【株式投資におけるシステムトレードの限界】第80回 |
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まずコンピュータ・シミュレーションの手順について一般的な実験との対比を考慮しつつ考察を加えます。 コンピュータ・シミュレーションの場合は対象を何らかの数学的表現で処理することが多いといえます。典型的には対象を正確に表現しうる微分方程式を用い、それをコンピュータで計算するテクニックを検討します。初期条件、境界条件、近似、離散化などが一般的に用いられる手法です。計算できるだけの準備ができたらできるだけ高性能のコンピュータを使用して計算して結果を出します。 実験とコンピュータ・シミュレーションの手順を対比させると「計画→装置手配→実験→整理」という実験の手順と、「数式→手段の決定→計算→整理」というコンピュータ・シミュレーションの過程は類似しています。いずれも計画し、準備し、実施し、整理します。両方とも計画をする段階では、その時点でもっとも真実に近いと考えられる知見を利用します。それは装置の手配とかコンピュータ・シミュレーションを行う手段の選択や決定という段階でも同じ様な類似性が見られます。しかし,実験に基づく行為では「実験」を行うことによって計画段階では認識されていなかった新しい事実や間違いが発見されるのです。 実験がしばしば実験を計画するものにとって意外な結果になることがあり、まさにその過程の中にこそ学問的な発見が含まれているといえます。従って,実験はその中に必然的にその目的を達成しうる要素を含んでいるのです。これに対して,コンピュータ・シミュレーションにおいては,計画段階における数式の選択、計算手段の検討、及び計算自体に全く誤りが無くても新しい事実が発見されるという意味で期待している目的が達成されません。むしろ計算が数学的、物理的に正しければ、得られる結果に新しい事実は含まれていないと言えるでしょう。 すなわちコンピュータ・シミュレーションにおいてはすべての過程において現在の認識から正しいと考えられる行為をなしえた場合には、その結果は計画段階で予想した範囲を超えないことが明らかとなるのです。従ってその結果から新たな知見をうることはできないといえます。 以上のことは近年発達したシステムトレードの限界を示しています。人間が考え想定したパラメータを用い、方程式に組み入れ、ある閾値から買いタイミングを判断し売り買いを行う場合、パラメータそのものが人間の想像性を超えられない為、サブプライムローン債の破綻からリーマンショックに至るまでの株価暴落で多くの金融機関が損失を出すことに繋がったのです。 <サイト管理人> 2012年4月22日記述 |
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【株式投資におけるサヤ取り手法の危険性】第81回 |
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サヤ取りとは、複数銘柄を対象に株の買いと空売りを同時に仕掛ける手法です。 例えば、ある2つの銘柄に着目し、相対的に株価が高い方を空売りし、株価の低い方の株を買うと言ったら良いでしょうか。ちなみに、2銘柄の株価の差のことをサヤと呼びます。 おおよそのケースで同時に仕掛けた株は時間の経過と共に株価が修正され、株価の差が小さくなった時点で清算すると手元に利益が残るという筋書きです。 これらの話から、サヤ取り手法で簡単に儲けられると感じる方もおられると思います。しかし、各銘柄における現在の株価が割高か割安かを判断することはとても難しいことです。企業の成長率からして割安なのか、ファンダメンタルで割安なのかといった具合に指標は無数にある為、果たして判断そのものができるのかという疑問をもっております。 また、サヤ取りは、その手法が特殊なこと及び株式投資では適用しにくいことから参考図書がほとんど出回っておりません。 商品先物でサヤ取りを行う場合は「差額」の統計データから投資が可能ですが、大きな資金と自身の時間の大半を投資にかけなくてはなりません。また、サヤを逆手に取った投資手法もあることから、簡単に利益をあげられるものでもないと思っております。 私はサヤ取りといった株式投資における投資手法には反対です。単純にリスクが二倍になること、信用取引が上乗せされることなどから、大半の個人投資家の身の丈に合わない投資だからです。 やはり、リバウンドを狙った倒産リスクの小さい日経平均株価に追従した225採用銘柄の現物買いが最も安全性を加味した投資手法に思えるのです。リターンは小さなものですが、現実的に考えた利回りは大きなものとなります。ただ、私の勧める手法は株式投資顧問ないしサイトによって一定期間毎に利益をあげることが出来ません。ですからこの方法では商売が成り立たないのでしょう。商売として成り立たないことは、同手法をとる市場参加者へのリスクが実際に小さなことを意味するようにも思えるのです。 <サイト管理人> 2012年4月23日記述 |
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【神経質な人は株式投資に向いている?】第82回 |
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私観ですが、神経質な傾向の人の多くは株式投資に向いていると考えています。私は精神分析や心理学の専門知識を有しておりませんが、一般的に神経質な人間を考えると、株式投資に向いていると思わざるを得ないのです。ここでは上記の皆様に投資自体を勧ているのではなく、本質的に向いているのではないかという私の純粋な想いを綴っております。 神経質な人(以下、鬱という言い方に変えます)は、専門家の言葉を借りれば「例外なく頭の良い人」に当てはまります。自分の状況を正確に理解し、未来に発生する事態を予測するといったことを比較的容易にやってのけます。鬱病にかかりやすい人は、かかりにくい人に比べて数倍先を見とおしているともいえます。ただ、その人たちに共通して言えることは、頭が良い故、考えばかりが先に進み、現在の知識のみから未来を予測する為、将来が暗いものになってしまうということです。 ちなみに、鬱病になりやすい人は自己分析力が旺盛な人ともいえますから、自分の嫌な部分を良く知っているのです。人を恨みもすれば嫌いもする、そういう人情を本質的に知っているのでしょう。その優秀な分析力を企業の財務諸表の分析や、投資家心理とは何かに向ければ、投資において買い入れる銘柄の選定にや買い入れタイミングの設定に繋がると思っています。 また、鬱的傾向の人の多くは自然とリスク管理の能力が備わっており、自分自身の性格についてしっかりと判断する能力を有していると思いますので、数パーセントの含み損状態を冷静に受け止め、しばしの間リバウンドを待つことのできる精神力さえ養えば、株式投資で成功する可能性が高いと思います。最悪のパターンが生じても、リスク管理の観点からも損切りという行動は普通の人間よりも容易に行えるのではないでしょうか。損切りは自分の行為を正当化するのではなく否定することだからです。 株式投資で生計を成り立てるようなことは私自身お勧めしませんが、何に対しても興味が湧かず、気力もない状態から脱却するという点において、株式投資は社会を見つめる一歩となるような気もしております。自宅でトレードが可能な昨今、鬱的傾向にある人が外部と繋がりを持つ貴重な機会のひとつかもしれません。 ※ コラムでは私観を書いているため、内容の正確性は一切保証できません。株式投資は自己責任ですので、当方はいかなる責任も負いません。 <サイト管理人> 2012年4月24日記述 |
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【ラルフ・ワルド・エマーソンの言葉から学ぶこと】第83回 |
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ラルフ・ワルド・エマーソン(1803年〜1882年)はアメリカ合衆国の思想家であり哲学者です。 少々加えますと、マサチューセッツ州に生まれ、
ハーバード大学を卒業し、ハーバード神学校を経て牧師になっています。 その後、自由信仰のため教会を追われることとなり渡欧しました。帰国後は個人主義を唱え、アメリカ文化の独自性を主張した人です。 彼が残した言葉の全ては賛同出来ませんが、個人投資家としての心構えを説いてくれるような名言がいくつかあります。以下に箇条書きします。 ●不満は忍耐力の欠如であり意志の衰弱である。 ●恐怖は常に無知から発生する。 ●知性に富んだ人間は決して弁解を言わない。 ●人々は見る覚悟のあるものだけしか見ることが出来ない。 ●自分に自信を失うと世界中が自分に敵対する。まるで惑い歩く自分自身を叱ってくれと言わんばかりに。 ●行動に際して、あまりに臆病になったり神経質になることがないように。すべての人生が実験なのだ。実験すればするほどうまくいくようになる。 ●どんな人間でも何かの点で私よりも優れている。私の学ぶべきものを持っているという点で。 ●自分に何ができるかを知っている人間は自分以外にはいないが、自分でさえ試してみるまでわからない。 これらの言葉から皆様はどうお感じになったでしょうか? 反発前の下落局面で株が買えなかったことへの不満は忍耐力が足りないことを意味し、この先の世界に対して絶望しか抱けないのは無知であると説いています。そして、知性を養えば弁解の機会も必要なく、どんな人間でも他人よりも勝っている点があり、その勝っている点というのは試してみなければ解らないのだから所詮は何事も実験と思ってやってみるべきであるとも言っています。 賢人の残した言葉は一般生活に関わるものが多いですが、その延長としての株式投資活動にも通ずる名言が多くあるものだと考えております。 <サイト管理人> 2012年4月25日記述 |
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【FRBの金融政策と個人投資家の投資タイミング】第84回 |
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ミクロの話は避けておりますが、今回は少々そうした内容について書いてみます。 FRBがこれから先の政策について「2014年末まで」継続するという趣旨の発表を行いました。GDPは0.2%、インフレ率は2%と上方修正されたことから、金融緩和の継続はインフレの加速リスクがあることとなります。 FRBが出口政策へ転換しない理由としては、現在想定されている成長率では「株式市場の下落に繋がる」ことから、現時点で金融緩和政策を止めますと、株式市場の下落からの景気後退のリスクが出ることが挙げられます。また、「欧州危機が終わっていない」とFRBは考えています。直近の先進国首脳会議でECBに対して危機対策を求めたことからも推測されます。よって、今回のFRBの発表は当然内容になります。 今週末に行われるの日本銀行の金融政策決定会合の結果はどうなのかが問題ですが、我が国の景気は様々な景気対策の効果が効果を奏し、回復基調にあると言ってよいでしょう。しかし、継続的な対策が無ければ回復トレンドに乗ることが出来ないという裏側がありますので、現在の金融緩和政策を止めて出口政策に舵を切るすることはありえないと考えています。 市場では、日銀追加金融緩和を期待しているようですが、日本銀行の金融緩和はここ20年来「円高対策」が中心であり、これから欧州における金融危機が再燃しますと対ドル及びユーロに対して円が上昇する可能性があります。円高は悪いことではなく、国力を示すバロメータですから、緩やかに進行してくれる前提があるのなら企業も十分に対応ができるわけです。 今私達個人投資家にとって好ましいことは、長期的な円高基調に移行し、日経平均株価が何らかの外的要因によって急落する局面を待つことではないでしょうか。リバウンド狙いの投資を試みる場合思っている以上の下落も想定しなくてはなりません。しばらくは辛抱を求められる状況が続くと思いますが、年に数回の買いタイミングという観点からすれば慌てることも無いように考えています。 現状インフレ懸念も払拭されたわけではありませんから、常に一定額の株式を保有することに反対はしませんが、自己資金の自由度及び自然災害といった不測の事態を考慮すれば、相場を傍観する余裕があっても良いと思います。これから住宅を購入しようという方などは金融商品に重きをおかず、毎月きっちりと預金できる状態を作ることが大切と思います。コスト平均法を採ったところで、住宅購入時に含み益があるとは限らないからです。 <サイト管理人> 2012年4月26日記述 |
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【オリソン・マーデンの「成功術」を読んで】第85回 |
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オリソン・マーデンは、アメリカの成功哲学者であり「成功哲学の父」と呼ばれました。実業家でもあります。成功者のインタビュー雑誌として知られる「SUCCES」の創刊者で同雑誌はアメリカで絶大な人気を誇り、100年を超える歴史を持っています。 彼は1850年、米国ニューハンプシャーでスコットランドからの貧しい移民の子として生まれました。幼い頃両親を亡くし、不遇な環境の中で子供時代を送ったマーデンは、少年の時分にイギリスのサミュエル・スマイルズの名著『自助論』に出会います。いかなる環境であろうが、目標に向かって、勤勉に忍耐強く取り組み、成功を手にした多くの成功者の物語を興味深く伝えたスマイルズの著作が、マーデンの人生の目標を決定付けたようです。 以下にマーデンの残した名言をまとめてみました。 ●チャンスは自らのなかにある。境遇や運や他人の援助の中にはない。ただひたすら自らの中にある。 ●目標に自分の力を集中させることによって、すべての偉大な人は偉大になり、すべての成功者は成功した。 ●ベストを尽くせば、負けることはない。 ●船はきちんと目的地に着かなければならない。目的地には船の積み荷を心待ちにしている人々がいる。だから晴れの日も嵐の日もひたすら目的の港を目指さなければいけない。 ●この世で人間ができるもっとも偉大なことは、自分に与えられたものを最大限利用することである。これこそが成功なのである。 ●自分の仕事をけなしている限り、自分の仕事を誇りに思っている相手に、勝つことはできない。 私は彼に関する本を読んで、マーデンという人が原理主義者であることを感じると共に、投資においては自己責任の範疇ですべてを片付け、そこで成功する為には「目標」、「努力」、「自分の能力を最大限に活かす」ことを学びました。 私のような投資手法であれ、長期投資であれ、これらの名言はそれぞれの個人投資家に役立つものと思っております。 <サイト管理人> 2012年4月27日記述 |
