分析を行うことから、投資タイミングの感覚を養うことができ、それをおおよそで数値化することが可能になります。その作業は休日の1日程度で済むものと思います。 いかに感情を排除した取引を行うのか、その為に大切なことは経験ではなく「分析」+「数値化」による投資ロジックの確立と考えています。結果的に「思考停止の状況で株式の買入れや売りを行う状態」まで行き着くことが最終目標と考えています。思考停止とは「行動時には考えず、判断も含めた行動のみを行うこと」を指します。それこそがロジックに則った取引を行っている証拠もなるのです。 <サイト管理人> 2011年9月10日記述 |
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【行動の限界範囲は思い込みのレベル】 第44回 |
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以前のコラムに「株式投資における思い込み」というものがあります。今回はそれをもう少し掘り下げて解説したいと思います。 行動には目標や目的があり、それを遂行するには調査や検討、計画、検証といった作業が事前に必要となります。そして、計画案に従って行動をするのですが、その時必要になるのがマインドコントロールです。つまり、計画通り物事を進めるために私情を捨てるということです。 私も含め多くの方は、その場ごとの事象に引きずられて検討を繰り返し、支離滅裂な行動をとってしまいがちです。個人単位でそうなのですから、1億数千万人の国家レベルで見た場合、政府の政策に一貫性を持たせることがどれだけ難しいかといった問題は容易に想像がつきます。1億数千万人分のファクターが存在するからです。 昨今、東日本大震災からの復興が遅れいていることや、経済対策、雇用対策等が後手後手に回っているとのニュースがしきりですが、十分かつ公平にマインドコントロールされた人間が首相にでもならない限り早期解決は困難を極めることでしょう。阪神淡路大震災の時と比べて被災規模や地域性も経済情勢も大きく異なっているからです。 話を「行動」というものに戻しますが、人はなぜ行動を取れるのでしょう?反射以外の論理的行動とは何なのでしょう?結論は、「行動=思い込みから突き動かされるもの・動かされざるを得ないもの」です。つまり、行動とはある一定の短時間であっても頭の中で検討がなされ、思い込みをし、実行するというパターンが存在します。よって、株式投資における「買入れや売り」の行動までに到達するには、上記の流れをもれなく通過するのです。ですから、デイトレードをされている方でも短期トレードを中心とした人でも、中長期投資においても同様のことが言えるのです。 今回の重要なポイントに話を移しますが、行動で成果を上げるには、思い込みに至るまでの検討や計画といったものを十分かつ客観的に行えるかにかかってくるのです。 私の推奨しないデイトレードを行うようなケースでは、短時間で上記の流れを通す必要が出てきます。これはよほど精神をすり減らす行為であると共に大きなリスクを伴った賭け事に思います。 短期や中長期トレードに関しては、今が割安という勝手な思い込みが一番危険なものになります。思い込みが無ければ行動がなされないにも関わらず、その肝心な思い込みが危険なエレメントとなってしまうのです。 積極策を取られる方でも消極策を取られる方でも指標は多くありますから、市況や銘柄の調査から情報を得て、投資計画を立てなくてはなりません。そこから検証作業に映りますが、投資計画レベルの閾値が低ければリスクが大きいことを意味し、逆ならローリスクとなります。 株式投資のみならず普段の生活における行動には「思い込み」が必要不可欠であり、かつ一番危険な存在なのです。そして思い込みのレベルが行動の成果に対する限界線になってくるのです。 <サイト管理人> 2011年9月11日記述 |
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【後藤田正晴という生き方から学ぶこと(敬称略)】 第45回 |
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後藤田正晴氏が生まれたのは1914年8月9日。父の増三郎は醸造業を営む傍ら、県議を務めた有力な政治家でした。正晴氏はその末っ子で、父が63歳、母が42歳の時の子であります。 東京大学法学部卒業後、内務省に勤務しましたが、大戦前の日本では「官庁の中の官庁」とも呼ばれる有力官庁でした。敗戦後はGHQの指令によって廃止されましたが、自治省にいた一時期を除き、政治家になるまでの大半を警察官僚として過ごし、警察庁長官に上り詰めます。官僚時代の後藤田氏に対する評価はほぼ一致しており、上役にへつらわない。「行動力」がある。言うべきことは言う。「筋」が通らなければ譲らない。派閥を作らないというものです。この点は異色の官僚でしょう。 田中角栄氏に重用され中曽根政権下で官房長官に抜擢された後藤田氏は、同年9月のソ連軍による大韓航空機撃墜事件、三原山噴火による住民の全島避難の際に優れた「危機管理」能力を発揮し首相を支えました。仮定の話になってしまいますが、全島非難の為に官民問わず船舶を確保し島民の移送を迅速に行ったような「素早い対応」が本年の東日本大震災にも生かされていれば、人的被害はかなり抑えられたことでしょう。しかし、正晴氏はもうこの世におりません。 そんな後藤田氏ですが、しばしば「カミソリ後藤田」と言われ周囲から恐れられもしました。理由は「情報」を的確につかみ、それに「理知的な解析」を加えて、「鋭い判断」を下したからです。 佐々淳行氏の著書によると、後藤田氏は政治家引退後も国家的、国際的な安全保障、災害事象が起きると現役の首相など、政権中枢にアドバイスを与えていた他、佐々などかつての部下を首相官邸に送り込んで「処理」の補助を行わせていたそうです。 後藤田氏についてこれ以上記述致しませんが、上記の文章で重要なキーワードは、「行動力」,「筋」,「危機管理」,「素早い対応」,「情報」,「理知的な解析」,「鋭い判断」,「処理」です。 これらのことは株式投資のみならず、皆様の業務や私生活にも関わる問題です。キーワードが全て繋がり実践できる人間となれたならば人望のみならず、どのような事柄に対しても結果を出せる能力が身に着けられるのではないでしょうか。 一体どうしたら身につくのか?その答えは私達ひとり一人別のものとなるでしょう。私自身見出せずにもおります。しかし生涯をかけて突き詰めるべき大きな課題に思うのです。 <サイト管理人> 2011年9月12日記述 |
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【政府のとれる経済政策について】 第46回 |
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ここの何年もの間、消費税率を上げることや、所得税や法人税の増税について議論されていますが、増税から財政再建は可能でしょうか?消費税を目的税化して社会福祉にのみ使うといったことは正論なのでしょか? 政府がとれる政策は大きく分けて以下の3つと言えます。 (1) 景気を良くして税収を上げること (2) 歳出削減を行うこと (3) 増税を行うこと (2)は無駄遣いを失くすという当たり前のことですので、記述しません。 (1)については、景気を良くする為には「基礎的財政収支がゼロになること」が度々メディア等で言われています。しかし、基礎的財政収支が均衡したとしてもそれだけでは不十分です。 財政学の基本にドーマー条件というのがありますが、その内容は「プライマリーバランスがゼロになる」+「名目成長率が長期金利を超える」というものです。 今の日本は金利がとても低いにもかかわらず、名目成長率がさらに低い状態にあるために大きなデフレギャップを生んでいることは事実です。財政再建のひとつの大きな目標はデフレーションの克服なのであり、上記が成立すればどんな大きな財政赤字でも自然と克服できるという理論は一応成り立ちます。 なお、ドーマー条件(ドーマーの定理)についてもう少し解説を加えると、これは1940年代に米国のE.D.ドーマーによって提唱された財政赤字の維持可能性に関する条件のことです。財政赤字の維持可能性とは、対名目GDP比でみた政府の債務残高が膨張し続けずに、一定の割合以下で推移することを意味します。プライマリーバランスが均衡している間、つまり名目GDP成長率が名目金利率を上回れば財政赤字は維持可能という内容なのです。 もしもプライマリーバランスが均衡していると公債の利払い分だけ債務残高が増えてしまいますが、利払い以上に名目GDPが上昇すれば、GDP比でみた政府の債務残高は膨張しないこととなります。私はこの考え方に賛成はできません。結局残高が増えていることには変わりなく、GDPの成長が確約されるものではないからです。GDPの中身も十分に検討しなくてはならないでしょう。 日本の政府債務残高(財政赤字)は1990年代以降増え続けているため、政府はプライマリーバランスの均衡を当面の目標としていました。しかし、ドーマー条件はゼロパーセントに低い名目成長率では財政赤字を維持可能できないことを示していますので、財政赤字脱却が困難なことは言うまでもありませんが、それをしなくては最終的にデフォルトにまで行き着いてしまうでしょう。ただし、ドーマー条件を満たせるのならば、債務返済に何十年かかろうと問題にはならないはずというのが円安インフレ論者の言い分です。 私には政府の有り様、構造的な改革を先行して進めるのが筋だと思えるのです。 政府のとれる対策の(3)ですが、東日本大震災に対する復興財源、社会保障の為の財源とするという論理も間違いではないと思います。しかし、今の日本はそれだけでは成り立たない状況と考えます。増税をするとしても、大切なことはドーマー条件を早期に満たすことになるため、ひとたび誤れば大規模な財政出動から資産バブルを伴う危険な長期成長路線に転換しかねません。まず政府は支出の見直しを考えるべきだと思われます。 本来理想となる株式投資は長期投資だと思っております。とは言え、現状ではパニックを伴う大きな下落で株式を買い入れ、リバウンドで売り切るといった方法しかリスクの低い株式投資方法は無いと思うのです。 <サイト管理人> 2011年9月13日記述 |
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【「感動をありがとう」という言葉の捉え方】 第47回 |
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30年前に結成された日本女子サッカーチームですが、多くの時を経てワールドカップでアメリカを相手に勝利を得て金メダルを手にしました。この快挙はサッカーに興味の無い私にしても喜ばしいことで、同じ国に住む者として誇らしく思います。国民栄誉賞の授与には賛否もありましたが、ひとつの歴史を築き上げた栄誉は覆しようもありません。 テレビ中継では優勝の際に「感動をありがとう」と繰り返し言っておりましたが、本当の感動を手にしたのはフィールドに立っていた当事者であって、見ている側の私達は感動というより、日本人が偉業を達成した高揚感や誇らしさを感じたのではないでしょうか。私はそのひとりです。 ある芸能人が何年か前に「感動は人から与えられるものではない」とコメントをしておりましたが、私も「感動は自分で手にするもの」と考えます。 女子サッカーチームのメンバーがどれだけの努力をし、それらに耐え続け、究極まで自分を追い詰めたかなどは想像を絶しますが、だからこそ彼女達は大きな感動を手に出来たのだと思います。 取り留めの無い日常を生きている私達ですが、「目的」を持ちそれに向かって前向きに「努力」することから「結果」を得た際には世界大会と同等の感動が得られると思います。 感動はありがとうではありません。他人任せのものではなく、感動は「するもの」です。自ら手に入れるものです。ですから、子どもを育て上げることでも、自分の家を手にすることでも、盆踊り大会で優勝することでも、その為に日々の努力を重ねていれば主体的な感動を覚えるはずなのです。 ちなみに、「感動する」と同様、よく使われる言葉に「夢を叶える」というものがあります。夢は自ら目標を設定し、それに到達することで叶えられるものです。しかし、夢が叶う状況になった時はそれが手の届く現実のものとなっておりますから、本当の意味で夢が叶うことは無いのかもしれません。過去における夢は叶う可能性がありますが、現在進行形の夢は常に追い続けるものだと思うのです。感動するために努力を怠らないことや、夢を追いかけ続けることは私達にとって正の作用が働くと思います。 株式投資での感動(達成感)は人それぞれ尺度が違うと思いますが、女子サッカーチームは私にひとつの考えるきっかけをくれました。誇らしく思うと同時に大変感謝しております。 <サイト管理人> 2011年9月14日記述 |
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【精神的に若さという特典はあるのか】 第48回 |
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私は「若さ」をたいした特典ではないと思っています。年齢というものは関係なくて、今現在無茶を出来る精神を持っているかが大切と思うのです。無茶という言葉を使うとリスクを背負うべきとも聞こえてしまいますが、そういう意味ではありません。 私が定義する無茶というのは「自分の現状を打ち壊す」ということです。年齢を増すごとに慣れた生活や習慣、考え方というものが固まってくると思いますが、そこから外に目をむけ、新しい一歩を踏み出せば今までに無い世界が見えると共に、そこまでに養った経験やロジックが新しい世界を取り込み、これまでとは違った自分が出来上がると思います。 若さとはこうしたことを自然と行える状況にあるのでしょうが、年齢をおっても意識的に実践すれば精神的若さを手にすることが出来ると思います。 私は学生時代に戻りたいなどとは思いません。修了してから10年以上経った今でも睡眠中に修士論文が間に合わず冷や汗をかく夢や、テストで問題が一問も解けずに焦る夢を見てしまうからです。こんなことで何度夜中に飛び起きたかわからないくらいです。 それでも人情として学生時代のように「鳥みたいに自由に空を飛びたい」と思いふけることもあります。空想の世界はファンタジックで、想像はそれだけで楽しいものです。しかし肝心なのはそこに帰結せず、「鳥が飛ぶ為に何万回翼を動かしているか」を知ることです。 想像だけで終わらず、現実を知り、考え、だからどうするのだという論理をまとめ、実践に移す。それが若さという特典を超えることだと思います。 株式投資では閾値を高くした安全策を取る投資手法が望ましいのですが、同じロジックで複数回の失敗をしたらばそれまでの論理を打ち壊す「無茶」が求められ、新しいロジックを検証する必要があります。これまでの方法に固執せず、今までに無い相場観を作り上げる柔軟さこそが若さという特典を超えるヒケツに思います。 <サイト管理人> 2011年9月21日記述 |
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【震災後の中古車相場から考える物の値段のつき方】 第49回 |
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東日本大震災の影響で中古車価格が上昇しているというニュースが流れ、私の周囲もそのようなことを良く言葉に出すようになりました。報道では「今回の震災、とりわけ津波で車を失った方達が、生活に必要な車を購入している影響から上昇している」との事です。 これは果たして本当でしょうか?私なりの解釈では、一部YESで大部分がNOだと思っています。 近年類をみない悲劇である東日本大震災では貴重な人命や建築物を失うと共に、その他インフラの多くが被災しました。とても歯がゆい思いです。なお、車に関しては数十万台が失われたとのことですが、2010年に日本国内で販売された台数は495万台ですから、本年が仮に10〜20%減になったとしても400万台近くあります。ひと月に換算すると約30万台です。 おおよそが車を買い換えるケースであり、その中で中古車として流通に供するものが三分の一あったとすれば、月あたり10万台近くの車が市場に流入していることになります。 仮定の話で恐縮ですが、東日本大震災だけが影響をしているのではなく、震災をひとつの契機として低価格の中古車に需要が生まれ、全体としての相場が押し上げられたと考えられるのではないでしょうか。 個人も法人も2009年や2010年はエコカー減税により車を乗り換えたケースが多くありましたので、2011年は国内の新車販売台数が落ち込んでいますから、結果として下取る車が減り、スパイラル的に中古車価格が上昇したとも言えます。また、長引く景気の低迷や先行き不安から新車の購入にまで至らず、今までは新車を購入されていた人が中古車で間に合わせるといったケースも考えられますし、アジアを中心とした海外への中古車の輸出台数高止まりも要因として挙げられます。 このように中古車相場が上昇した原因はいくらでもあり、震災があったからの一言で片付けては全体としての相場観が掴めなくなってしまいます。 少々話しが逸れますが、日本の自動車メーカーは2011年度に過去最高の売上げ高となる可能性もあります。それはこの国の自動車産業が世界を相手に商いをしていることの裏づけです。 私達は国内にばかり目を向けがちですが、円が強い現在、国内外に目を向け、広い視野でものと捉えてみるのは大切なことと思います。 ちなみに、株価も中古車同様、売ろうという人と欲しいという人の価格が一致した時に成立します。全ての物の値段はこうしてついていますから、そうなっていることの契機だけに固執せず、今後の可能性も含めた柔軟な姿勢で臨まれることが重要になると考えます。 だいぶ株式投資とかけ離れた話になってしまいましたが、先のコラムで書いたように、私が日経平均採用銘柄の中でも大型主力銘柄しか買わないのは、いつでも市場に売り手と買い手が存在する為に、必要に応じて成行き買いと売りが安心して出来るからです。 そして、大切なことは物の値段イコール株式相場ですので、期間筋の売りが続くとともに、信用取引が乗ったパニック相場になった時がリバウンドで利益を上げる数少ない方法に思います。 <サイト管理人> 2011年9月25日記述 |
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【世界の覇権を担うこれからの地域】 第50回 |
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さて、今回のタイトルは「世界のこれから」などという大胆なものです。歴史に関しては当方関連の資格も無く、趣味として読んだ歴史書の情報しかありませんので、有意義なお話ができるか解りませんが、見解を述べさせて頂きます。 現在の世界は軍事的にも経済的にもアメリカを中心とした欧米列強が治めており、日本は経済においても軍備においても大国でありながら、それらに従属している形となっています。 とりあえず取り掛かりとして、過去の歴史からみて、世界を支配した地域を考えてみたいと思います。私は歴史に関する造詣は深くありませんので、年号や名称等間違いがあれば謝罪します。 世界四大文明時代(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)にも国はありましたが、地域の内に存在しているので、それ以降の歴史を追っていきますと、まずローマ帝国(欧州):紀元前27年〜1453年が挙げられます。最大の領域を治めたのはトラヤヌス皇帝時代で、紀元後100年前後の年代に当たります。それ以降は衰退の一途をたどりましたが、エドワード・ギボンが『ローマ帝国衰亡史』で示したように、1453年5月29日の東ローマ帝国の滅亡をもってローマ帝国の滅亡と考えるのが一般のようです。 次に、イスラム帝国(中東):紀元後8世紀〜1258年があります。東西交易、農業灌漑の発展によってアッバース朝は繁栄し、イスラム国家としては過去最大の領土を治めました。首都バグダードは当時、世界最大の都市でもありました。アッバース朝がモンゴル帝国によって完全に滅ぼされるのは1258年のことです。 その後、大モンゴル帝国(アジア):1206年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配した王朝が生まれました。13世紀はチンギス・ハーンの興したモンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれています。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立しました(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、大きな世界史の転換期となりました。過去において最大領域を保有したのは元と言ってよいでしょう。衰退した元もクビライ家皇統は1388年まで存続し1635年までは北宋として存続します。 そして、欧州列強:イギリス、スペイン、ポルトガルが大航海時代を向かえ、15世紀中ごろから17世紀中ごろまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出を行いました。主に西南ヨーロッパ人によって開始されました。 その後の事象としてはアメリカの独立とフランス革命が同じ年で、欧米で急速に国民国家化が進み、最終的には帝国主義、第一次世界大戦、第二次世界大戦から現在の世界の欧米支配体制が確立されました。 簡単にまとめましたが、これまでの歴史から、『欧州』,『中東』,『東アジア』,『欧州』,『欧米』といように世界を支配した地域が歴史と共に変遷したといえます。歴史は繰り返しますので、欧米支配体制はいつか崩れ去るでしょう。中国はアメリカのみならず欧州各国の国債を大量保有しています。国債保有高が拡大すれば発行国は経済的に属国化することを意味しますので、日本、中国を中心とした東アジアが世界の中心を担う時期が到来する過渡期を迎えているのかもしれません。 世界の覇者がアジアとなる状況は既に始まっているかもしれませんが、私達は大きな歴史の転換点を生きているといって良いでしょう。 中国の国内不安は根強く残っていますが、緩やかな民主主義化が進み、国家の分裂が無ければアジアの主権は益々強くなるのかもしれません。 株式投資に話を振り替えますが、アジア主権の世界となったとしても株価の上昇は保証されません。しかし、世界大戦に等しい経済戦争が繰り広げられる激動の時代を生きる私達は歴史の大きな渦に巻き込まれている可能性が高いでしょう。 多方面の情報にアンテナを張り、メディアの偏った情報に流されることなく冷静に対処できれば、自国通貨高の日本人は経済的に世界をリードすることから、世界一の大国となる日が来るのかもしれませんし、株式投資における長期投資が可能な状況が生まれる可能性があります。それが本来理想のパターンなのかもしれません。 <サイト管理人> 2011年9月29日記述 |
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【知能の進化具合と株式投資】 第51回 |