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【バリュー投資とグロース投資について】第86回 |
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ここにきて基本的な話となりますが、バリュー投資とは、ある会社の株価が解散価値(PBR)や株価収益率(PER)といった指標から割安か割高なのかを考え、割安ならばその会社の株式を買うという投資方法になります。 一方、グロース投資は、会社の将来の成長性に注目して、業績が伸びることを見込めるならば株式を買うといった方法です。少々前の話になりますが、IT産業がこれからという時代に、楽天やグリー、DeNAといった銘柄を先行して買う手法といったら良いでしょう。 かく言う私ですが、相反するこれらの投資方法は互いに絡み合うものと思っています。 安定した利益を計上しており、株主を優遇する経営者がいる、これはグロース的な側面です。また、できるだけ安い「株価」で買うことも重要な要素になってきます。それが会社の価値を見極め、適正価格を大きく下回る価格で買うバリュー的な側面となります。 両者を繋げた投資手法は、単に株価が割安か割高なのかというファンダメンタルズ指標だけでなく、将来の業績を予測し買い入れの可否を決めるものとなるでしょう。ウォーレン・バフェットという有名な投資家はこの手法を好みます。 ちなみに、できるだけ安い株価で買うためには、適正な株価を知る必要があります。割安な価格で買おうとするのなら、人気が集まっている会社(テーマ株)は必然的に避けることとなり、むしろ、実際の価値は高いのに市場では人気がなく、株価が下がっている会社を見つけることが基本となります。 マーケットを眺めていると、突出して割安と思われる小型株が常に存在しています。では単にそうした銘柄を買えば済む話でしょうか?答えはNOです。他の銘柄に対して突出して割安であることにはそれなりの理由があるのです。ですから、投機筋の換金売りを伴うパニック相場を利用し、マーケット全体が冷え込んだ状況、相場が全体的に大きく下落した局面でバリュー投資とグロース投資手法を用いた一種のスクリーニングから銘柄を選ぶことが重要に思えるのです。そうすれば有望な主力銘柄を割安な価格で買うことができ、結果として利益を出すことに繋がると思うのです。 <サイト管理人> 2012年4月28日記述 |
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【株式の保有期間から見る投資手法について】第87回 |
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今回も初歩的な内容のコラムを書きたいと思います。勉強家で長く投資を行っており自分なりの投資ロジックをお持ちの方には不要な基礎情報ですので、読むまでも無いものですが、今後の経済情勢から今のスタンスを切り替えることもあると考え記述しております。 株式投資で利益をあげるためには自分の投資スタンスを定める必要があります。テーマ株や、仕手株を買い入れなくとも、自分の投資スタンスが決められていなければ、継続的で安定的な利益を出すことは難しいでしょう。株式投資でしっかりとしたリターンを確保している人は自分なりのスタイルを確立しているように常々感じております。 株式の保有期間から考える場合、投資のスタンスは「短期」「中期」「長期」に区分されます。 まず、短期投資とは1日から数週間程度の期間にて、株式を売買する投資方法を指します。デイトレは最もポピュラーな短期投資となっており、専業主婦がお小遣いを稼ぐためにトレードを行っている昨今です。短期投資は短い期間でトレードを行うため、多額の損失を出す可能性は低くなります。逆に、1度の利益も少なくなる傾向があります。つまり、薄利を何度も重ねることで大きな利益を出すことが短期投資の目的です。ただし、短期で利益をあげるためには、一日中PCやアンドロイド系端末を見る必要があり、仕事の傍ら行うことはできません。また、取引が多くなることから手数料の割合が上がるため、大量の資金を動かす財力が無くてはこのスタンスによる取引自体に無理があると考えています。 次に、中期投資ですが、この投資は数ヶ月から1年程度の期間株式を保有する手法です。短期投資よりも手持ちの日数が多いので、より多くの利益を出すことが可能となりますが、損失も比較的多くなるのが一般です。数ヶ月間株式を保有していると、企業の四半期の決算発表をまたぐ可能性や、世界的なマーケットの動きに連動しますので、株式の保有リスクを覚悟しなくてはなりません。株式を持たざるリスクと持つリスクについて考える必要が出てまいります。 最後に、長期投資となりますが、長期投資とは株式を数年から数十年保有する投資となります。利幅も非常に大きい半面、企業の倒産リスクを考える必要が出てまいります。ただし、配当や株主優待も勘案に入れられますので、年率3%の配当が出る銘柄を10年保有すれば、株価が変らない前提において30%の利ざやを得ることも可能になります。なお、長期投資で利益をあげられるかどうかについては、日本という国の将来に関わってまいります。また、アセットアロケーションの問題も考える必要があると思いますので、貴金属投資や不動産投資、国債、定期預金といった他の金融商品と並行して行うことが理想的な方法なのかもしれません。 本コラムでは現在私が考えているベターな投資手法については触れませんが、日本を取り巻く環境は日々変化していることからも、自分の投資ロジックを常に見つめ、いつでも修正できる心構えをすることも必要と思われます。未来は過去から予測できるものではないからです。 <サイト管理人> 2012年4月29日記述 |
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【ご当地グルメやB級グルメなどから考える株式投資】第88回 |
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ご当地グルメは、日本の特定地域内において、地域振興活動の一環として伝統にこだわらず開発・発祥・定着した料理の総称のようですが、地域産業振興の観点からすれば如何にして観光客を引き込むかということになりますので、悪いことではありません。現在は各地でご当地グルメを利用した地域振興活動が盛んに行われており雑誌やテレビなどで多く取り上げられています。 また、B級グルメとは、贅沢でなく、安価で日常的に食される庶民的な飲食物ですが、これもご当地グルメの一部に含まれます。 ここで問題なのが、実際に美味しくないものでも、ご当地という言葉が付随することでプレミアがつき、そこまで足を運ぶ旅行気分が自身の気持ちを高揚させ、それなりの味に感じてしまうことが往々にしてあるということです。また、美味しくなくとも、自分には合わないが確かに特別なものであるとして気持ちを消化させてしまうケースもみられます。 本当に美味しいものやそれを提供してくれる店は身近にも多くあります。外食をするのなら美味しくなくては本来の意味すらないように思っています。 無理な振興活動や、制作費が安価なため頻繁に取り上げるテレビ番組などに踊らされて、実態の解らない食事を目的に出かけるのは、株式投資に置き換えればテーマ株を買うようなものです。本当に良いものは前から存在しており、自然と人が集まっているものです。それらは日々多くの取引がされているような主力銘柄と置き換えられないでしょうか。 ご当地グルメに類似した身近な事象として、特売、閉店セール、ポイント2倍、地域限定、数量限定、ネット価格、会員価格などという言葉につられるケースがあります。FPの立場からすれば、日常必要なものだけを買うならば良いと思いますが、安いだろうという思い込みから通常よりも多く買ってしまうことや、必要ないものまで購入してしまうケースは自制されたほうが望ましいと思います。そもそも世の中に本当の"特別"などというものは滅多に存在しません。 株式でも物品でも日頃から価格をチェックし、買い物ならば移動コストや所要時間なども考慮に入れた合理的行動が必要と思っています。 かく言う私自身、このように買い物を考えるのはつまらなく、遊び心が無いと感じますが、株式投資で利益を出すであるとか、上手く買い物をする、美味しい食事を食べるといった究極の目的を達するには、それ以外の感傷的問題を排除しなくてはならないと考えております。 <サイト管理人> 2012年4月30日記述 |
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【太陽光発電パネルメーカーの現状と投資の問題】第89回 |
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最近のことですが、「原子力発電が問題となっているので必ず値上がりする」と、太陽光発電を扱う会社の社債購入を持ち掛けられ、現金約5200万円をだまし取られた」というニュースがありました。社債購入を勧めるパンフレットが先行して届き、その後「フロンティア証券」を名乗る男らが電話で勧誘し、購入費を振り込ませにも関わらず、社債は届かずに男らとも連絡が取れなくなったというものです。 日本人の大半がこれからのエネルギーは再生可能エネルギーであるという幻想に取り付かれていることからこのような事件が起こるのでしょうが、そもそも必ず儲かる金融商品が自分の元に紹介される不信感を抱かない人が多くいることも示しているように思えます。 なお、太陽光発電用パネル製造メーカーは価格競争が激化し、収益率が悪化しているのが現状で、ドイツの太陽電池メーカーで欧州最大手の「Qセルズ」は、4月3日付で法的整理を申請しました。同社は2005年にフランクフルト証券取引所に上場を果たすと、2007年には太陽電池セルの生産量が世界第1位となるなど事業を拡大していました。しかし、中国をはじめとする新興国メーカーとの競争激化や、低価格化で収益が悪化すると、生き残りを目指したリストラ策も財務状況を改善するには至らず、自力での再建を断念したのです。 太陽光発電はエコロジーで地球環境に優しく、再生可能エネルギーであることからその自給率も向上も見込まれ、環境関連の雇用も生まれて経済も潤うなどという夢のような話でしたが、現実はそこまで甘くなかったのです。そもそも自然は人間に優しいものではないからです。 ちなみに、ドイツの再生可能エネルギーの全量買取制度の価格がさらに引き下げれることも決定しています。すでに過去2年で太陽光発電の買取価格は40%引き下げられ、今年はさらに7月に15%引き下げられる予定でおり、さらに2013年1月からは太陽光発電の買取量そのものが一部カットされ、全量買取制度はなくなります。 日本ではまだ太陽光発電神話が続いており、電子部品大手のシャープでさえ今後太陽光発電事業に重きをおく方針を示しておりますが、同社は液晶神話に乗り失敗した経緯があります。同じ過ちを繰り返さないことが企業の常識ですが、私は不安を覚えてなりません。 個人投資家としては、安易に未来を想像してハイリスク・ハイリターンの企業に対してグロース投資をするのではなく、現実を見据える目を養うべきであると改めて認識させられたようにも思っております。 <サイト管理人> 2012年4月30日記述 |
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【他人の失敗を笑ってはいけない理由】第90回 |
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「他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは生きられないのだから。」というエレノア・ルーズベルトの有名な言葉があります。 この言葉を表面的に捉えず、本質的に解釈することは実に難しいものです。なぜなら、私達は意識しなければ他人の失敗を「自分には関わりの無い事」と考える傾向があるからです。他人の失敗を気かけなければ思考はそこに留まり、原因の追及まで至らないでしょう。もし他人の失敗を自分の成長に役立てることが出来れば、他人の何倍も中身のある人生が送れると感じております。 ちなみに、失敗した時に、直接的な原因に着目しすぎてはいけないでしょう。単にあの銘柄をそのタイミングで買ったから失敗したというのは直接的な原因であり、何も真理を突いていません。また、後講釈で色々とあげつらうことは簡単ですが、それだけでは未来の投資に全く役立たないでしょう。 まずは他人の失敗を自分の失敗と捉え、自分だったらこのようにするといったように、失敗の原因をストラクチャー化して理解しようと務め、失敗までに至った背景などを見抜き、最終的に文章化も含め論理的に整理しておく必要があると思います。これを続けることで、株式投資に真摯に向き合う必要性を理解できると考えております。 <サイト管理人> 2012年4月30日記述 |
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【自動車メーカーの今後について】第91回 |