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保守派かリベラル派か、知能の進化具合に違いをもたらしている可能性があるようです。最新の研究によると、人類の進化が進むと、因習打破主義に向かっていく傾向があるそうです。 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の進化心理学者でサトシ・カナザワ氏は自身の理論を次のように説明しています。 「知能、特に現場で即座に問題解決や推論を行う能力は、突然の森林火災など特異で予期していない出来事に対処するために、進化的適応の結果として獲得されたものだ」と。 森林火災のような災害は日常生活では稀なので、人類の祖先が生まれつきその対処法を知っていた可能性は低いでしょう。災害時に生き延びるためには、新たな行動様式を考え出す能力と実際に試す意志が必要になるからです。 「高い知能の証しとなるこの2つの特質は遺伝し、非伝統的な社会的価値を選ぶ傾向として表れる」とカナザワ氏は話しています。 先日短い時間でしたがある脳科学者とふたりで話す機会がありました。彼も同様のコメントをしておりました。少しお酒が入っておりましたので錯誤無効かもしれませんが、そのように捉えていることは否定できません。私には少々残念なことです。ちなみに、知識階級は常識や旧態依然とした考え方にとらわれない特性を受け継ぎ、比較的新しい社会的価値や行動様式を受け入れる可能性が高くなるそうで、リベラル思考、無神論、夜型の生活などが該当してきます。 「この志向は、頭の良い人の脳が新しい状況にうまく適応しようとする結果、生じるものだ」とも話しています。 カナザワ氏が研究で採用したのは、全米青少年長期縦断的健康状態研究のデータで、1994年以降、同一の被験者グループが継続的に調査対象になっており、この研究データは、絵を使ったボキャブラリー・テストに参加した13〜19才の若者のIQを測定したもので、7年後に同じ被験者に対して各自の宗教観と政治思想に関する質問が行われました。 データ分析の結果、7年後に「まったく宗教心がない」かつ「非常にリベラル」と回答した人は、「非常に宗教心がある」かつ「非常に保守的」と回答した人に比べて、10代のころのIQが高いことがわかったのです。 差異はそれほど大きなものではなく、例えば、リベラル派と保守派の差は平均で11ポイントにすぎません。それでもこの差は非常に重大だというのです。 ほかの専門家からは、「非常に興味深いが、実証されたとは言い難い」との意見も出ています。 私は教育学を修めておりますので、遺伝で知能を区切ってしまうことには疑問がありますが、新たな行動様式を取り入れることは学習と努力によりカバーできるものと考えております。 株式投資ではこうした能力を身に着ける機会があり、思い込みを捨て、成長を打ち切らず、今までの自分を否定して新しいロジックを組み立てる作業が脳の働きを成長させるように思うのです。 自身の話で大変恐縮ですが、私は大学院を修了して以来10年の余が経ちましたが、当時よりも市販のテストベースでIQが10ポイント程度上がっております。IQなど単なる指標に過ぎませんが、それもひとつのファクターとして捉えるならば、株式投資や資格試験の為の学習、そうしたものが知能に進化を加えるといっても問題は無いでしょうから、すべてを「遺伝」や「知識階級」などという不謹慎な一言で片付けることには反対なのです。 <参照>「Social Psychology Quarterly」誌2010年3月号 <サイト管理人> 2011年10月1日記述 |
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【文系,理系と区別をつけることに意味はあるのか】 第52回 |
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会話の中で「文系ですね」とか「理系ですね」と分けて話すことがありますが、私自身人間を文系理系と分けることには疑問をもっています。 私は文系といわれる人間が取得する資格を取っておりますし、理系といわれる人間が得る資格も取得しております。 自分の話で恐縮ですが、高校時代は普通高校に通っており、2年次に文系と理系科目の選択を迫られました。その時、私は文系を選択したのです。理由は簡単で、国語が苦手であり、特に評論に関する設問の解答は見るも無残なものだった為、現代国語を中心としたカリキュラムを受けることでそちらの成績を伸ばすことを考えて選択をしたのです。結果として、高校卒業時には学校内で平均点を取れるレベルになりました。そうはいっても理科系科目の時間が少なかったことから、自前で数学の学習を多く行い受験に備えたのも事実です。 今は一ヶ月に10冊程のペースで経済学、哲学、政治、エッセイなどの本を読むのが楽しみになっておりますが、国語が大嫌いだった高校在学時には考えられない状況ともいえます。 現実問題として、文系科目が得意な人間も理系科目が得意な人間もいらっしゃいます。私はどちらかというと理科系科目の方が得意です。三角関数や微分方程式は今でも解答できるようにしていますが、30歳を過ぎた現在、頭の体操としてそれらの能力を無くさないように努めている状況です。 ちなみに、理科系科目の特徴として答えがひとつしかない問題が多く存在します。一次方程式や二次方程式にしても答えはひとつですから、回答が出来たかどうかを即座に確認することもでき、答えについて疑問を挟む余地がありません。そういう意味で数学は安心感を与えてくれます。 なお、基礎的定義や定理を覚え、理解しなくては問題が解けないのが理科系科目の特長とも言えます。 肝心な問題は世の中の人間を文系・理系に大別することではなく、自分の性質を理解し、何が不足しているのか、何を学習すればどういう道が開けるかを常に考え効率的に学ぶことではないでしょうか。 何事も分類することが大好きな日本人ですが、自分を文系ないし理系だからということを思い込み、またそれを理由として新たな成長を回避するのではなく、自分は文科系科目が得意だけれど、理科系科目に関する知識を身に着けるにはどうしたらいいのかといったことを考え、行動に移す必要があると思うのです。 以前のコラムにも書きましたが、株式投資には文系も理系もありません。どちらの要素も含まれていると思います。何時でも何歳でも感情に囚われず、出来ないと思い込まず、新しい分野へのチャレンジ精神を忘れず、それを行動に移せばある段階までの成果は挙げられると考えます。 <サイト管理人> 2011年10月8日記述 |
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【誰も自分の意見を持たないのが今の日本人?】 第53回 |
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日本に生活をする皆様が年間被爆量一年1ミリシーベルトというのが当たり前だったのが震災前の常識でしたが、政府が100ミリシーベルトと言えばそれを常識とコロリと変えてしまうのが大半の日本人であります。これは各人が一貫した考えがない証拠とも言えます。 ゆとりと言っているからこれからはゆとり教育だ。これからはレジャーの時代と言って大規模レジャーランドとを建築した挙句破産した企業も多くあります。大規模な宅地造成も消費者金融もしかりです。 一過性のトレンドに乗っかったのが原因で、大局で物を見なかった結果としては当然のものと言えるかもしれません。 銀行政策も失敗しました。本当に社会を前進させる企業に融資をしないのが現在の銀行で、担保・抵当を十分に確保している企業に資金を融資するなどというのは本来ではなく、成長性のある企業に投資資金を提供するのが本来の銀行のあるべき姿ではないでしょうか。 話を戻しますが、一年の被爆量が1ミリシーベルトというのは国際基準ですから、それを日本の基準として保つことが出来なければ日本の農作物を買い入れる諸外国は減る事は言うまでもありません。これらの問題は世界基準で考えなくてはならないのですが、その場しのぎで考えなし政策なしの結果と言えるでしょう。 太平洋の魚がどの程度被爆しているかは2011年9月現在調査中であります。被爆量の上限が科学的に実証されない限り1ミリシーベルトを超える魚介類を摂取することにはリスクを伴っていると自覚をされた方が良いでしょう。 リスク管理は投資には欠かせない重要な要素です。最悪のシナリオを考慮に入れて行動を起こさなければ取り返しのつかないことになります。これは株式投資においても同様です。トレンドが大好きな日本人、目先の利回りに囚われるのが今の日本人とも言えます。 自分の心の叫びなのか、環境に興味が無く利権の為の研究なのか(職業としての学問なのか)を一般人が判断して有益な情報を得ることが肝心と思います。 20世紀の初頭に有名な社会学者であるマックス・ウエーバーが言っております通り、従来の科学者は自分の信念に従って行動をしておりましたが、現在は対価を得る為の研究になってしまっているということです。いつの間にか自分が言っていることは核心なのか利権のためなのか、その点が不明であることが今の情報の氾濫を招いているのです。これはとても残念なことであり、ますます個人の資質が問われる時代に入っていることを物語っています。 個人の責任においてリスク管理をしなくてはならないのは国が信用できないことに繋がり、日本人として残念なことと思います。 <サイト管理人> 2011年10月12日記述 |
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【人間は未来を予測するとき悪い方に考える】 第54回 |
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過去の偉人が予測した未来にはどういうものがあったを挙げると共に、少々の考察を加えたいと思います。 ・イギリスの物理学者のケルビンはライト兄弟が飛行機を飛ばす以前(8年前)、飛行機は絶対に飛ばないと言いました。 ・ハンガリーの数学者であるジョン・フォン・ノイマンがノイマン型コンピュータを発明しましたが、IBMの元会長であるワトソン氏はこんなものは5台しか売れないと言いました。 ・イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとアメリカの物理学者のアルベルト・アインシュタインは核戦争で世界が滅びると提起しました。これは1955年の「ラッセル=アインシュタイン宣言」の内容を見ていただければわかります。 ・アメリカの生物学者レイチェル・カーソンは1962年の著書「沈黙の春」にて薬剤(DDT)を使うことによって人類は滅亡すると言いました。現在騒がれている環境問題を世界で初めて大々的に提起した人です。 どうして偉人や賢人がこうしたことを提起したのでしょうか。これらの原因は終末思想の政策化と言えるのではないでしょうか。ノストラダムスにも関わりますが、人が予言をする時には悪い方にしか考えない傾向があるということです。 どういうことか良くわからないと思いますので、もう少し書きますと、脳の中には現在という常識が入っていおります。現在が知識として入っている私達が将来を見ると必然的に暗いものとなるということなのです。 現在の悪いことが拡大されてしまう為、本当の将来とズレを生じてしまうのです。これは本能と知識が織り交ざっている証拠です。 株式投資においても現在の悪いことが拡大解釈される為、パニック相場が発生するのです。これは実体経済を正当に評価していないことから生じます。そして行き過ぎから評価の修正(株価の反転)があるのです。そのタイミングこそ絶好の投資機会となると考えています。 ちなみに、スイスの化学者であるミュラーが発明をしたDDTという薬剤は本当に悪なのでしょうか。DDTを使うことでマラリアの菌を媒介をするハマダラ蚊がほとんどいなくなり、1960年代にマラリア患者が激減したのは事実です。レイチェル・カーソンが1962年にDDTの問題を提起してDDTの製造を中止されたのはその頃です。その結果1980年代からハマダラ蚊が息を吹き返しマラリア患者は世界で急増したのです。 DDTは多少の問題はあります。ですから、DDTを使い続ければこれまでに数十人が死んでしまったのではないかとも言われております。しかし、DDTの使用を禁止したことで現在はマラリアで年間100万人から200万人が亡くなっており、トータルでは3000万人近くの方が死んでしまったことになります。この事実から目をそむけるのは目の前の現実を正確に受け止めないことに等しいでしょう。 以前にも記しましたが、人間は自分が納得できることを正しいと思い込んでしまう傾向があります。私達の現状で将来を想定するには実際と大きな隔たりがあるのは過去の事実から観てもわかることでしょう。 <サイト管理人> 2011年10月15日記述 |
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【歴史が現状の否定から成り立つことの意味】 第55回 |
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歴史が現状の否定から成り立っていると言っても、なかなか理解できないことでなないかと思います。ですので、日本がたどってきた現代史を簡単に書きますと以下のようになります。 ・1930年代 軍国主義、軍備拡張主義の時代。軍隊が正しく、兵隊になることが憧れであり、耐久性の高い機関銃や性能の良い戦闘機や戦艦を作ることがステータスであり正しいことだった時代といえます。 ・1960年代 日本は独立を得て、平和を求める時代になりました。軍隊はいらないと叫ばれた時代ともいえます。三種の神器(冷蔵庫,テレビ,洗濯機)を手に入れることを目標とし、大量生産ほど良いことはないという価値観が支配していました。家庭電化製品に「神の器」と名づける程重んじたのです。 ・1990年代 不動産バブル崩壊や金融バブル崩壊が起こり、大量生産、大量消費は悪であるという価値観が生まれた時代といえます。これからは環境の時代と叫び、リサイクルやエコロジーに重きをおくようになりました。 ・2020年代 ?? これらから観て、日本の歴史はおおよそ30年毎に価値観が推移し、それまでの価値観を否定して次の時代が生まれていると思えないでしょうか。同時に人間の価値観は30年ごとに変ってくるとも言えないでしょうか。 とはいうものの、1960年代よりも2011年現在の方が2倍以上の大量消費をしており、建前の上で生産は必要ないと言うばかりで、軍需産業についても同様のことがいえるでしょう。 なぜ価値観に変化が生まれるかですが、「現状満足しているからもう必要ない」が大きな要因に思います。しかしそれでは「過去における行いの体裁が保てない」為、人間は「過去の否定」という行動をとるのです。そして次のテーマを見つけるのでしょう。これが永遠に続くのです。 2020年代にはどういった価値観の変化があるのかわかりません。しかし、この数年の間に日本の歴史はひとつの節目をむかえるかもしれません。この大きな時代の変化時に株式も含めた金融商品へ投資を行うことはそれだけでリスクを負っておりことを心に留めておく必要があると思います。 <サイト管理人> 2011年10月17日記述 |
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【「自分が正しいと思うことは正しくないこと」について】 第56回 |
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多くの人間は正しいことの内容を知る機会がありません。正しさは教えられる問題でもありません。端的に言いますと、「自分が正しいと考える」ことは「正しいことでは無い」というのが私の結論です。 正しいことというのは神様が決めるか、偉人が決めるか、法律が決めるか、相手が決めるか。主にはこの4点なのでしょう。法律が万能ではないことは理解できますので、この4点に含めることは難があるかもしれませんが、法治国家に住む私達にとっては正しいこととして受け入れなくてはなりません。 もう少し身近な問題として、日常的には規則であるとか規律がありますが、これは単なる能率の問題で、正しさとは関係のないことなのです。 話を戻しますと、「自分が正しいと思うことは決して正しくない」理由は、それが認められるならば人口の数だけ正しさがあることになってしまうからです。ですから、自分では勝手に正しさを決められないのです。 民主主義社会においては相手の正しさについてそれが正しいとを認めることから成り立っていますが、果たして現状このシステムが正常に機能しているでしょうか。答えは簡単に出そうにありませんので、皆様でお考え頂くこととしたいと思います。 株式投資における正しさや正しい投資方法はありません。私が考える投資方法は私なりの正しさに過ぎません。ですから自身のロジックに則ると共に、結果である対価を元に常に自らを否定することが肝心になり、そしてそれが次の成果に繋がると思っております。 自分を正しいと思ってそれに固執すれば伸張を阻害すると共に、一度の失敗がスパイラル的に拡散して取り返しのつかない事に繋がってしまうと考えられます。 単なる自己否定ではなく、正しさは自分だけのものであり、相場は自分の意思とは異なるのは当たり前であるというスタンスで投資に望まれるのが良いと思うのです。 <サイト管理人> 2011年10月19日記述 |
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【日本の教育と生涯学習としての株式投資】 第57回 |
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今日の日本では学生は勉強すべきということが一般論になっております。私立大学の大半の場合は自分で授業料を支払って18歳から22歳までの授業を受けます。 かつて日本が発展途上の時は、人材が重要であったので大学に入って勉強をしなくてはもったいないと言う考えが蔓延していました。国から考えると優れた人が多くいるほうが望ましいからです。 124単位になると大学を卒業となりますが、どうしても就職しなくてはならない時には勉強した方が有利であるという論理もありました。 しかし、教育基本法の第一条では「人格」,「社会的な力」,「愛国心」を求めています。 もしこれが本当だとしたら成績をつける意味があるのかという疑問が生じます。ですから、たいした試験もせずにおおよその成績をつけるという形態が昨今浸透しているようです。 大学関係者との話からでは、「勉強をしたくなかったら講義に出なくても良いですよ」と言っても帰る学生もほとんどいないと聞きます。これには集団の心理や個人のプライドが関係しているように思えます。 現状では、試験の寸前にのみ勉強をして、合格ラインの点数を取る学生がほとんどなのです。また、レポートなどはインターネットの情報サイトから文章をつぎはぎして作成したものがまかり通るようです。 論文として成立すれば成績をつける対象になるようですが、大学などは研究機関ですから、そのようなレポートが通用することには強い疑問をもっております。 また、本来は大学名などは関係ありません。そこに在籍していただけでは人間力の向上には繋がらないからです。要するに社会に出てからは学校名ではなく人間力が求められるのです。 学歴に固執すれば自分の過去の学歴に胡坐をかき、それ以降の伸張はありません。その時点でそうした学生は成長の止んだ大人なのです。 話が少々ややこしくなりましたが、株式投資は大学で学ぶことでも高校で授業を受けることでもありません。社会人の論理で社会人としての学習が求められ、そこから自分のロジックを確立することでしょう。 生涯学習を実践できること、それが真の人間力であります。そして投資には生涯学習が求められるのです。この基本を学生時代に如何にして養うかが投資における成功に繋がるようにも思います。 <サイト管理人> 2011年10月22日記述 |
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【節約が悪であることの意味】 第58回 |
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個人は毎月入る給料で生活し、できるだけ節約して貯金し、持ち家を買ったりします。それが個人のお金の出入りとなっています。よって、普通の人は「国の財政」も「個人」のお金の流れと同じと錯覚してしまいます。さらに錯覚させるように新聞やテレビで解説者が説明しがちです。しかし、「国」と「個人」では、お金の性質が違うのです。 個人の家計で「余ったお金を銀行に預ける」ことは簡単です。そして必要になったらATM等でそのお金を引き出すことができます。しかし、国には銀行が無いのです。もう一つ個人と国の違うところは、国は「お金を印刷ができる」ということです。お金が足りなければ日銀が紙を印刷します。昔は金本位制があったので、勝手にお金を印刷することはできませんでしたが、現在はこの金本位制が無くなっています。アメリカがドルを印刷し、日本が円を印刷します。それぞれの国が独自の判断で「適当な量」を印刷するのです(ここでは世界決済通貨と基軸通貨の区別はしませんが、日本円は世界に通用する通貨です)。 こうしたことから、日本人の給料を倍にしよう思えば、日本銀行がお金を印刷してニ倍にすれば、日本人の給料が倍になるだけのことです。もちろん物価もそれにつれて上昇しますし、対外貨で見た場合「円」の価値は半分に下がります。 「どんどんお札をすれば景気が良くなる」という人もいますが、お札を作っただけでは景気は良くなりません。これは「お金が世の中を回る」ということを理解されていないから言えると感じています。 仮に日本にあるお金の総額を10億円として、国民が100人とします。その100人で10億円を均等に分配すると一人1000万円になります。そして、お金は使うと次の人に渡りますから、従来この10億円を1ヶ月で使っていたのを半月で使い切るようにすると、それぞれの手元にお金がやって来る総計は10億円が2回ですので、20億円になります。 景気が良くなると、人間はお金を使う傾向があります。だからこそお金の回り方が早くなり、同じ貨幣流通量なのにも関わらず2倍の効果になるのです。これらを複雑に考えないでまとめると、 (1) 個人の家計と、国家の財政は違うこと。 (2) 国家は、貯金ができない代わりにお札を印刷できる。 (3) お金は使えば使うほどお金が増えるのと同等の効果が得られる。 この話は長くなりますので切りますが、私達の一つの大きな目的は「日本の子ども達に何を残すか」を優先して考えることではないでしょうか。 また、もう一つの目的は、自分のお金は安全に確保されているかを認識することではないでしょうか。家庭では節約も大切ですが、それが日本全体でも必要かは、直感的に考えざるべき問題であり、そこがわかれば、貯金をどうすれば良いのかがわかるので、自分のお金を失わないで済むことにも繋がると思います。私は使える範囲内での浪費が大好きです。株式投資で生んだ利益は完全に使い切ってしまいます。そうした浪費が更なる浪費を生み、良い乗数が得られる経済効果に繋がることも少々願っております。 <サイト管理人> 2011年10月25日記述 |
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【金融崩壊の先にあるもの】 第59回 |
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1990年代、アメリカではインフォメーション・テクノロジーが大きく進歩しました。それに伴い、経済活動のグローバル化が進んだのです。情報を瞬時に共有し、資金を瞬く間に融通し合える環境が整ったのです。 もちろん、大きな変革には相応の副作用がつきものです。結果としてリーマンブラザーズの倒産というアメリカ発の金融恐慌が起こったのです。舵取りを誤らなければ、新しい技術から経済は一気に拡大し、一旦不安定になる程度で終わったのかもしれません。結果として状況はそれを許しませんでしたが、そもそも恐慌の要因は何だったのでしょう。少し考えてみたいと思います。 IT産業の成長はアメリカを中心としたカナダやメキシコとの交流障害を限りなく低減させ、経済交流を盛んにしていきました。そして、産業の成長を更に進める為にはアメリカへの移民を大量に認める必要があり、結果多くの移民がアメリカに流れ込んだのです。移民がなぜアメリカを選択するかといえば単純に「自国の貧困から抜け出す為」でしょう。しかし、苦しい生活を少しでも豊かにしようとアメリカに移住することは、アメリカ国内に「貧困層が増える」という事態を招きます。そこで、アメリカ政府は対策として「住宅を整備すること」を掲げ実践しました。生活環境を整えることで生活の基盤を作り、インフラ整備という事業を引き出せると考えたのです。 しかし、2000年になるとITバブルが崩壊し,産業の未来に暗雲が立ち込めます。ITバブルの崩壊はそれ自体が不要になったからではなく、供給が過ぎただけのことでしょう。そして、行き場の無くなった多くのお金は「貧困層の人にも住宅を供給する」という政策につぎ込まれていったのです。そこで、資金の無い人の為の住宅ローンであるサブプライムローンが成立したのです。 しかし、多額な借入金となる為、資金を出す側も慎重になります。また、サブプライムローンという借金は恐ろしく、収入がなくてもローンが組めるものでした。そのローンは変動型で、5年後、10年後になるほど返済額が高くなるという仕組みでした。 このようなローンが成立した理由は「土地の価格は無限に上がる」という前提があるからの一点に過ぎません。そこで金融機関は証券化という手段を考えたのです。個人のローンの危険を引き受けるのはその人の信用能力を調査しなければなりませんが、詳細不明の証券になると、証券全体の信用は個人と切り離される為に安全に見えるのです。それに併せてAAAの「格付け」を貼って表向きの信用性を裏付ければ十分な金融商品に見えるのです。 この複雑な証券をアメリカやヨーロッパ諸国の金融機関や富裕層が買い続けたのです。特にヨーロッパでは、イギリス、オランダ、そしてアイスランドなどの国も入って「金融国家」を目指しました。もしも土地が目に見えて有限のもので、人口が増え続ければこの現象はもう少し長く続いたのでしょうが、移民の減少や景気の傾きといった些細なトリガーで、土地の値段が下がり、これまで通りにお金が動かなくなり、資金が一斉に金融市場から撤退し大恐慌になったのです。 ではこれからの世界はどうなるのでしょう。 イギリスやイタリア、オランダ、スペイン、ポルトガルといった国はこれから先多くの難題を抱え、約20年前から日本が経験している長期の景気低迷を続ける可能性があります。また、これらの国がEUの通貨であるユーロの価値を押し下げ、共同体の勢力を弱めていくことも考えられます。ドイツやフランスが受け皿になっても、旧東ヨーロッパ諸国も含めた共同体の勢力維持には限界があるのです。そして今現在その場面に直面していると言えます。 アメリカには基軸通貨たるドルがある為、通貨の発行からこのまま経済は再生を見せるでしょう。しかし、新しい技術や産業がなければ、資金は再度架空の投資先に進むことから、金融は再び崩壊を招くことと思います。近い将来か、しばらく先の未来かは解りませんが、実体のない経済には必ず金融崩壊という現実が待ち構えているのです。この点、皆様はどうお考えになるでしょうか。私が何年もの間株式投資においてリバウンドを狙うのは、中長期のビジョンが世界に観られないからであり、最もリスクを抑えた投資方法と思っているからです。 <サイト管理人> 2011年10月30日記述 |