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タイトルから外れるところから話に入りますが、私は腕時計を収集しており、その中のひとつにシチズンの「エクシード スタンダードクロノグラフ(DUO):1999年発売」というものがあります。何年か前に中古で購入した腕時計ですが、機構が面白く、光発電と自動巻発電機能を搭載したモデルです。基本的には電気で動くクオーツ時計ですが、発電系統が従来のメカニカルな部分と、光(太陽光等)の部分とに分かれたハイブリッド時計になっています。こうした方式の時計は1998年から5年間程度販売されましたが、光発電の効率が格段に進化したことやコスト面から今は生産されておらず、光発電モデルが主流となっております。また、携帯電話に時計機能がついていることや腕時計自体着用が面倒という人が多くなっていることから、今は腕時計がお洒落アイテム化しており、高価な機械式時計も多く発売され、安価で実用的な時計と、アクセサリーとしての高級時計に住み分けが出来上がっております。 ここまでは時計の話でしたが、自動車についてもある部分で似たようなことが言えないでしょうか? 現在はこれまでの内燃機関(エンジン)のみを用いた自動車から、走行時に発電+蓄電し、その電気エネルギーで車を走らせるハイブリッド車が世の中を席巻するようになっています。もちろん内燃機関のみで燃費効率を高めた自動車の販売台数も多く、両者は壮絶なシェア争いをしております。この話は先に話したハイブリッド時計に繋がる側面があるように思えるのですが、結局ハイブリッドという方式は次世代機構(電気自動車)が流通するまでのつなぎ的な方式であるように捉えられます。 既に現在、日産自動車や三菱自動車から一般向けに電気自動車が発売されておりますが、充電場所(法律上の絡み)や充電時間の問題、航続距離の問題等からさほど普及は進んでおりませんが、これらの問題がクリアされれば電気自動車が主流になる可能性が高いと思われます。 電気自動車が主流になる時代を迎えると、トヨタ自動車を始めとした自動車メーカーは内製であるエンジンを製造する必要がなくなり、高性能の蓄電池と省電力かつ出力の大きいモーターを専門のメーカーから買う形となります。つまり、自動車メーカーは基本的にボディデザインと部品選定に関する「企画、開発、設計、組み立て」を行う会社になることでしょう。ボディの衝突解析やブレーキ等の部分的な機構のノウハウは残りますが、これまでの研究開発から製造までの流れが大きく変わることは必定です。 もしも、高性能蓄電池やモーターを自動車メーカーサイドで開発できればエンジンに変わりそれらを造るという工程が残りますが、その開発は大手の専門メーカーに叶うとは到底思えませんし、ベンチャー企業が台頭してくるのかもしれません。 以上のような状況になった場合、日本の自動車メーカーは国内で収益をあげられるのでしょうか。如何にして安く部品を調達し、収益をあげるかという路線に今以上に走ると共に、新しく参入してくる自動車メーカーとの熾烈なシェア争いになってくることから、自動車各社の環境は悪化の一途をたどるように思えるのです。 未来の想像に価値を見出せない私が言うのもおかしな話ですが、自動車メーカーは内燃機関を手放すようなことをせず、電気自動車普及の為の充電スタンドの設置にも積極的にはならないと思っています。それは自らの首を絞めることになるからです。これは世界の石油メジャーや国内の精製メーカーの話も関係してくる複雑な問題でしょう。 今回は株式投資と関連付けた話を致しませんが、駆動方式がどうなるか見えない状況で自動車メーカーの未来を予測することは不可能でしょうから、想像や期待で投資を行うことは難しくなっていると思います。 <サイト管理人> 2012年4月30日記述 |
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【自我が抑えられず市場に周期性が生まれる】第92回 |
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フロイトの言葉に「"自我"は抵抗しがたい衝動である」というものがあります。衝動という無意識の存在に我々の意識は気付きにくく、自我は無意識の内に支配されることを指しているのでしょう。そして、衝動は反復し、自身のエネルギーが尽きるまで繰り返されます。それは実に大きなエネルギーで、自我はその前に無力でなのだといえます。 また、人間の衝動は段階的経緯を追うとも言われます。最初は、安全や仲間意識といった衝動(欲)が強いのですが、最終的には自己実現欲求が強くなると考えられています。このような衝動を捨て去って初めて真理が見えるのかもしれません。謙虚を貫き、衝動を抑制することに成功した人間に過去の成功者が多いことも事実です。最も基本的な睡眠欲や食欲を無くすことは難しいでしょうが、真理を求める求道者に知恵や精神力を与えた経緯があります。偉大な預言者と言われる人々の修行が断食であったことからも納得ができます。 市場経済には欲望が膨らむことから発生する自然の資産・金融バブルが周期的についてまわります。昔のチューリップ相場もしかり、近年日本では不動産バブルが発生しました。最近はあらゆる金融商品のバブル、そして崩壊です。資産バブルが発生する本質は「儲けたい」という人間の自我があるからで、ある意味当然な現象となります。 株式や不動産といった資産バブルが起き始める、ないしは進行している時、「今の状態が危険である」という警告がいかに正論であっても、大半は否定されてしまいます。世の中が特異な方向に進んでいる時に、これまでとスタンスが変らない少数派は「おかしな存在」であり、古臭い存在になってしまいます。しかし、周期的に捉えれば新しい時代の最先端を行く存在になっていると思います。 欧米金融危機の終息は見えませんが、いつかは底を打ち、株式市場は長期上昇局面に向かうでしょう。しかし、これが新たな資産バブルを生み、崩壊を招くのでしょう。世界中の自我が集まり、それらがある一定方向に動き出すことで出来上がる波は、大きな岩に打ち砕かれるまで進み続け、その時既に次の波が発生しているのです。 <サイト管理人> 2012年4月30日記述 |
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【安易なインフレ待望論の危険性について】第93回 |
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私は金融政策によるインフレは起こすことも制御することも困難と考えています。仮に通貨の供給量を増やし、為替安を通じてインフレになったとします。長期的には雇用と景気を回復させる効果はあるかもしれませんが、短期的には国債などの安全資産からの逃避とインフレによる国民生活の窮乏効果の方が大きいことは米国や中国の緩和の政策を見れば明らかではないでしょうか。年金や働く人の賃金の上昇などはすぐに反映されませんから、上手くインフレに移行したとしても多くの人が最低数年間は生活費の増大に苦しむ事態になると思います。また、最終的には抑えられないインフレと高失業率という形で、今後長きに渡って壮年層を中心に生活水準が大きく低下してしまうとも思っています。 今の政府や日本銀行(財務省)にインフレを起こす力があるとしても、単なる通貨の供給量過多によるインフレに過ぎず、供給不足が原因のインフレではありません。ですから、コストインフレを招き、商品の原材料価格が上昇し、企業自体の努力で生産コストの上昇分を吸収できなくなることから、製品価格を値上げするといった悪い状況を作ってしまいます。 本来、賃金インフレや需要インフレを伴ってはじめて日本経済の長期的な成長を望めるのでしょうが、30年前に経験したこれらの状況は簡単に作りだせるものとは思えません。一歩間違えば年率数十パーセントのハイパーインフレを招いてしまう可能性もあります。また記憶に新しい資産バブル発生の問題もあります。 そもそも、多くの方はデフレに対して誤解があるのかもしれません。 現在日本経済はデフレ下にあり、デフレスパイラルの"懸念"がテレビなどを中心に伝えられていますが、実際のところスパイラルという自体には至っておりません。トヨタの高級車"クラウン"の新車価格を見ても、大衆車"カローラ"の価格を見てもこの20年間それほど変っておりません。むしろ高級化し、価格が上昇しているようです。また、自動販売機の缶ジュースは120円のままです。よって、日本のデフレはとても緩やかな状態を保っていると思われます。 2008年頃からの金融恐慌においても、日本は世界の中で健全性を保ち、為替においても優位性を保っております。これは良いデフレ下にある証拠に思います。緩やかなデフレと緩やかな円高は国民生活にとって恩恵の方が大きいと思うのです。広大な土地や建物を複数所有するような一部の資産家にはデメリットが大きいでしょうが、年金生活者の方々も含め、大半の人間はメリットを享受できます(一番享受する立場にあるのは公務員なのでしょう)。 インフレになれば負債の返済が楽になり、政府の負債も個人の負債も大した問題ではないという乱暴な議論をするのであれば、日本人は否応なく資産運用を求められ、最終的には土地を担保にした銀行の貸出しが急増し、さらなる地価の上昇および株価の高騰を招くという過去の信用インフレを繰り返すことになりかねません。日常用品の全てに至る商品価格が上昇し、その上昇率に賃金や年金の上昇が追いつくことは果たしてあるのでしょうか。そもそも私には日本経済は信用インフレまでたどり着けず、国民生活の窮乏による破綻が先に来るように思っています。 <サイト管理人> 2012年5月1日記述 |
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【バートランド・ラッセルが残してくれた言葉】第94回 |
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バートランド・ラッセル(1872年〜1970年)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。親は哲学者のジョン・スチュアート・ミルです。ラッセルは数学者・論理学者として出発し、哲学者としてヘーゲリアンから経験論者に転向、以後その主張はかなりぶれがあったものの基本的には現象主義もしくは随伴主義的唯物論をとりました。 彼の言った言葉は株式投資や真理に通ずる部分も多くありますので、本コラムでは彼の名言を箇条書きでまとめてみました。 ●首尾一貫した目的だけでは、人生を幸福にするのに十分ではない。しかし、それは幸福な人生のほぼ必須の条件である。 ●私は、どんなに前途が多難であろうとも、人類史のもっともよき部分が未来にあって、過去にないことを確信している。 ●実際、人類の大半が愚かであるということを考えれば、広く受け入れられている意見は、馬鹿げている可能性のほうが高い。 ●何かをやれるという最良の証拠は、他人がすでにそれをやり遂げたという事実である。 ●他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。 ●過度にならない程度に、自己の能力を高く評価することが、幸福の一つの源である。 ●浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない。 ●愚かな人は、賢い人が言ったことを、正確に理解することは出来ない。それは人間というのは、自分が聞いたことを、自分が理解できる範囲の内容に変換してしまうからである。 ●本当に理性的な人間は、絶対に自分が正しいなどとはめったに思うことはない。理性的な人間になろうと思ったら、自分の思想に対しても常に疑いを持っていなくてはならない。 ●希望というものは、絶望から生まれる。 ●常識外れの思想を持つことを恐れてはいけない。今日の常識のほとんどは、元々常識外れの思想から生まれているのだから。 上記の内容は矛盾している様にも思えます。私なりに箇条書きを繋げてみますと、 世論とは大半の人間が作り出したものであるから、理性的な人間になりたければ常識に対して疑いの目を持ち、自分すらも信用してはいけません。信用のない自分には絶望観が芽生えるでしょうが、少数派であれ自分の思想や目的を持つことが大切なのです。程度の差こそあれ、そんな自分の能力をしっかりと評価すれば希望が湧き、幸福になる条件が揃うのです...となります。 実に憂鬱な状態から出発する哲学ですが、ラッセルの言わんとすることは解るような気がします。記述した名言はほんの一部ですので、簡単にどうのとはなりませんが、私などにも考えるべき点が多く含まれていると感じております。こうした賢人の言葉は遠い未来にも通じることでしょう。 <サイト管理人> 2012年5月2日記述 |
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【ユング心理学と自己認識から株式投資を考える】第95回 |
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カール・グスタフ・ユング(1875年〜1961年)は、スイスの精神科医で心理学者です。深層心理について研究し、分析心理学(ユング心理学)という分野を開拓しました。 ユング心理学は人間の意識と無意識の分析を行う点においてはフロイトの精神分析学と共通していますが、個人的な無意識にとどまらず、それを超え人類に共通しているとされる集合的無意識分析も含まれます。 集合的無意識とは人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域のことです。普遍的無意識とも言われます。個人的無意識の対語としてあり、ユングはフロイトの精神分析学では説明の付かない深層心理を解き明かす為、この無意識領域を提唱しました。 ユングは集合的無意識に多くの存在を認めましたが、それらは最終的に自己の元型に帰着すると考えています。自己の元型は心全体の中心にあると考えられ、外的世界との交渉の主体である自我は、自己元型との心的エネルギーを介しての力動的な運動で、変容・成長し、理想概念としての「完全な人間」を目指すとされました。 意識・無意識、集合的無意識について書き出すと大事になりますので、ユングという心理学者が人間の傾向をどのように捉えたのかを簡単にまとめてみます。 まず、ユングは人の傾向を見るのに、二つの態度と四つの機能を定義しました。 @態度について 2つの態度とは、「外向」と「内向」です。現在は私達が普通に使う言葉となっています。 ●「外向的な人」は新しい環境に身を置いても適当な態度をとり、周囲と折り合いをつけることが比較的得意と言えます。ただし、「一般常識」に囚われ、自分や周囲を苦しめる場合もあります。 ●「内向的な人」は新しい環境を苦痛に感じ、不安を覚え、身動きが取りづらくなるタイプと言えます。ただ、内向的な人も自身が守られる環境では能力を発揮し、その空間が広がるにつれ、自身を外界に知らしめる傾向があります。ただ、自分の見解だけが重要になり、人間関係や他人の見識を軽く捉える場合が往々にしてあります。 A機能について 次に、4つの機能とは、「思考」「直観」「感覚」「感情」になります。 ○「思考型の人」は対象の本質が何であるかを考えたり、思考的な機能で、物事を分類・判断・規定します。 ○「感情型の人」は対象が好きであるとか嫌いであるといった、感情的な機能で、物事を判断したり、分類するタイプです。 ○「直観型の人」は対象から直に可能性を受取ります。対象がこれからどうなってゆくのかを感じることができるタイプです。 ○「感覚型の人」はそのままの形状、色彩などを詳細に受け取るタイプです。但し、その理由を表現することが不得意という面もあります。 一般的に「思考型」及び「感情型」の人は事象に対して方向付けをし、合理的な判断を下すとされますが、逆に、非合理なものを受入れにくいとされます。「直感型」及び「感覚型」の人がロジカルに進化する為には「思考」や「感情」機能が必要になるとされます。 ちなみに、ユングは「思考」と「感情」を合理的機能、「直観」と「感覚」を非合理的機能と呼んでいますが、これらの機能は互いに対立します。つまり、思考的傾向の人は感情が乏しく、感情的傾向の人は思考が未分化・未発達ということになるのです。もう少し続けると、思考型の人は、考えを深めるのが得意ですが、感情を表現するのが苦手な傾向にあります。逆に、感情型の人は、感情を表現するのが得意ですが、考えを深めるのが苦手な傾向にあるようです。 これは非合理的機能にも通じ、直観的傾向が強い人は可能性を見出すことに長けてしますが感覚が未分化・未発達で、感覚的傾向が強い人は、そのものの形状などを受取ることに長けていますが、そこに潜む可能性を見出すことが苦手となります。 B態度と機能を統合して人間のタイプが決まる 2つの態度と4つの機能はこれまでに解説した通りですが、態度と機能が合わさることで人格が形成されます。ですから、人間を分類すると本質的に8種類の心理タイプに分けられることとなります。以下に参考として2種類の人格をまとめてみます。 『外向的感情型』 感情や価値観、判断といったものは多数派であり、親交のある人とは常に調和しています。その為このタイプの人は愛想が良く、人付き合いには困りません。一見自分の感情に沿って生きているようでも、その感情が一般的であることから、周囲と一致している場合が多いので、トラブルを起こすことは少ないようです。 『内向的思考型』 知的な規範によって行動しますが、内的基準に従う傾向があります。外界の事象にさほど興味を示さず、理想や理論、観念に関心が向きます。外界の事実よりも内向を重視し、これが良い方向に作用すれば独創的と評価され、逆に働けば、理解不能の考えをもった偏屈な人となります。これらの人にとっては主観の無意識下にある根源、象徴的イメージになります。立川談志という孤高の落語家はこのタイプに当てはまると思います。 C人間のタイプと株式投資について 随分長くなってしまいましたが、まず自分自身が8種類ある人間のどのパターンにあるのかを知り、それぞれの長所と短所を考えることが必要に思います。そして自分の短所を補う為に違うタイプの良い部分を取り入れ、自らを充実させることに繋げていければ物事の本質や行動力、忍耐力、判断力の向上に帰依し、株式投資をロジカルかつ大胆に行うことができるように思っています。 ちなみに、現在の私は内的基準に従う傾向があり、かつ大胆な行動力が欠損しており、現実や安全性を重視するあまり、リスクを伴う高回転での投資ができません。また、意識外の情報にも耳を傾け、それを受け入れなければ、人間的な成長も望めないように思っています。 <サイト管理人> 2012年5月3日記述 |
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【私が小型株投資を推奨しない理由】第96回 |
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今更ながら基本的な話から入りますが、株式には大型株(主力銘柄)、中型株、小型株の分類があります。ただし定義そのものが曖昧であり、厳密な定義があるわけではありません。 通常、時価総額の大きい銘柄大型株、小さい銘柄を中小型株としますが、時価総額と流動性の高い上位100銘柄(一般的にTOPIX100指定銘柄)を大型株、400銘柄(TOPIX MID400指定銘柄)までを中型株、残りを小型株と考えて良いでしょう。 今回取り上げる小型株ですが、発行済み株式が少なく、資本金の小さな企業が多いことが常で、上場企業の大半を占めます。小型株は特徴として発行済株式数による流動性の低さが挙げられます。市場の各銘柄の株式数が少ない為、少々の買いが入ると対象企業の株価は急激に上昇する傾向があり、逆に売られる際には大きく株価が下落します。つまり、乱高下の可能性が高い特徴を持つのが小型株であり、それだけでも十分なリスク要因になります。また、小さな会社では一般的にオーナーの株式保有率や依存度が高く、経済状況等から経営環境の変化の影響度合いが大型株よりもはるかに大きいことから、これもひとつの大きなリスク要因になります。 小型株投資をすることを考えても、知名度の低い企業群が立ちはだかり、投資家にとって値上がりを期待される小型株の選定は難しいものです。大型株と違いスクリーニング条件の設定にも大きな違いが出てまいります。 繰り返しになりますが、小型株は大きく値上がりする銘柄もあれば、大きく値下がりする銘柄もあります。つまり、それだけで大きなリスクを負うのです。どうしても小型株を買い入れるのであれば、小型株インデックス(投資信託)を利用した投資を行うのが良いのかもしれません。 私は主力銘柄の投資を推奨しております。理由としては、知名度、出来高、情報量、安定性、その他の要因も含まれます。デイトレードが出来ない状況にある人が大半ですから、主力銘柄は成行き注文が安心して行える点も大きなメリットとなります。それ故にリスクは小型株と比べて小さなものになりますから、リターンも大きなものは期待できないのが常となりますが、年換算で7%程度得られれば昨今の金利情勢からも十分な値ではないでしょうか。私はこのように考えて主力株に限定したバスケット投資を推奨しております。 <サイト管理人> 2012年5月5日記述 |
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【コピー品でもオリジナルを超えればそれがオリジナル】第97回 |
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コピー品を作る場合、目的となる製品が既にあり、どれだけ似たものを作り上げるか、如何にしてコストを抑えるか、そして、最終的にはオリジナルよりも機能・性能面で上回ることが究極の目標となります。昨今問題となっている中国製のコピー品は単なる模造品に過ぎず、同国国内で価格的な優位性だけで流通するまがい物が大半でしょうから、これは今回お話しするコピー品とは一線を隔します。 現在における最高のコピー品(グレーな点もありますが)、サムスン電子のスマートフォン「GALAXY S」に対しては人類の歴史上、盗作として最も悪名高い製品と揶揄する声が多くあります。コピーされた側のiPhoneは「人類の歴史上最も革新的な商品」と称えられていることの間逆の関係です。 とは言え、現行の「GALAXY S2」の日本での期間別販売台数はiPhoneの最新モデル(iPhone 4S:2011年10月14日発売)を上回っているようです。有機ELを採用し、画面サイズもiPhone 4Sよりも大きなものとなっており、実用性や価格を考えて日本人がGALAXYシリーズを選択しているのでしょうが、これはオリジナルであるiPhoneをある部分で超えていることの証明になるでしょう。 既にGALAXY S3も発表しており、2012年の夏に日本でも発売されるようです。ラインナップとしてアンドロイドOSとWindows系OSの2タイプを揃えているという話もありますが、Windows、つまりマイクロソフトを味方につけることは圧倒的優位に立つ可能性を含んでおります。ここまで来ると、単なるコピー品の枠を超えて「サムスン電子のGALAXY」というオリジナルブランドが生まれたと言っても良いのかもしれません。 過去の日本においてもコピー品から出発し、世界を席巻した製品が多くあります。カメラや自動車などは良い例でしょう。最終的には世界一の性能を持った製品にまで作り込んだのです。 私達はキャノンを決してコピー会社とは思いませんし、トヨタ自動車に対してもしかりです。それはオリジナルを超えているからこそ一流のブランドとして認められ、最終的にオリジナルになったからです。特許に絡むものは正式にライセンスを買って開発を進めればよいだけのことです。 特許権の侵害に関しては各国の裁判所が判断することです。私には全く解りません。しかしながら、特許を超えて生まれる新たなオリジナルがあることも受け止めなければならないと思います。 株式投資においても他人の手法を真似ることは大切です。手法の裏にある本質を垣間見ることが出来るからと考えています。しかし、単なる真似ではなく自分なりのノウハウを加え、オリジナルのやり方が作り上げられるとも思います。今の自分の環境だからこそできる手法、環境が制限されているからこそできる投資手法があると思うのです。そうして出来た投資ロジックはまさしくオリジナルではないでしょうか。 今回はスマートフォンを例えにコラムを書きましたが、私はスマートフォンそのものが嫌いであり、たいした知識もない中でのお話、申し訳ございません。 <サイト管理人> 2012年5月7日記述 |
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【世界の宗教観を理解することも投資には必要】第98回 |
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まず、私自身は一神教に批判的であり、キリスト教もイスラム教も全く支持しておりません。また、日本における拝金主義的な仏教も好きではありません。釈迦の唱えた仏法は好みますが、これは哲学の話であり、宗教とは異なると考えております。ですから、私は釈迦派の仏教徒といえます。 さて、日本人に「あなたはどんな宗教を信じていますか?」と聞くと、「無宗教」、「無信仰」を自認し、そう口にする人が多いといえます。しかし、日本ほど異なった宗教文化が混在している国は少ないのです。 たとえば、多くの日本人が正月の初詣や受験合格の祈願に出向くのは神社となっています。その一方で葬儀は仏式で行い、盆や彼岸の季節には墓参りをします。あるいは、キリスト教の信者でもないのに教会で結婚式を挙げ、キリストの生誕を祝うクリスマスにはケーキを食べ、こぞってプレゼントを贈り合います。このように、神道や仏教、キリスト教などが混在しているのが日本なのです。 どうしてこのような環境が造られたかになりますが、日本人特有の曖昧な宗教観が関係しており、日本人の多くが宗教に対して「非現実的」、「非科学的」というイメージを持っていることや、宗教は経済や政治とは無関係であると考える傾向があることが大きな要因であるように思います。 しかし、世界的に観ると、宗教に対してそんなイメージを持っているのはどちらかといえば少数派にあてはまります。世界のほとんどの国の人たちは、自国の文化や習慣が宗教の影響によって生まれ、現在の政治や経済にも大きな影響を与えていることを充分に理解していますし、自分たちを導く最大の指標のひとつだと考えています。 つまり、ある意味では、世界の大多数の人々は、自分の信じる宗教(あるいは宗派)の教えに従っていかに行動すべきかを決定しており、宗教が違えばその考え方も行動も当然大きく異なってきます。 私達日本人はまずそのことを理解する必要があり、そうすることで初めて世界の情勢や世の中の動きが観えてくるように思います。単に報道される世界的なニュースの裏にはこうした宗教観が介在している現実も意識する必要があるのではないでしょうか。また、日本人特有の曖昧さを自認し、投資に規律を設定することに繋げるのは肝心なことだと思うのです。 参考:三笠書房「世界の三大宗教」重要ポイント83 <サイト管理人> 2012年5月11日記述 |
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【現在は投資ではなく投機が求められる】第99回 |
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これまで体裁を気遣って、株式"投機"コラムであるところを"投資"コラムとして書き続けてまいりました。私の手法はパニック相場での買い下がりですので、買い入れる225採用銘柄の"財務内容"及び"日経平均連動性"が重要となり、企業のビジョンや将来性を一切考えない"投機"です。株主優待や配当なども一切考えていません。ですから本来はページのタイトルを変えなくてはならないのでしょう。ただ、ここまでお読みの方には既にお解かりの話でしょうから、ご容赦いただければ幸いです。 さて、現在のマーケットはマネーゲームの戦場となり、参加者全員でギャンブルを行っている状態です。また、数年前までは未来が明るいとされた日系の大手企業ですら海外勢の技術や資金力に圧されていることから、グロース投資の危険性も多く理解されるようになってきました。ですから、投資を考えるのではなく投機が肝心であることを自認しなくては、それだけでリスクを負う可能性が高いと思うのです。 ではどのようにして投機に望めば良いのでしょうか?これまでの総括も踏まえ、以下に箇条書きで綴ってみます。 ● 投機に際し自分なりのロジックをしっかりと固めること、そしてそれを守ることが大切ですが、そのパターンで株式の購入が出来ない場合、または損失を出した場合、既存のロジックや閾値を修正する必要性があります。考え方に自由の幅を持たせず、固定観念に囚われていては同じ失敗を繰り返してしまいます。 ● 一度利益をあげたからといってその銘柄に固執することは良くありません。大切なのは過去ではなく、これから買い入れる銘柄を探すことですから、常にニュートラルな気持ちを持つ必要があります。 ● 投資サイトや証券会社から具体的な銘柄を聞いて利益をあげたとしても価値は低く、自分の内にロジカルなノウハウは一切残りません。例え利益が小さくとも自分のスタンスを大切にすべきです。 ● 3年以上マーケットに入場できる人、マーケットを相手に投機を続けられる人は実に少ない状況です。そのことを十分念頭に置き投機を行わなくてはリスク管理の心が保たれません。 ● 自分の資産に対する投資資金の割合は一定にしなくてはなりません。損失を見かけ上埋める為に資金を次々につぎ込むといった愚かな行為は失敗を更に拡大させてしまいます。ちなみに、通説の(100-自分の年齢)%が投資に回せるお金というのは全く現実味のないことで、まずは5年程度の生活防衛資金を確保し、不動産などの購入も含めた資金を保持し、その残りが株式投資資金になるのです。 ● お金を儲けることは正業に励むことであり、投資や投機ではないことを念頭に置かなくてはなりません。投機益が正業の年収を超えたとしても、それが続くわけもありません。投機はインフレも含めた情勢の変化から自身の資産を守るひとつの手段でしかないのです。 私が考えている具体的なパニック相場の定義や買い入れる銘柄のスクリーニング条件を記すことはできません(私の偏った閾値だからであり、私自身が責任を負える立場ではないからです)。皆様が独自のロジックを組み立て、閾値を設定することこそ投機の本質に繋がると思います。 <サイト管理人> 2012年5月12日記述 |