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【レーティングをどう解釈するか】 第60回 |
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「信用格付け」は企業の安全性に対する評価であるのに対し、証券会社のレーティングは現在の株価に対する評価を示したものとなります。そして、多くの証券会社では「買い推奨」「維持」「売り推奨」の評価をしており、その銘柄が買いか売りかを直接的に示しています。 では、レーティングを信用して売買すれば儲かるのでしょうか? 証券会社が出すレーティングは、現在の株価とその企業の収益力や健全性などを見てその水準を提示するのが基本ですが、投資機関自体がある銘柄を少しでも安く大量に買い込みたいケースでは、レーティングの引き下げと共に買いを入れてくることが多くみられます。インサイダー取引にあたるとはいえ、投資機関と格付け機関ないし証券会社は情報を共有していると考えるのが最も自然ですから、指標から優良と思われる銘柄の投資判断引き下げのようなケースでは逆説的に捉えるのが良いと私は考えております。物事には必ず裏があるのです。ただし、レーティングの引き下げにより株式購入を考える場合、その対象となる会社の財務指標、業績予測、その他を十分に考慮し、本当に割安なのかを検討しなくてはなりません。 ちなみに、レーティングが高いということは悪材料ひとつでその銘柄の暴落を意味しますし、手持ちの株式がある状態でその銘柄にレーティングの引き上げがあれば絶好の売りタイミングとなります。 なお、私の投資タイミングはリバウンドを目的としていますので、単なる上昇や下落相場におけるレーティングの引き下げだけでは対象銘柄の購入には至りません。 <サイト管理人> 2011年11月1日記述 |
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【円高悪玉論の真実とは】 第61回 |
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経済学で円高について論じる際には幾つものポイントから考えなくてはなりませんが、今回は私達一般人の生活がどうなるかに焦点を合わせて本コラムを書きたいと思います。 ところで、世界経済が減速していることもあり、円が75円に迫るようになってきました。メディアでは「1円の円高でトヨタ自動車が400億円の損失を被る」と囃し立て、円高の一側面、それもある特定の企業が影響を受けるという解説をしていました。こうしたことを断片的に解説をされると、多くの人は「円安の方が良い」と思うのは当然なのかもしれません。しかし、実際はそのようなことはありません。 国の力が上がってくると、その国の通貨が重んじられるので、高くなります。日本が1ドルあたり360円から、現在のように80円程度になったのは、日本の国力が4倍近くになったからに他なりません。 全体としては日本人の人生はそれだけ豊かになり、ありがたいことなのです。ですから、円高もおおむねの全体としては「良い方向」であることをしっかり認識しておきたいものです。また、折角良い方向になったものを、一部の企業だけでその利益を独占したいというロジックに騙されてはいけないと思います。 円高は輸入するものは値段が下がりますから、食料は安くなり、石油も安くなります。東日本大震災や福島の原発事故が起こり日本の食糧事情が不安定の中で、現在の円高は非常に良い機会なのです。石油や石炭を目一杯で燃やして電気を作ることを考えても簡単にご理解いただけると思います。 一方、日本の中で作られる輸出製品は円が高くなる為、初期段階では輸出する際にディスカウント販売が必要となりますから、収益が減ります。これが「トヨタの400億円」という内容です。確かに国内空洞化を叫ぶ人もおられますが、それも一時的なもので、日本には新しいビジネスが生まれ、国力ひいては国際競争力はますます高まるでしょう。 再三になりますが、私は円高になるのは一般国民にとってとても良いことだと思います。ほとんどの人は現金を「円」で持っているのですし、日本の食糧は輸入が60%程度、エネルギーは100%という現実から考えても察しがつくことです。円が上がることは、貯金や給料が上がることと同等ですが、この問題はまた別の機会にお話できればと思っています。 為替や株式投資で相場が一斉に悲観的になるのはありがたいことですが、自分自身まで悲観的になるのは好ましくありません。そのようなトレードの状況に自分を置かない為にはどうするかを客観的に考えるべきと思います。 <サイト管理人> 2011年11月3日記述 |
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『事実を捉えないことから生まれる仮想世界』 第62回 |
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韓国のドラマで、チャングムと同じ16世紀の李朝時代に実在したキーセンを主人公にした「ファン・ジニ」というドラマがあります。ファン・ジニは、漢詩が書けて、歌舞音曲や絵画などの妓芸にもすぐれていたということですが、当時の史料はほとんどなく、記録が1,2行残っているだけですので、ドラマは想像のもので史実を全く無視した内容になっています。なお、同名の映画も公開されましたが、140分の映画版とテレビドラマでは、ストーリーがまったく違っています。つまり、史実が伝わっていないことから想像でどのようにも書けるのです。 「宮廷女官チャングムの誓い」と「ファン・ジニ」、さらにその後のドラマすべてに共通する想像は、李氏朝鮮時代のものとは思えない衣装の派手さや豪華さに繋がります。それでもチャングムは色は鮮やか過ぎるにしろ、韓国発の歴史ドラマであったからか多少の遠慮があって、皆同色の官服を着ていました。一方、キーセンは身分としては奴隷以下です。筑波大学教授の吉田博司先生の言葉を借りれば、現代の北朝鮮の「喜び組」のようなものです。あそこにキーセンの伝統がつながっていると吉田先生は言っています。 そもそも李朝時代はみな貧しくて、民間人は色のついた服は着られませんでした。食べ物にすら困っているのに高価な輸入品である染料を買えるはずがありません。そこで皆が色のない着物を着ていたわけです。色ものを着られるのはごく少数の富裕層や特権階級だけでした。朝鮮人の衣服が白いので、沿海州に入植したロシアの先兵であるコサックたちは、朝鮮人を「白鳥」という隠語で呼んでいたそうです。 私自身大韓民国の歴史を軽んじるつもりはありません。現在立派な先進国であり、一等の国民主権国家です。大戦後の成長は日本と並ぶアジアの奇跡と称されていることも事実です。とは言え、歴史を都合よく解釈して作り上げてしまう姿勢には疑問を抱かざるを得ません。日本の大河ドラマのように、時代考証として歴史を客観的に分析し、当時の民具や衣装をなるべく忠実に再現するといった文化はないようです。視聴率が取れるならば、ドラマなのだから全て脚色で史実そのものから作り上げても良いのだという感覚があるのかもしれません。 そうした間違えた内容の歴史ドラマを見て韓国の人々はどう思うのでしょう。日本でも韓国ドラマブームが来て久しいですが、その人たちはこのことを十分に理解して視聴しているのでしょうか。もしもそうであるのならば私は事実と空想を分けて考えられる人々として認められるのですが、果たして何パーセントの人間が客観的に事実を捉えられているのでしょう。 株式投資に話を振り替えますが、投資で最も恐ろしいのは真実をきっちり捉えられないこと、過去の高値を覚えて売ろうとすることであり、過去の安値を覚えて買うことです。これこそが間違えた史実の理解そのものに置き換えられます。過去の株価は「今と情勢の違う中でのもの」であり、既に現実化された単なる数字に過ぎないのです。 私はこのように株式投資を考えておりますが、投資で成功する人間が10%以下と言われるならば、その10%の人間は冷静か自制心があるのか、ロジックがしっかりしているのか、変人です。私は変人の部類かもしれませんが、事実を観ないで物事を進めないよう常に心掛けております。 <サイト管理人> 2011年11月5日記述 |
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『悪いお金がもたらす悪い経済の流れ』 第63回 |
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現在アメリカ信用不安、ギリシャ経済危機といった報道が毎日のようになされています。そもそもこれはサブプライムローン債の破綻に始まったものではありません。1970年代の石油ショック、1990年代の資産バブルの崩壊、銀行倒産、2000年代の年金問題、郵政民営化、赤字国債、消費税増税、常に私達の周りはお金にまつわる事柄で満たされています。 理由は簡単で、本来手段であるはずのお金を取り扱う人が増え、それが大きな力を持ち、証券化、債権化といった方法からそれらを複雑にし、結局は自作自演で騒動を起こしてしまっているということに過ぎないのです。物と交換する手段としてお金を造り、金融機関は普通預金のみとし、国家は国債方式を取り止め税金だけにすること、額に汗した分だけ給料を貰えるという単純な制度に徹すれば、私たちはこれほどお金に振り回されることはありません。 お金により成り立つ社会、つまり、貨幣による経済は人間社会を不幸にし、害になるものでしょう。なお、上述は理想論で、共産主義を肯定するものではありません。 日本国憲法においては「勤労の義務」を定めていますが、その本質は「豊かな生活をする為に、住宅も道路も自動車も、食物も必要になりますから、お金とは関係なく皆が働き、皆が要るものを造りましょう」という協調の考え方に基づいています。 額に汗して働き、安心した生活を送る。とりあえずお金で例えながら生活をする程度ならば、金融恐慌など起こるはずもありません。マネーゲームをして、実質的は生産活動をせず、儲けを得られる制度を認める社会ですから、お金に振り回されているのです。 もちろん、お金が新しい技術開発に繋がり、債権を乱発することで景気が良くなる可能性もあります。しかし、仕事をスムーズに行う為に重要な役割を果たすべき銀行が、その役割を果たせなくなったことは紛れもない事実です。世界が安定した状況になる為には、お金そのものを無くすのではなく、お金の流れの簡素化や正常化が急がれるように思います。 ここまで奇麗事を書いてきましたが、実際には正常化は図れないでしょう。人間には欲がついて回り、その人間が組織化して会社を興しているわけですから、その集合体は破綻するまで進み続けることでしょう。 私達に出来る些細なことは、拝金主義者の欲や今の金融システムの盲点をついて、投資に回されているつまらないお金を回収し、生産物の購入(買い物)、ひいてはお金を健全な流れに戻すということではないかと思っております。ですから、自分の金銭欲を如何にして抑え、如何にして株式投資により収益をあげるか、そしてそれを還元するか、ここに収斂されると考えております。だからこそ年に1度〜3度程度あるリバウンドを捉える株式投資が一番安全性も高く、効率の良い投資方法と思うのです。 <サイト管理人> 2011年11月7日記述 |