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【歴史や文化を否定する喫煙率低減政策について】第100回 |
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本日喫煙率低減に関する閣議決定がありましたので、そのことについて少しふれてみようと思います。 以下は毎日新聞の記事を抜粋です。「政府は8日、政府の計画としては初めて喫煙率低減の数値目標を盛り込んだ「次期がん対策推進基本計画」を閣議決定した。10年の調査で19.5%の成人喫煙率を22年度までに4割近く引き下げ、12%を目指す。厚生労働省の10年の調査によると、成人の喫煙率は19.5%(男性32.2%、女性8.4%)。「たばこをやめたい」との回答者(37.6%)全員が禁煙すると喫煙率は12.2%になるため、今後10年間の目標値とした。受動喫煙の機会がある割合も、飲食店で現在の50.1%を15%、家庭で同10.7%を3%、行政と医療機関で0%までの低減を目指す」。 タバコには数千年の歴史があり、多くの文化を生んできました。例えば愛煙家の文学者としては、森鴎外、夏目漱石、泉鏡花、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、他の文士がたくさんおりました。私は覚醒作用のあるタバコは創作活動に必要なものであったと考えておりますので、名作と言われる文学の半分は煙草の産物という考え方に賛同しております。 また、マスコミではタバコの有害論しか言いませんが、喫煙には下記の効用があるようです。 1.覚醒作用 2.リラックス作用 3.発想の転換 4.気付け作用 5.痴呆病の予防になる可能性 確かにタバコに含まれるニコチンは、アルコールやコカイン、アンフェタミンなどの依存性薬物と同様、精神依存性や禁断症状の為に摂取量が増えるといった身体依存性があります。タバコを吸うと、肺から吸収されたニコチンが静脈注射よりも短時間で脳に達し、神経系にあるニコチン受容体に作用して、快楽物質のドーパミンを過剰に放出させます。この神経系の一連の流れが薬物依存に関わらせているとされています。つまり、ニコチンは「向精神薬」に分類され、睡眠薬、アルコール、モルヒネ、コカインと同類のものなのです。 単に喫煙率を軽減させるなどという目先の政策をとるのではなく、タバコは覚せい剤と同様であることから禁止すると言えば法的な拘束力を伴いますから大抵の人間は従えますが、愛煙家を心理的に追い詰めるような政策には理解が出来ません。考えの無い人間は愛煙活動が生んだ多くの文学や科学、そうした効用面を無視してタバコをドラッグという括りから禁止にすれば良いのです。もっとも、このようにして歴史や文化は否定されるのかもしれません。天皇家の問題についてはシビアな問題であるため触れにくいのですが、男女同権という昨今の錯覚に惑わされて女系天皇を認めるような安易な歴史の否定だけは行わないように願うばかりです。天皇家にはおおよそ2000年の歴史と文化があるからです。 人は理解しやすい情報を受け入れがちですが、本質的な問題を考え、ひとつずつクリアしていくことこそが株式投資には重要な要素と思います。目先のブームに流されてテーマ株を買うような行為はまさに喫煙率低減を支持するようなものなのかもしれません。タバコ利権と医薬品業界の利権、分煙に伴う設備投資効果が裏に存在するうわべの喫煙率提言政策には虚しさを感じると共に、残念でなりません。 <サイト管理人> 2012年6月8日記述 |
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【買い入れる日経225採用銘柄の選定について】第101回 |
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私のおおよその投資方法は日経平均株価の直近高値から15%程度下落したパニック局面における225採用銘柄のバスケット買い下がり方式です(15%の下落日数や買い下がりの日経平均株価、下値目処にも閾値がありますが、そこは皆様がご判断ください)。 一口に言っても225銘柄ある訳ですから、その選定にはある程度のスクリーニング条件をかけなくてはなりません。もちろんスクリーニングだけでは見えてこない部分もありますので、四季報の財務諸表も参考にします。 まず225採用銘柄でにおけるスクリーニング条件ですが、製造業に関してはPBRが連結で0.75倍以下、PERが30倍程度を目安としています。直近3期の決算が純利益を上げていることも必要要件となります。その他挙げればきりがありませんので、スクリーニングについてはこの程度にしたいと思います。 それから、採用銘柄が日経平均に追随していることも重要な要素となります。底割れしている銘柄はまさに換金売りの対象となっており、そこに信用売りが乗りますから反転すれば大きいのですが、実際には多額の含み損を抱えるケースが多く観られます。 次に、財務諸表ですが、企業の連結ベースで見た総資産に対する有利子負債の割合が重要な要素となってきます。私は利益余剰金から有利子負債を引いた額が総資産の3分の1を超えるような銘柄は避けるようにしています。 以上のようにして考えると、財務的に危険な銘柄は225社の中でも100社近くあると考えております。残りの銘柄で日経平均に付随し、ファンダメンタルズで割安な銘柄を買い入れれば良いと思います。実際に買い入れ対象となる銘柄は50社にも及ばないのです。 このように書くと如何にも長期投資を意識した投資手法とも取れるのですが、私はリバウンド狙いですから、あまり気にしてはいないのですが、こうした方法でこれまで年率平均8%程度の利益をあげ続ける事が出来ております。 もしも含み損の額が想定を超えた場合はどうするのか?という疑問もあるかと思いますが、私は基本的に全ての株式を処分します。リーマンショックの年2008年においても損失を最小限に抑えることが出来たのはロスカットをしっかりと行うことが出来たからに他ならず、それが出来なければ今頃は現役の個人トレーダーとしてやってはいないでしょう。 以上のことは簡単なようでいてなかなか難しいのが実状です。株式投資を既におやりの方にはよく解ることと思います。大半の人間は常に投資を行い、ロスカットが出来ないからこそ長期投資に移行するのです。そしてNECやパナソニック、ソニーといった銘柄で多額の含み損を抱えるのだとも思います。 勝つことは負けることより簡単です。しかし、一度の負けが投資人生を終わらせる結果を招きかねないことを念頭において投資に望まれることを切に願っております。 <サイト管理人> 2012年6月12日記述 |
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【成功は自分のおかげ、失敗は人のせいは通用しない】第102回 |
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この国の人々は物から人に何か問題が生じると製造メーカーのせいにします。例えば自動車の後部座席のパワーウインドウは全開せずに止まりますが、これは子供の安全性を重視しているからであり、快適性を完全に無視しての結果です。私にはおかしなことに思えます。後部座席からの転落の問題はそもそも子供の育て方に難があるからで、自動車メーカーが考慮すべきことではないと考えています。要するにメーカー側の過保護であり、ユーザーの一方的な責任転嫁が起因しています。 そもそも失敗や問題を人のせいにするとその相手方に自分の人生が移ります。マイナス面は他人のせいであり、プラス面は自分のおかげという論理は通用しません。全て「自らのせい」なのです、そして「おかげ」なのです。その考え方があって初めて投資に向き合う真摯な姿が養われると思っています。失敗の原因を自分以外に向けるのは、感情を一旦凌ぐことには有効な手段かもしれませんが、その積み重ねが他人や物への失敗の責任転嫁体質を生み、自分の感覚が麻痺してしまうことでしょう。自分に優しくするとは、自分の精神的負担を一時的に軽減することではなく、自分と常に向き合うことなのではないでしょうか。 仕事も投資も遊びもすべて自己責任です。自分で成功の為の閾値を判断し行動しなくてはなりません。不快か不愉快かは二の次であり、まずは行動の為の閾値という線引きから入るべきです。 ただ、株式を買うことが楽しい人は自分の好みに合う銘柄を出来る限り買い入れれば良いのです。その時点で勝つという投資の目的を失うだけの話であり、自己責任の範疇からすればある意味で適正な投資になるのかもしれません。 買うことが楽しいという論理は今の私には理解できない投資手法です。ちなみに、投資で成功している人間は失った一定の自己資金は次の機会に稼げばいいと踏ん切りをつけ新しい閾値を求めますが、普通の人は失ったお金を数え続けてしまうことでしょう。 何事においても自己決断には相談相手が存在しません。とても孤独で単調な作業の繰り返しになってきます。 <サイト管理人> 2012年6月16日記述 |
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【賢人が残してくれた言葉は歴史の集積】第103回 |
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歴史的な賢人は多くの価値ある言葉を残してくれています。私自身賢人の言葉を大切にするように努めていますが、行動規範とし、厳格に守るような域には到底至りません。しかし、賢人の言葉は常に意識して生活をしております。言葉の裏にあるのは歴史の集積だからです。以下の名言が皆様の投資に役立つことを願っております。 【エピクテトス】・・・古代ギリシアの哲学者。 ●快楽に抵抗する人は賢者。快楽の奴隷になるのは愚者。 【プルタルコス】・・・帝政ローマの哲学者・作家。 ●失うことを恐れるあまり必要なものを手に入れることも断念するという人は、理屈にも合わないし、卑怯である。 【ルキウス・アンナエウス・セネカ】・・・ストア派の哲学者。 ●重要なことは何を耐え忍んだかということではなく、いかに耐え忍んだかということだ。 ●すべてのことを自分の意のままにしたいなら、まずあなた自身の理性を意のままにできるようにすることだ。 【老子】・・・古代中国の哲学者。道教創案の中心人物。 ●器いっぱいに盛ってこぼすまいと心配しながら持っているくらいなら、程よいところで盛るのをやめた方が良い。刃物もあまり鋭利にすれば刃こぼれしたりして長く使うことはできない。 【ジョン・ロック】・・・17世紀イギリスの哲学者、医者。 ●人のとる行動は、その人の考え方を最も的確に表明するものである。 【ジョン・チャートン・コリンズ】・・・イギリスの文学評論家 ●人生における成功の秘訣は、成功しなかった人々だけしか知らない。 <サイト管理人> 2012年6月17日記述 |
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【私が不動産投資を勧めない理由】第104回 |
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私は株式投資以外の投資を行いません。以前記したように、投資信託や定期預金、定額貯金、国債の購入もしません。理由は簡単で、株式投資の利回りが上記を上回るからとも言えますが、自己責任の範疇かつ自分の考えの範囲で自己資金を増やせる手段が株式投資だからです。ある意味では視野が狭いのが実情であり、自身も常に意識しております。 早速ですが、今回は資産運用の一環である不動産投資について考えてみたいと思います。不動産投資といえばREIT等を思い浮かべると思いますが、本節ではポピュラーなアパート経営について限定したいと思います。 まず、アパート経営には土地と上物(建物)が必要になりますが、大半の方は土地代を用意し、上物の建設代金を借り入れるケースが目立ちます。これでは私の最も危険視するインフレーション経済に移行した場合、多くの賃貸人は破綻してしまうことでしょう。上物を建てるのに金融機関から借り入れを起こすケースが多いでしょうから、借り入れ金の利回りの上昇に家賃の増額分が追いつかないことが考えられます。 また、貸主は借地借家法上、土地建物の価格の上昇・固定資産税の増額などにより妥当な額まで賃料の増額を請求することができますが、増額請求は簡単なことではありません。借地借家法は賃借人を守る為の法律だからです。つまり、家賃収入の利回りと返済利息の利回りの差により収益をあげるアパート経営にはインフレの初期段階が大きなリスクとなるのです。 なお、アパート(集合住宅)経営を行う人の多くは管理維持費用を安易に計算しがちです。外壁塗装代、水周りの修繕、クロスの張替え、床板の貼り替え、その他挙げればきりがありません。修繕に妥協をすれば空き室リスクが増大します。私自身不動産や建設関連の知識を一般水準以上に有しているつもりですが、どうしても利益をあげられない仕組みになっているようにしか思えないのです。 更に言えば、借主の賃料不払いに対しても考えなくてはなりません。いくら敷金を預っているとはいえ、賃料未払いの賃借人に対して立ち退き請求を行うことには大きな労力を必要とするのです。そして、代金債権を回収することはそれ以上に難しいでしょう。お金の無いところから取り立てることは不可能ですし、動産差し押さえも含めた強制執行(裁判費用)も含めて考えれば泣き寝入りになってしまいます。 ただし、自分自身が不動産業者や建設業者であり、土地や上物を安価で手に入れられる場合や、アセットアロケーションの一部として金融機関からの融資無しにアパート経営を行う場合にはリスクが大幅に低減するとともに、メリットも多くあることでしょう。個人の資産レベルによりますが、大半の方には不動産投資はお勧めできません。 <サイト管理人> 2012年6月28日記述 |
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【食品添加物から考えるイメージと思い込み】第105回 |
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合成着色料とは一般に石油を原料として作られるものです。赤色2号などというように、号と付くものはその対象となります。合成着色料が入っている食品は多くありますが、駄菓子、ジュースにはよく「赤色2号」「赤色102号」「黄色4号」などが添加されています。多くはタールや石油を原料にした合成着色料であり、危険性が指摘されていますが、通常の使用量では問題ないと考えてよいでしょう。 天然着色料として有名なものは、貝殻虫から抽出した色素が赤色系の着色料として使用されています。これはコチニール色素と言われ、用途としては清涼飲料水、冷菓、菓子類、ソーセージなどが対象となります。ちなみに、表示名は「着色料(コチニール)」ないし「コチニール色素」となっています。 ベニコウジ色素はベニコウジカビの菌体から抽出して製造されます。主成分は、モナスコルブリン、アンカフラビンなどとなります。水産ねり製品や畜産加工品などに使用されています。 合成着色料は石油を原料としているため危険で、天然着色料は食品や動植物が原料となるものが多いため安全というイメージがありますが、天然だから安全であり、合成だから危険と安易に判断するのは好ましくないと考えています。 また、現在は防腐剤というものは使用できませんが、その代わりに複数の酸化防止剤を添加することで食品の腐食を抑えています。酸化防止剤として用いられる抗酸化物質には、ビタミンC(アスコルビン酸)、ビタミンE(トコフェロール)、BHT(ジブチルヒドロキシトルエン)、BHA(ブチルヒドロキシアニソール)、エリソルビン酸ナトリウム、没食子酸プロピル、亜硫酸ナトリウム、二酸化硫黄、コーヒー豆抽出物(クロロゲン酸)、緑茶抽出物(カテキン)、ローズマリー抽出物などが挙げられます。 過去の事例ですが、複数の酸化防止剤を混ぜて使用することで発がん性物質が出来上がり、現在使用できなくなった組み合わせが存在しております。ここで言いたいことは個別の酸化防止剤の安全調査は進んでも、それらが混ざり合った場合の副作用についてはまだまだこれから研究しなくてはわからない状況にあるということです。また、酸化防止剤は製品中の成分の身代わりとなって酸化されることにより、製品そのものの酸化を防止している為、酸化物が体内に入っていることには変わりないのです。 様々な食品添加物のおかげで食品の酸化(腐敗)が防止でき、夏場でもコンビニ弁当などは車内にしばらく放置しても比較的安全に食することができます。彩りも鮮やかであり、食欲をそそることも事実です。そうしたことからも、食品の褐変や変色を防ぐためにも、酸化防止剤は重要な役割をしてくれております。食品添加物の摂取過多には注意しなければいけない点もありますが、どうした食品に含まれて、どんな役割を果たしているかを知った上で、食品のことや健康のことについて考え、見直さなければならないと思います。 添加物は悪である、天然着色料なら安全であるといった思い込みを捨て、事実を捉えることがこれからますます大切になってくるでしょう。コラムでは再三申し上げておりますが、銘柄や経済情勢に対して思い込みを持った株式投資をしては現在の情勢を正確に把握することができませんし、時代に取り残されてしまうことでしょう。 <サイト管理人> 2012年7月1日記述 |
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【負けるが勝ちをどう捉えるか】第106回 |
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私自身ことわざはあまり気にしません。解釈が難しいからです。ただ、「名を捨てて実をとる」というものは的を得ている言葉ではないかと思っています。一般的には「相手に勝ちを譲ることから、良い結果を得られるということ」と理解されているようですが、実際に勝つのは自分であると私は捉えています。つまり妥協するなどとは考えなくて良いのです。 株式投資で考えると「銘柄名を捨てて財務諸表を取る」、「大きな利益は他人に譲り、自分は小さな利益で引く」といった感じになるのでしょうか。そもそもなぜ大半の人はそれをしないのでしょうか。これは単なるプライドの問題でしょうか。 相対する者が一人のケースでも自分の負けや非をを認められない人は、株式市場という無限に近い相手に対して自身の負けや非をを認めることはできないでしょう。これは他者へのプライドよりも自分自身のプライドを重視するからこそ負けを認められず、含み損を膨らませることに繋がるのでしょう。 ちなみに、株式投資で損失を出した時(自分の投資ロジックが間違っていた時)に、損切りを行う(自分の誤りを認める)ことは多くの人には難しいことです。そんな時に己の間違いを認められなければ、後で取り返しのつかない状況になったり、投資から目をそむけざるを得ないでしょう。「負けるが勝ち」ということは、自分が負け組だとか、妥協するということとは違うのです。負けを勝ちに転換する為の必要なプロセスそのものなのです。大半の投資家は自分の非を認められないからこそ、負けて真の勝ちを取ることができないのです。 また、自分と他者とを比較することで自分の道を探るような人にとっては「負けるが勝ち」は不可能なことと言えます。ある人の投資成果を見て自分がそれを超えたい、超えなくてはならないという考えを持っていては投資が投機以下のギャンブルに陥る可能性があります。必要のないプライドを持ったが為に余計な苦労をする。メンツをプライドと勘違いしてしまう。これは自分を追い詰めることに他ならないのです。 名を捨てて実を取れば、自分以外の人間に対して何の価値も無いプライドを満足させることができ、自分は真に求めるべき実が得られます。本当の意味でのプライドとは実を得て始めて生まれます。そもそも実が無ければ生きていけないからです。 <サイト管理人> 2012年7月2日記述 |
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【投資家から観た企業の増資について】第107回 |
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増資には良い増資と悪い増資があると言われています。記憶にある悪い増資は日本板硝子の増資(2010年9月)で、有利子負債や社債償還の為のものであることから、単なる株価の希薄化で終わるものでした。そして2012年7月現在同社の株価は低迷し、財務内容も悪化の一途をたどっています。いつまた増資が必要かという状況ともいえます。 逆に良い増資としては、国際石油開発帝石(2010年)で、国内石油開発会社としては過去最大級の5000億円規模の増資で、調達資金はオーストラリア西部沖合の天然ガス田「イクシス」の開発などに充てられました。国際石油開発帝石は日本における同業他社より多くの石油の採掘権を有し、業績も安定しており粗利益率が高い企業です。つまり、増資は権益確保の為であり開発費用としての増資であることから、目先の負債への対応といった内容ではありませんでした。実際同社は増資後に資産を増やし株式希薄分を穴埋めする株価といっても良いでしょう。 さて、本日225採用銘柄の増資報道がありました。ひとつ目は川崎汽船<9107>で、発行済み株式数の26%に当たる最大2億株を発行、一昨年3月に続く公募増資の実施となるようです。財務諸表を観てもわかるようにこれは債務圧縮の為の増資と捉えて問題ないでしょう。単なる希薄化を招き、同社の経営状況が良くなるかは現時点ではわからないものです。 ふたつ目は全日本空輸<9202>で、公募増資9億1400万株に加え、オーバーアロトメントによる株式売り出し8600万株を実施すると発表しました。今回の新株発行により、発行済み株式総数(現在25億2495万株強)は最大10億株、率にして39.6%増加するものです。この会社も財務内容が良いとはいえませんが、2015年3月末までに国際線ネットワークの拡充を主な目的として、省燃費機材であるボーイング787型機を中心とした航空機購入を含む設備投資資金に充当する予定とのことから、一概に単なる希薄化とは言えないのかもしれません。ただし、2000億円規模の増資ですから、同社の規模からすると大規模過ぎる増資といえます。 世間では増資は悪であるという考え方が充満していますが、増資は上場企業にとって有効な手段です。そしてその増資が企業活動の発展や活性化に寄与する可能性が多くあることは事実です。しかしながら大半の公募増資は有利子負債削減や手持ち資金確保の為の目先の増資であることから悪いイメージを持たれてしまうのだと思います。 私は以前のコラムにも書いているように日経225採用銘柄しか購入しません。パニック的な下落局面でなおかつ日経平均に追従している銘柄で、その中から財務内容の良い企業しか買い入れを行いませんので、手持ち株式が増資による希薄化を招くことはこれまでにありませんでした。国際帝石に関しては2010年当時買い入れ対象銘柄(現在も含め)であったことは事実ですが、日経平均に追従していなかったことが買い入れに繋がらなかったのです。 増資には良いものと悪いものがあることは事実のようですが、手持ちの株式が希薄化を招かない為には日経平均連動性及び財務諸表を調べることが大切になるでしょう。いずれにしても私のように比較的短期のトレードを行う投機家には増資銘柄は避けなくてはならないという命題は常についてまわります。 <サイト管理人> 2012年7月3日記述 |
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【損切りがどうしても出来ない人の為に】第108回 |
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唐突ですが、ここにコップ一杯のお酒があるとします。皆様方が自ら飲もうと思って注いだお酒です。そして、そのコップをテーブルに置いてトイレに行きました。戻ってさあ飲もうとテーブルを見ると大切なお酒が半分無くなってしまいました。皆様はその時どう思うでしょうか? A) もう半分しかなくなったと考える B) まだ半分も残っていると考える 私はこのお酒の量のに対する考え方のが投資ライフの先行きを表していると思っています。もう少し言えば、AとBの違いは人生すら左右する問題とも思ってもいます。 Aのタイプは、モノはいつも十分に用意されているのが当然だという考え方に即しており、「半分だからできない」、「誰かに持っていかれて半分になってしまった」という責任の転嫁をしがちな人でしょう。あって当然という傲慢な態度の裏返しなのかもしれません。何かひとつでも欠ければ何もできないといった人生を歩みかねません。なお、私はこのタイプの人間であると自認しております。 Bのタイプは、モノはいつも十分に用意されているとは限らないという考え方に即しており、半分あれば酔うことも出来るといった目標を達成しようという積極的な姿勢に繋がっています。「まだ半分も残っている」という考え方には、現実逃避の考え方はなく、そこにあるものを受け止め、そこにあるものを活用して生きている人でしょう。よって、わずかでも希望があれば努力するという人生を歩む人と言い換えられます。 両者の違いは大きいと思います。「もう半分しかない」というのは他者依存の不満の表現であり、「まだ半分も残っている」というのは主体的かつ現実を受け止められるという表現と考えます。 この問題は当然株式投資に関しても置き換えられます。自分の失敗や不運を嘆いている人が私の周りにも多くいますが、これらの人は単に同情を得ようとしているのかもしれません。自分の失敗や不幸、不運を嘆く人の周りには同じような人が集まって、お互いに傷をなだめ合うだけで、何ひとつ解決策は出て来ないことでしょう。 株式投資において大切な問題は、含み損を抱えたことを嘆くことではなく、含み損が出たことを同情してもらうことでもありません。現在の時価ベースで先の方法を考え行動することなのです。それでも同じ失敗を繰り返すようなら投資から身を引けば良いのです。株式投資以外にも自分を満足させてくれるものは多くあるからです。これは単なる諦めではなく、意識的な方向転換になるのです。見て見ぬフリではなく投資資金を換金して定期預金か国債を購入すれば良いのです。 なお、現在含み損を抱え、仮に投資金額が半分になっている人がいるとしましょう。これを元の資金に戻すには200%もの投資成果が求められます。このことが人間を大きくしてくれるのだとも思いますが、私の投資手法は年率で8%程度を目的としておりますので、半分になってしまった人は複数年かけて取り戻す方法をお勧めします。不可能なことではないはずです。少々脱線しますが、年率200%という成果をあげるためにはそれだけの努力と理性、そしてリスクを負うことをご念頭に置かれるべきでしょう。 繰り返しになりますが、お酒が「まだ半分も残っている」と考えるのは難しいことと思います。本能を超越する理性が絡むからです。しかし株式投資で勝つ為には避けて通れない道であると考えております。 <サイト管理人> 2012年7月4日記述 |
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【正しいこととは何かについて】第109回 |
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「正しいとは何か」と言えば、倫理の先生が教えることにも思えますが、今回のテーマとさせて頂きます。 1945年3月東京大空襲がありました。B29の第一派は通常爆弾(鉄の中に火薬が入っている:周りの鉄板が粉々になって殺傷するもの)を落としました。山手線の外周りを爆撃するようにしたのです。当時の東京は軍人がほとんどおらず、ほとんどがお年寄りを始めとした一般人でした。この攻撃は恐怖心を与える為のものであり、人々を山の手線内に移動させることを目的としました。B29の第二派は焼夷弾(ドラム缶の中にガソリンが入っているようなもの)を山の手線圏内に落とし、結果として10万人が焼け死んだのです。当時の将軍はプライドをもってこの軍事作戦を行ったようです。これは正義でしょうか?しかし、歴史は正義として結論付けています。ですから正しいことになっているのです。 9.11の世界貿易センタービルの事件について考えますと、ボーイングに乗ったパイロットは絶対に正しいと思ってビルに突撃したことでしょう。自分たちの同胞40万人をアメリカに殺されたという報復の為に行ったのです。迷いの無い突撃攻撃でしたが、イスラム原理主義の観点からすれば正しいことなのでしょう。 そもそも正しいこととは何なのでしょう?自分で正しいことを決めて「貴方は間違えている(相手の正義を自分が決める)」というのは論理的整合性がとれません。結果として正義の数が人口の数だけ存在することになるからです。 私の思う正しいことは以下の4点です。 ・神様が決めたこと(教え) 左の頬を・・・ ・偉人が決めたこと(道徳) 師曰く・・・ ・相手が決めたこと(倫理) 倫理の黄金率 ・社会が決めたこと(法律) 力の問題に関係 ということは、正しいことは自分では決められないのでしょうか?そうではありません。今まで「自分で言ってきた正しい」は単に自分が言っている(思い込み)に過ぎなければ価値がありませんが、上記の正しいとされる4点を使ったものであるのならば、道徳や法律に従った自分なりの考えがひとつの正しさになるのでしょう。 ちなみに、真に正しいことが過去に守られたことはあるのでしょうか?2400年前ソクラテスが道端で問答をしていました。これが哲学の発祥とも言われていますが、当時のアテネでは道端で精神を乱すようなことを言ってはならないという法律がありました。よってソクラテスは独房に入れられます。しかし、有名人の彼に対し看守は独房のドアを開けっ放しにして何時でも彼にここを出て良いという行動をとったのです。それに対しソクラテスは自ら独房を出ることはせず、弟子に毒杯を持ってこさせます。ソクラテスは毒杯をかざし「これが正義だ」と言ったそうです。社会で正しいとされていることは、自分が正しいとすることよりも上回る(「悪法も法なり」)としてソクラテスは自ら命を絶ったのです。法律の解釈は難しいのですが、皆がそれに倣って生きる以上自らも従わなくてはならないのです。 私の投資手法は皆様への押し付けではありません。自分でも正しいとも思っておらず、閾値は必要に応じて設定し直しております。ですから単なるひとつのやり方に過ぎません。こうしたことから偉人の言葉を借りてコラムを書かせて頂くとともに、皆様の指標となってくれることを願っております。賢人の言葉(道徳)を重んずれば勝率も上がるのではないかと思うのです。 <サイト管理人> 2012年7月5日記述 |