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『ゆとりある老人がすべきこと』 第64回 |
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昼間の東海道線は傍若無人な年金生活者の天国のようです。お金はある、自信は強い、恥は捨てた、そして少しぼけている・・・公衆道徳を平気で捨てることができるあらゆる条件は揃っているのでしょう。なんで年金生活者はこんなに醜いのでしょうか? 私が一日に何度か接したこのお年寄りの人たちは、若い頃はきっと礼儀正しかったに違いありません。そして、若い頃に社会の発展に全力を尽くした老人は退職して年金生活者となる。その人達を社会は尊敬しなければなりません。でも、尊敬するためには尊敬する人が尊敬に足りる態度をとって初めて尊敬できるのです。 私は狭く混んでいる道路を体をぶつけるようにして歩いてくる若い人や、狭い道路で何十キロのスピードを出す若い人にも嫌な思いをします。普段、こういう生活に身をおく私にとっては「最近の若者は・・・」と言いたくなっていたのですが老人を考えると些細な問題に思えるのです。 人間は年老いて体だけではなく心も醜くなるようです。そして「衣食足りて礼節を知る」という言葉もウソなのでしょう。それとも、日本は物質的に豊かになり、若者も礼を忘れ、それに対抗する為に老人も礼節を捨てたのかも知れません。私の感じでは若者の方が遠慮というものを知っているように感じています。 年配者がこのような状態で、どうして日本の若者が正常になるでしょうか?年配者は年配者として社会で出来ることがあるのです。年配者が乱れ、中堅も乱れたら、若者は無軌道になり、そして児童の感性も狂うでしょう。 ゆとりある老人に言いたいのは、自分を守ることを考えるのではなく、若い人たちに投資することを考えて欲しいということです。何も私は、まったくの他人にお金を慈善行為として無償で差し上げてしまえとはいいません。しかし、あなたの遠縁の若者でお金に困っている人がいたらその者に200万、300万程度のお金を何も言わず渡すべきと思うのです。そのお金が本当に将来生きてくると思います。インフレに対してもデフレに対しても一番強いのは、人間そのものなのです。とりわけ貧しくて若い人たちなのです。 自分のタンス預金を何とか守り抜こうとして震えるばかりで、つまらない金融商品に手を出す老人達、そして失敗する老人達。もっと気持ちを大きく持つべきではないでしょうか。日本の為に貢献すべき時代が来ているのです。 私が株式投資を行うのは新しい分野の技術や知識の習得、資格取得も含めた自らを磨く行為の優先順位が投資よりもはるかに高いところにあるからです。投資はついでであり、安全で有意義な息抜きとして捉えられているからです。確かにこれには年齢的な問題もあるとは思います。 なお、株式投資で大きなリターンを得ることは不可能に近いのです。長期国債利回りを上回る年間のパフォーマンスを得られればそれでいいのです。投資を単純化し、時間を如何にしてかけないか、そのことを大事に考える。これこそが大切に思います。 再三になりますが、老人はつまらない欲を出さず、将来の若者の為にこそ投資をして欲しいと思っています。 <サイト管理人> 2011年11月9日記述 |
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『未来は想像するものではなく創造されるもの』 第65回 |
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「事実は小説より奇なり」といいます。確かにそうででしょう。事実は時に人間の予想を超えています。もっとも、ほとんどが予想を越えるのかも知れません。小説家の頭の中に浮かんだものがどれほど奇想天外でも事実にはかなわないのだから。
あれほど繁栄していた平家でしたが、それも清盛の息子の代であれほど脆くも崩れるとは思ってもみなかったことでしょう。その平家を壇ノ浦で打ち破った義経。彼もまた数年後にはこともあろうに実の兄に追われて屍となります。その兄の政権はそれからまもなく公暁に暗殺されてその幕を閉じてしまいます。 清和源氏は日本の家柄の中でも特別に優れた血筋でした。武家として武勇の名が高く、勇猛果敢な武士を多く輩出した。その家系がついに仇敵を打ち破って鎌倉に幕府を作ったのです。よもや三代であっけなくその幕を閉じるとは誰が想像したでしょうか。 歴史は人間の貧弱な想像を越えて新しい時代を作っていく為に人間は今の学問を正しいと思い、今が永久に続くと錯覚し、今の延長線上でしか、ものを考えることができません。 もちろん、科学者は未来が予想できると考えてはいません。未来は創造されるものであり、現状の延長線上には無いからです。事実は新しく形作られます。私たちが認識し、知覚できる「事実」は限定的だからでしょう。 株式投資で最も危険なことは将来の株価を想像することです。あくまで想像ですから、上述からも意味がないことなのです。パニック売りを伴うリバウンド狙いを再三お勧めすのは、必ずといってよいほど急激な下落には一旦リバウンドがあり、そこで収益をあげられるからなのです。 結局のところ株価は需給ギャップから創造されるものなのでしょう。つまらない想像は損失を出す結果を招いてしまうと思います。 <サイト管理人> 2011年11月11日記述 |
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『人には思想と夢がある』 第66回 |
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人間誰でも思想と夢があります。イエス・キリストを信じている人は、それがその人の人生であり、お釈迦様を信じている人は教えを宝として生きています。神道を心のよりどころにしている人は、神社で心を込めてお参りします。もちろん全てOKという人もいらっしゃることと思います。 私はひとり一人の思想や信仰、夢を大切にしようと努めています。自分が偉いからと錯覚し、自分以外の他人をバカにして思想を強要する社会は暗く寂しいものです。 思うに、人としてもっと醜いことは、自分ができないのに人に強要することではないでしょうか。自分が泥棒をして他人に「盗むな」と言ってもそれは意味がありません。そして「私は偉いから、お前とは違うのだ」と言うのなら、最初から「倫理」などの文字を出してはいけないとも考えます。 たった、こんな簡単なこと・・・自分ができなければ他人に強要しない、もし自分が「するべきだ」と思うなら、それを実行する・・・ということすらできない日本人が大半ですから、自らを偉い錯覚している人間は「大きな顔をするな」と思っているに相違ないでしょう。 100の屁理屈や1000の言い訳はできますが、たった一つの誠意ある行動ができない人たち、それが日本人に多すぎるように感じています。 株式投資では理屈は通じません。言い訳も通じません。それを繰り返せば含み損を抱え、株式投資を行っている事実から目をそむけ、あたかも投資などやっていないかのようなふりをすることでしょう。 大切なのは自分のロジックを完成させ、それに徹底的に従うこと。そして、そのロジックが成り立たないと感じたとき、直ちに修正を試みることではないでしょうか。 <サイト管理人> 2011年11月13日記述 |
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『平気でウソをつく立派な人びと』 第67回 |
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現代の日本は「平気でウソをつく」時代です。今では「何でもかんでも」となってしまったといえます。 日頃からウソを言い続けていると、ウソに対する感度が鈍くなり、ウソをウソとも思わなくなったり、言い訳で切り抜けられると自信が湧いたりするのかもしれません。 そんな人々の相手をすると実にイヤな感じがします。 最初は「営利のため」と言っていて、問い詰められると途中で「思想の問題」となり、さらに彼らは「思想を強制するのですか」と言われると、「私がそう思っているのだから、それで何が悪い」と反論するのです。他人には強制するのに、途中で自分の思想には文句を言うなと変わるのですから、恐ろしいとしか言いようがありません。 私は一般的に「立派な人と言われている人たちが」が「お化け」に見えてきます。ルーズ・ベネディクト女史が分析くださったような日本人はどこに行ってしまったのでしょう。 株式投資で大切なことは自分に対してウソをつかないことです。含み益が出ていても、含み損が出ていてもそこから目をそむけてはいけませんし、自分があたかも常勝状態にあるなどと思い込んではいけません。 投資で100%の勝率はありえないのです。現実と対峙することから逃げてはいけないのです。 <サイト管理人> 2011年11月14日記述 |
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『外来種から考える日本の新興産業の捕らえ方』 第68回 |
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外来種は悪いものという認識があります。アメリカザリガニ、ブラックバス、新型インフルエンザ。何となく悪者がはびこるというように捉えられています。 典型的な外来種のアメリカザリガニは色も派手で解り易いのですが、これは1947年に食用として日本に入ってきました。一般的な人たちの印象は悪者ということしかありませんが、メダカが減ったとしても、人間に害を及ぼしていません。 また、ブラックバスは1925年芦ノ湖に放流されました。わざわざ許可を取って食用として導入されたものです。当時は高級魚として食用化されたのです。キャッチアンドリリースという形で、動物愛護の発想もありますが、リリースした魚の半分は死んでいるのです。現在は釣ったものは駆除しなさいという恐ろしい時代にもなっています。なぜ悪者か、漁業者が自分たちが儲けているワカサギを食べられているという理由。固有の魚が減るからという全くもって不明確な理由からのものです。 こうしたケースでは経済的効果を考えないのが世論です。釣り船、リゾート、ゲームフィッシングという産業がこれまでに興されたことは考えないのです。単に「生物多種性」を守れとママゴトを言っているに過ぎません。 そもそも人間ごとき存在が一度変化した地球の生態系を変えることは出来ません。どれだけ駆除しても少量が残っている限り元に戻るのです。つまり、ブラックバス駆除会社は毎年儲かって仕方なく、それも永久的に儲かる仕組みが出来上がったのです。このようにして利権が生まれるのです。 外来種とは始めてやった商売のようなもので、すぐに競争相手が出てきます。そして均衡が取れるのです。つまり、ワカサギがいなくなるほどブラックバスは増えないのです。 外来種排斥運動をするなら、キャベツ、サツマイモ、トウモロコシ、唐辛子、コメも排除するのかという問題も考えなくてはなりません。 都合がいいものは許容し、悪く見えるもの、商売になりそうなものは批判の対象になるのが現代の日本です。生物多様性信者からすると300の固有種が絶滅すると言われますが、生態系は常に作られるものですから、外来種を入れることで滅んだ魚はいません。競争力が出来、そこから新しい種も生まれるのです。 株式投資の環境においても新しい分野の業種が常に起こっています。また、機関投資家の売り買いは常に錯綜しています。新しいものは悪いのではなく、新しい環境を認め、その中で良いものを見つけ出す能力が我々には求められているのです。そして衰退する企業を見極める目も必要になります。 私の投資手法とはあまり関係ないものと言えますが、大局でものを見る場合重要なファクターになることは間違いありません。 <サイト管理人> 2011年11月26日記述 |
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【プロスペクト理論と株式投資】 第69回 |