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【私達が夢のある生活を送るには】第110回 |
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1990年頃、日本では不動産バブルがはじけ、世界的にも天安門事件、東ドイツの崩壊など大きな事件が続き、世界は先行きの不安に苛まれました。 その結果、不良債権からの銀行倒産、証券会社の倒産、自殺の急増、年金崩壊シナリオなどの問題が起こり、日本の社会は不安の余り、思いもしない方向に進んで行ったように思います。本来なら明るい夢を持って生きるはずの若い人も、有識者とされるコメンテーターやマスコミが作り出した「もうダメだ」の報道に惑わされて、この20年を無意味に過ごしてきたように思えてなりません。 私自身は楽観的な感覚は持ち合わせておりませんが、今の日本でも「明るくやろう」と国民が決意して、それに賛同する政治家を選ぶことができたら、すぐにでも「豊かかつ楽しい生活」を送ることができます。あれほど不景気、復興、脱原発、年金破綻などと悩んでいたことがまるでなくなるでしょう。 それは日本を覆っているこれらの問題は「人間によって架空に作り上げられたもの」だからです。日本の現在の供給力(日本人が欲しいと思う物やサービスを生み出す力)は、日本人が欲しいと思うものより2割程度大きいという数字が出ています。これは過剰供給力の問題ですが、住宅は年間130万戸は供給できるにも関らず90万戸、自動車、家電製品などの大型消費財の供給力も充分ですし、日用品からタクシー、飲食、旅行、ゴルフに至るまで楽しもうと思ったらいくらでも買えるという状態なのです。 また、ひとたび日本人が「人生を楽しもう」と決意をすれば会社はそれに応じて増産しますから、本当の意味での供給力はさらに上がり、銀行は国債などを買わなくても企業が増産に必要な資金を借りに来ますから、銀行預金の利子は増え、企業の所得税は高くなって赤字国債は減り、すべては順調に回ります。これが本来求められるべきインフレーション経済となります。 私は現状日本に対してインフレーション経済への移行を強く非難しますが、それは政策により作られるものであろうが為、私達の生活を圧迫することに繋がるからです。この点につきましては以前のコラムでもお話した通りです。もしも、日本人が自ら購買を求めた結果のインフレーションであるのならばそれほど非難はしないのです。 今の日本には「供給力」があり「技術力」が高く「勤勉」な国民で「国際収支が大きな黒字」、さらに加えて自国の「通貨が強い」ことから、世界中で「やりたいことは何でもできる」という状態です。ではなぜ、不景気に苦しみ、将来に不安を持っているのでしょうか。それは政治やメディア、文化人などが自分たちだけの利益を追求して、日本国民をあらぬデフレ・円高は悪であり、年金は破綻しかねないという幻想の中に追い込んでいるに過ぎないからです。 私達には報道に洗脳されず、事実をそれとしてしっかりと捉えられる努力がますます求められてくるとともに、自分の考える世界の中の日本という位置づけから海外も含めた多くの知識や良識を日々習得することが必要とされています。「夢のある生活はここから始まるのです」。 <サイト管理人> 2012年7月6日記述 |
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【投資ではなぜ大きな結果を求めすぎるのか】第111回 |
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世の中には誰がみても能力がある人が存在します。また、努力家と見えるのに、当人にとっては自身の実力が実感できず、無力感に苛まれている人も多くいます。立派な功績をあげても、成果を残しても自殺してしまう人も多くおります。結局、天才や偉人、鬼才と言われている人々が、なぜ自分で自分を認めることができず苦悩するのでしょう。 こうした人はいくら努力して成果を得てもそれを超えるものを求めるとともに、自分を信じられず、逆に努力するほど自分の無力感に悩んでいるのかもしれません。こうした人々は何の為に努力するのかという前提が間違っているのではないでしょうか。疲れる努力をしているだけとも思います。 努力の目標が「幸福感を得る為」ではなくて、他人に対して優越感を覚える為、また、他人に笑われない為であることから、幸福感や満足感が得られないのだと思います。自分をより良くする為であったり自分が楽しむために努力すべきであるところを、あさっての方向に努力を向けているのだと思います。 もうひとつは、こうした人は自分に出来ない高い目標を設定しているということです。なぜ、そのような目標を設定してしまうのかは簡単で、他人に自分を受け入れてもらうには、他人よりも全ての面で優れなければならないと思い込んでいるのです。だからこそ、いくら努力しても幸福感を満たすことができないのでしょう。 本人は意識していないでしょうが、このような人は努力する程に現実と理想のギャップが開いていくのでしょう。この人は能力が無いのではなくて、自分に過大な要求をしているのだと思います。この点を考え直せば、無力感から解放されて幸福感を得られるとともにリスキーな株式投資を行わずに済むと考えます。 「求める」ということは自分に無いものを求めるのであり、「求めすぎる」ことは自分に欠けているものが多すぎるという錯覚に繋がるのではないでしょうか。だからこそ、努力しても求めすぎる人は自分の無力感に苦しみ、年率で10%程度の投資リターンでは満足できなくなってしまうのです。10%がどれほど驚異的な数字であるかを理解できればこのような無力感は感じずに済むと思うのです。 <サイト管理人> 2012年7月7日記述 |
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【価値観の多様化から投資を考える】第112回 |
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価値観が多様化するほど可能性の多様化に繋がります。可能性が多くなるほど、決断は鈍ります。つまり、可能性が大きくなったのではなくて、可能性が多くなり選択肢が増えることになります。ひとつひとつの可能性を実現できる割合は、可能性の多様化とともに小さくなるのが常です。 可能性を信じるが為に必要不可欠の問題が軽視され、決断はますます難しくなります。決断は知識から可能なものではなく、歴史や文化、経済情勢をしっかりと認識することと判断力から叶うものです。現在の日本人には決断の為の必要な情報が欠けていると言わざるを得ません。 投資で損失を出している人の多くは価値観が定まらないまま決断しようとすることから、中途半端な行動をとってしまうと共に、決断しなければならないから余計に決断できなくなるとともに、自信の消失に繋がってくるのでしょう。 現在は価値観が多様化した社会だからこそ、決断を求められます。しかし、現実には決断できなくて苦しんでいる人が多くいることも事実でしょう。これが現代日本の抱える問題が起因しているのでしょう。 追い詰められた時には「開き直りが一番」とも思いますが、開き直りは自らの選択肢を自ら閉じることとも言えるでしょう。言葉を変えれば、他の可能性を捨てることです。人間は同時に複数のことはできないのです。ひとつひとつ確実にけじめをつけていくしかないのです。どうしても決断できない人は、同時に相容れることのできない可能性を求めているのではないでしょうか。 決断できない人や決断無しに無計画な投資をしている人は欲張りすぎているから、あるいは最善ばかりを求めるから正確な決断ができないのではないでしょうか。また、あらゆることの優先順位が定まっていないのではないでしょうか。ものごとの優先順位があやふやということは、その人の価値観が不安定でもあると思いますし、支離滅裂な投資手法を取らざるを得ないでしょう。 人間は最初から価値観が定まっているわけではなく、歴史を学び、忍耐力を養い、判断力をつけ、行動力を身に着けながら価値観が定まっていくと思います。価値観が多様化した時代だからこそ、自分なりの価値観(閾値)を持たなければ何年投資を行っても狭い自らの経験則から無意味な投資を繰り返してしまうことでしょう。 <サイト管理人> 2012年7月8日記述 |
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【パチンコ社会と株式投資社会】第113回 |
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かつて日本人が一生懸命働いて高度成長の時期を迎えている時代、収入は少なかったようですが、今よりもずっと人生を楽しんでいたように思います(1970年の平均月給7万6千円,2000年は40万円)。私は1970年代中盤産まれですので、知っていることは80年代半ば以降の日本ですが、やはり当時は活気にあふれていたように感じています。その頃、父親は草野球や将棋や碁、母親はママさん・バレーボールやインティアカ大会に参加して同僚との時間を楽しでいました。 年に1回か2回は職場で旅行があり、バスではビールを飲みながらカラオケ大会、温泉に着くとコンパニオンさんが来て大騒ぎをしたと聞きます。それが良いことだと言っている訳ではありませんが、明らかに活気ある社会です。家庭に関して言えば、何とかローンを組んで買った家から小さな自家用車に乗って、日曜日が来ると家族とドライブに出るのが楽しみでした。あまりに多くの人がドライブに出かけるので帰りの道路は非常に混雑して、家族のトイレを捜すのに困った経験もあります。お酒も自由に飲んでいましたし、たばこも吸えました。家では父親の友達同士が毎週一回マージャンをしていた記憶もあります。 ここで申し上げたいのは、そんな時代が懐かしいことではありませんし、それが日本人として一番いい社会ということではないのです。少なくとも活気があったという現実と、仕事や勉強以外にもやることが山程あったというこです。 それに比べると現在の日本は随分静かになったようです。当時に比べれば立派な車を持てるようになりましたし、高速道路網も発達しましたが、かえって家族でドライブに行くことは無くなってしまいました。静岡に住んでいるとドライブは実に楽しく、山の方に行くと大井川や安倍川、天竜川や富士川にそって素晴らしい景色、海の方では伊豆や御前崎、浜名湖があります。名古屋や東京も容易に行くことが出来ます。しかし私はあまり出かけません。また、たまに車を走らせてもたいした人影もなく閑散としているように思えます。ネットで1人で遊ぶことはできるようになりましたが、その代わり麻雀や将棋のように相手がいなければできないような娯楽は減ってしまったのでしょう。以前二人称のつき合いが長けているのが日本人であるとコラムで書きましたが、それすら変っているのかもしれません。 全体として本当に「日本人の人生は楽しくなっている」のでしょうか。私が思っているだけかもしれませんが、現代の社会における楽しみといえばパチンコと家で飲むことだけという感じがします。「パチンコ排斥運動」というものはありますが、私はむしろパチンコは現代の日本人にとって大切な娯楽という感じがしています。よく農業の売上げ高8兆円に対してパチンコが30兆円で異常事態とも言われていますが、この事はいかに日本人がパチンコで楽しんでいるかを示している結果でしょう。ちなみに私はパチンコをしませんし、破滅型のギャンブルには興味が持てずにおります。 パチンコにのめり込んで離婚してしまったり、夏場子供を駐車場の車内に置き去りにして死んでしまうという事件もあります。でも、それはパチンコというゲームに問題があるのではなく、パチンコだけが面白いことの裏付けでしょう。もしパチンコを追放するのであれば、パチンコに代わるもっと面白いものを発見することが大切でしょう。そういう意味において私は相場を眺めることがオモシロイモノとなっています。 <サイト管理人> 2012年7月9日記述 |
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【意見が違っても相手は憎まないこと】第114回 |