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プロスペクト理論とは、将来がわからない状況でリスクがある選択をする時の人間の心理を研究したものです。 結論から言うと、「100万円得する喜びよりも、100万円損をする失望の方が大きい」と感じるので、利益は「早く確実」に取りたくなり、損失は「先延ばし」にするという行動をになりやすいということです。 以下の質問で、自分がどちらを選択するか考えてみてください。 <質問1> A、100万円が無条件でもらえる B、1/2の確率で200万円になるが、1/2の確率で利益がゼロになる <質問2> A、無条件で100万円を取られる B、1/2の確率で100万円は取られないが、1/2の確率で200万円無条件で取られる 極端な例ですが、質問1の期待値はプラス100万円、質問2の期待値はマイナス100万円なので、どちらを選んでも確率と期待値は同じです。しかし、人間の行動は期待値がプラスだと確実性を取り(質問1はA)、期待値がマイナスだとリスクを取る(質問2はB)ことを選択しやすいといわれています。 話題を「買った株の平均コスト」にすれば、買った株を平均コストで考えることがよくないのは、平均した買い値を超えなかったために「売り損なって」しまうことがあるからです。つまり「プロスペクト理論」でいうところの損失を「先延ばし」にしやすくなるのです。 下落相場が続いていると、持ち株を安いタイミングでせっかく買っても、平均コストで考えてしまったために売れなくなり、下手なナンピンになってしまう恐れがあります。したがって、買い値を平均コストで考えるよりも、高いときの買い値をいったん忘れて、下値で買った分を確実に利益確定して損失を埋めていった方がよいということになります。 買い値を平均コストで考えるということは、「ナンピン買い」の典型です。初めから計画的に下がったら買い増す戦略であれば問題ありませんが、 「買って失敗したから何とか取り返したい」→「そのために平均コストを下げるしかない」→「上がったらいっぺんに売ってしまおう」と考えることは、下落相場で大きな損失を抱えてしまう原因になってしまいます。 また、買いコストを下げることを考えますと、買い値を下回っていればいつ買ってもよいといえます。これは株価を「水準」で考える原因なのです。 <サイト管理人> 2011年11月30日記述 |
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【原発力発電所の問題から学ぶこと】 第70回 |
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原子力発電所の建設に関して最初のウソは地震で壊れないと言っていたことです。しかし、 ・2007年能登沖地震で志賀原発が壊れました。 ・2007年中越沖地震で柏崎刈羽が壊れました。 両方とも震度6でした。震度6の地震は年に一度くらいある訳ですから、その程度の地震で壊れる原発が乱立しているのが今の日本といえます。この時点で耐震性能を疑わなければならなかったのです。 東日本大震災では東通り、女川、福島第一、第二、東海第二原発が壊れました。民間の家が地震ではほとんど壊れなかったのに対して、原子力発電所や火力発電所がことごとく壊れたのです。火力発電所は千葉の発電所まで壊れてしまったのです。地震で一番壊れてはならないものが、民間住宅よりも先に壊れることはあってはならないことといえます。 「福島第一では地震ではなく津波による被害により壊れたのです、ですから防潮堤を建てれば大丈夫」というのが政府のスタンスであり、報道でもしきりに言っていることです。しかし、福島第一原発では地震直後に電源がダウンしている事実から考えると地震により壊れたというのが事実なのでしょう。原発問題が語りかけることは、耐震性能という前提条件を甘く設定した為にリスクを背負い、結果として災害に繋がったことではないでしょうか。 株式投資でも投資タイミングの前提を甘く設定すれば年間を通じてトレードを行う機会が存在することになりますが、それだけ多くのリスクを背負うことを念頭におく必要があります。これでは良くともゼロサムゲームに陥ってしまうと思います。 <サイト管理人> 2012年3月15日記述 |
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【ボーヴォワール著:「人間について」から学ぶこと】 第71回 |
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ボーヴォワール女史の名著「人間について」の一部を以下に抜粋します。 「人間の条件は、与えられたものをことごとく追い越すことです。人間の充実性が達せられるや、たちまち、それは過去の中に転落してしまいます。(中略)彼は一つの目的を欲しています。ほかのどんな目的も排して、その目的を欲しています。しかし、彼はその目的に立ち止まるために欲するのではなくて、それを楽しむために欲するのです。」 上記の文を私なりに解釈すると、不確定な未来に進んで身を投じていこうとする自分とは、何によっても本来的には規定され得ないものであり、自分だけが、自分の在り方に対して決定することができ、その自由を有しているということとなります。 つまり、自分は本来何者でもない固定された「自分」を打ち破り新たな自分を創造していく脱自的な試みをする存在ともいえます。そして、こうした投企的な精神を持って、社会や政治に積極的に関わっていくべきなのかもしれません。 不確定な未来ということは株式相場に酷似しています。そして、そこに挑むということは固定化された自分を一旦リセットし、客観的な目で自分を分析し投資戦略を組みその通りにトレードすることに繋がると考えています。 ボーヴォワールは投資心理に繋がる貴重な言葉を残してくれているように思います。一読の価値があるのではないでしょうか。 <サイト管理人> 2012年3月20日記述 |
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【石油の寿命はあと40年?】第72回 |
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マスコミのコメンテータは石油の確認埋蔵量は後40年分と言います。もし本当ならアメリカやイギリスの石油メジャーは今後どうなるのでしょう?エクソン・モービルやロイヤル・ダッチ・シェル、BPを始めとしたスーパーメジャーは積極的に代替エネルギーを積極的に模索する様子はありません。シェールガスやシェールオイルの採掘技術も開発されておりますが、どこまで商用ベースに乗るものなのか現段階では解かりませんし、このこと自体原油を掘る方が早くて安価であることを裏付けていると思うのです。 有能なコメンテーターが「今まで100年の歴史を誇ってきたメジャーが今後数十年で幕を下ろすことは考えられない」と言いますと、無能な解説者は「私が言っているのは確認埋蔵量」ですから無くなることとは違うと答えます。結局原油の問題はこういう形で誤魔化され続けているのです。ちなみに、現状スーパーメジャーは原油獲得に焦っている様子は伺われませんし、アメリカによるガソリン依存脱却の為の高速鉄道が敷かれるなどと言う話も聞きません。本当に石油が枯渇するのならば、先に掘って取りおかねばならず、取りおいた分が多くの備蓄を生みますから、石油系資源はあと数千年存在するという推測が当たり前になるのかもしれません。ちなみに、ここで言う数千年とは容易に掘れる(経済性を加味して)期間であり、神戸大学の山内教授などが2006年頃から言っていることです。私にはこの予測に賛同できるだけの裏付けは取れませんが、話10分の1としても数百年ということになります。 そもそもなぜ多くの人が「石油埋蔵量残り40年」という言葉に引っかかるのでしょうか。おそらくそれは前提を錯覚しているからでしょう。例として、ここに現在1000万円の貯金があるとします。これを毎年100万円ずつ引き出せば10年で無くなります。だから、引き出しは慎重にしなくてはならない・・・皆そう思っているのです。貯金を有限な地球の資源量に置き換えれば想像がつきます。しかし、貯金が1兆円あれば毎年100万円ずつ引き出しても100万年ゼロにはなりません。実際の資源量は1兆円の例えに近い可能性もあるわけです。 情報は社会的権威やマーケットによって支配されています。真実を見極める目、裏を読む目が益々求められる時代になることと思いますし、この能力は普段の生活や株式投資に活かせるものと考えています。 日々の情報も大切ですが、それらに振り回されるような投資手法はお勧めできるものではありません。 <サイト管理人> 2012年3月25日記述 |
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【二人称のつき合いが長けている日本人】第73回 |
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日本人は二人称のつき合いに慣れているため、三人称の付き合いというか、複数人との会話には不慣れと感じています。会議の場で議論することには長けておらず、三人寄れば文殊の知恵どころか迷走してしまう人種なのかもしれません。 ビジネスライクではなく、お互い他人ではない環境を作るところから始まる性質があり、常に二人称の確認をしようと試みます。そこに恩と義理が生じ、複数人でつき合いが発生すると思考の集落が形成されてきます。かく言う私も同様の性質を持っていると考えております。 意見が三者三様であれば最終的に誰か一人が責任を負う形で意見を通し、その通りに行動をするのが一般なのでしょうが、責任から逃れる為、皆がそれぞれの顔を立てる為、大抵の結論を出すことが出来ません。そのような状況下では選挙という方法が日本人に最も向いている方式なのかもしれませんが、投票する人間がお笑い人間がのうのうとコメントをしているワイドショーに納得するレベルにあることから、多数決の価値もよく解らないでおります。 株式投資は自分対大多数の人間(システムトレードも含む)のものですが、実際に相手を見ることが出来ません。そういう意味から一人称のものかもしれません。これを二人称の状況に持ち込めば日本人全般の投資の勝率があがるのかもしれません。 私は好みませんが、個別銘柄に固執し、その銘柄を追い続けることでチャートから流れを読み売買を行う。これはテクニカルの問題ですが、こうしたやり方も有効なのかもしれません。 <サイト管理人> 2012年3月30日記述 |
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【晩婚化と株式投資の関係】第74回 |
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物事の全てはシステムにより成り立っています。趣味でも宗教でも政治でも全て作りものと私は考えています。若干の言い訳をここで入れさせていただきますが、釈迦が唱えた仏法には否定的ではありません。彼の唱えたものは哲学であり、宗教ではないからです。 必ず言えることは人間は不完全な存在であり、システムはどこからか無理が生じてきます。いわゆる綻びというものです。 特に酒やタバコ、恋愛などは本来人間がダメなものであることを教えてくれます。タバコも恋愛もそういう性質を有していると思いますが、恋愛は買うことが出来ないことから様子は少々違ってきます。しかし本当に恋などというものがあるでしょうか。私は五年も続いた例はありません。 自分に無いもので、相手が何かを持っているとするなら、その嫉妬を性別を問わず恋(尊敬)といった感情で埋める本能を持っているのかもしれません。だとすれば、新しい分野を学んでいくといった知的好奇心を満足させることは自分の知らないものを手に入れる行為に繋がり、結果として恋や尊敬を否定することにも至るのかもしれません。 昨今の日本では晩婚化が進んでいますが、報道で言うような非正規雇用や低収入が一番の原因ではなく、そこにはチャレンジ精神や貯蓄、投資行為が関係しているのかもしれません。ほどほどは尺度が難しいのですが、リスクと置き換えて考えれば見えてくるものもあると思います。 <サイト管理人> 2012年4月3日記述 |
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【未来は修正できる過去】第75回 |
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未来は修正できる過去であると考えられるうちは、人は人らしく生きられることでしょう。逆に過去に引きずられ、過去の中に生きている人間はたとえ空気を吸っていても死んでいるのと同じものと思っています。 あの時はこうであったという成功談に話を集中させ、失敗を記憶から消し去ろうとする人は実に消極的な時間を過ごしているのではないでしょうか。 確かに過去に甘んじることは精神的に楽な方法と思いますが、それを意識的に否定するのはかつて人類の祖先が海から陸に上がった程に勇気がいることで、ドラマティックなことなのでしょう。とはいえ、無意識に未来は修正できる過去と捉えている人も多くいらっしゃいます。残念ながら私にはできないことで、そうした人を尊敬すらしています。 ちなみに、過去を修正しようと試みる力は未練であり、未練を抱えながら人は生きるのだと考えています。 過去の成功から今の失敗に目をくれず、含み損をそのままにして株式投資市場から退場する9割の敗者になるのではなく、含み損レベルであっても株価の上下を有効に利用し利益を上げるといった過去(現在)を修正する力が多くの人に求められていると思います。そうした理由からも私はグロース投資に反対であり、株価の修正(リバウンド)を利用した投資が有効であると考えています。 <サイト管理人> 2012年4月8日記述 |
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【スマートフォンの弊害がもたらすもの】第76回 |
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スマートフォンが急速に普及していますが、弊害が後を絶ちません。各都道府県への消費生活総合センターへの相談件数は上昇の一途となっております。その種類を以下に列記します。 (1)意図しない情報発信 位置情報の切り忘れで自分の位置が他人に知られる。 (2)架空請求 (3)ウイルス (4)マルウエア 通話やメールを外部に漏らしてしまう。 端末を勝手に操作し電話やメールを発信してしまう。 (5)システムの不具合 メールアドレスが他人のものと置き換わってしまう。 現状はセキュリティがスマートフォンの普及に追いついておりません。とても便利なものですが、使い方には十分注意をされた方が良いと思います。 スマートフォンはAndroid(アンドロイド)系のプラットフォームです。アンドロイドとは、スマートフォンやタブレットPCなどの携帯情報端末を主なターゲットとして開発されたもので、Linuxベースのモバイル用オープンソース・オペレーティングシステムです。つまり位置づけは小型パソコンとなります。 スマートフォンの登場以前からも、情報化時代の現代が "情報過多" 時代であることがしばしば指摘されてきました。情報の受け手側の "情報処理能力" を大幅に上回ってしまう現在の環境が多くの問題を引き起こすと警戒されております。便利の裏には多くの弊害が待っているのです。情報の真偽という根本的な問題もあります。 また、スマートフォンを使用していると、少しの空き時間にも活用するケースが目立ち、何かに思いをめぐらせたり、何も考えないでいる時間が無くなるといった弊害があります。 株式投資において最も危険な投資手法はデイトレードも含めた毎日の短期トレードによるゼロサムゲームに陥ること及び個人情報の漏えいです。スマートフォン依存による投資には十分ご留意いただけることを願っております。 <サイト管理人> 2012年4月12日記述 |
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【債権価格下落で銀行損失リスクが高まる報道について】第77回 |
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<時事通信4月19日分のニュースより> 「日銀は19日公表した金融システムリポートで、国債などの債券の金利が長期、短期一律に1%上昇(債券価格は下落)した場合、債券を大量に保有する銀行の損失額が6.4兆円に上るとの試算を明らかにした。損失は大手行で3.4兆円、地銀は3.0兆円になるという。」 上記の記事は、銀行は個人と違って全て満期目的で国債を持っている訳ではなく、運用(市場で売買)目的でも持っている為、運用目的の分は時価評価を適用します。現在所有する債権より金利の高い債権が出回れば、金利の安い債権は値引きをしなければ買い手がつきません。その値引き分が損失になると言っているのでしょう。 もう少し噛み砕きますと、 ● 金利が上昇すると銀行から預金者に支払う金利が増えます。 ● 適当な数字ですが、今までが1%だとして、元金100万円で1万円の利息が付いていたものが、2%になったら2万円の利息を出さなければなりません(銀行から預金者へ1万円余分に払う為損になります)。 ● 金利が1%上昇することで銀行から借金をしている企業や個人への融資へ金利が上乗せされる為、債務者側は銀行へ返済時に上乗せ金利分を余分に払わなければなりません。これにより銀行の収入は増えます。 ● しかし、ここ数年融資額が減っている為に銀行サイドの収入が増える額が支払い利息を上回ることは難しく、結局預金者への支払が益々増え、損失額となります。 金融機関を庇う日本銀行がインフレを嫌う本質は以上にあるのでしょう。私自身は緩やかなデフレ及び円高を推奨しておりますし、秩序ある金融政策次第では国民の多くが資産を形成できるものと考えておりますので、日本銀行のスタンスには否定的ではありません。 本日の時事通信のニュースから思ったことは、本来国債は時価評価ではないのにも関わらず、日銀は国債価格の下落(金利上昇)が 直接金融機関の損失となるような話をすることへの不快感です。良し悪しは別にして日銀が日本国債を額面に価格で買い続ければ暴落はありえません。要するに、その場合でも銀行は「預金を貸し出す先がない」と無能なことを言っているに過ぎないと思うのです。銀行には企業を育てるなどという考えは無く、目先の融資に走っているに過ぎません。 昨今インフレを推奨するような報道がありますが、目先の銀行金利に惑わされてインフレが良いと単純に思うのではなく、インフレーションがもたらす大きな副作用を考えてみることも大切ではないかと思います。 株式投資はデフレーション下でも収益をあげられる貴重な手段です。日銀の政策についても知る必要がありますし、仮に日本経済がインフレーションに移行したとしても収益をあげられることに変わりはありません。ただ申し上げたいことは、報道を鵜呑みにするのではなく、その裏をしっかりと見極め、自分の考えをまとめることも投資には必要不可欠なことではないかということです。 <サイト管理人> 2012年4月19日記述 |
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【哲学者:アルトゥル・ショーペンハウアーから学ぶこと】第78回 |
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「アルトゥル・ショーペンハウアー」は、ドイツの哲学者です。「意志と表象としての世界」などの著者として知られる人物で、欧州人には珍しく仏教やインド哲学に関する思想家としても有名です。 最近読んだ本に「心に突き刺さるショーペンハウアーの言葉」というものがありますが、私は多くの部分で彼の考え方に賛同できます。例えとして挙げるなら、 「世界というのは自分を映し出す鏡であり、それぞれの人がそれぞれの世界を見ている。その根底にあるのは、ただ生きようとする想いがあるだけ。そして、すべての物事に終わりなどなく、進化し続ける」等です。 また、箇条書きになりますが、以下の言葉を残しております。 ●才人は誰も射ることのできない的を射る。天才は誰にも見えない的を射る。 ●強い人間は自分の運命を嘆かない。 ●孤独を愛さない人間は自由を愛さない人間になってしまう。なぜなら、孤独でいるときにのみ人間は自由になれるのだから。 ●私達は他人と同じようになろうとして自分の4分の3を失ってしまう。 私も含め大半の人間は天才と言われる人間ではないと思います。ですから誰も射ることのできない的を射ることが究極の目的となるでしょう。その為には孤独の内(自分自身の判断の内)に行動を組織化し、独自の判断からオートマティカルに動ける状況を作ることが大切だと思います。 そして、自分の規範に基づいた行動が失敗をもたらしたとしても嘆くことなく、新たな規範を再度作る精神力が求められるのだと思います。これらは株式投資に通じる基本的な事柄を示してくれているように思えてなりません。 <サイト管理人> 2012年4月20日記述 |
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【相場の予測はほぼ不可能だからこそ】第79回 |
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多くの分野の知識や能力を身に着けていくと世の中の全てがウソに見えてきます。ですから何もしないでいるのが良いと感じる時さえもあります。ここで言う"何もしない"とは自宅に引き篭もることではなく、多数の意見に自分を委ねることであり、自己を限りなく消して生きていくことと思います。 私はこのようなページを書いていることから、まだ自分を意識し、自分なりに考えを詰めようという限りない欲があり、これから先も平坦ではない人生を送らねばならないと感じています。本来平坦な人生などありえないでしょうが、自分以外のほとんどの人間は平坦に思えさえすることもしばしばです。私はどこまでもわがままで身勝手なのだと痛感する次第です。 また、自分で自分を確認できないからことから他人に自分を認めさせようとするタイプの人間もおりますが、私はこうした種類にも属しているのでしょう。無意識のうちに個を認めてくれる環境に身をおけば、たいした労力を費やさずに生きられるのでしょうが、そうした人間は本質的に幸せを感じることがあるかという疑問も感じております。 株式投資は私のような性格の傲慢でご都合主義は通じません。ですから自分がいくつかの銘柄を割安と考えて常に投資(株式の保有)をしては負けること必定です。私はそのことに気付かず、株式投資を始めた数ヶ月間は無意味なトレードから損失を出した経験があります。過去のチャートを見ても解るように、相場の予測はほぼ不可能といえます。ですから自身の感情に任せてトレードを行っても勝てる確率は低いでしょう。これはこれまでのコラムで再三申し上げたことです。 ではどうしたら良いのかになりますが、やはり金融工学を駆使したシステムトレードの盲点をつくようなパニック相場でのリバウンド狙いが一番の安全策に思います。パニック相場はワイドショー的な報道番組で「日経平均株価の下落が止まりません」とキャスターが告げてからしばらく後に発生することがしばしばです。買い入れに際しては自分なりの下落率を設定することも必要ですし、チャートもある程度理解している必要がありますが、それほど難しく考える必要はないと思っています。そしていざ買い入れの際の留意点は日経平均に追従している225採用銘柄を選択すること、買い入れ銘柄は複数の業種を揃えること、複数回の買い下がりを想定することです。ちなみに、リバウンドを目的とした取引ですから利益は10%で十分であるという認識を持つことも肝要といえます。なお、ロスカットに関しては以前のコラムで書いたとおりです 現在長期国債の金利が1%程度ですから、年間のリターンが10%などというのは大した数字で、プロでも常に確保することが難しい目標値です。その点を良く自覚して投資に望めばバリュー投資やグロース投資といった長期投資に身をおき、日々の株価に振り回されるようなことはなくなると思います。 私の周りでも多くの人間が投資ノイローゼになってしまいました。仕事中にトイレに入り携帯端末を眺める日々を送るという人間になってしまったのです。財務諸表を確認せずエルピーダメモリや日本航空などの銘柄を買って大きな損失を出してしまった人もおりました。それは一過性のトレンドによるハイリターンを目的とした我欲に任せた売買をしたからに他なりません。 私の推奨する投資は自分の感覚を捨て、出来る限り株を買わないこと、たとえ大きな相場の下落局面で株式を買えなくても後まで引きずらず、リターンが無くても元々と思える平常心を養うことです。投資には次の機会があるからです。 <サイト管理人> 2012年4月21日記述 |
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