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「あの人がこんな事を言っていた。実に気に食わない。もう口をきかない」。と息巻くことがかつて私にもありました。優しい女性ならこんなぞんざいな言葉を吐くことはないのでしょうが、男性より激しく心の底で相手を憎んでいることが多いのではないかとも思っています。 確かに人間は「意見が違う」と「その人を嫌いになる」という傾向があるようです。人情としては解るのですが、その「意見」というのは、その人全体からいえばホンのわずかなことかもしれません。もっとも、一つの事に対する意見など、その人のある面、それも100分の1ぐらいのある断面を出しているに過ぎない場合が多いのでしょう。 その人はとても愛すべき人かも知れません。低血圧の朝寝坊で、慌てて朝ご飯をかきこんで、咽せたり、忘れ物が多く、そのたび毎に汗をかきながら家に戻るという愛すべき人かも知れません。また、よくよく見るとその人が選ぶ洋服の色や靴の形など、奇妙に自分と同じということもあるでしょう。しかし、昔から「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というとおり、人間の心は自分で憎さが膨張してしまうものです。 私が「その人の言っていること」に異論があっても、「その人に親しみを覚える」ということができるようになったのは、33歳ぐらいだったかもしれません。 それまで、開発職をしてきた私には「開発を始める時に、自分が正しいと考えていた条件設定が間違っていた」という経験を多くした結果、「自分が正しいと考えていることは正しくない」と思うことができるようになったのです。だから、自分と違う考えの人がおられても、自分とその人とどちらが正しいのかは分からないので、とりあえず自分は自分が正しいと思うことで行動していかなければなりませんが、自分が間違っているかも知れないと思い出したのです。それからというもの、人との争いも少しずつ減り、あまり腹も立たなくなりました。 「私がAと思うのだからAが正しい」という論理はあまりにも自分勝手です。しかし人間は哀しいことに、自分が正しいと思うことを正しいと思わないと毎日を送ることができませんから、それは仕方がないのですが、それでもこのことを心の隅に入れておけるようになったのです。 「罪を憎んで人を憎まず」とも言います。法律を犯すような犯罪でもその犯罪自体を憎んでも、その犯罪をした人を憎まないようにするという孔子の言葉はやはりかみしめる必要があるのでしょう。 他人と意見が違うとき、その意見を採り上げずに「あいつはダメだ」、「あいつは・・・」だとレッテルを貼ってしまえばその方が精神的には簡単ですが、それでは社会、ひいては株式投資手法は進歩しないと思います。 「自分の考えが正しいわけではない。ただ、自分はそう思っているだけだ」と自戒することがとても大切ではないでしょうか。ただ、自分の意見を述べないのはルール違反に思います。 株式投資に正解はありません。しかし、自分なりの正しさを設定し、間違いを常に監視する必要があるととともに、他人の論理に耳を傾ける姿勢が求められるのではないでしょうか。 <サイト管理人> 2012年7月10日記述 |
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【ルキウス・アンナエウス・セネカの言葉を考える】第115回 |
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「セネカ」は古代ローマの哲学者であり思想家です。ストア派の哲学者として知られ、第5代ローマ皇帝「ネロ」の幼少期の家庭教師も務め、治世初期にはブレーンとしても皇帝を支えました。以下に投資に関する心構えとして重要と思われる名言をピックアップしてみます。 ●人間のすべての愚かな行動は、恐怖心から生み出されるものです。 ●人間にとって最大の敵は、だいたいにおいて自分である。 ●人間にとって大切なのは「量」ではなくて「質」です。 ●富はそれを必要としていない人間の元へ集まるものなのです。 ●自分で自分の事をどう思うか。それは他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である。 ●人間に与えられた時間は決して少ない訳ではない。ただ、活用していない時間が多いだけなのだ。 ●人間は難しいからやる気が出ないのではない。やる気がないから難しいのだ。 箇条書きになりましたが、上記の名言の中で「人間」という言葉を「株式投資」に置き換えてみてください。私がこれまでのコラムで言い続けていることの重複にも思いますが、賢人の言葉は現在の投資に対する心構えを説いてくれているように考えています。 「人間のすべての愚かな行動は恐怖心から生み出される」というものは特に意義あるもので、今すぐ株式を保有しないと株価が上がってしまうという焦り(恐怖心)が高値掴みに繋がり、株式投資市場から撤退する人が多いことを裏付けているように思います。確かに日経平均に連動したパニック的な下落局面では株式を持たざるリスクが存在しますが、年中そのリスクが存在するわけではないのです。 <サイト管理人> 2012年7月11日記述 |
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【「貯金好きはお金持ちになれない」について】第116回 |
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北川邦弘という人が「なぜ貯金好きはお金持ちになれないのか?」という本を出しています。私はこの本を読んでおりませんので話をする権利は無いのでしょうが、内容は「金持ち思考」と「貧乏思考」の違いとは何か。金持ちになれる人となれない人の思考と行動を分析し、それぞれの考え方や習慣を明らかにするもののようです。実に現代人受けするタイトルに思えますが、私にはタイトルだけで胸焼けがしてきます。 そもそも投資においても起業においても大きなリスクを負わなければ大きな資産を得ることなどできませんし、大きな資産を得られる人は1%に満たないことでしょう。私はその1%に入る自信もありませんし、その為に株式投資を行っているのではありません。この裏で多くの人が負債を抱え破産する現実を考えれば当たり前のことです。 北川氏の言うお金持ちの定義は解りませんが、数億から数十億円のお話をされているのではないでしょうか。これは99%の人にとって無縁のお話であり、大半は参考に値しないことでしょう。もしも彼が真のお金持ちとは内的なものであり、精神論の話をされているようでしたらここに謝罪します。 話を具体的なものに変えますが、1年で200万円ずつ貯金したとして40年間働きます。金利無しの単純計算で8000万円です。しかし、これを「8000万円しか」と捉えるのか「8000万円も」と捉えるかによって考え方や行動は大きく変わります。私は円が強い状況では他国において数倍もの価値ある資産になるという現状を思えば、「8000万円も」と考えて良いと思っています。 ただ、現在の状況がこのまま続くかは解りませんので、いざという時の為に手元資金の運用を考えれば良いのです。その訓練としての株式投資であり、日々のニュースの斜め読みなのです。 また、ギリギリの節約生活をしたところで残るお金などは小額といって良いでしょう。年額10万円節約効果があっても40年かけて400万円です。その400万円の為に多くを失うことを考えれば実に虚しい行為ではないでしょうか。 円安、インフレーションは良く無いという私の想いは真面目に働く人にとってという意味も込められております。この先日本経済のベクトルがそちらに向いてしまったとしても99%の真面目な人間が損失を被ることなく生活が送れることを願って止まないばかりです。 欲望をむき出しにリスクテイクな投資を行う、少しでも金利の高い銀行に預金する、必要な物すら購入せず他人から借りる、不便でも我慢する、そのような生活を送ることが視野を狭め、結果として大きな資産を失うことに繋がると思います。 <サイト管理人> 2012年7月12日記述 |
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【拝金主義の根絶から日本は幸福を得られる】第117回 |
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かつて日本の文化はお金を蔑みました。特に社会の指導者として精神的な高貴さを大切にした日本の武士は、金銭に近づくことをいやがり、このことは新渡戸稲造の武士道に詳しく書いてあります。 最近は「お金(研究費)をとれば優れた学者」ということになっています。このような傾向は大学の先生ばかりではなく、官僚や政治家でも同じです。本来なら、大学教授、官僚、政治家などの職業は「お金」が目的ではなく、その社会的使命に没頭できる人でなければつとまりません。それが現在の日本では全く違うのです。 お坊さん、先生、お役人、政治家というのは基本的には貧乏が似合っているように思います。移動するのも車などは使わず、古びた鞄を持ってとぼとぼと歩いてくる偉い先生が絵になると思います。しかし、時としてお礼の金子を頂戴し、ちょっと豊かになるという職業なのです。これが逆になっては社会が正常に機能するわけがありません。「古い時代を懐かしむ」というのではなく、それが「お金で人を判断しない日本文化」だからです。ルーズベネディクトの著書にあるように、恩と義理で結ばれた社会が日本文化なのです。このような感覚は江戸時代の終わりに多くのヨーロッパ人やアメリカ人が日本を訪れ、日本人がお金に執着心のないことにビックリしたことからも解ります。むしろ、「お金を蔑む」という風潮は殿様にも庶民にもあり、殿様は質素を旨として板張りの部屋にゴザを敷いて生活し、江戸っ子は「宵越しの金は持たない」と言うことをホコリにしていました。 日本はキリスト教的な契約社会ではありません。精神構造も契約的ではなく、あうんの呼吸で全体を把握し、それに従って生きるという民族的特徴があります。だから「お金でものを測る」ということ自体がそぐわないと思います。 まずは学校で「人生はお金ではなく、仕事に命をかけることが大切」と言うことを教えることです。日本には宗教があまり強い影響を発揮していないので、このような日本文化の基本の基本は日本人が合意して教育に入れていく必要があります。 拝金主義を変えて行くには、ニュースの「今日の円ドル相場」の放送の中止など、あらゆるところでお金の話をせず、お金を見下すことから始まるでしょう。それによって、「お金を蔑み、学問、文化を尊重する」という社会に少しずつ戻していくと思います。 まず我々ができることは「お金持ちを軽蔑し、お金を軽蔑すること」で、朝起きたら「今日も朝が来た」ということを感謝し、その日を精一杯生きることかもしれません。 私は如何にも拝金主義的な株式投資をしております。そこには投資で勝つという究極の目的と、投資で得られたお金を健全な社会で使い切るという目的があります。奇麗事に聞こえると思いますが事実です。もちろん投資ロジックの蓄積を私の歴史(見識)として多くの方の生活防衛の為に活かそうとする側面もあります。しかし、お金に拘り感覚を麻痺させるようなこと、お金を手元に得ることが目的になっては正常な感覚で世の中を捉えることができなくなるでしょう。 私が「お金」に優先順位をつけるとしたら何番目でしょう。5本の指には入らないことは確かです。 <サイト管理人> 2012年7月13日記述 |
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【時の流れついて考える】第118回 |
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時間というものが皆同じように過ぎていかないことを感じ始めたのは、私が30を過ぎた頃です。それまでは青春の苦い毎日が忙しく過ぎていくだけでしたから、当時は「時」というものがそれほどの意味を持っていなかったからです。 35歳を過ぎた現在では以前より時が早く過ぎるような感じがしています。時間のスピードはさらに増えて、40代になればは滑り台、50代にもなれば真っ逆さまと思うのかもしれません。 なぜ、時が速く過ぎるようになるのでしょう。物理的にはその答えは容易で、「一時間の間にできることが多くなるから」とになります。目的のない時間はゆっくりと過ぎるのですが、忙しいと速くなるのです。忙しいということは同じ時間で多くのことをするので、その時間が短くならなければ不平等だからだとも思います。 ネズミは数年しか生きることができないのに、ゾウは長く生きます。だからゾウの方が長く生きた自覚があるかというと、物理的な時間は違うけれど、意識としては一生の長さは同じでしょう。 ゾウが体を回して後ろを向くのにはかなりの時間がかかりますが、ネズミはその間に何10回も回転できます。もしゾウとネズミが同じ寿命なら不公平です。ですから、ゾウとネズミの寿命は、一生かかってやれることが同じになるように寿命が決まっているのでしょう。 今の私にはこの世がおもしろいものと感じられています。寿命が長ければ時間単位でやることが少なくなりますし、寿命が短ければ多くのことができる可能性があるからです。そして、同じ寿命ならば忙しければ時が速く過ぎ、暇ならゆっくりと進んでくれるからです。 こうしたことから、私は待合せにはギリギリの時間に行かないようにしています。ギリギリに行くと別のことができることも理解しています。しかし、ギリギリですから電車や車の中で時計ばかり見ていたり、駅で降りても町並みを楽しむ時間はありません。 ちゃんと、ギリギリに行くとそれだけ別のことができる分、何かを私から奪っていきます。実にこの世は巧みにできていると感心させられます。人生はどう生きても同じなのかもしれません。ですから、私は待合せ場所には1時間前に到着します。そしてそこら辺を散策したり、喫茶店でコーヒーを飲みながら思考に時間を費やします。その時間は不思議とゆっくり過ぎています。 能率が悪い方が人生が長いとするなら、私の投資方法は年に数回の投資ですから能率が悪い分だけ投資ライフは長く続けられると考えています。 <サイト管理人> 2012年7月14日記述 |
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【コラムを始めて1年が経ちました(総括)】第119回 |
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株式投資コラムを書き始めておよそ一年が経ちました。自分自身のロジックを固め、それに従う為の戒めとして書いてまいりました。当ホームページも開設して一年が経過しました。私自身はずぼらな性格ですから、簡単に相場の状況を把握する為に作成したページでもあります。その間にも株式市場は動きをみせ、私も自ら設定した投資ロジックに則りトレードを行いました。この間の成果は満足のいくものでした。結果として買い(買い下がり開始)機会が2回ありました。投資資金に対し8%の利益で確定する緩い閾値が功を奏した部分もあります。ただし、パニック相場におけるバスケット買い下がり方式ですから、銘柄によっては損失を出しているものもありました。個別銘柄を勘案に入れれば勝率は90%程度だと思います。 これから先も同じ方式で通用するのかは解りません。未来を予測しても仕方ありません。しかし歴史から学ぶことは多くありますので、私はこれからも株式投資を真摯に考え、各種パラメータの設定条件を変えていくと共に、蓄財の手段としてではなく生活の一部分として続けてまいりたいと思います。 <サイト管理人> 2012年7月15日記述 |
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Column & Blog 3
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